落とし穴

由木青児

第1話

 田中ナオ太は落とし穴が好きだ。

 人並みには好きなつもりだ。

 つまり3日にいっぺんは落ちないと、禁断症状のような震えが指に走り、「落として。落としてよぉ」と道行く人にすがりつく程度には好きということだ。

 ナオ太は中学3年生。男子。そろそろ分別がつき始め、良い落とし穴と駄目な落とし穴の違いがわかってきたころ。落とされっぷりにも箔というものが出てきたころだ。


 さっきのは最高だった。

 校庭の隅。なんだか知らない木と、塀の隙間。わずか70センチ。

『なんでこんなところに?』

 それは、そんなところをわざわざ通る自分と、そんなところにわざわざ落とし穴を作った誰かへのツッコミだった。

 地面が無くなり、魂を残して体だけとりあえず重力にしたがってスットン。そののちに落ちてきた魂と合体してから、『なんでだよ!』と突っ込む。この瞬間が最高なのだ。

 穴はあんがい深く、そして下には衝撃を和らげるための枯葉が敷き詰められていた。子どもじみた罠、つまりうんこの類もない。シンプルで、王道といえる落とし穴だ。

 胸ほどの高さだが、自力でよじ登ることができた。パンパンと土を払いながらあたりを見渡しても、誰もいない。

 素晴らしい。

 物陰で誰かがひっかかるのをじっと待ってるような行為は、あまりにも幼くて興ざめだから。

「やるじゃねーか」

 誰もいなくてもとりあえず言うことは言う。これも様式美なのだ。

 校庭を横切り、校舎に入るとクラスメートの連中が廊下でだべっていた。

「それがよー、昨日ケンジの落とし穴に見事に引っかかってよぉ」

「まじ? アイツの最近キレがあるよなぁ」

 そんな会話が聞こえてくる。

ナオ太は横目で笑いながら通り過ぎた。落とし穴に引っかかったことを嬉しそうに語るなんて、ナオ太は幼稚園で卒業した。正直、クラスメートとはレベルがあわないという自負がある。

 それにしてもさっきの落とし穴は誰の仕事だろう。

「仕業」ではなく、「仕事」と僕に言わせるからには大したもんだ……。


 放課後、ナオ太は部活をさぼってそのまま帰ろうとしていた。すると校庭のなんだか知らない木の下に、女子が1人立っているのに気がついた。あの落とし穴のあった場所だ。

 女子は地面に屈み込むと手に持ったスコップでなにやらはじめた。

 ナオ太は背後からするすると近づくと、いきなり声をかける。

「なにしてんの」

 驚くかと思いきや、女子は平然と振り返ると

「あなたが落ちたの?」

 と言った。

 ポニーテールに切れ長の目。大人びた表情がなんだかソワソワさせる。

「だったら?」

「片付けなさいよ」

 そう言いながら、再びスコップを土につきたてる。怒っているようにつっけんどんな態度だった。

 相容れない。

 ナオ太はそう思った。

 落ちた後の穴をどうするべきか、というのは世間でも意見がわかれるところだ。

 1、落ちた人が片付ける。

 2、落とした人が片付ける。

 こないだテレビで見たバラエティーでは街頭インタビューでほぼ半々の支持だった。

 ナオ太は落とした人が片付けるべきだと思う。落ちた人は急いでいるかも知れない。マイ・スコップをたまたま持っていないかも知れない。

 やはり作った人が責任を持って片付けるべきだと思うのだ。

「君が作ったんだ?」

 ナオ太がそう言うと女子は、

「だったら?」

 と、無表情に言うのだった。

 結局女子は鮮やかな手つきで落とし穴を片付け、ナオ太の方をちらっと見たあと颯爽と去っていった。

 ム・カ・ツ・ク。

 見事な落とし穴を作った人間を賞賛する気持ちはどっかへ行った。落とし穴の痕跡は完璧に消し去られ、ただなんだか知らない木と呆然と立つナオ太が残された。

 いや、まだある。地面に見慣れたものが落ちている。

『香月真奈』とかかれた生徒手帳だった。


 ナオ太はデカイ門構えの家の前に立っていた。

 うそだろ。と、思う。


『こうづき・まな』は同学年で、3つ隣のクラスだった。

「渡しといて」とクラスの女子をつかまえて言ったが、「やだ」と言われた。

「あの子、嫌い」

 わ、すごい直球。

 香月真奈の輪郭が見えた気がした。教室を見渡したが、もうみんな帰宅していて残ってる人はいない。しかたなくナオ太は。

 いや、決してしかたなくはなかった。

 しかたなくはなかったのに、なぜかナオ太は生徒手帳の住所を探しに校舎を出たのだった。

 明日返せばいいだろ。

 ていうか、机にでも置いとけばいいだろ。

 向かい風がそんなことを囁くが、なぜかナオ太の足は止まらなかった。そして小一時間住宅街を彷徨い、5ヶ所で落とし穴に引っかかったりしながら、ついにたどり着いたデカイ門の前に立ち、うそだろ、と思ったあと「うそだろ」と言うのだった。

『香月流落穴道場』

 一枚木の看板に、デデンとそんな文字が躍っている。らっけつどうじょう、とでも読むのか。落し穴の道を教えてくれる道場が香月真奈の実家なのか。さすがのナオ太もそんな道場があるなんて聞いたことがない。

