第4話 神への挑戦 背徳


 僅かな光に照らしだされた白く細い沙紀の身体。見事な曲線美を描くそれは、ホクロ一つなく現実世界のそれよりもさらに完成度が高い。


 沙紀の身体から伝わる温もりと共に強く感じる。この世界で自分という存在は確かに此処に在り、紛れもなく生きているのだと。


 上から自分の顔を覗き込んだ沙紀。流れ落ちた艶やかな髪が頬を擽る。


「ねぇ、貴方は子供が欲しいと思わない?」


 智也はその言葉にどう返すべきか躊躇った。現実世界で自分達は子を持つことを叶わなかった。もちろんこの世界でも子など持てない。性行為を行おうとも、それはただの快楽行為でしかなく、それ以上の意味をもたない。


「ほしいよ。......けど」


 それは叶わないのだ。


「私ね。考えたの。この世界で子を持てる方法。あなたは言ったわね。この世界では『人が作った法則に従って、電気エネルギーが実体を形づくる』と。その法則に則って上手くやれば確かにこの世界でも子は持てるのよ」

「どうやって?」


 沙紀は意味深な表情を作り、視線を自分から空中へと移した。途端に沙紀の視線上に浮かび上がるウィンドウ。


 完全に御預けを喰らってしまった事実に、不満を感じつつウィンドウに視線を移す。


 そのウィンドウに表示されたのは多量の〇と一の羅列だ。何かのデータだろうか。電子データを最も単純な形で表示すれば全てこうなる。だがこれは人には読めない。


「なんだと思う?」

「さぁ...... 俺には見当もつかないよ」


「これは、私という存在そのもの。私の思考パターンプログラム。もっとも私自身もこれを見ても何処がどうなってるのか分からないけど」

「だろうな」


「ねぇ、私と貴方の違いってこのコードで比べるとどれぐらいだと思う?」

「さぁ...... 二十パーセントぐらいかな? コードの大半は人というメカニズムを作る共通部分だろ。後は経験と性格の違いから形作られる相違部分かな?」


「流石ね。じゃあ、生まれたばかりの乳幼児だったら個人差はどれくらいだと思う?」

「......」


「答えは、〇.一パーセントにも満たない。現実世界で生を受ける事が出来ずに、此処に送られて来た乳幼児の例は、すでに百例を超えてるわ。そしてその子たちは、こっちの世界で子を望む者に引き取られ順調に育ってる。


 何が言いたいかというと。この世界において人の設計図は九九.九パーセント以上完成しているの。


 足らない〇.一パーセントの情報が個人差よ。そこに私と貴方の、最も原始的な思考パターンの根源を掛け合わせて埋めたらどう? 『怒りんぼ、とか泣きむし』とかの最も原始的ものを。現実世界においては親から受け継いだ脳内ホルモンのバランスによって基本性格が決定されるわ。それと同じことが此処でもできるのよ」


「魂の創造...... もはや、神への挑戦だな」

「あら、そんな事いったらこのフロンティア自体そうでしょう? けど私はそうは思わないわ。人が進化の過程で手に入れた力は、この脳。つまり情報という武器。言い換えれば、神によって人に与えられた力。それを使うことが許されないと言うのなら、私は神にだって挑戦する。そして勝ってみせる」



 沙紀の決意。そして人の思考パターンプログラムをここまで解析していた事実。恐らくこの結論に辿り着くのに数年は要したはずだ。沙紀はフロンティアへの移住を決めた時、既にこの構想が頭の中にあったのだろう。



 沙紀の瞳が真っすぐと自分に向けられる。


「――それに、この世界には別の神がいる。この世界を作った神は誰?」

「人だな」


「基本構想を考えたのは貴方。だから私は神である貴方に問うわ。貴方は私との子がほしい?」

「君は意地悪だ。俺がどう答えるか知っているだろう?」


 沙紀が勝ち誇ったように笑う。


「信仰心なんてこれっぽちも無いのに、似合わない事言うからよ」

「否定はできないな」


 自嘲気味な笑みが口元に浮かぶのを感じる。


「なんか懐かしいわ。まだ、卒論生だった頃、ゼミで討論になったの覚えてる? 今思えば何故あんな議論になったのか。議題は『脳と言う臓器が代替えが可能なのか』だったけ?


 『技術が進歩すれば可能だろう』と言う貴方に対して誰かがいったわね。小林君だったけ? 妙に目の色変えちゃって。


 『そんな事が可能になったら人の尊厳が危ぶまれる。脳は機械じゃない。君は死んだ者の魂は何処に行くと考えてる?』それに対しての貴方はこう答えた。


 『死んだ者の魂が何処へ行くのか...... それはデリートされたデータが何処へ行くのか? と問うのと一緒だよ』


 と。場が騒然となったわね。でも、これは私が貴方に興味を持つきっかけになった」


「やっぱり変わってるよ君は......」

「それはお互い様というものよ」


「それはそうと、子をつくるとなると、男である俺は強い決意が必要だな。その決意を込めるのが無機質なウィンドウじゃな」

「それはつまり?」


 沙紀の瞳に挑発めいた輝きが浮かぶ。


「君は本当に意地悪だ。俺が何を望んでるのか知ってるだろう?」





「実はね、私も例外じゃなかったの」


 自分の腕の中に埋まる沙紀。伝わる体温と共に心地よい眠気が全身を包む。


「......え?」


 沙紀の言葉に、意識の再起動を試みながら返事をする。


「自分がデータに過ぎない事実に苦しむって話。私がこの世界に来てまで『自分と言う存在』を残したのは、貴方との子を得る為だった。


 けど実際にここで生活していくうちに分からなくなったわ。生きているのか死んでいるのかも分からない事実。データに過ぎない自分がこの世界で子を持つ事に何の意味があるのだろう? って思ったのよ。


