第131話 四角い嵐 二

母  「もう、私の頭は混乱しております」


 疲れ顔の母が言った。


母  「沙月が死んだことさえ、まだ、受けいられぬと言うに、今度は弥生が人様

   まで巻き込んで、この様な恥知らずなことを…」


利津 「それは、ご母堂がことを急がせ過ぎたからではないのか」

母  「私はまだ、何も申しておりません。ただ、婿が何か先走ったようです。で

   すから、四十九日迄はと、釘を刺しておきました。それなのに、娘を亡くし

   た悲しみに浸る間もなく、どうして、私がこの様な目に合わなければならな

   いのです。坂田様の前でございますが、もう、この数か月で弥生はすっかり

   人が変わってしまいました。それまでは素直ないい娘でございましたの

   に…」

利津 「本当にそうお思いか。単に押さえつけて来ただけではないのか」

母  「はい、確かに沙月はわがままな娘でした。その様に育ててしまった責任は

   感じております。また、弥生にきつく当たったこともございます。けれど、

   それは致し方ないこと。坂田様のようなご大身で、お子様も姫様お一人では

   ございませんか。私共の様に武士とは名ばかりの貧乏御家人では、二人の娘

   に十分な教育をする余裕とてなく、また、どこの家でも全てにおいて、跡取

   りが優先されます。とは言え、弥生にも不満があったと思います。それ故、

   家を飛び出したのでしょう」


 母は大きくため息をつき、茶を飲む。


母  「だからと言って、いくら不満があったからと言って、こうなっては致し方

   ないことです。姉が亡くなれば妹がその後を継ぐのは当然のことではないで

   すか。それが嫌だなんて…。よく、そんな親不孝なことが言えたものです。

   いいえ、先程も申しました様に、少し前までは、こんな身勝手なことを言う

   ような娘ではありませんでした。それなのに…」

利津 「待たれよ。弥生は家を継ぐのが嫌だと申しているのではない。この婿が嫌

   だと申しておるのだ」

母  「そんな、よくもその様な戯言が言えたものよ。婿も嫁も親が決めるもので

   はないですか」

利津 「ならば、どの様な経緯でこの婿を迎えたのじゃ?」

母  「それは、それは、ある日、沙月が連れて参りました」

利津 「では、弥生には?」

母  「はあっ?奥方様、一体、何をおっしゃりたいので?」

利津 「何とは?では、弥生の意向はどうでもよいのか」

母  「意向などと、よくもその様なことが言えたものです。貧乏御家人の、それ

   もこの弥生にどんな婿の来てがあると言うのです。それとも、奥方様が持

   参金付きの婿でも見つけてくださるとでも…。でも、それはお断り致しま

   す」


 母は、ここで背筋を伸ばした。


母  「本田殿の前ではございますが、痩せても枯れても、私共は武士の家系にご

   ざいます。そこに、町人の血を入れる気はございませんっ」


 と、誰もが想像通りのことをきっぱりと言い切るのだった。


利津 「娘が世話になり、その給金を巻き上げておきながら、よくもその様なこと

   が言えたものよ」

母  「それは娘は世話になっておりますが、縁組は別の問題にございます。です

   から、このままでよろしいではございませんか。いえ、それしか道はないの

   です。確かに、この婿がいいとは申しません。傘張りをいくら教えも、不器

   用と言うか、身が入らぬと言うか…。実家では金魚の飼育をやっていたとか

   で、金魚ならと言いますもので金を出しましたが、二度も死なせてしまいま

   した」

姉婿 「あれは、沙月が殺したのです!」


 これには一同驚いてしまう。


母  「何を言うか!」

姉婿 「本当です!私は見たのです。沙月が金魚の桶に何やら入れるのを。でも、沙

   月はそんなものは入れてないと言い張り、結局は私が金魚を死なせたことに

   なりました」

利津 「これ、婿殿。先程も申したが、いくら死人に口なしとは言え、あまりにも

   沙月を悪く言い過ぎではないか。どうして、これから、わが婿が利益を上げ

   ようとしているものを殺す妻がどこにおる!」

姉婿 「それがいたのです。奥方様、皆様。沙月とはそう言う女なのです!」


