第1話 一難去ってまた一難


「ん〜〜! ッ!」


 椅子に全体重を預けながら思いっきし伸びをする、想像以上に関節が大きな音を発したので、あせってまた脱力した。


 ーーちょー、疲れた。


「だらしないわよ」


 ちょうどそのとき、後ろを通りかかったエミことエミリアが、軽く頭をはたいてきたが、今はそんなこと気にしません。


 最近……でもないか、出会った当初から気兼ねなく話しているし、ボディータッチもしてくるけど、考えてみれば彼女は魔王なのだ。さっきも、もし彼女がほんの少しでもその気になれば俺の頭は身体からサヨナラしていただろう。


 まぁ、肩書きはどうであれ、彼女は魔王とは名ばかりの寂しがりやで気弱なただの女の子だ、いまさらどうとも思わない。

 寧ろ、出会って3ヶ月足らずのただの居候。その上、異性の俺に、一度たりとも警戒心を抱かない彼女の貞操の方が心配である。


 彼女は、俺のそんな心配もどこ吹く風、今日も紅いツインテールを溌剌と揺らしている。


 昨日は、大分ご立腹だった。具体的には、俺に無理心中を迫るほどに。

 まぁ、俺のせいなんだけど……。

 しかし、2時間くらい体を洗って寝たらこの通り。大抵のことは一睡したら水に流してくれるのだ。流石は魔王、器がデカイ。


 昨日は、一日中気を張っていたためか、頭が痛い。

 それを解ってか、彼女はそれ以上なにも言わずに微笑しながら俺の前にパンを置いた。


「大義」


 ちなみに、これを食べるのは俺ではなく、俺の膝の上に腰掛けている、ペットのルルだ。


 少女の形をしているが、ペットだ。

 うん、もの凄い犯罪臭のする発言であったが、決してやましいものではない。

 ペットにしたときは、彼女は巨大なケセランパサランみたいな容貌をしていたのだ、それがいつしか真っ白い少女の姿になった。さらにさらに、その正体は国を滅ぼすほどの力を有する龍族りゅうぞくの1頭だったりと、そんなとんでも生物だったのだ。

 まぁ、見た目や性格のせいか全く怖くない。今朝も俺の布団の中にいたしね。


 ーーあ、変な意味じゃないよ。


 彼女も、昨日の戦闘では大きな活躍をしてくれた。そして昨晩から寝るとき以外ずっとなにかを口にしている。彼女曰く、『お腹が空いた』らしい。


 ーーだと思ったよ!?


 あと、咥えているパンのクズが俺の服にもパラパラ落ちて来るから辞めて欲しいです、はい。


 まぁ、今日もルルは平常運転だということだ。


 気を取り直して。

 軽く手を振ると目の前に半透明なウィンドウが現れる。

 そこに映るのは、薄暗い部屋、横20メートル、縦500メートルある大きな部屋だ。これ、俺の職場ダンジョンです。


 その中心には、凄まじい早さでアルプス一万尺をしている、猫耳娘とピンクの鎧がいる。

 マジでロクに目視出来ないくらい早い、これが獣人族ワービーストの身体能力と、鍛冶屋の娘が作った自慢の鎧の性能だ。

 本番で使えばいいものを……。


 獣人族ワービーストの娘、アイルスはここら辺の森を縄張りとするコミュニティの族長の娘らしい。今日も、頭から生える真っ白な猫耳の他に、第三の耳のような大きな寝癖が後頭部から生えている。


 ピンクの鎧の方は、ピーちゃんことピュア♡プルという名前の、これでも女の子だ、事故死した鍛冶屋の娘が自作の鎧に乗り移った鎧人形ゴーレムらしい。しかしそんな、ちょとホラーチックな衝撃的事実ですらも、あの可愛らしいフルプレートメイルに比べたら、まだまだ弱い! とさえ思えてくる。


 まぁ、結局なにが言いたいのかというと。

 俺が日本からこちらの世界に召喚されて、早3ヶ月が経とうとしているが、大分刺激的な出来事が日常化しているていうことだ。


 そもそも、高校生からダンジョンマスターに転職したワケだし……。


 まぁ、なんだかんだ言って、一番驚くべきことは、およそ17年間暮らしていたはずのもとの世界での生活よりも、たった3ヶ月くらいしか暮らしていない異世界での生活の方が遥かに暮らしやすく、充実しているという事実。

 頭の整理が追いつかないまま、気付いたらこうなってた感じ。


 そんな日常のなかでも、昨日のことは特に衝撃的であったと言っていいだろう。


 勇者3人と、王国兵100人が攻めてきたのである。

 俺たちは、先行して攻めてきた3人の勇者のうち、なんとか2人は討ち取ったものの、不運なことに最後に残った一人が一番ヤバかった。

 ベルティーユ、俺がベルと呼んでいるそいつは、仲間の屍が増えるほど強くなるという勇者あるまじき能力を持っていたのだ。まぁ、もとより肩書きと口調は立派でも、中身は残念極まりない勇者なのだが……。

 そんな彼女にダンジョンを攻略されてしまった俺は、魔王と勇者のガチバトルをこの目で見ることとなった。

 その場はなんとか収めたものの、代償として俺は、今日から1週間、彼女の住む街で過ごすこととなっている。

 まぁ、この程度の代償でただの人間が魔王と勇者の闘いを止めてみせたのだ、自分を褒めてやりたい。

 それに代償といっても、気のおけない友人とお泊ま……お泊まっちゃダメだよな、相手は異性だしね。

 実は寧ろ、少し楽しみだったりする。

 一つだけ、もの凄く大きな問題を抱えてはいるが……。

 ちなみに、さっきは王国兵100人が攻めて来たと言ったが、結局来ませんでした。まぁ、勇者が2人も死んだものだから尻尾を巻いて逃げたのだろう。


 ビー! ビー! ビー! ビー!


