毒バラの魔女と王国騎士に纏わるエトセトラ

編乃肌

一話

 大陸で最も古い歴史を持つ大国・グランディア王国の北に位置する『宵闇の森』には、『毒バラの魔女』が住むという。

 鬱蒼と茂る森林により、何時も光が差さない森の奥。聳え立つ塔に、その魔女は独りひっそりと暮らしている。その塔の周りには、真っ黒なバラの花が咲き乱れ、触れた者には等しく魔女が『呪い』を振り撒く。


 故に―――毒バラの魔女。


 魔女がいつからそこに住まい、その名で呼ばれるようになったかは分からない。どんな『呪い』をかけられるのか、詳しいことを知る者もいない。だが、王国に住む者は皆、彼女を恐れ、その森の奥には踏み入ろうとはしなかった。


 ただ一人、ある稀有な王国騎士を除いて。



●●●



「好きだ。愛してる。結婚してくれ」

「嫌だ。帰れ。終いには呪うぞ」


 大輪の白百合の花束を、恭しく地面に膝をついて差し出してきた青年に、それを向けられた女の方は、冬の湖面の如く冷たい声で拒絶を示した。


 青年は凛々しく整ったその顔を、一瞬だけ悲しそうに歪めたが、諦めず食い下がろうと立ち上がる。その折に、彼の腰に挿した精巧な造りの剣が、カチャリと音を立てた。


「頼む、俺には君が必要なんだ! 俺の生涯の伴侶になってくれ! ついでにそろそろ、そのフードをとって素顔を見せてくれ! あ、あと名前もいい加減教えてほしい!」

「注文が多い! どれも却下! 本当にいい加減にしないと呪うわよ!」


 花束を持ち、なおも言い募る青年に、それでも女は頑なな態度を崩さない。隙あらば、入り口の扉の隙間から塔内に踏み込もうとする青年を、体を張って阻止する女の動きは慣れたものだ。


 ――――それもそのはず。実はこの、黒いバラに囲まれた塔の入り口で交わされるやり取りは、通算99回目なのである。


 青年の名は、ハイル・ブランディール。

 このグランディア王国の、誉れある王国騎士団に所属する、若き騎士の一人である。

 程よく鍛え抜かれた体つきに、纏うは高価な銀細工のボタンがあしらわれた団服だ。白を基調としたそれは、この暗闇の森では清潔すぎて浮いていた。


 いや、浮いているのは青年自身もだ。

 太陽の光を閉じ込めたような、輝く金の瞳。明るい茶色の髪は短く切り揃えられ、纏う空気は凛としながらも、まだ溌剌とした若さを残している。


 こんな瘴気と霧が漂う森など、ハイルには似つかわしくはなかった。

 対して、そんな彼と対峙する女性はというと――――


「だいたい貴方、毎度のことだけど仕事はどうしたのよ? 騎士様ともなれば、さぞ忙しいはずでしょう。こんな薄汚い魔女なんかと会っていては、貴方の評判にも関わるのではなくて?」


 ――――全身をみすぼらしい黒のローブで覆い、深く被ったフードから見えるのは、真っ赤な唇とパサついた金髪だけ。

 強気な口調に反して、漂う雰囲気はただただ陰気。憎まれ口を叩く様子も、生意気というよりは卑屈に感じる。


 見た目も雰囲気も……まさにこの塔の周りに咲く、不吉な黒バラそのもの。彼女を見た者は、すぐに『毒バラの魔女』という名に納得することだろう。


 だがハイルは、そんな不気味な魔女に向けて、「可愛くてしゃあない」といった蕩けるような笑みを見せる。


「なんだ、俺の仕事や評判の心配をしてくれるのか? さすがは俺の未来の嫁。優しいな」

「どれだけ前向き!? どうやったらそんな都合の良い思考が出来るのよ!」

「どうやったらって……君への愛がなせる思考だが」

「~っ! もう帰れ――――――!!!」


 色々と限界を迎えた魔女は、小柄な体ながらも渾身の力でハイルを退けた。バタンッと勢いよく扉を閉め鍵をかければ、さすがのハイルも退かざるを得ない。「またくるなー!」と扉越しに聞こえた明るい声に、「二度と来るな! 呪うぞ!」と魔女は返した。


 なんてことはない、いつもの二人の会話である。


「……行ったかしら?」


 扉にフード越しの耳を当て、音がしなくなったか念入りに確かめたあと、魔女はようやくホッと息をつく。

 そして、扉に背を預け、ローブをずりずり擦らせながら、彼女はそこにしゃがみこんだ。


 ――――そのフードの下の顔は、耳までが真っ赤に染まっている。


「なんなのよ、もう……」


 ついた悪態は弱々しく、魔女の体はどこもかしこも熱かった。




 『毒バラの魔女』と称される彼女と、若き王国騎士のハイルが出会ったのは、今から一年半ほど前。


 馬の鋭い嘶きと、ドサッという鈍い音を聞きつけて、魔女が塔から出て辺りの様子を窺うと……一人の青年が、咲き誇る黒バラたちに頭から突っ込み、倒れていたのだ。


 馬の方は主人を置いてすでに森へと消え、青年は見たところ、背中に深い傷を負っていた。獣の爪で引き裂かれたような傷は、恐らく魔物の仕業だろう。

 数十年に一度、この森から僅かに離れた国境付近には、何処からともなく魔物が大量発生する。そして、人里から人里へと移り、人間を襲うのだ。兵士の格好をしたこの青年は、その討伐に駆り出され、負傷しなんとかここまで逃げてきたのだろう。

