故に、令嬢は静かに悪へと堕ちて逝く
酉茶屋
本編
01.故に令嬢は舞台に立つ
彼女が生まれたのは、小さな商家だった。爵位とは何も縁のない、小さな家だ。けれど今、その家は名誉貴族という扱いであれども、立派な家へと変わっていた。
小さな商家を後に男爵家へと変えたのは、その家の一人娘だった。裁縫の得意な娘の名はジュリア。
フワフワとした栗色の髪を揺らし、大きな緑の目を輝かせながら、ジュリアは家のあちこちを探検するのが好きだった。
ジュリアは少し変わった娘だった。他の子供が親に絵本をせがむような歳に、我が侭を言うこともなく、何か観察をするような様子で辺りを見ることが多かった。もちろん年相応な無邪気な姿をみせるのだが、やはり奇妙だった。
ジュリアは幼い頃から本を読むのが好きだった。特に歴史だ。近隣の国も含めた歴史を、地図と共に眺める。そして言うのだ、
「やっぱり、びみょーにちがうところがあるのねぇ。わたちが、わすれちゃっただけなのかちら。なんせむかちのことだち」
と、子供らしい舌っ足らずな口調で。
やがて本を読む時間や、使用人や店に来た客を観察することを止めると、ジュリアは裁縫を始めた。ジュリアがデザインする服は、今までの既存のデザインとはずいぶんと違った。
両親は出来上がった服を、客に見せてみることにした。それを言ったとき、ジュリアはえらく喜んだ。
ジュリアの服は、珍しいものを欲しがる貴族の客に評判だった。それからしばらくすると、その服を聞きつけた貴族たちがこぞって買い求めるようになる。
特に女性は、ジュリアに直接注文をするようになった。ジュリアが名づけた“立体裁断仕様”という女性下着は、貴族の女性の中ではある種のステータスとなっていた。
だが、どれだけ人気が出ようとも、所詮は民間人でしかない。
ジュリアの目標は王室御用達だ。だがデザイナーでもない、仕立て屋ですらないジュリアが、それを目指すのはあまりにも途方もない夢だった。
ある日、ジュリアの上得意の女性が一通の封筒を差し出した。辺境伯の夫人は、遠方であるにもかかわらず社交的な人物だった。彼女の贈り物は、いつもジュリアにとってとても嬉しい物だった。以前貰った、馬蹄と交差する二本の剣が彫られたブローチは、この国で手に入れるのは不可能な代物だ。
そんな夫人からの贈り物だ、今度はどんな物なのだろうか。赤い蝋で封をされた封筒。蝋にあるのは王家の紋だ。期待に胸を膨らませ封を開けると、中から出てきたのはデザインコンテストの招待状だった。たった二名しかない、招待選手枠の。
そして、ただの民間人でしかなったジュリアの世界が一変した。
「おめでとうございます! 最年少優勝者です!」
受賞の盾を受け取り、ジュリアは観客に向かって微笑んだ。わぁっと上がる歓声に、ジュリアは圧倒されることなく壇上に立つ。
「そりゃあ私が優勝するのは
微笑む仮面を貼り付けて、冷めた口調でジュリアは言う。所詮出来レースなのだ。
壇上から観客を見おろし、腹の中で笑った。この賞で名を売り、それを聞きつけた王家の姫が声をかけるのだ。それから専属になる。だが民間人が姫の専属は外聞が悪いので、専属になると同時に一代限りの爵位が与えられ、女男爵となる。
幼い頃のジュリアに、両親が感じていた奇妙さは、確かに間違っていなかった。
ジュリアは前世の記憶を持って生まれた。
思い出したのは両親が見せた絵本の表紙がきっかけだ。どこかで見たような気がしたと、さんざん頭を捻ってようやく断片が引っかかったのだ。
ここが乙女ゲームの世界で、自分はプレイヤーが操作するキャラクター。主人公で、つまりはヒロインである。
始終ほのぼのとしたストーリー展開で、死亡フラグが立つこともない。ミニゲームで、ヒロインは自分の腕を磨いて裁縫スキルをアップさせていくゲーム。
スキルが上がっても基本のストーリーに変化はないが、イベントスチルのある回はスチルの絵と、キャラクターボイスが入ったセリフが変わる。
ハマった人はスチルとボイス全種、7名+隠れキャラ2名分の枠を必死になって埋めていた。
「クリスティーナ。お前との婚約を解消したい」
「そんなっ……アルフレッド様!」
城の敷地の外れにある離宮、茶を基調とした広い部屋に、甲高い声が響く。耳障りな声に部屋の奥にいた二人は眉を寄せた。毛足の長い緑の絨毯、その上のイスに座る青年――アルフレッドは、足を組替えると紅茶に口を付ける。
その一歩後ろに、今ではすっかりあか抜けたジュリアが立っていた。軽く細いためすぐに広がる栗色の髪を緩く三つ編みにし、自身で作った細めのマーメイドラインのワンピースを身に纏っていた。その布が薄い水色で、首もとを飾る濃紺のタイを、小さな金の飾りがとめていた。飾りには、鳥と勿忘草の意匠が施されていた。
動揺をしていたクリスティーナが、ジュリアを睨む。そしてその服の飾りの意図に気が付き、大きく目を開いた。
――どこからどう見ても、無言の嫌味であり先制だ。
驚愕に彩られた侯爵令嬢の表情に、アルフレッドの後ろでジュリアは薄く微笑む。
この国の第一王子であるアルフレッドの髪は濃紺、瞳は金色である。そして彼個人を表す紋は、鳥と勿忘草。
何も語らず、ジュリアは伝えたのだ。彼の婚約者が自分になると。そして、その紋を与えられたということは、それをアルフレッドも了承しているということを。
「な、なぜですか?」
「婚約期間はおおよそ二年。痛手になりはするが、挽回できる範囲だ」
