第12話

 俊之を痛めつけて、幾許かの小銭を奪った三人の不良達は、「清涼公園」の芝生広場にいた。安藤の他の二人は鉄男と武といった。平日の昼間の広場には、小さい子連れの母親や、散歩をしている老人がちらほら居たのだが、三人が広場をうろうろするうちに、そそくさとその場を離れていった。やがて広場は不良達の専有物と化した。


「タケ、火ぃ貸してくれや」


 鉄男は、ポケットから芝生色のパッケージを取り出した。箱には金色で二匹の蝙蝠が描かれている。鉄男は箱の底をトントンと叩いて、タバコの頭を出すと、無造作につまみ出して咥えた。そのまま顎を武に突きだす。


 武は胸の内ポケットから銀地に金で般若が描かれたジッポを取り出すと、面倒臭そうに点け、最大火力に設定した火を鉄男に貸した。


 フ~~。


 鉄男はフィルターのついていない煙草を旨そうにひとしきり喫むと足元の芝生に捨てた。足で吸殻を適当に揉み消すと退屈そうに安藤に尋ねた。


「安藤はん、なにします?」

「そうだな……」


 といったものの、安藤にもこれといった案があるわけでもない。その辺の中高生を脅して小銭を巻き上げては煙草に換える退屈な日々。また今日もいつもの繰り返しだといわんばかりに安藤は手を振った。


 しかし、安藤はあの日の事を思い出していた。数ヶ月前、何処かの学校の生徒に絡んだときに助けに現れた女のことだ。


 右腕に目をやる。肘の辺りに薄っすらと手形のような痣が残っていた。


 あの時、安藤は女に右腕を掴まれ引っ張り上げられた。傍からは爪先立ちしていたように見えたかもしれないが、事実は全くの逆だった。安藤が爪先立ちなどしてなかった。爪先はほんの少し地面についていただけで、彼の九十キログラムを優に超える体躯は、彼女に軽々と持ち上げられていたのだ。それも片手で。


 それにしても、関節を極められたり、腕を捩じり上げられているならともかく、単純に腕を掴まれていただけであれば、振りほどくなり何なりすれば、逃れることなど造作もない筈だった。しかし、あの時の彼女の指は、万力のように安藤の腕を締め上げていた。もう少しあのままだったら、骨が砕けていたかもしれない。


 あの時、安藤が憤る鉄男達を止めたのも、逆らったところで、到底敵う相手ではないとはっきり分かったからだ。


「あいつはやべぇ。一体何者だ?」


 そんな安藤の呟きは不意に破られた。


「あ~~。オメェらに聞きたいことがあんだけどよ。なに、ちょっと体に聞くだけさ。手間は取らせねぇよ」


 安藤達が眠そうな顔を向ける。その視線の先に二人の若い女が立っていた。


 二人の歳の頃は十五、六。一人は小柄で、もう一人は大柄の娘だった。


 小柄の一人は濃いピンクのパーカーにぴったりとしたジーンズを履き、無地の赤いスニーカーをしている。フードで頭を覆っているが、その隙間から深紅の髪を覗かせていた。


 大柄のほうは、薄いピンクのパーカー。縁に虹の七色が施された黒い二段フリルのミニスカートだ。薄紅色のオーバーニーソックスに前ゴムのついた黒のスポーツシューズを履いている。フードは被っておらず、黒髪のおかっぱだ。


 二人とも綺麗な藍色の瞳をしていた。


「お姉さま、そんな下品な御言葉、はしたないですわ」


 大柄の妹が小柄な姉を窘めると、不良達に向き直った。


「皆様、姉さまが大変失礼な言葉使いを致しまして申し訳ありません。改めましてお願いさせていただきますね。私達、ある方を探しているんです。その情報提供をお願いできませんか。あ、ちょっと触らせてくれるだけでいいんです。もちろん、御怪我させないように十分気をつけますから御心配なく」


 背の高い娘は両手を重ねて前に揃え、ぺこりと頭を下げた。恰好と言葉遣いがちくはぐだ。


 鉄男と武は、なんだとばかり二人の娘に近づいた。


「嬢ちゃん、何か言うたか」


 鉄男が挑発する。


「俺達と遊ぼうってか」


 武が下顎を突き出すように大柄の娘に近づくと、おっという顔をした。その娘の背丈は武より随分高かったのだ。武も百八十センチ近くあり、決して小さくはなかったのだが、娘は悠々と武を見下ろした。