「少年。落し穴を極めたいと欲するか」

 いきなり後ろから声が掛かった。振り返ると柔道着のようなものを身につけた、蓬髪に無精ひげの中年男が立っている。

「いやその」「みなまでいうな」

 ナオ太の台詞に無理やり被せた中年男は、「ついて来なさい」と言うとデカイ門を押し開いてズンズン中に入っていった。

 とりあえずあとについて門をくぐったナオ太だったが、5歩と歩まぬうちに落し穴にはまった。

「アヒ」

 そんな声が出た。ナオ太は中年男の足跡、つまりゲタの跡の上を歩いたはずだったから。

「修行が足らんな。誰かが歩いたあとなら落ちないとでも?」

 不思議だった。どんな仕掛けがしてあったのか気になったが、どこからともなく小坊主スタイルの子どもが走りよってきて、あっという間に落とし穴を片付け始めた。

「かまわずついて来なさい」

 そしてズンズンと、やはりデカイ日本家屋の中へ入っていった。

 ナオ太は玄関の三和土でも落し穴にはまった。這い上がって玄関のスリッパを履こうとした時にも、スリッパごと床が抜けた。それを小坊主が黙々と直す。

「かまわずついて来なさい」

 ナオ太は(このオッサン、やってることと娘の教育、違わないか)と思いながらついていった。

 廊下を歩きながら中年男は「君はなかなか落ち方がよろしい」とナオ太を評した。なぜか少し嬉しかった。

 やがて板張りの道場に通されたナオ太は、中年男と向かい合って床の上に座った。

「落し穴が好きかね」

「ええその」「みなまでいうな」

 右手で制された。だったら聞くなよ、と思う。

 そして稀代の天才、『香月正宗』が一代で香月流落穴道場をつくりあげた与太話のような苦労話を延々と聞かされた。

 なんでも、来日した歴代アメリカ大統領をすべて落し穴にはめたとか。スペランカーが落ちても死なない落とし穴を考案したとか。

 そんな話を正座したまま聞かされていると、道場に面した中庭に小学生くらいの子どもたちがワラワラと飛び出してきた。

 その中に香月真奈もいた。香月正宗のような道着姿で、黒帯を締めている。

「お父さん、はじめるよ」

「おお、もうそんな時間か」

 正宗はナオ太に「娘の真奈だ。当道場の師範代をつとめている」と紹介し、「真奈。こっちに上がりなさい」と言うと、子供たちには「素振り200回」と言い渡した。

 エー。と嫌そうな声を上げながら子供たちはスコップで素振りを始め、真奈はゲタを脱いで道場に上がってきた。

「わが香月流落穴道場は、真の落とし穴の素晴しさを伝えるには、無垢な子供の時から鍛えなければならないという信念のもとに僅かばかりの月謝、いや本当に僅かなものだ。僅かでささやかな月謝をいただいて、真の落とし穴のありかたを教えているのだよ」

 そして正宗はナオ太を指差した。

「真奈。入門希望の少年だ。少し大きいが、子供たちと同じように鍛えてやってくれ」

 おい。

 まだなにも言ってない。

「知ってる」

 真奈はそっけない態度でナオ太を見た。

「そういえば、その制服は真奈と同じ学校だな。なるほど、そういうことか」

 正宗はひとしきり頷くとニコニコと笑う。ナオ太はようやく本題に入れると、身を乗り出して喋ろうとしたが、

「ええその」「みなまでいうな」

 と被せられ、「よいか少年、この香月正宗をして落とし穴かくあるべしと言わしめるものを示さねば、娘はやらん!!」と怒鳴られた。

「娘はやらんって、なんですかそれは……」

 そこまで言ったところでナオ太は一歩踏み出し、豪快に板張りの床は抜けて、消えるように落ちていった。

「けぴ」

 そんな感じの声が出た。

 這い上がろうとするナオ太を見て、真奈は「あはは」と笑いだした。

 なんだ。笑うと可愛いんだ。屈託なく笑う真奈の姿にナオ太はそんなことを思ったのだった。


「これ、落としたから」

 と生徒手帳を真奈に渡すと、ナオ太はそそくさと帰ろうとした。無理やり入門させられてはたまらない。

 ところが道場から出ようとしたところで、真奈が後ろにぴったりとくっついてきた。

「待って。このあたりはウチの悪ガキどもの作った落とし穴でいっぱいだ。中には未熟で危ないものもある。私が安全地帯まで送る」

 そう言ってナオ太の手を取ると、スイスイと縫うように歩き始めた。

 廊下を抜け、玄関を出て、門の手前まで来たところでナオ太はようやく言った。

「ねえ、手、離しても大丈夫だって」

 それを聞くと真奈は「あ、そう」とあっさりと手を離した。

 次の瞬間、ナオ太の姿は地面の下に消えた。

「でゅほ」

 という声とともに。

「おまえ、ほんと好きだな。落とし穴」

 真奈がしゃがみこんで頬杖をつきながらナオ太を見下ろしている。

 好きだ。人並に。全治2ヶ月までなら許せてしまうくらいには。

「はい」

 穴の縁から真奈が差し出すその手に、手の平を重ね、その感触にナオ太はふいに思ったのだ。

 オトナになると、どうして落とし穴がそんなに好きじゃなくなるんだろうと。

 落とし穴なんて、もう知らないよって顔して歩く大学生のカップルなんかを見ながら、不思議に思っていた。その理由が、少しわかった気がするのだ。

 それは、明日学校で渡せばいい生徒手帳をなぜだかここまで持ってきた理由と、たぶん同じものだった。

 理屈ではない。どんな穴に落ちても味わえなかった、不思議なドキドキが胸を打つ。

「ひっかかったヤツが、片付けるのな」

「うん」

 ナオ太は、恋に落ちたのだった。

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落とし穴 由木青児 @yukiseiji19

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