第37話② 就職…ユキの場合(幸せからの…)
これを機に、先輩は劇的に変わった。
ユキに対する会社での態度が有り得ないほど軟化したのだ。
周りじゃ「何があったのか?」と不思議がられるほどに。
会社の人間にはまだ知られていないが、なんとなく付き合っているっぽくなっている。
実際のトコロ、一度だけ、えっちするムードになったけど、環の時に感じた罪悪感のこともあり、断った。
桃代のことはしばらく忘れることができない、とも言った。
気持ちにキッチリとカタをけることができた時、改めてお願いする旨を伝えてある。
それをお互い納得した上での関係だ。
朝代は桃代を忘れさせるべく頑張った。
とはいえ未だにえっちはしていない。
それどころか、あの時の不意打ち以来キスもしていない。
でも、朝代は分ってくれているので素直に甘える。
努力の甲斐あって、ユキも次の段階へと進む勇気ができてきた。
そしてこの日、朝代はある決心を胸にユキをドライブへと誘うのだった。
二人はクルマが好きなので、ちょいちょいドライブに行く。クルマは交代で出すのが暗黙のルールで、今回は朝代の番。
そんな時に限って朝代のクルマは車検。
店側の手違いから代車が用意できなかったという理由で、社用車を借りてくるとのことだった。目を付けていたのは洗車直後でまだきれいなプリウス。
乗り込むと燃料が入ってない。昨日乗った社員は遠出していて、夜遅く帰ってきったのが原因。給油できなかったのだ。
プリウスを諦め古いプロボックス。これまた燃料が入ってない。
そこでいいことを思いつく…が。
そうだ!油化プラントのガソリン抜けばいーじゃない!って、週末再生油引き取りに来てたじゃん!プラントの中、空っぽだよ。
他にいいのが無いか考えていると、
そうだ!クラウン!
いつものところに鍵がかかってない。使った人間が間違って鍵を持って帰ってしまっていた。
送迎用のハイエースは?
車検だった。
こんな時に限ってモノの見事に使える普通車がない。
駐車場を見る。
分かってはいたけど…トラックしかないじゃん!
しょうがないので、取り回しのしやすい2tの回収車のキレイなヤツを借りようとした。が、これまた燃料がない!
どいつもこいつも…まぁ会社のクルマだもんな。週末は早く帰りたいし、月曜日給油しようと思ってもおかしくないよな。
あとは4t車と大型しかない。
ちなみに朝代は大型免許も牽引も持っている。ドライバーの都合がつかないときや緊急の時は、大型を運転して現場に向かうこともある。しかし、そんなモノに乗っていくと、通れない道とか入れない施設ばっかしだ。
泣く泣く4tバキュームダンパーの日野レンジャーを見てみる。
洗車はしてありピカピカだ。
燃料は満タン…これで行けと?
でも他に使えるクルマがない。
焦りまくっているので「ユキにクルマを出してもらう」という選択肢が思い浮かばない。言えばユキは絶対に出してくれるのに…。
早速日野レンジャーに乗り込む。
分かってたけど…運転席、高っ!スカート、乗り降りがメッチャしにくいし!って、迷っている場合じゃない!ユキが待ってる!
エンジンをかけると排ガス浄化装置のランプが点灯。これじゃ走行不可能。
最悪だ。
「ごめん、ユキ!少し遅れる。」
「りょーかいです。」
一方的に断りを入れ、20分間アイドリングした。
走り出して気付く。
何のクルマで行くか伝えるの忘れた!
何もかも滅茶苦茶だ。
気付いてもらえるか心配になった。
待ち合わせのコンビニにやっとの思いで辿り着く。
ユキがいた。
真ん前までクルマを寄せ、小さくクラクションを鳴らすと…気付いた。
ビックリしている。
やっと逢えたよ…。
ユキが指定されたコンビニで待っていると、何やら見覚えのある鮮やかなブルーメタリックのバキュームダンパーがこちらに向かってくる。
社名を見た。
やっぱしウチのトラックやん。休日出勤かぁ。誰かな?大変やなぁ。
クラクションを短く鳴らす。
エアブレーキがプシュップシュッと音を立てる。
運転席を見ると…
?
先輩?