 と、姉婿もここぞとばかりに胸を張るが、姉婿の言葉を鵜呑みにする者は誰もいない。


利津 「ご母堂、この様な婿に家が守れるとでも」

母  「それでも致し方ありません。では、金魚を死なせたと言う理由で離縁でき

   るのですか。仮にそうなったとしても、次の婿に誰が来ると言うのです。二

   度も言いたくないですけど、貧乏の上にこの娘では、誰が好き好んでやって

   来るものですか!」

利津 「よくも、実の娘にその様なことが言えたものよ」

母  「でも、事実ではないですか」

 

 母親の話はいつでも現実的である。現実を見据えることが子の幸せであると疑わない母親の、何と、多いことか、特に同性の娘に対しては。


母  「それを何を血迷うたか、何かの毒にでも当たったのか、あれがいや、これ

   がいやだなどと、もう、私はほとほと呆れ果てております」

利津 「では、このまま、この二人を夫婦にして、今後うまく行くと思うてか」

母  「うまく行くも行かぬもないでしょう。やるしか、やって行くしかないので

   す。どこのお家でもそうではないですか。では、奥方様は好いた方と夫婦に

   なられたのですか」

利津 「……」

母  「それでも、長年連れ添ううちに情がわいて来るとか申します。坂田様のと

   ころも、いえ、本田殿とてそれはおわかりの筈。私は知っております。世間

   では本田殿がふみ様に懸想され、あの様な事を起こして迄、娶られたとか言

   う話になっておりますが、しかし、実のところは、最初はご身分が違うと、

   ふみ様との縁組を固辞なされていたそうです。それを坂田様に刀で脅され、

   止む無くお受けになられたとか…」

真之介「その様なことはございません!」

坂田 「左様!私もそのようなことはしておらぬ」


 真之介と坂田がそれぞれに言った。


母  「これは、ちと、言い過ぎました。実際は、この縁組を断れば、ふみ様が自

   害なさるであろうと、脅されたと言うのが本当のところでございましょ」


 ふみは驚いて声も出ない。そんなことがあったとは…。また、自分の知らないことを、どうして弥生の母が知っているのか…。


母  「それでも、この様に仲良う暮らしてなさるではないですか。夫婦など、そ

   んなものではございませんか。いえ、私など、それでもお羨ましいくらいで

   す。私は、夫と心が通うたなどと思ったことは一度もありません。それで

   も、子供が生まれました。また、夫に何か期待したこともありません。家と

   子を守るためと思って暮らして来たのです。この世とは、生きるとは、その

   様なものではないですか」

弥生 「ならば、再度、お願い申します。どうぞ、私も死んだものと思って下さい

   ませ」

母  「どうして、その様に思わねばならぬのか。現にこうして生きているではな

   いか。実の娘がいるのに、他人に継がせるとは、それこそ、世間のいい笑い

   物。父や母がそのように笑われても良いと申すのか!」

弥生 「ならば、自害致します」

母  「馬鹿を申すではない。弥生、例え気に染まぬでも、この婿と一緒にやって

   行くしか道はないのだ。ここは聞き分けて欲しい。いやいや、今すぐとは言

   わぬ。弥生の気が落ち着くまで、婿を待たすによって。そうでございま

   しょ、皆様。ここはどうぞ、弥生を説得してやってくださいませ」

姉婿 「さすがは母上。その通りにございます」

 

 と、姉婿は頭を下げるのだった。


弥生 「いやなものは、いやにございます!」

母  「何と、聞き分けのない!それでも、わが娘か!ああ、情けなや情けなや…。本

   田殿、失礼ながら、お宅で世話になっている間に娘はすっかり変わってしま

   いました。一体、何があったと言うのです。何を吹き込まれたのです」

真之介「別に何も吹き込んではおりません。ただ、正直に生きて行くようにと」

母  「こちらでは、身勝手を正直と言われるのか!」

利津 「もう、よい!弥生の婿は私が見つけてやるわ。心配せずとも、侍の家から

   な。よって、その婿は離縁致せ!」

母  「そんな、そんな奥方様。大した落ち度もないのに、どうして離縁できま

    しょうや」

 

