終わる世界で歪む祈り手

酉茶屋

■無能な聖女の行く末は

 


「勇者っ!!」



 今、目の前で、大量の血飛沫を撒き散らしながら、勇者が床に倒れた。

 魔王を切り伏せるために向けたその剣で、自らの胸を貫かれて。



「な、嘘だろ……。聖女が受けた神託の奴が……」



 共に旅をしていた魔法使いが呆然と呟く。

 そう、彼は神託により決められ、魔王を討つ役目を得た。

 私が神託を受け見つけた勇者が、今、死んだ。


 膝の力が抜けて、私は床に座り込む。足に伝わる冷たい感触。ざらついた石で出来た床。

 血溜まりを広げる勇者の姿に、ガタガタと体が震える。目の前の光景は、まるで現実じゃないみたいだ。

 元の世界ならば、多分見ることのないであろう光景。



「無能な聖女が」



 私の護衛に付いていた神殿騎士が言った一言に、自分の末路が想像できた。

 神殿にいた時から言われつづけたその言葉。女神から神託を受けた時でさえ、やっと授かったのかと言われるほど、私は他の聖女と違い出来が悪かった。

 ずっと、ずっと、言われ続けた。それでいて魔王を倒すどころか、勇者を死なせたのだ。貴重な勇者を。



「回復をしろ! チヒロ!」

「――っ!?」



 魔法使いの叫ぶような声に、ハッと意識を戻す。そうだ、自分は聖女なのだ。癒しの力を持っている聖女だ。その気になれば、死者すら蘇らせることが出来るといわれる聖女だ。

 強く手を握り、意識を集中させて、持てる力を全て放つ。白く輝く光が勇者を包み込むが、彼が動き出す様子はない。もっと、もっと集中するんだ。

 ごくりと喉を鳴らして、どちらから来るのか分からない恐怖心から汗が吹き出る。大丈夫。例え無能と言われても、女神の加護は絶対。お願い、目を覚まして――!



「やはり駄目か。だからさっさと次の聖女を召喚すればよかったものを。大司教が勿体無いと言うからこうなる」

「神殿騎士! あんたは黙ってろ! チヒロの集中を邪魔するな!」



 勇者と仲がよかった騎士が、神殿騎士を怒鳴りつける。

 敵の目の前なのに怒鳴りあいが始まった二人に、私は視線を向ける。神殿騎士の口から出る言葉は、ことごとく私に突き刺さってくる。現に今だってそうだ、勇者は動かない。青白い顔のまま、魔王の前で倒れている。

 目の前の、いつ魔王に殺されるの分からない恐怖より、私は神殿に戻るほうがよほど怖い。誰が言っているのか判らない中傷、小さないくつもの悪意。影から感じる嫌悪の視線に、不快な笑い声。