窓が開き、
「ごめ~ん!クルマ、これしかなかったよ~。」
マジで凹んで泣きそうな顔の朝代が、声をかけてきた。
急いで乗り込む。
「もしかして乗用車、ガソリン入ってなかったとか?」
「うん。まいったよ。プリウスとプロボックスはすっからかん。クラウンはキーが分かんなかった。で、レンジャー…。」
「そんなことならなんでさっき電話した時、言わなかったんですか?自分、すぐクルマ出すのに。」
「そーだよ!なんで私それ思いつかなかった?バカだよ…ホント、バカ。」
言われてやっと気が付いた。
「ま、いーですよ。こんなこと、滅多にないし。」
笑って安心させる。
「ごめんね~。ホントごめん。」
「イヤイヤ。逆に先輩がそんなことやらかすのが分かって安心しました。いつも完璧過ぎますもん。」
デート仕様のオシャレなカッコにトラック。しかも特殊な4t車。アンバランスにもほどがある。
でもなんかいい感じ。
「う~…申し訳ない…」
素面で落ち込む朝代なんてそうそう見られない。
「落ち込まんでください。それよりも、はやくどっか行きましょ!」
励ます意味を込めて、とびっきり明るく振る舞う。
「わかった。海に行こう。」
そして、トラックドライブが始まる。
遠賀川を下る。
河口までは下らず、途中で左折。
街を抜け、田んぼ地帯を過ぎ、松原を抜けたところの交差点を右折。
海に出た。
天気が良く、海が青い。
とてもキレイだ。
なんかいい気分。
道の幅が広いところを選び、脇に寄せて停車する。
外に出ると風が心地いい。
道路を横断し、反対側の歩道。
展望台のようになっているスペースがある。
そこの手すりに身を預け、ダラッとする。
「気持ちいいね。」
「はい。」
会話はそれだけ。
でも、それがいい。
二人で海を眺める。
どれくらい時間が経っただろう。
先輩が、意を決したように緊張した顔で話しかけてくる。
こんな先輩見たことないな。
そんなことを考えていると
「ユキ…結婚しよ?」
小さな声。
緊張で震えている。
一瞬、桃代の顔がよぎる。
「まだ、完全には忘れられてなくてもいいですか?」
先輩が小さく頷く。
「ホントにごめんなさい、未練たらしくて。でも、ちゃんと努力はします。ここまで自分のこと好きになってくれて嬉しいですよ。どうぞ、こんなヘタレな自分ですが、よろしくお願いします。」
無言で抱きつき涙を流す朝代。
結局これが最後のデートになるとは思いもしなかった。
その日、ユキは関東事業部に研修と視察名目で出張を言い渡されていた。
二泊三日の予定だ。
前日、打ち合わせと称して朝代の家で逢って、ちょっとだけ飲んで別れた。
帰って出張の準備をした。
大したものは持っていかないので、すぐに終わる。
明日は会社に寄らず、直接駅に向かう。
新幹線による移動だ。
関東事業部は空港から離れているため、乗り継ぎの待ち時間を考えると飛行機の便利さをさほど感じないからこの選択。
当日。
いつも通り起きて支度し、バスに乗り電車に乗り新幹線に乗り、今は大阪辺りを走っている。
と、ケータイが鳴る。
何事かと思い取ってみると、本社から。
事故の知らせだった。
処理を開始したら青酸ガスが大量に発生したとのことで、出張は取りやめ。
急いで戻ってこい!とのことだった。
そして衝撃の事実を知ることとなる。
朝代が被曝して亡くなったのだ。
いつも通り、処理プラントを稼働させた。
簡単な中和処理を行うためのプラント。
酸を投入した時、それは起こった。
「なんか、シアンの匂いしない?」
朝代が異変に気付く。
「ホント。なんで?今日はシアンの処理してないはずやけど。」
「オペレーターは?」
「現場の操作盤にいるはずですけど。」
「大変だ!ちょっと私、行ってくる!」
そう言い残し、無我夢中で現場に走る朝代。
何の防護もせずに、青酸ガスの充満する処理プラントのある建屋に入っていった。
作中でのシアン=シアン化水素。
気体の物は青酸ガスとも言われる猛毒の物質。
水素、炭素、窒素で構成される。
殺虫剤、化学兵器などとして使用される。
シアンの化合物に酸を加えると、青酸ガスを発生する場合がある。
エライことになっていた。
オペレーターの社員が倒れている。
安全な場所に引っ張りだし、残った者はいないかと再度建屋に入る。
それっきり朝代は戻ってこなかった。
この時点で吸入したガスは致死量に達し、最奥部でついに力尽きてしまったのだ。
「ユキ…ごめん…」
身体の自由が利かなくなった朝代。
無念の涙を流し、意識が無くなりそれっきり目を開けることはなかった。
結局、中に残った社員はいなかった。
全て朝代が助け出していた。
壮絶な、そして正義感の強い朝代らしい最期だった。
数時間後。
ユキが病院に到着した。
先輩は霊安室にいた。
変わり果てた姿を目の前に、呆然と立ち尽くす。
昨日まであんなに元気だったのに…。
桃代と別れ、落ち込んでいだ自分を一生懸命励ましてくれていた。
忘れられないのを承知で付き合ってくれた。
申し訳ない気持ちでいっぱいだったから、必死に忘れる努力をし、最近では徐々に安らいだ気持ちが芽生え、結婚したらまた一歩踏み出せる!そんな気がしていた矢先の出来事。
この事故は、夕方のニュースの全国版で放映された。
何らかの手違いで、回収容器が入れ替わっていたことが判明。しかし、その過程は明らかになっていないとのこと。
人間は完璧じゃない。
だから、ミスはつきものだ。
ものすごく当たり前のこと。
でも、なんで?なんで、自分ばっかこげな目に遭わないかんの?
絶対に納得いかない!
大切な人が、ことごとく自分の前からいなくなる。
完全に打ちのめされた。
今度こそ本当に立ち直れない。
そんな気がした。
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