第10話

 ――夏休み開け初日。


 学校は一時限目にホームルームがある以外、六時限目まで通常授業だった。


「ふあぁああぁ」


 放課後。俊之が、やっと終わったかとばかり大きく伸びをしながら欠伸をする。


「また夜更かししたの?」

「まぁな」

「今度は何のゲームなんだよ」

「ゲームじゃない。妹だ」

「?」

「UFOキャッチャーで欲しいものがあるけど、自分じゃ取れないから取ってくれってさ」


 俊之には二つ下の妹がいる。小さい頃は俊之と一緒によく遊んだから良く知っている。智哉の兄は八歳年上だったから、智哉が小学校に上がる時には、もう一緒に遊ぶということも殆どなくなっていた。それだけに年の近い妹がいる俊之を羨ましく思ったものだ。


「やっぱゲームじゃん」


 智哉は『UFOキャッチャー』もゲームの枠の中に当然入っているだろう、という至極当然な指摘を俊之にぶつけたのだが、俊之は平然と否定した。


「あれはゲームじゃない。パフォーマンスだ。ゲームはアーケードからだ」


 俊之は右手でガッツポーズを取って、力を込めた。


「じゃあ、ネットゲームはゲームじゃないんだね」


 智哉はツッコミをいれて食い下がる。


「あれは別。ブラウザゲームは至高!」


 よく理解できない理屈だが、俊之の中では『UFOキャッチャー』はゲームと認定されていないらしい。


「ま、それは兎も角としてだ。俺もUFOキャッチャーなんて、そんなにやったことないから、なんかコツないかってググってたんだ」

「ふ~ん」

「そういや、智哉、『バケハン』どうなった?最近来ないじゃないか」

「レベル上がんないし、酔うんだよ。3Dって」


 バケハンとは、「バケモノハンター」の略で、ネットを介して行うハンティングアクションゲームだ。自分がハンターになって化け物狩りをしながら依頼されるクエストを突破していく。


 勉強以外に時間を割くなんてとんでもないと考える智哉だったが、息抜きと称してゲームくらいはやっている。尤も一日三十分までと決めているので、俊之のようにべったりとやり込む程ではなかった。


「どうした、『チュウノオウ』、酔うなんてだらしないぞ」


 俊之は智哉が『バケハン』に登録しているキャラクタ―ネームで呼んだ。


「だらしないって何だよ。それに、『チュウノオウ』じゃなくて『ソラノオウ』」

「宇宙の宙に王様の王だろ、『チュウノオウ』じゃん」

「その宙はソラと読むの」

「そんな読み方しねぇよ」

「いいじゃん。別に」

「なんでそんな変な名前にしたんだ?」

「いや、なんとなく」


『宙の王』とは、智哉はここ数ヶ月の間、何度も夢の中で演じた『彼』のことだ。夢の中で『彼』は『宙の王』とか『マガン』とか呼ばれていた。智哉はその名を借りて付けたのだが、夢に出てきたからなんて、ちょっと恥ずかしくて言えなかった。


「ま、いいや、とにかく出て来いよ、ツイートしてやるって」

「お生憎様、出せるものならしてみなよ、もうブロックしたから」

「酷ぇなぁ。おっと、もうこんな時間か。俺は妹と待ち合わせすっから、先帰るわ」


 俊之はポケットから「げきらぶ」のキャラが刻印された懐中時計をつまみ出して、また戻す。


 パンパンに膨れ上がった鞄をよっこらせと担いだ俊之を智哉が呼び止めた。


「俊之」

「ん?」

「鞄の裾、ほつれてる」


 革製の学生鞄底の角から、茶色い糸が十五センチ程垂れ下がっている。


「これで切りなよ」


 智哉が自分の道具箱を開けて鋏を取り出した。刃の方を持って俊之に差し出す。


「いらねぇよ」


 俊之はほつれた糸を自分の人差し指にくるくると巻きつけた。一息に引っ張って千切る。


「ま、教えて呉れてあんがとよ」


 手をひらひらさせて礼を言った俊之は、教室の開いた扉をくぐって帰っていった。


 智哉はやれやれといった顔で溜息をつくと、いそいそと帰り支度を始める。何気なく神楽耶の方をみたら、彼女と目が合ってしまった。智哉は慌てて視線を逸らした。


 智哉が逸らした視線の先には、数人の女子生徒が固まっていた。何やら噂話をしている。智哉の注意はその噂話に引き寄せられた。


「ねぇねぇ、四組の仲村君。恐喝されたって知ってる?」

「え~、なにそれ」

「電車賃貸してくれっていわれて、脅し取られたんだって」

「何処で?」

「時待台駅裏のゲーセン」

「真由美のとこの近くじゃん」

「え~やめてよ~」

「逃げられなかったのそれ」

「三人に囲まれれて逃げられなかったみたい。すっごい怖かったって」

「怖いね~」

「警察にはいったの」

「いったみたいだけど、ここらでは有名なんだってよ」


(……あの不良達だ)