 身の回りの世話をしてくれていた女性の神官が、神殿の人たちと一緒に私の陰口で盛り上がっているのを見て、私は神殿の関係者を信用しなくなった。

 今はニコニコと談笑している相手が、私の姿がなくなると同時に悪口に花を咲かせるのだ。一体、誰を信じろというのか。

 この世界に女神は確かにいた。けれどその存在は、救いを与えるありがたいものじゃない。少なくとも、私にとっては。



『もう、いやだ……』



 この世界に強制的に連れてこられたとき、言葉の壁はなかった。けど、私が無自覚に発した言葉は、何故か周りの人には理解できない言葉だった。

 そう、慣れ親しんだ故郷の言葉。

 勇者が剣を向けたときでさえ動かなかった魔王が、その玉座から重たい腰を上げた。


 ピクリともしない勇者の脇を通り過ぎ、真っ直ぐ私に向かってくる。

 石造りの床が、魔王の足音を響かせた。



「逃げるんだ! チヒロ!!」



 逃げろと魔法使いは言うが、私は動けなかった。足に力が入らないのもそうだけど、何より、動きたくなかった。

 だって、神殿に戻っても私の居場所はないから。

 今、のうのうと戻っても、勇者を死なせた無能な聖女の烙印が押されるだけだ。覆りようもない事実が、そこにあるだけ。


 神殿になんて戻りたくない。私が戻りたいのは元の世界。私のいた世界に帰りたい。

 気が付けば、魔王は私の目の前に立っていた。

 見上げた魔王の、目深に被った黒いフードの中を見て、涙が出てきた。


 フードの中の顔は、親近感を持つ顔だった。この世界では特に珍しい、真っ黒な髪と瞳を持った、どことなく朴訥とした雰囲気の顔付きの青年。

 青年は、きっと私と同じ世界の人だ。最期に、同郷であろう青年の姿が見れてよかった。これで私がこの世界で死んでも、私がいたことを覚えている人が残る。

 青年の、魔王のローブの裾を掴んで、私は縋るように声を出す。



『お願い、殺して。私を殺して。死にたい、死にたいの』



 私が必死に声を出して言えば、魔王は眉間に皺を寄せて魔法使いたちを見た。たったそれだけの行動なのに、彼らが後ろに下がったのが私には不思議だった。



『この世界に、私の居場所はないの。だから死にたい』



 視線を戻した魔王が、ゆっくりと私に向かって手を差し出す。

 この手を掴めば、いいのだろうか? 疑問に思ったのは、一瞬だけだ。私はその手に向かって自分の腕を伸ばした。


 伸ばしたその手の指先が、魔王の手に触れる寸前――

 私の視界が紅蓮に染まった。



■□■□■



「ええい! 勇者を死なせるとは何てことだ! 無能にも程がある!」



 扉の前からする怒鳴り声に、私は目を覚ました。

 あの魔王の城から、いつの間にか連れ戻され押し込まれた部屋。私にとってはただの牢屋でしかない、神殿にある私の部屋。

 拘束された自分の体を見て、ますますそう思う。



「落ち着いてください、大司教様。過ぎてしまったことはどうにもなりません」

「分かっているわ! だから余計に腹が立つのだ!」



 ぼんやりとする頭を振れば、短くなった髪が頬にあたった。ジクジクと半身の皮膚が痛む。

 あの紅蓮の色は、やはり炎の色だった。目の前が炎に遮られたとき、髪に燃え移り、容赦なく皮膚を焼いた。魔法使いの得意な属性は氷だった。意識が薄れかける中で、魔法使いが正反対の魔法を放ったのは覚えている。

 だからこれは、あの神殿騎士が使った魔法だ。あの程度の炎で、魔王にさしたるダメージにはならないはずだ。きっと勇者を死なせた聖女を、あの場で始末するつもりだったのだろう。そしてその罪を魔王になすりつける。よく出来た話しだ。



『いっそ、死ねればよかったのに』



 あんなに簡単に勇者は死んでしまったのに、私はしぶとく生き残ってしまった。あのまま焼かれてしまえばよかったのに。彼の死に責任の取りようもまだあった……。

 それにあの死に方なら遺体すら利用できない。いや、無能な聖女の遺骸など、あっても災いしか呼ばないか……。

 焼け焦げた髪はばっさりと切られ、治療は最低限なものだった。水で冷やされ消毒を数回されたのみ。


 後はイスに座らされ、幅の細い布でミイラの様に縛り付けられた。ご丁寧にその上から鎖まで巻いて。

 護衛の神殿騎士あたりが、私が自殺しそうな空気を説明したのかもしれない。まさか召喚した聖女が自殺をしないと、神殿の連中は思っていたのだろうか。脱走が不可能なら自殺、そのぐらいバカでも思いつく。

