Smile
桜庭かなめ
前編
『Smile』
―――有希の笑顔って一度見てみたいと思わない?
ハルヒのそんな言葉が、俺の首を動かす力を与える。
「長門の笑顔、か?」
昼休み。ついさっきまで、春が近づくのを思わせるような、以前よりも温かく感じる日差しの下で眠っていたハルヒが突然そんなことを言ってきたのである。
「そうよ、有希の笑顔」
「……突拍子もないことを言ってくるなぁ」
どうして、そんなことを俺に訊いてくるのかねぇ。長門の笑顔を見たければ長門に対して直接言えばいいと思う。まあ、俺自身も一度もあいつの笑顔を見たことはないが。
「うん、今日の弁当はいつになくうまい。それが今の俺の欲求を満たしてる。すまないが、俺は何もやる気が起きん。俺には頼らずに朝比奈さんや鶴谷さんにでも……」
「キョン、有希の笑顔を見たいと思わないの!?」
どうやら、俺の意見に耳を傾けるという行為をハルヒはしないらしい。分かってはいたが。
「さあな、俺は読書をしている無表情の長門で十分だ」
むしろ、無表情だからこそ映える魅力を持つ女子だと思っている。但し、宇宙人であるが。それに、俺は去年の年末に普通の女の子・長門をこの目で目撃したんだよ。その時にあどけない笑顔を見たし、俺は既に満足なのである。
「逆に訊くが、何故ハルヒは叶いそうもないことを考えつくんだ」
「えっ、それはね……」
おっと、さっそくハルヒの口元が止まった。
何時にないハルヒの戸惑いの表情を堪能したかったのだが、語り始めたら恐らく昼飯を食う暇が無くなりそうなので今のうちに昼飯を堪能しておくとする。
「……なんだ、思いつかないのか?」
いつになく沈黙の時間が長かったので、ちょっとからいたくなった。
それに理由なしに、ハルヒのことで動きたくないからな。たまの休み時間、教室でゆっくりと昼寝でもしたい今日この頃である。春の日差しが温いし。
「別に俺は長門が普段の無表情でも十分だと思ってる。女に五月蠅い谷口が、長門のことをAマイナーという評価をしているくらいだ」
「……」
「まあ、アホの谷口に持ちかければいいんじゃないのか。あいつとなら気が合うだろう。一生に一度レベルの長門の笑顔が見られるかもしれんからな」
「まったく、キョンは分かってない」
あからさまに不機嫌な表情で、あからさまに不機嫌なことを言ってきた。まあ、いつも通りのことだな。今日も世界は平和に自転しているよ。
「何が分かっていないんだ?」
「あんな一般生徒、有希には使えないヤツよ」
「言っておくが、俺だって一般生徒だぜ。宇宙人でも未来人でも超能力者でもない、れっきとした普通の男子高校生だ。まあ、あいつよりも性格はまともであることだけは自信があるけども」
「……あんたは何も分かってないっ!」
昼飯を食ったことで少しずつ膨らんでいった眠気が一気に吹き飛んだ。
「何が分かっていないんだ?もう一度訊いてみるが」
「……有希のココロよ」
ハルヒから『ココロ』という言葉が出てきたことに、思わず笑ってしまったよ。口に入ってた食い物が危うく発車してしまうところだった。
「……ハルヒ。一応、そのココロとやらを訊いておくか」
我ながら上手いことを言ったなと思ったのだが、ハルヒはそれに気付く気配もなく話し始める。
「有希はめったに口を利かない。でも、唯一、とある男子生徒にだけには有希も話すときがあるのよ」
「……だいたい分かった気がするが、とある男子生徒とは誰のことか教えてもらうか」
「キョンに決まっているじゃない!」
「やはりそうなるのか」
思わずため息が出てしまう。それよりもさっきのハルヒ『ココロ』という言葉のインパクトが、俺の心の中でビッグバンが起こっているのは気の所為なのだろうか? 再び飯が吹き出そうでかなり辛い。
「でも、その唯一話せる生徒がいるとどうしていいんだ?」
「だって、普段固い心を開いているってことはその人に対して、相当な想いがあるってことなんじゃないの! キョンだって見たいでしょ!」
「……」
たしかに、あの時の長門の表情は別の世界の長門といっても過言じゃないからな。まあ、この世界の長門の笑顔を一度拝んでおくのもいい経験だろう。
飯がまだ残っているのが幸いだった。食っているときは何も喋らずに考える時間を作ることができる。
「……とりあえず、少し飯を食わせてくれ。そして、少しゆっくりする時間をくれ。昼休みはそこまで短いものじゃない」
「……もう、分かったわよ。しょうがないわね」
不機嫌な口調で渋々承諾するハルヒも、最近は可愛く思えたのは何故だろうか。世間一般的には気があるのではないかと言わそうだ。まあ、ないとは思うが。
「……なんだ」
視線を感じると思ってハルヒのことを見てみると、彼女は俺の弁当を凝視していた。
「ハルヒ、食いたいのか?」
「……そ、そんなわけないじゃない!」
「体は正直のようだぞ」
ぐぅ、とハルヒの腹部からは空腹メッセージ音が聞こえてきた。
しょうがない。俺は最後のだし巻きタマゴをハルヒに食べさせた。普段は味わうことのできない優越感を味わうことができていい気分だ。
「うまいだろ」
「……お、おいしいわね」
女子は玉子焼きが好きだからな。微笑んでいるハルヒもなかなか乙である。
――この玉子焼きを使えば谷口でも長門を笑顔にできるんじゃないのか?
そんなことを考えてみたものの、弁当に入っていた玉子焼きはハルヒにあげた分で無くなってしまった。
「お前って案外単純な奴なのかもな」
「な、何よ!」
「谷口でも国木田でも……女子である朝比奈さんでもできる方法で、お前は笑顔になっちまったな」
「今のはこの玉子焼きが美味しかっただけで、それとこれとは話が別なのよ!」
「はいはい、分かった分かった。俺も行くから、怒った顔はそろそろおしまいにしろ。しわができやすくなるぞ」
まあ、どうせ暇なんだからハルヒに付き合ってやってもいいか。
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