 人の気配などない、こんな森の奥深くまでは、さすがに魔物も追ってはこない。


 簡単な止血しかされていない傷口からは、血が滲み、黒いバラを赤く塗り替えようとしていた。

 魔女はそれに顔を顰めながら、青年をなんとか塔内へと担ぎ入れた。さすがに放っておくことは出来ず、仕方なく簡単な治癒魔術をかけ、意識のない青年を渋々看病したのだ。


 青年が回復したら、すぐに追い返す気でいた。むしろ、自分を助けたのがあの『毒バラの魔女』だと知れば、身体が動くようになり次第、自らさっさと出て行くだろうと。

 魔女はそう考えていた。


 ……しかし。傷が完全に癒え、とっくに魔物退治は終わったと、風の噂で聞こえてきたあとも、青年は一向に塔から出て行こうとはしなかった。

 「まだ傷が痛む」「ここが気に入った」「もっと回復してから出ていく」と、とにかく粘る。


 「王都に帰らなくてもいいのか」と聞けば、彼は「下っ端の俺がいなくても誰も気にしない」と言った。当時の青年……ハイルは、まだ王国騎士団に所属していない、一介の兵士だったのである。

 帰っても待つ家族も恋人もいないと、笑ったハイルに、魔女はこれまた仕方なく、三ヶ月ほど塔で共同生活を行った。


 彼が来て、良かったことがなかったわけではない。例えば、商売と買い出しの手間が省けた。普段、魔女は短時間しか持たない『姿変えの魔術』を使い、容姿を変えて、月に何度か近くの街まで赴いている。そこで食料などを買い溜め、自作の薬を売って生計を立てているのだ。魔女だろうと、生きるための生活手段は、普通の人間とさほど変わりはない。

 それを、ハイルは率先して(こちらも一応変装をして)、魔女の代わりに引き受けてくれた。薬作りも嬉々として手伝い、料理や洗濯といった家事も進んでテキパキとこなした。


 「君との暮らしは楽しいな」と、笑って。


 だがもちろん、魔女にとってハイルとの生活は、必ずしも良いことばかりではなかった。

 彼はことあるごとに、魔女の名前や素顔を知りたがるのだ。

 無理やりフードを脱がすなどはないが、隙あらば魔女に頼んでくる。魔女は徹底して、教えず・見せずを貫いた。


 ――――そんなこんなで日々は過ぎ、何の前触れもなくハイルが「そろそろ王都へ戻るよ」と言った時は、魔女は何とも形容し難い感情を抱いたものである。


 「どうして?」と聞きそうになり、寸でに口を縫い付けられたのは僥倖だった。

 日常へと馴染みかけていたが、そもそもハイルが此処にいる方が可笑しいのだ。どうしてもこうしてもない。


 彼がここまで自分の元に止まった理由は、恐らく助けてもらった恩返しをしたかったか、或いは魔女という存在が物珍しかったからだろう。


 そうでなければ誰が好き好んで、得体の知れない、口癖が「呪うぞ」なんかの女の側に居たがる?


 魔女は「やっとね、清々するわ」と、変わらぬ憎まれ口を叩いた。ハイルはそれに苦笑し、あそこまで粘っていたのが嘘のように、あっさりと塔から去っていったのである。


 こうして、魔女と後の王国騎士である二人の、奇妙な共同生活は幕を閉じた。


 魔女は認めたくない寂寥感に捕らわれながらも、もう二度と、彼に会うことはないだろうと思っていた。


 ――――だから、それから約一週間後。ハイルが再び魔女の元を訪れ、赤く燃えるバラの花束を差し出し、「俺と結婚してくれ!」とのたまわったときは、魔女は天と地がひっくり返るほど驚いたのだった。




「ああもう、あいつ絶対呪ってやるぅ……」


 そのときのことを思い出し、魔女はさらに体を縮こまらせた。


 ちなみにその最初のプロポーズの結果は、魔女がこっ酷くハイルをフって終わった。驚きや疑惑、照れなどもあったが、魔女の山ほどある『この世で嫌いなもの』の一つに、『赤いバラ』があるからだ。


 それを知らなかったハイルに罪はない。

 この国ではプロポーズの際、赤いバラの花束を送るのが習わしだ。


 しかし、「ふざけるな帰れ! 赤いバラなんか見せやがって、二度と来るな! 呪ってやる!」と、陳腐な暴言を吐かれ追い返されたにも関わらず、それからも定期的にハイルは魔女の元に現れた。

 手にはカーネーション、向日葵、ガーベラ……と、毎回違う花束を携えながら。

 なお、バラに関しては、彼は色違いだろうと二度と持ってくることはなかった。


 そんなハイルの求婚は継続中で、知らぬ間に王国騎士まで出世した今でも、足繁く魔女を口説きにきている。


 本当に何なんだ。王国騎士は物好きな上に暇なのか。暇人騎士なのか。


「うう……」


 ……だが何より魔女が気に食わないのは、そんなハイルに絆されかけている自分だ。

 確かに共同生活は悪いものではなかったし、フラれても諦めず迫ってくる彼のことが、実は魔女も満更でもないのだ。


 そんな自分が、魔女は許せない。


「どうせあいつだって……」


 独り暮らしにしては広すぎる塔内に、彼女の独白がポツリと響く。


「……この顔を見たら、離れていくんだから」


 魔女は唇を噛み締めながら、被ったフードをぎゅっと下へと引っ張った。

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