世界に一つだけの水たまり

菊千代

雑記

美味しさの追求か、それとも味の多様性を追求するか。

最近のインスタント麺は本当に美味しくなった。


しかし昔の陳腐な味も捨て難い。

そう思うのは私だけ、なのだろうか。


私の味覚というものの捉え方は「一定以上、美味しいかどうか」が大きい。

勿論、より美味しい事も悪くはない。


しかし、より美味しいものを求めて大金を叩いたり、行列に列んだりする事は全くと言っていい程、する気にもなれない。


因みに私は待つ事自体は苦手というよりも、得意と言って差し支えない様に思っています。

待ち人であれば何時間でも待っていられます。

要するに価値観の問題になりましょうか。


より美味しいものを求める事にそこまでの価値を感じないのです。

一定以上、美味しければ何処でも構わなかったりするのです。


そして、より美味しいかよりも色々な味を楽しみたい、との思いの方が強かったりするのです。


私は一部の苦手な食材を除けば、ほとんど好き嫌いはありません。

というよりは、どれもこれもみんな好きで、比較する事自体が難しいくらいです。


肉も美味しいし、魚介類も美味しいし、野菜も美味しいし、お菓子も美味しいし。

みんなみんな大好きなんです。


それぞれにそれぞれの美味しさがあって、そのそれぞれをそれぞれに楽しみたい。

そして実際に楽しんでもいます。


だから好き嫌いの多い偏食の方は可哀相に思ったりもするくらいなのです。

色々な味を感じるのは、こんなにも楽しいのに、と。

勿論、余計なお世話なんでしょうけどね。


そして、そのような感覚の私は食べた事の無いものを見ると、無性に食べたくもなるのです。


あくまでも食べる事が出来るもの限定ですよ。

食べれないものまで食べたくなる程、食い意地は張っておりません。


とにもかくにも私は美味しさの追求よりも、

味の多様性を追求するタイプと言えるでしょう。


だから陳腐な味も捨て難くなっちゃうんだけど、それはマイノリティになってしまうのでしょうね。


需要と供給の面からすると、どうしても美味しさの追求をせざるを得ないのかもしれません。

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