「俺が楽しませてやんよ。ねえちゃん」


 そういって、武は自分より背の高い娘の頬に手をやり何度か撫でた。娘は武の言葉も行動も理解できないと言わんばかりに不思議そうな顔をした。


 一方、鉄男は挑発したもう一人の小柄な娘の前に立った。顔を見ようとしたのだが、百五十センチあるかないかの身長にフードを被っていたから、傍によると全く見えなくなった。


「嬢ちゃん、顔ぉ見したれや」


 鉄男が娘のフードを外すと、多少癖毛ではあるがボリュームのあるミディアムショートの真っ赤な髪が露わになる。その頭には五センチ程の鬼のような黄色い角が二本あった。

 

「なんやぁ、こいつ角あるやんけ。仮装でもしとんのんか」


 鉄男は嗤った。しかし、その後ろでずっと黙って見ていた安藤は少しばかり顔を顰めた。先程まで思い出していた右肘に痣を残した女の顔が頭を掠めた。無意識のうちに半歩、後ずさりしていた。


「……今、何と仰いました?」


 大柄な娘が言った。


「お姉さまを侮辱する人は許しませんわ」


 おかっぱ娘の全身に只ならぬ、どす黒いオーラが立ち上った。


「あぁん?」


 武が眉根を寄せた。


「まず、その薄汚い手を除けて下さいませんか」


 娘は、武が頬にやった手を左手で掴む。


「ねぇちゃん。ちょっと痛い目みんと分からへんのか」


 しかし、痛い目を見たのは武のほうだった。


 ――グシャ。


 武の右手は紙コップを潰すかのように、おかっぱ娘に握り潰された。骨が砕ける嫌な音がした。


「ぐぎゃぁ」


 ぐちゃぐちゃに砕けた右手を押さえて蹲った武を、背の高い娘は無造作に蹴り上げた。武は、ボクシングでセコンドがリングに投げ入れるタオルのように高く宙を舞い、一旦止まったかと思うと自由落下を始め、芝生に激突したきり動かなくなった。


「……!」


 安藤は武が一蹴りでやられたのをみて、鉄男へと視線を向けた。鉄男は赤髪の小娘の前で大の字になって伸びていた。安藤の頭の中で緊急警報が最大ボリュームで鳴った。


 と、その刹那、赤髪が安藤の目の前に現れた。一体何時の間に移動したのか。二、三歩で届く距離ではない。安藤には全く見えなかった。


 安藤は咄嗟に後ろに引いた。距離を取ろうとしたのだろうが到底間に合わない。赤髪の小娘は小さくニイッと笑うと、安藤の下顎に向かって鋭い掌底を突き上げる。余りの衝撃に安藤の躰が一瞬浮いた。激しく脳を揺らされた安藤は意識を失ってうつ伏せに倒れた。 


 赤髪の姉はおかっぱの方をみて一瞬「やっちゃたか」という表情を浮かべた後、妹に確認した。 


「殺したのか」

「お、思いっきり手加減しましたから、死んでない……と思うんですけど」


 背の高い妹は大きな体を丸めて小さくなっている。最後の『思うんですけど』は消え入りそうなほど小さな声だ。


「ふん。半殺しだが死んではいないな」


 鉄男に息があることを確認すると、赤髪の姉は首からぶら下げている鮮やかな紫の宝石を填め込んだペンダントに軽く触ってから、不良三人の首筋に次々と触れる。瞳の色は明るいグリーンに変わっていた。


 真紅の髪の間から角を覗かせながら、小柄な娘は口元を緩ませた。


「……マガンじゃない。あいつが接触した形跡はあるがコネクトはしてない」

「ミローナ姉さま、ということは」

「ああ、この近くにいるってことだ」


 ミローナと呼ばれた、赤髪の娘はフードを被り直すと、大柄の妹を向いて笑って見せた。


「行くぜ、エトリン。あともう一息だ」

「はい、姉さま」


 不良三人をあっという間に片づけた、二人の娘は意気揚々とその場を引き上げた。

 

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