ノレパン13世
由木青児
第1話
「ノレパンはどこだ?」
警部は憎々しげにつぶやいて、ハンドポケットのまま路地裏を闊歩していた。
ヤツはきっとこの街のどこかにいる。理屈じゃない。勘だ。だが、ことノレパンに関して自分の勘がはずれたことはない。と思う。
怪盗ノレパン13世は、かの怪盗ルパン3世から数えて10代目という由緒正しい泥棒の家柄である。
え? 途中から別人じゃないのか?
つづりが微妙に変わっているのは、何故なのか作者にも分かりません。すみません。
とにかくノレパン13世は世紀の大泥棒であり、「THE SPACE IS MINE(宇宙は俺様のもの)」をキャッチフレーズに世界をまたにかけて活躍する犯罪者である。
ご先祖さまのポケットには大きすぎた古代ローマの遺跡を根こそぎ強奪したという逸話もある。
そのノレパンを追うICPO所属の警部はかのルパン3世のライバル、銭形警部から数えて10代目という由緒正しい警察官の家柄である。
しかしこの人もまた途中で名前が変わってしまって、「田中警部」というなんとも残念な感じになっています。
その田中警部がこの街でノレパンを捜索しているのは、何も勘だけではない。つい1週間前にこの街一番の高級ホテルで公開された、故エリザベス3世の首飾りをノレパンが盗み出したばかりなのだ。
こりもせずノレパンは盗みの予告をしていたので、空港を含め交通の要衝はすべて警察が厳戒態勢で抑えていた。まあいつものように簡単に侵入を許してしまったわけだが、今回は盗んだ後の足取りがまったく分からないのである。
田中警部の勘では、ノレパンはまだこの街にいる。間違いない。息を潜めてどこかに隠れているはずだ。だから警部はこうして1日中ノレパンを探して街を歩いている。人海戦術など役には立たない。ノレパンは変装の名手だ。絶世の美女に化けるなど朝飯前、その気になれば少年から老婆、大金持ちの紳士や探す側の警視総監にも化けられる。ノレパンを捕まえようと思えば自分の母親すら疑わないといけない。田中警部はこれまで騙されたパターンを思い出し、イライラしてゴミ箱を蹴っ飛ばした。
影に隠れていた猫が驚いたように飛び出して、そしてすぐに足元にまとわりついてきた。
「まさか、ノレパンか」
一応疑って、頭を小突いてみる。猫だろうが安心はできない。
「フギャー」と鳴いて猫は逃げた。
違ったらしい。
「おのれノレパンめ」
今日何度目になるのか分からないほど吐いたそのセリフ。実は気に入っているのかも知れない。そのセリフを言わないと、生きている実感がない気もする。歯軋りをしながらも、口の端がニッと上がってしまうのを、田中警部は気づいているのかいないのか……。
コツコツコツ、ガチャ、バタン、パサ。
田中警部は寂れた路地裏のアパートの階段を昇ると、ドアを開けて部屋に入り帽子とコートを脱いだ。音までどこか寂れている。
1週間前から逗留している安アパートである。ノレパンを追うのに、捜査本部なんかにいたら平和ボケした連中に勘を狂わされるだけだ。ここでじっと牙を研ぐ。それこそがノレパン逮捕への近道だと信じている。なにより、ノレパンは自分を意識している。こうして一人で行動していれば、なにか仕掛けてくるはずだ。
『あばよ、とっつぁ~ん』を言わないと盗んだ気にならない、とは本人の談である。けして自惚れではなく、ヤツは来る。そのためにはカップラーメンを2分で食わなければならない。3分で食えば余分な1分のあいだ余計な隙を作ることになるからだ。
そのせいか便秘気味なのだが仕方がない。
ズルズルと食べ終わると狭いソファに横になる。
いけない。
顔を洗っていなかった。
洗面所に向かい、電気をつける。
「ハァ」
疲れた顔が鏡に映る。目のクマが凄い。ムカムカして顔を洗う。
「フー」
不潔な感じのタオルしかなかったので、持参のタオルで顔を拭く。鏡の向こう、そのタオルから顔が覗いた時に妙な違和感が警部を襲った。
耳の後ろあたりに皮が剥げているような跡がある。
変だな。日焼けする季節でもないし、帽子で変に擦って皮がめくれたのか?
指でカリカリとしてみる。何かおかしい。やたら引っ掛かりがある。ムキになってくると、いきなり皮がベロリと剥けた。ビクッとする。痛くない。どころか血も出ない。しかし皮膚はベロリと耳の後ろあたりに垂れ下がっている。
頭がガンガンする。
なんだこれは。
考えるより早く、脊髄反射的に右手の甲を擦る。乱暴に力いっぱい擦っていると、ピン、ピンと手の甲に剛毛が現れ始めた。手の皮に樹脂のようなものでコーティングがされていたようだ。
特殊メイク?