 智哉は、入学式の朝に絡まれたあの三人組に違いないと思った。神楽耶に助けて貰わなかったら、自分も同じ目に遭っていたかもしれない。


 時待台駅は智哉の自宅の最寄り駅だ。智哉は暫く思案してから、入学式の二の舞は止めようと誓った。



 ◇◇◇



「新翼~。新翼~。お出口は右側です。通過する駅においでのお客様は、降りたホームでお待ち下さい……」


 駅構内にやや間延びした自動放送が流れる。智哉は最寄り駅の一つ手前のこの駅で降りることにした。入学式の時は近道をして不良達と出くわしたから、今度は遠回りするというのは些か単純な発想だ。しかし、それでも智哉なりに考えての選択だった。


 智哉は、改札を通り駅の出入り口でふと立ち止まり、家の方角はどっちだっけかと頭の中で考えた。だが、直ぐに線路沿いにいけばいいと気づいて歩き始める。


 九月になったばかりのこの日は、秋というにはまだ早く、夏が十分に自己主張するのを許されていた。しかし空はうす曇りで照りつける日差しは無く、その自己主張も空振り気味だった。


 智哉はどの道を通って帰宅すべきかを頭の中で幾通りもシミュレーションしていた。しかし、そのシミュレーションには不良達の行動予測という一番肝心なパラメータがインプットされていなかった。智哉が持っていたデータは、入学式の学校近くの路地と、下校前女子生徒達の噂話で不良達が時待台駅近くのゲーセンに現れたという事だけだ。


 智哉が普段使っている時待台駅から翠陽学院高校の最寄り駅「二沢上町」まで電車で六駅ある。憶測も含んだ智哉の不良遭遇データはその二ヶ所しかない。電車で六駅ある広大な範囲内で、たった二ヶ所をインプットしたところで正確なシミュレーションなど出来る筈がない。結局のところ、智哉の策は気休めに近いものであった。


 線路沿いの道を二十分程歩き右に折れ、時待台駅と智哉の自宅とで、丁度正三角形を作る位置にある「涼風公園」の中を通ろうとしたとき、智哉は微かな異変に気付いた。


「涼風公園」は、一般にあるようなブランコや滑り台などの遊具がいくつかあるこぢんまりとしたものではなく、自然林に囲まれ、小川や池があり運動場や芝生広場がある大規模なものだ。県でも有数の公園として知られ、池を取り囲むように遊歩道が設けられている。


 智哉はその遊歩道を抜けていくことにした。前の駅からずっと歩いていたし、曇り空で直射日光はないとはいえ、暑さがなくなった訳ではない。途中で冷えた缶コーヒーでも飲んで休もうかとも思っていたのだ。


 智哉が公園に入って、遊歩道に足を入れたとき、遠くの繁みから、何やら言い争う声が聞こえた気がした。遊歩道には他に人がいないわけではなかったが、智哉以外に異変には気づいていないようだ。


 智哉は不審に思われない程度に目一杯歩く速度を緩め、耳を傍立ててみる。内容は分からなかったが、やはり言い争いしているのは間違いないようだ。声の感じから四、五人で争っているように思われた。どうしようか迷った末に、声のする方向をさり気なくみると、繁みの隙間から見覚えのある姿がちらっと見えた。


(あいつらだ)


 繁みの隙間は僅かなものだったから、智哉以外の人では分からなかっただろう。しかし智哉があの後ろ姿を見忘れる筈がない。入学式の朝に絡まれた不良三人組だ。


(なんでこんなところに……)


 智哉は、ちえっと舌打ちして、こんなことなら普通に時待台駅で降りて帰ればよかったと後悔したが、今更嘆いたところでどうにかなるものではない。智哉はあの時のように自分の運のなさを嘆いた。


 そうこうするうちに、言い争いの声が聞こえなくなった。かと思うと、突然「バチン」という音がした。喧嘩が始ったと智哉は思った。


 近くの人に声を掛け、警察を呼ぼうかという考えが一瞬頭をよぎったのだが、しっかりと確認したわけでもないし、制止しようと出て行ったところで返り討ちに遭うに決まっている。


 暫く逡巡した後、智哉は、そのまま自宅に向かって足早に歩きだした。


(あの様子だと、きっと騒ぎになって誰かが止めに入るよ。僕は関係ない……)


 智哉は最初に異変に気づいたにも関わらず、見なかったことにしたのである。

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