 利津の発言に慌てた姉婿だったが、母の言葉に救われる。


利津 「大した落ち度もないとな。これ、ご母堂。悔しくはないのか。それとも死

   んだ娘など、最早どうでもよいのか!この婿は都合の悪いことは、すべて、沙

   月に押し付けたではないか」

姉婿 「違います!本当のことです!本当のことを言ったまでです!」

利津 「黙れ!仮にも亡き妻をその様に悪しざまに言う婿がいるか。例え、事実で

   あったにせよ、そこは死んだ者を悪く言わぬと言う、礼儀も知らぬのか!」

姉婿 「それは、本当のことを言わねば、どなたもわかってくれぬと思ったからに

   ございます。その、これからは心を改めますゆえ、ここは平に、ご容赦くだ

   さいますようお願い申し上げるで奉ります」


 と、姉婿は座布団を降り、畳に頭を擦り付ける。


利津 「誰に申しておるのじゃ」

姉婿 「や、弥生殿!」

利津 「母ではないのか」

姉婿 「は、母上!も、申し訳もございません!今後はこの様なことの無きよう!」

利津 「今後もあってたまるか!」

姉婿 「で、では、どの様にすればよろしいので…」

利津 「とにかく、そなたは離縁となった」

姉婿 「そんな、そんなぁ」

利津 「弥生、これでよいか」

弥生 「はい、ありがとう存じます」

姉婿 「どうして、どうして、どうして!何の落ち度もない私が妻が死んだと言うだ

   けで、離縁されねばならないのです!これではあまりに理不尽と言うもの。そ

   うでしょ、母上。何より、母上は私で良いと言うて下されたではないですか!

   何とか言うて下され、母上!」


 母は、観念したかのようにうなだれているだけだった。


姉婿 「母上!お願いします、母上ぇ…」

利津 「女が一度、いやと言ったら、いやなのじゃ!」


 今日ばかりは、坂田もすっかり利津の迫力に圧倒されている。


姉婿 「では、弥生殿の婿には誰を!」

利津 「弥生の心配をするより、自分の心配を致せ」

姉婿 「いいえ!私はまだ、この家の婿にございます!私が心配しないで誰が心配する

   のです!先行きが案じられてなりません!」

利津 「黙れ!見苦しいわ!」

姉婿 「ああ、左様にございますか。皆様、散々この私を笑いものにして楽しゅう

   ございましたか。その挙句がお払い箱とは…。しかし!いかに、私がお人よし

   にても、この恥辱には耐えられませぬ。ここは、この腹、掻っ捌いて!沙月の

   後を追うわ!」

 

 と、腰から小刀を引き抜き、前に置く。


真之介「それは、見上げたお心掛け。まさに、武士の鑑にございます。町人上がり

   のにわか侍にございますが、いささか腕に覚えあり、近く免許皆伝の運びと

   相成ります。僭越ながら、その首、介錯仕ります」


 と、真之介が刀を手に取れば、今まで全く出番のなかった坂田も勢いづく。


坂田 「ならば、この坂田が立ち合いを引き受け申す。見事なご最後、遂げられ

   よ」


 忠助が庭に茣蓙ござを敷いている。

 真之介の凄みと、坂田の勢いに、姉婿は震えが止まらない。


----腹切りを、止めないとは…。

姉婿 「ああ、そうやって、またも、私を見せ物にして、さぞかし楽しいことで

   しょうな。しかぁし!先程から弥生殿も死ぬ死ぬ言われておりますが、それ

   も、母上が止めることを意図してのことでは?そうではござらぬか、弥生殿」


 弥生が小刀を持ってないことに気が付いた姉婿は、一矢報いるつもりでいたが、弥生は後ろに置いていた小刀を前に一礼して鞘を抜き、首に刃先を当てれば、驚いたふみが弥生の膝の上に倒れてしまう。その弾みで、弥生の体も傾くがすぐに体勢を立て直し、またも、首に小刀を当てようとするが、今度は真之介がそれを取り上げる。


