第2話 言うまいと思えど今朝の寒さかな。
白い半袖のニットとホットパンツだったな。端麗な容姿はどこか淫猥な雰囲気を醸し出し、胸の奥辺りから背筋に掛けて何かが込み上がって来た。
言葉の通じないと思っていた人間に言葉が通じた。
予想以上に嬉しいぞこれ。出川哲郎じゃないんだから無理矢理誰かとコミュニケーションを取るなど不可能だ。
彼女に出会えた事は奇跡と言うより他ない。
そうすると、本当恥ずかしい限りだが、涙が零れ落ちたんだ。
感極まったんだろうが、何が起きたのか理解が遅れた。ただでさえ彼女の言葉へ反応出来ていないのに、急に泣き始めれば混乱させてしまう。だが一度出たものを戻す事は、まあ出来ん。
焦って拭こうとしても、そりゃ意味無い訳よ。幾らでも溢れ出てくるんだから。
見るに見かねてか、彼女は俺にハンカチを差し出してくれた。
受け取れるか、と思ったものの、親切心は矢張り受け取らなければならない。――例えば、この時このハンカチを受け取らず、破り捨てるくらいの人間だったならば――。
涙を拭くくらいしか、出来ない。
それが、何と言うか情けない。
俺は一線を越えたかった。真人間であるならば、否、真人間で無かろうと涙を流している時差し出されれば、それを快く受け取るのは当然の事だ。
だからこそ。
一言、ありがとうございますと感謝の意を述べると、彼女は笑顔を作ってハンカチを俺の手から取った。
「あの、ここは一体どこですか。日本家屋――日本ですよねここ? こんな海辺ってどの辺りなんですか? さっきまで神戸の田舎歩いていたんですけど、いつの間にかここに来ていて、場所が解らないんですよ」
などと捲くし立てると、その女性は困ったような笑顔を浮かべた。
そりゃそうかと当然思う訳だな。急に瞬間移動したなんて言ったって信じるに値しない。彼女からしてみれば勝手に不法侵入され、急に泣き出した不審者に過ぎないのだから。
だが、どうにも違うらしい。
「*****……わからない……?」
成程、と思うと同時に「どっちの解らないだ」と。恐らく日本語がしっかり聞き取れない、と言う話だろう。焦って理解の範囲が狭くなってたってことだな。
「ここ、何と言う場所?」
しっかりと、単語事に区切って口に出すと彼女は笑った。
「ここは、***」
いや、意味解んないのね。
前述したかもしれんが、本当に日本人の発音域を超えているのよ。平仮名で表し難い言葉だった。「あ」と「も」を同時に発音するようなものだ。不可能ではないにしろ、日常会話で使うとなると難儀だ。
「あなた、名前は?」
彼女が俺の名前を問うた。
随分と、積極的な女性だな、と暢気にも思った。
だが実際考え直すと、涙を流す相手には基本人間はそのような行動を取るだろうな。自ら弱点を見せるのだ。
この時のなあ。
この時の涙がなあ。
悪かったのかなあ。
少なくとも、この時の涙と彼女の反応のお陰で、辛うじて生きている。
なりたいものになれた。なのに、今思うと不必要なものでしかない。
「■■■……です」
名前は伏せさせてもらうぞ。こんなところで名前なんて言ってられるか。だが、割と俺の名前が出てくる時があるから何かに代用させてもらうわ。
だからと言って、仮名を使うつもりは無い。仮名は、俺自身が俺をキャラクターと認識し始めるのは宜しくない。そんな事をやっちまえば筆の伸びが止まる。お陰でこれを更新するまで、こんな遅くになっちまったんだから。
さて、何を使おうかな。
記号に近い方が好ましいな。
さあ、俺の名前は《墓荒らし》としようか。
無論、周りの人間は俺を墓荒らしなどとは呼ばない。墓荒らしはただの代名詞であるが故、ご了承を。
「墓荒らしさん、何故ここに?」
のようなニュアンスだったと思う。
何度か言い直しつつ、やっと「どこかから瞬間移動してきた」って伝える事が出来た。
すると、納得したような表情を見せた。
「やっぱりか」みたいな事を言っていた。
前ここに、俺みたいにやってきた人が居たらしい。その人間が彼女に日本語を教えたみたいだ。
「とりあえず、ご飯食べましょう」
彼女は俺を家の中へと誘ってくれた。俺は何度も感謝した。
出されたのは、おにぎりと味噌汁だった。
和食じゃねえかと喜んだ。部屋は家の外面から解るよう、畳だった。部屋数はそこまで多くない。確か五、六部屋程度だったと思う。
彼女は俺に幾つか質問をしてきたが、彼女の言葉でだったから頻繁に聞き淀んだ。彼女も俺も、何度も言い直して相手に意思を伝えた。だけど、そこまで何も教えられなかったし、解らなかったから、この時、初めて実感した。
ああ、俺異世界来たのかな、って。
ぼんやりとしながらも、何となくそう考えた。
「地図見せてもらえねえかな?」
食後にそう聞くと、「***の?」と返してきた。
「出来れば世界地図が見たい」
「ごめんなさい、世界の地図はまだ出来てないわ」
もう手遅れだ、って思った。
これ、もう俺帰れないんだってな。
一応ここ一帯の地図を見せてもらったんだが、何とも複雑な地図だった。少し大きな島。大きさとしては大体近畿地方くらいだったかな。
断言するが、こんな島地球上にない。
「ここに泊まったらいいよ」
と、地図を見て呆然としていた俺に、その子はそう声を掛けてくれた。
何度も何度も確認し直した。
「大丈夫」
そう笑って言ってくれる彼女は、天使かと思った。
何故ここまで優しいのか、この時は疑問にも思わなかったがな。
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