 本来、子とは自分と言う存在の一部を次へと繋げるためにあるわ。でもこの世界で子を得ようと、私の遺伝子も貴方の遺伝子も残せない。僅かな性格の一部を残してどうするの? って。


 自分は生物学的には死んでしまっているという事実を痛いほど実感したわ。


 けどね、この世界でも、私達は生きているいう事実を実感する切っ掛けがあった......


 私がここに来た頃から良くしてくれた人がいてね。初期の癌なのに、高齢のために手術が出来なくて、この世界に来た人だったんだけど。......その人、去年亡くなったの。


 不謹慎かもしれないけど、彼女を看取ることで、自分が生きていると強く感じたわ。


 この世界に『寿命と言う名の死』を定義しなければならなかった理由。それが有ることを私は思い出した」


 この世界で人は、例えどんな不幸に見舞われようと死なない。例えビルから飛び降りようと、包丁で身体を突き刺そうと。


 『オブジェクト・ヒューマン』には損傷定義が無い。一定以上の痛みのフィードバックも行わない。


 だからこの世界での死は、唯一寿命によってもたらされる。


 この世界に『寿命と言う名の死』を定義しなければならなかった理由。


 それは脳が持つ全ての機能をそのままプログラム化したが故だ。


 脳は神秘的な臓器だ。未だにその殆どが謎に包まれている。ましてその動作原理が全くコンピューターとは違うのだ。


 だから脳から思考だけをとりだしプログラム化するなど出来ない。


 現在とられている手法は、脳の神経細胞一つ一つを、同じ数のニューロチップに置き換え、その情報をもとに神経回路を寸分の狂いも無く再現するものだ。つまり仮想世界に『脳そのもの』をオブジェクト化しているのだ。


 神経細胞が作り出す非接触型ネットワーク回路によって動作している脳。


 このネットワークの構造を刻々と変えていくことで記憶を蓄積する。言い換えれば常に自己崩壊しながら経験を積んでいるのだ。動作原理そのものに寿命が存在する脳。その全てをオブジェクト化せざるえなかったが故に、この世界においても寿命を定義せざるえない。


 チンパンジーの思考パターンプログラムを用いた『仮想空間・時間加速実験』で明らかになったこの事実。自己を保てないほど崩壊した思考パターンプログラムが最終崩壊する様は、あまりに壮絶で凄惨なものだった。


 故にフロンティアにはこれが起きる手前で、深い眠りへといざなった後に、思考パターンプログラムをデリートするという『死』が定義されている。


 決して『死』から逃れられない事実は、確かに『生』の証拠と言えるのかもしれない。


「不思議なものね。死を意識した時、初めて自分が生きている事実を実感したのよ。


 この世界で、私達は確かに生きてる。そしていずれ死にゆく。だからこそ子を持つ意味もあるし、生命として当然の権利だと思う。


 私ね、貴方との間に無事子がもてて、その子が五歳を無事迎える事ができたら、『子供をつくる』というシステムを、正式にフロンティアに定義したいと思ってるの。私達はウィンドウに自分達の情報を入力するけど。そんなデジタルな方法じゃなくて、もっと自然に現実世界と同じ方法で子が持てるように」


「凄く良い事だと思うよ。この世界は『人が創造した死後の世界』なんて呼ばれてるけど、俺はそう言うつもりで作ったんじゃない。フロンティアは医療システムだ。今の医療技術で生きる事が難しくなった者にとっての希望であって欲しい。けしてネガティブなイメージではなく、別の世界で寿命が尽きるまで、前向きに生きるためのシステムであってほしい。


 俺達は確かに生きてる。この世界で子が持てるようになれば、よりその事実を意識しやすくなると思う。出来れば誰にも『自分がただのデータ』だなんて思って欲しくない」


 自然と沙紀を抱く腕に力がこもるのを感じた。沙紀の瞳が見開かれる。


「ありがと」

「礼を言いたいのは俺のほうだよ。沙紀の努力はきっとフロンティアをより良い方向へきっと導く。


 だいたい法的にもまだ死人じゃないのにな。きっちり所得税取るんだから。お陰でここでも働かなきゃならない事実は変わらない。なのに『死後の世界』扱いなんて、失礼しちゃうよ」


 最後でやや大げさに力を込めた声に沙紀が笑った。


「そうね。データ容量も一人分増やさないといけないし、貴方にはもっと稼いでもらわないとね。期待してるわ」

「そうだな。じゃあ、その決意をこめて」


 沙紀の身体を強く引き寄せる。

「貴方は元気ね」

「オブジェクトの年齢設定を五年も巻き戻したんだから仕方ないだろ?」


「若返ったのは外見だけでしょ?」

「気分は重要だよ。何事においても」


「そういう問題かしら?」

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