「私が訊いているのは、理由です」
椅子に座り、懇願するように、震える声でクリスティーナは訊ねる。
「理由、か。……お前は、私に寄り添って歩いてはくれなかった」
それは侯爵令嬢として、婚約者としての立ち振る舞いの一つではない。対外的なものではなく、精神的なもの。
苦しそうにその心中を吐露した様子に、気遣うようにそっと、ジュリアはアルフレッドの肩に触れる。
アルフレッドは王子で、王位継承権第一位だ。その重圧は、楽な物ではないだろう。だからこそ、その心のより所になる存在を無意識に欲していたのだ。
ジュリアが手を触れた瞬間、クリスティーナにはアルフレッドの肩の力が抜けたような気がした。
後の王妃として、婚約者として、侯爵令嬢としてこうあるべきと教えられ続けたクリスティーナには、気付けないことだった。
長く一緒にいて、その実何もできなかった事実を突きつけられ、クリスティーナはうな垂れた。婚約者のことを、何も分かっていなかったのだ。顔を上げて反論することなどできない。
「そういうことだ。……婚約の解消に、応じてくれるか?」
うな垂れたまま、クリスティーナは頷いた。
ここ半年ほど貴族を騒がせていた騒動の勝負は、ジュリアの勝利で幕をおろした。
女官に伴われ、ふらつきながら部屋を後にするクリスティーナの姿を、二人は静かに見送る。
閉まった扉に疲れたような視線を向けるアルフレッドを、ジュリアは抱きしめた。
「どうした? ジュリア」
「アルフレッド様。とても辛そうな顔をしています」
「ジュリア……」
少しだけ腕に力を込めて、ジュリアは抱きしめた。そうでもしないと、見られてしまうかもしれないから。
その唇が、三日月のように歪んでいることを。その顔が笑っていることを。今にも声を出して笑うのをこらえていることを。
ジュリアは知っているのだ。
彼が、常に孤独に苛まれていたことを――。
ゲームでのアルフレッドは、全攻略対象の中で、もっとも攻略した回数が多いキャラクターである。選択肢も、行動も、全て覚えている。
だって、途中までは同じなのだから。
これで、舞台は整った。後は待つだけだ。
内々でのジュリアと王子の婚約発表の夜会。元婚約者のクリスティーナが、この場でジュリアと騒ぎを起こすのだ。
その騒ぎでクリスティーナは、アルフレッドから閑職に追いやられた、うだつの上がらない伯爵のもとに嫁ぐことを命じられ終わる。
ジュリアからしてみれば、ただの茶番だ。これからは他人との付き合いも少なくされる、侯爵令嬢の最後の大舞台なのに。
ただ、令嬢がそのまま小さくなって逃げられては困るので、始まる前にテラスから出られる庭園に呼び出し挑発した。これで盛大に踊ってくれる。夜会が始まってからも、ちょっかいをかけておけば保険になるはず。
さあ、私と一緒に踊ってくださる? 哀れなほど滑稽に。
舞台は城のダンスホール、観客は全て貴族、ヒロインは私、お相手の王子は
そしてあなたは、無様に床に這いつくばり、私を睨みつける悪役の令嬢。
どう? 素敵な配役でしょう。
「……ジュ、ジュリア、様」
引きつった声が、背中にかけられた。やっとだ、やっと会える!
笑っては駄目よ。台無しになっちゃう。私は庶民。戸惑っていて、少し怯えたように振り返るの。
「ど、どうなさいましたの? クリスティーナ様。……怖い顔をなさっていま……」
どんっ! とクリスティーナが、ジュリアの身体に体当たりをした。ぐらりと身体を仰け反らせるように、ジュリアが床に倒れた。痛い。ジュリアは腹を押える。服の下から、止めどなくあたたかい液体が溢れ出していた。
新しいデザインの服が、どんどん真っ赤に染まっていく。
ホールの楽団が奏でる音を消すように、あちこちから大量の悲鳴があがる。
「会わせないわ。あなたなどには会わせない」
血に濡れたナイフと、返り血のついたドレスを身にまとい、クリスティーナは呟いた。
ほんの少し焦点の合わないジュリアの視界から、クリスティーナが消えた。誰かが手を握っている。
痛い痛い痛い痛い、痛い。まるで死んだ時みたい。あの時は、痛いのは一瞬だったのに、なんで今回はこんなに痛いの?
だめ、死ぬわけにはいかない。だって、私はまだ会っていない。あの人に、会っていない。私が会いたいのは、銀色の髪の、冷たいブルーの瞳の王子。アルフレッドなどではない。
会いたい、あの人に、あの王子に。
きっと好感度が低いか、何かこなしていないイベントがあるんだ。やはり画面の向こうと、実際にやるのとは違うわ。
大丈夫、ここはゲームと同じ世界。なら、死亡フラグなんて存在しない。私は死なないわ。そうだ、すぐに目は覚める。そうしたらまたやればいいだけ。
隠しキャラクターの二人を出すには、アルフレッドのルートを攻略しなければならないのだから。途中までは、同じルートを何度も辿った。
ほのぼのストーリーなのに、何故か隠れキャラを出現させる時だけは、やたらシリアスで殺伐とした展開だったことを思い出す。
「ジ――っ! ――っかり――! ジュ――アっ!!」
ああ、うるさい。私が聞きたいのはそんな高い声じゃないのよ。
あのテノールの声。わたしが好きなこえ。そう、とてもすきな……。
わたしの、すきな、おうじさま。
霞んでいた視界が、暗闇に閉ざされた。
ねえ、continueの文字はどこ?
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