 聞き慣れたサイレンが鼓膜を震わす。


 ーー来たか。


 王国が、ダンジョン攻略に失敗したのは近隣の町や村にも広まっているだろう。そんなときに、来る奴なんていないだろう? と思うかもしれないが、います。

 この3ヶ月近く、ず〜っと通ってる奴が。

 まぁ、そもそも待ち合わせの場所が、俺が今いるココ、ダンジョンの居住スペースなワケだし来て当たり前と言ったら当たり前だ。

 多分、世界一険しい待ち合わせ場所だと言えるだろう。

 だって片道50キロある上に、大量のトラップまで仕掛けられているのだ。

しかし、彼女はそんな過酷な道程みちのりをたったの1時間で攻略してしまう。恐ろしい奴。


 そもそも、待ち合わせしていている相手を全力で殺そうというのがおかしな話しなのだが。まぁ、なんだ……そういう仲なんだ。愛情表現みたいなもんだ、適当に言ってるけど。


 案の定、ダンジョンに入って来たのはベルである。金色の美しい髪に、燃えるように強い意思の篭った蒼く鋭い瞳。

 やっぱり、外見だけはどこまでも勇者だ。

 まぁ、現在進行形でカメラに向かって、精一杯に両手を振っているので勇者感は全くないのだが。


「なんか伝えようとしてるな」


「え、そうなの? 踊ってるようにしか見えないのだけれど」


 ーー言われて見れば……。


「いや〜、流石にあんな場所で踊らないだろ、踊らないよな?」


「相手が相手だしね、踊り始めてもおかしくはないわよ」


 そこまでヤベー奴ではないと思うけどな。一応、聞いてみようか。


 いつものように、ウィンドウのマイクボタンを押す。


「踊ってんの?」


『躍っとらんわ!!』


 踊ってないらしい。

 やっぱり、なにかを伝えようとしているのだろう。


「もうちょっと、解りやすいジェスチャーをしてくれ」


『ふむ……』


 ベルは、少し顎に手を当てて逡巡すると意を決したように大きく息を吐いた。


 入口の方を指差し、次にカメラの方を指差し、その場で足踏みする。


 ーーよし! サッパリ解らん!!


「やっぱり、あんたって性格悪いわよね」


 エミが、ジトッとした目をこちらに向けてくる。


 ベルは、こちら側から自分が見られていることは知っているが、音声まで聞こえている、ということを知らない。

 というか、解らないような言い回しをしている。


 痺れを切らしたベルは、ジェスチャーを変える。


 両の人差し指でカメラの方を指してから、右斜め横を向きぺこりとお辞儀し、足踏み。


「全然、解らん。普通に喋ってもらえる?」


 俺の言葉に、ベルの顔がカッと赤くなる。


『聞こえてたのか!!!!』


「え、そうだけど。

 誰も聞こえてないなんて言ってないよね」


『ググ……言われてみれば……』


「だろ? で、なにが言いたいんだ?」


『ああ、そうだ、そうだ。

 お前の知り合いだとか言うが来ているぞ』


 なぜか、女を強調していた気がする……って、知り合い?


 こっちの世界での知り合いなんで、この場にほぼ全員揃っているのだが?

 それに、女性となると修道女のテリーゼさんくらいのものだ、でも彼女はベルの友人なのでこんな言い回しをしないだろう。


 何故だか、エミの方へ目が行った。すると、彼女も訝しげな目でこちらを見ていたので、一応、首を横に振っておいた。


「え? 全然、覚えがないんだけど。

 どんな人だ?」


『ちょっと待ってろ、今連れて来る』


 あぁそうか、つまり一般人が来るからトラップを作動させるなと言いたかったのか。


 直ぐに戻ってきたベルと、その後ろを着いて歩く一人の少女。


 肩口くらいに切り揃えられた黒髪、どんぐりみたいな丸々としていて大きな瞳、小さな鼻、色白な肌。服は……なぜかベージュ色のツナギだ、それにサイズが大きすぎるようで、萌え袖を通り越して巨神兵みたくなっている。同い年くらいだと思うが、身長は低く、全体的に可愛らしい印象を受ける。


 俺はその可愛らしい少女を見て、無性に心がざわついた。

 彼女から、目が離せなくなる。


 ーー恋……ではない……。


 彼女は、ベルよりも一歩前に出ると、俯きながら下唇を噛んで動かなくなる、暫くすると意を決したようにその小さな口が開いた。


『お……おはよう!!』


 それは、今からおよそ3ヶ月前までは毎朝聞いていた、言葉だ、声だ。

 そしてそれは、この場で聞こえるはずもない、聞こえてはいけない、声だ。


「おはよう……」


 俺は瞠目しながらも、反射的にそう声を発していた。

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