エピローグ


 窓から指す、月の光が眩しい。


 サワサワと草木の揺れる音が騒がしい。


 今、何リールだろうかと明かりを付けて時計を確認しようとしたが、その気力すら起きず、ベルティーユは金色の髪を乱しながら、毛布を頭まで被った。


 3日前から、お隣の夫婦は新婚旅行に行っている。

 静かでいい夜だ。

 しかし、今晩に限ってはあの気不味い喧騒が恋しく感じる。


 瞳を閉じると、あの光景が鮮明に瞼の裏に映るのだ。



 苛烈な攻防の数々、ベルは決定的な一撃どころか、擦り傷すら負わずに魔王と相対していた。

 しかし、傷を負っていないのは魔王とて同じ。


 だが、不規則に駆け回りながら攻め、攻め、攻め続けるベル。

 ほとんど動くことなく守り、守り、守り続け、時たま反撃をしてくる魔王。

 勇者とて、無限の体力があるワケではない、このままの戦況が続けばガス欠になることは明白であった。


 そうなると、ベルのやるべきことはただ一つだ。

 それは単純で、明解、そして両者にとって一番納得のいく答えを導き出せるであろう選択。

 そう、全力と全力をぶつけ合い生き残った方が強い。ただそれだけの話だ。


 ベルは、なるだけ魔王の射程から遠いところ、つまり壁ギリギリのところを疾走しながら、詠唱を呟く。


「聖なる生を持って、精誠せいせいなる聖道よ、戦々とした閃を我が聖心にーー」


 ベルの剣が、段々とその輝きを増していく。

 魔王の方を見れば、彼女も何かを呟いていた。彼女の体が、末端から漆黒の魔力に呑まれるかのように黒々しく変色していく。


 ベルは、一気に壁を駆け上がると、剣を振りかぶって、そのまま魔王目掛けて壁を蹴った。


 落下する力を乗せた凄絶なる一撃。


 その姿は、光の尾をひく彗星のようであった。


「武を司りし神よ、寵愛を持って、その力の片鱗を我に分け与えたまえーー」


 閃光が収束した。ベルの剣は光そのものとなる。


 魔王を覆う、漆黒の魔力が束となり捻れるように収縮した。


「《聖剣》!!!!」


「《死槍》!!!!」


 極限まで濃縮された光と闇がぶつかり合う、そのときーー


 パン!!


 澄んだ音が鼓膜を震わせ、2人は思はず音の方へと目を向けた。


 魔王が、作り上げた漆黒の槍はベルの左側を通り過ぎ。


 ベルも、魔王の左側に着地すると堪らずたたらを踏んだ。


「なら、こうしようか」


 そこには、両手を合わせながらどこまでも冷静な声で、目で、こちらになにかを訴えかけんとする雁矢がいた。

 今までに見たこともない、彼の冷静でしかしどこか冷たさを感じる、そんな表情に2人はただ無言で、見入った、聞き入った。


「明日から1週間、俺はベルの意向通り街で暮らす。それで俺自身がこの先、どちらで暮らしていくか決めるってのはどうだ?」


 その言葉に、魔王がベルを挑発するように微笑したが、ベルは眉間にシワを寄せる。


「そうすれば、俺の考えも変わるかもしれないし、俺が奴隷じゃないという証明にもなるだろ?」


 ベルは、自分の心にモヤモヤとしたイヤな感覚が芽生えるのを感じた。


 彼がこの街に来るのがイヤ、というワケではない。寧ろ、それはベルにとってとても喜ばしいことだ。

 胸が高鳴る、そして何故だか少し緊張もする。


 しかし、

 それは彼が自分が奴隷ではないと、つまり自分の意思でダンジョンにいるのであって、お前のところになど行く気わない、と言いたいだけではないのか?

 という悪い考えがどうしても頭をよぎるのだ。


 そして、その考えは満更間違いでもないのだろう、彼の態度を見ればなんとなく解る……いや、厳密に言えば以前より薄々気づいていたのだ。

 奴隷となり、虐げられるものがあんな表情をできるワケもないし、ベルはエミのことを本の少しでも知ってしまったのだ、彼女はそんなことをする人間……魔人ではないということを頭では理解していたのだ。


 しかし、理解と納得は全く別。


 勇者であることを、人間を救うことを求められてきたベルが、本当に久しぶりに求めたものが日高見 雁矢という人物であったのだ。


 ベルは、正直魔王のことなんてどうだってよかった、彼女はただ単に彼に近くにいて欲しかっただけ。

 つまりは、ただの我儘だったのだ。

 1週間前、夕日のなかでベルは確信したのだ、彼ならば自分が迷ったとき正しい道を示してくれる、背中を押してくれる、優しく諭してくれる。

 そして、自分の求める幸せには彼もいる、そんな気がしたのだ。


 だからこそ、理解とは関係無く、口が、脚が、腕が、そして心が動いた。


 そう、心はまだまだ熱く灯っているのだ。だからこそ、ベルは明日からの1週間で是が非でも彼を自分の近くへ置こうと、心に決めたいのだ。


(私に、できるだろうか……)


 しかし、弱気な自分を拭いきれない、どうすればいいか解らない。


(どうすれば、カリヤはずっと私の隣にいてくれるのだろうか……)


 目は冴えるばかりである。



   ※     ※     ※



 ボン!


「づがれだ~」


 晴香は、ベットにダイブすると力なく四肢を投げ出して瞳を閉じた。


 最近は、毎日のように彼の妹、愛莉矢のもとへと赴いているのだ。

 行き帰りは、近くに住んでいるという工藤さんの車に同乗させてもらっているのだが、帰りはどうしても遅くなる。


 彼の妹はとてもいい娘だったし、真紀も付いて来てくれるので、正直、結構楽しかったりするのだが、やはりこの生活を続けるというのは疲れが溜まる。


 微睡まどろみそうになる意識のなかで思い出されるのはやはり彼のことだ。


 彼は今、どこにいるのだろうか。なにをやっているのだろうか。


 目が、耳が、そして心が彼を求めて入る。

 蛇足で言うと、あわよくば! という願望で肌も求めている。


(日高見く〜ん……)


 彼のことを想うと胸が苦しくる、晴香はシーツを握り締めると瞼を固く閉じた。


(どうすれば、私のもとに戻って来てくれるの……?)


 そんな飛躍した妄想が頭のなかを渦巻いた。



   ※     ※     ※



「カリヤに、会いたい……」


「日高見くんに、会いたい……」


 それは、聞こえるはずのない声。


 2人は、自分のものとは内容は似ていても、声のことなる呟きに飛び起きた。


 そして驚きのあまり目を見開いて、叫んだ。


「誰だ!!??」


「ど……どこ!!??」


 夜はまだまだ長そうだ。

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