姉婿 「それ、ご覧なされ。皆して、そうやって止めるくせに、私の時だけ知らん

   顔とは、いやはや…」


 と、言い放つ姉婿の顔を睨む弥生の首筋からは血が流れて来た。お咲が手ぬぐいを持って来て、血止めをする。


姉婿 「兄上!何とか言うて下され!今まで何を聞いておられたのです!たった一人の

   弟が、この様な辱めを受けていると言うに、どうして、黙っているのです!私

   がどうなってもよろしいのですか!」

兄  「うるさい!」


 次の瞬間、弟の襟首を掴んだ兄はそのまま引きずり、廊下から庭へと突き落とす。


兄  「誠にお見苦しいことにて、申し訳ございません」


 と、兄は廊下でひれ伏す。弟である姉婿は何が起きたのかわからない。


兄  「わが弟がこの様に恥知らずであったとは…」


 兄の顔は苦渋に満ちていた。


兄  「せっかく御縁あって、婿に迎えていただきながら義理の妹である弥生殿に

   犬畜生にも劣る、いえ、犬は三日飼えば恩を忘れぬと言うに、無礼千万な振

   る舞いを…。誠に不肖の弟にて、面目次第もありません。弟に代わりまし

   て、私がお詫び申し上げます。この通りにございます」


 と、廊下でひれ伏す兄の後で、立ち上がった弟は何かぶつぶつ言いながら、袴に付いた土を払っている。

 この弟は子供の頃より、次男に生まれたことを嘆いていた。父も母も兄弟分け隔てなく愛情を注いで来たが弟には通じなかったようだ。


姉婿 「あーあ、次男なんぞに生まれるんじゃなかった」


 弟の口から幾度その言葉が発せられたことか…。

 その度に父も母も諫めるが、余計に神経を刺激するようだ。

 そんな弟がある日、興奮気味に婿入りできるかもしれないと帰って来た。既に、妻帯し子もいる兄にとっては、この弟が婿入りすることはこの上ない喜びであった。


姉婿 「ですから、兄上。それにはいささか、金子きんすを…」


 相手の女の関心をかうために金が要ると言う。兄夫婦は喜んで金を渡した。少しくらいの金、婿入りしてくれることに比べれば安いものだ。そして、無事、婿入りが決まり、兄夫婦は安堵の胸をなでおろしたものだ。それが、まさかのあまりにも早い妻の死…。

 それでも、下に妹がいる。今度はそのまま妹と夫婦になるものだとばかり思っていた矢先、何やら、揉めているらしい。

 今日も、弥生の危機とか聞いてやって来たのに、あろうことか、次々表れる弟の所業…。

 あまりのことにいたたまれない気持ちでいっぱいだったが、さりとて、逃げ出す訳にも行かない。そんな兄の胸中などお構いなしに弟は助けを求めて来た。


兄  「私共の家は、金魚の飼育をやっております。品評会で優秀賞を受けたこと

   もございます。しかし、弟はそれは兄の仕事と申し、あまり熱心ではござい

   ませんでした。そちら様にて、飼育に失敗したことをあろうことか、今は亡

   き、沙月殿に押し付けるとは、全くもって…。この上は、離縁していただい

   て結構です。今一度、このねじ曲がった根性を叩き直さねば、弥生殿を初

   め、皆様に申し開きが出来ませぬ」

姉婿 「兄上!」


 自分の味方である筈の兄が、まさかこちらから、離縁を願い出るとは…。


姉婿 「何と言うことを!先程から私は申しておるではないですか。至らぬ点は改め

   ると。それを取りなすどころか、離縁してくれとは!それが実の兄の言うこと

   ですか!」

兄  「うるさい!さっ、帰るのだ」

姉婿 「帰るって、どこへ帰るのです。私の帰るところは、や、わっ!」

兄  「失礼致します」


 と、一礼した兄は弟の体を強く引く。弟はまたも大声で何か喚いていたが、最後は兄に引きずられるように去って行った。

 しばしの沈黙があった。


母  「これで、満足か」


 母が言った。弥生は能面のような顔で黙ったままである















 






























  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る