混乱で世界がぐるぐる回る。
顔を両手で覆う。上下に動かすと顔がぐねぐねと歪む。いつもの自分の顔だ。
自分の顔のはずなのに。皮膚感覚に違和感がある。
まさか。
まさか。
まさか。
ノレパンは変装の達人だ。たとえ郵便ポストだろうが、レストランの豚の丸焼きだろうが疑ってかからないといけない。上司だろうが部下だろうが、親兄弟でも信じてはいけない。
しかし。
いくらなんでも。
ふふふ、と引きつった笑いを浮かべながら田中警部は耳の後ろのめくれた皮をつかむ。
心臓がドキドキする。
そんなはずないじゃないか。
そんなはずは。
ブルブル震える手で皮を引っ張りあげていった。
するとズルズルと血も出ないまま皮膚が剥がれていく。
皮膚の下からは真皮などでなく、痩せてはいるが血色のいい肌が現れてきた。
ドキンドキンドキンドキンドキンドキン……。
高まる心臓と悪寒を抑えつつ、思い切ってすべての皮を剥ぎ取った。
そして……。
鏡の向こうにはノレパンが不適な笑みを浮かべて立っていた。
ペッ。
と口の中のものを流しに吐く。
カランと音を立てて転がったそれは、奥歯につけていた小型の変声器だ。
「やれやれ、もう気がついちまったか。さぁすが俺」
軽妙なトーンで独りごとを言う。
そして手に持っていた田中警部のマスクを投げ捨てると、全身のメイクを落としていった。10分後には服も着替え、完全なノレパン13世その人が紫色のジャケットで部屋の中に立っていた。
「うぇ。こんなにカップラーメンばかりとは、正直思わなかったなぁ。もっといいもの食えよとっつあん」
腹を押さえてニヤニヤ笑う。
ノレパンは変装の達人である。その極意は自分すら騙す催眠術の腕にあった。美女になりきり、警察官になりきるには、自分に催眠術を掛けて、中身もその人物になりきる必要があるのだ。
そして催眠術が解けた今、田中警部になりきってこの街のそして警察内部の情報を入手してきた記憶が、一斉にノレパンの頭脳に流れ込んできて融合する。
「あとは簡単だぜぇ」
逃走経路は完全に見えた。お宝は特殊なピニール袋に入れて、胃袋の中におさまっている。腹の調子が悪いのはそういうわけだったのだ。
ノレパンはその腹を押さえてクククと笑いはじめた。
それがイーヒヒヒに変わり、アーハッハッハに変わったころ、いきなり背後から声を掛けられた。
「ノレパン逮捕する!!」
振り向くと、本物の田中警部がいつものコートと帽子に身を包んで手錠を片手に立っていた。
「あ、あら~。ま~だ休暇中じゃなかったの」
「貴様がエリザベス女王の首飾りを盗んだと聞いては、休んでいられるか」
「病院から抜け出してまで、仕事熱心だこと。体は大事にしないと」
「やかましい。とにかく、とうとう尻尾を現したな。よりによってこの田中に化けるとは、とんでもないことを考えやがる」
「あ~らら。今までも何度か化けて、色々とやらかしたんだけっどもがな」
「なっ、き、貴様」
田中警部は手錠を振り上げて威嚇の体勢をとる。
「まあまあ、そう怒らない怒らない、とっつあん。シワが増えるぜぇ」
「その呼び方をするなと言っているだろう!!」
「どしてぇ。ゼ・ニ・ガ・タ・ケ・イ・ブ」
「それもよせ! 銭形ではなく、今は田中だ!」
「つれないなぁ、とっつあん。俺というものがありながら結婚するなんて」
ノレパンはくねくねとシナをつくりながら指をこねる真似をする。
とっつあんこと、田中藤子(トーコ):旧姓 銭形藤子 はプルプルと震えながら顔を赤くして怒鳴る。
「黙れ黙れ! とにかく年貢の納め時だノレパン! 神妙にお縄を頂戴しろ」
「そーはいかないぜぇ」
ノレパンが鼻ちょうちんを膨らませたかと思うと、それが弾けて刺激臭のあるガスがアパートの部屋中に撒きちらされた。
思わず咳き込む田中警部を尻目に、どこからともなくノレパンの声がする。
「すぐ病院に戻りなよぉ。男の子だった? 女の子だった? こんど子供の顔見せてくれよな~」
「ま、待てノレパン!」
涙を拭いながら慌てて警部が追いかけるが、ノレパンはの部屋の中から忽然と姿を消していた。
「くそー!」
階段で地団太を踏む警部の足音に、下の階から「うるせーぞ」という声があがる。
あのやろう、こんどは逃がさんぞ。
そう心に誓う田中警部の目の前を、ハンググライダーで滑走するノレパンが爽やかな笑顔で横切っていった。
「あばよ、とっつぁ~ん」
そしてハンググライダーは颯爽と太陽の中に消えていく。
「おのれ、ノレパンめ」
田中警部は子供を生んだばかりとは思えない見事なプロポーションを躍らせて、階段を駆け下りた。そして帽子からのぞく自慢の髪をなびかせながら、歯軋りをして悔しがる。
しかしその口の端がニッと上がっていることに彼女は、気づいているのかいないのか……。
ノレパン13世 由木青児 @yukiseiji19
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