 あんな扱いをされて、何も考えないでいるとどうして思える。つくづくおめでたい頭だ。


 ああ、死にたい。死にたい死にたい死にたい死にたい。

 神殿の連中に利用されるぐらいなら、さっさと死にたい。

 ここに戻ってきてから頭の大半を占めるのは、それだけだ。死にたくてたまらない。


 この状態だ。いっそ餓死してしまおうと思って与えられた食事を拒否し続ければ、無理矢理口に突っ込まれた。

 この怪我を放置していれば、いずれは感染症を起こしてもおかしくない。だったら縛ったまま放っておいてほしい。

 この世界の治療技術に衛生観念は、元の世界とは恐ろしいほど離れているのだから。


 どこと決めずにじっと床を見ていたら、扉が開いた。

 顔を上げた先にいたのは、私を召喚した大司教に、数名の神殿騎士と女性の神官だった。



「聖女チヒロ、あなたに仕事です。おい、準備をしたら連れてこい」

「承知しました」



 偉そうに言うなり、大司教は部屋を出ていった。

 後に残った神官たちが私の拘束を解いていく。あれよあれよと言う間に見覚えのある服に着替えさせられ、手枷をはめる。これでは聖女どころか罪人だ。

 ああでも、無能な聖女は神殿からみれば罪人と変わらないか。


 神官に引っ張られるように部屋から連れ出される。彼女たちは何も言わない。そして私も訊かない。どうせ私にとってはロクデモないものだと思うから。

 時々スカートの裾に足を取られながら、ふらふらと私は外へでた。

 到着した場所は、私にとって最悪の思い出の場所だ。初めてこの世界に降り立った場所。今私が着ている服と、同じ服を着た女性が倒れていた場所。


 ――神殿の、召喚の儀式に使う祭壇。


 魔法使いが言っていた。世界を越えて人を召喚する場合、多大な対価が必要になると。それもただの対価じゃない、贄だ。

 神殿が用意するのなら、まず間違いなく人間だと。それも魔力の豊富な人間か、女神の加護持ちだろうとも。

 私が召喚されたとき、足下で倒れていた女性は……もしかして、私より前に召喚された聖女だったのだろうか。


 聖女の魔力は判らない。だが、女神の絶大な加護を得た存在だ。

 例え無能のそしりを受けようが、聖女は聖女。

 無能ならばなんの躊躇いもなく、贄に捧げることが出来る。



「これより召喚の儀を執り行う。皆、配置につけ」



 大司教の声に、神官たちが決められた場所に散っていく。その中の一人が、私を祭壇の前へと連れてきた。

 次の贄は私なんだ。そして新しい犠牲者がやってくる。何も知らずに元の世界から切り離されて、全てを奪われ、そして死ねと言われるんだ。


 ねえ、女神様。あなたを信仰し、仰ぎ、尊いものと教えるこの連中は、本当に救うべき価値などあるのでしょうか?

 教えてください、女神様。あなたに救いを求める生き物は、事情も知らぬ人間を拉致し、監禁し、使えぬと判れば蔑み、死ねと言う。そんな連中は、生きる価値などあるのでしょうか?


 いっそこんな世界なんて、滅んでしまえばいいのに。


 事あるごとに女神を都合よく使う連中を、女神はどう思っているのだろうか? 信仰さえすればいいのか。信仰心を与える、都合のいい家畜程度にしか思っていないのか。

 神は傍観者だ。何があろうと手は出さない。それが本来のあるべき姿だろうに。



『家畜のお願いに応えるとは、お優しいことで。女神様』



 ぽつりと呟いて、皮肉を乗せて私は笑う。

 目の前の祭壇が、突如として砕け散ったのはこのときだった。

 周囲から爆発音が、悲鳴とともに立て続けに鳴り始める。私から一定の距離をあけて黒い炎があがる。いったい、なにが起きたの? 今の一言に女神様がブチキレでもしたのかしら? それだったらついでに世界も破壊してよ。



『腕を上げろ!』



 聞こえてきたのは少し高めの男の声で、周りにはきっと理解出来ない言葉。耳に、口に、慣れ親しんだ故郷の言葉に、私は大きく目を開いた。

 頭上から巨大な影が地面を覆う。上を見上げれば、そこにいたのは黒いローブをはためかせ、巨大な鳥の背に乗る魔王だった。その背後には何十体もの魔物がついて来ていた。

 恐怖は感じなかった。彼の声に応えるように腕が自然と動く。腕を上げれば小さな金属音と共に腕が離れる。手枷が、壊れた。



「魔王だ! 魔王がついに王都に進軍してきたぞ!」

「伝令を! 早く王に伝えるんだ!」



 混乱に怒号と悲鳴の中、私は走り出した。自由になった腕に、痛みのある体に鞭を打ちながら。スカートの裾をからげ、大きく足を踏み出し魔王に向かう。



「しまった! 聖女が! 誰か捕まえろ!」

「聖女様!」

「待て! 聖女!」



 大司教の怒鳴り声に、足音が聞こえてきた。捕まるわけにはいかない。あいつ等に利用されるなんて、まっぴらごめんだ。

 まっすぐ地上に下降してくる魔王が、私に向かって手を伸ばした。



『早く! 俺の手を掴め!!』



 酷く焦燥にかられた声で、魔王が言う。

 足音が、私のすぐ後ろに迫っていた。

 伸ばしたその手の指先が、魔王の手に触れるまで後少し。


 この世界では悪で、憎悪すべき存在で、倒さなければならない魔王。

 けど、私に手を伸ばす魔王の姿は、間違いなく私にとっての希望で。

 めいいっぱいに伸ばしたその手の指先が、魔王の手に、触れた。


 力強く握り返してきた魔王の手は、私の予想通りあたたかかった。


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