のばした指先にふれたもの   紗田 眞由美

@teheureux228

第一章 出会い

花音(はなね)は、着ぐるみを脱ごうと苦労していた。

『何だってこんなに脱ぎにくいのよ。着る人の身になって作ってよ。これマジ体の堅い人脱げないから、空気も薄くなるし、夏だったら死んじゃうよ。私らバイトなんて、いなくなってもすぐ補充の効く部品みたいに思っているんだろうな。』

と毒づきながらも、笑顔で近くで着替える人に愛嬌を振りまいていた。

そばに置いた大きなクマのぬいぐるみの顔と一緒で、花音のほっぺは真っ赤だった。


ほんとは、こんな割の合わないバイトなんてやめて、今を最大限に利用してお金を稼ぎたい。

17歳はとてもおいしい年頃、少し微笑めば、若いというだけで許される国。

今さえよければいいと割り切れば、毎日はルンルンだ。

長い時間かかってやっと着ぐるみから、解放された。

中肉中背の体に、さらさらの茶色い髪、時々リップをつけるぐらいで友達が興味を持っているおしゃれにはほとんど関心なし。

そんな花音の自慢は長い脚、かたちのいい唇だ。

今日もジーンズに薄いブルーのセーター、お気に入りのはきやすいスニーカーだ。

時々女の子にこくられる。

迷惑とまでは言わないが、あまり嬉しい気はしない。


着替える時はいつも、少しだけ嫌な気持ちになる。

周りに人はいたのに、袖を引っ張るとか、声をかけて手伝ってくれる人は今日もいなかった。

小学校で習ったよ。困っている人がいたら助けてあげましょう。道徳とかいう授業誰も聞いてなかったけど。

あれはなんだったんだろう。

困っている人がいても、いつごろから平気になったんだろう。

自分が困ったときは助けてほしいなんて勝手すぎるよね。



「お疲れ様です。今日はこれで失礼します。」

「ああ、お疲れ様、花音ちゃん時間あれば来週も頼むわ。」と事務所の奥から大きな声がした。

「はい。またメールで連絡します。」

テーブルの上に、申し訳程度に置いてあるすごく薄い麦茶のようなものを二杯飲んで外に出た。

たくさん汗をかいた後のお茶は、どんなものでも美味しく感じる。

体のすみずみまでいきわたる感じが好きだ。

花音はやっと普通の女の子に戻った。

くまのパラソルちゃんじゃない。

着ぐるみは、誰だかわからなくしてくれるから都合のいい時のほうが多い。

相手は子どもたちだし、無邪気な笑顔は元気をくれる。

子どもたちには、私はただのくまのパラソルちゃんで、花音ではない。

着ぐるみを脱いだ私が、街で時々子どもたちにすれ違う。

でも、彼らには私は見えない。

触れた手も、撫でた頭も全部、くまのパラソルちゃんの記憶。



「やあ、お疲れ様。」

「はい、どうもおつかれさまです。」と言ってすれ違いながら、『誰だっけ。』と振り返った。

そこには、場違な服を着た細い男の人が立っていた。

帽子をかぶり、タキシードみたいな服を着てる。帽子は麻で編んだように涼しげで、タキシードの色がすごく変わっている。

深い深い青い色、真っ白なシャツと青がとてもよく生えて、コントラストが美しい。大きな黒縁のメガネをかけて、その奥の瞳がなんか黄色く光って見えた。


『いやー全く知らない人だわ、きっと新しいコスチュームでも着てるのね。』

あーあ早く帰って春休みの宿題しよう。

足早に、それでも軽く会釈してその場を離れようとしたら、いきなり行く手をふさがれた。

一瞬、花音はぎょっとして、顔が引きつるのがわかった。

頭はふる回転、『走って逃げる。いやー簡単に追いつかれそう。

大声を出したら誰か来てくれるかな。

きっと、面倒にかかわりあたくないって思うにきまってる。

私だったらそう思う。

助けてくれる人はいない。

どうしよう。

この人、何がしたいのかな。

とにかく刺激せずに少しずつ距離を取るのがよさそう。』

「なんで、着ぐるみのバイトしてるの。」と親しげに聞いてきた。

ここは素直に答えたほうがよさそうなので、「お金が欲しいから。」とぶっきらぼうに答えた後「です。」と小さな声で付け加えた。

「そりゃそうだよね。わかりきった事聞いて、ごめんね。」

そう言ってほほ笑んだ顔は少年のようだった。


眼鏡の奥から、まるで何も見逃さにぞというようにじっと見られると、胸のあたりがざわざわした。

偶然入ったお店がまるで自分が描いていたところと違っていて、出るに出られない気持ちと似ていた。

呼吸がしにくいくらい緊張して、言葉が出てこない。

別に、人様に恥ずかしいようなことや、犯罪まがいのこともしてないし、じっと見られても動揺することは何もないのに体が動かせない。

「コーン、コーン。叩くと音が出そうだね。」とその人はドアをたたく真似をした。

そのしぐさが、服装とあまりにも似合ってなくて、しかも屈んだときに大きなメガネがずれた。

花音は噴出した。

どうやら危険はなさそうだ。

やっと、周りの景色にいろが戻ったように、いつもの軽口が出てきた。

「いったい何。私が、何してたか知ってるんですか。」

「くま。」短く的確な答えにぐっと詰まった。

動揺を隠して、

「このバイトがそんなに変ですか。

私だってもっとお金になるバイトがしたいわよ。

価値ある若さを使ってね。

だけど何でだか知らないけど、そっち系のバイトの面接に行こうとすると肩が…」

「肩が…。なに。」と知ってることをわざと聞くように興味なさそうに言った。

「何でもない。あなたに関係ないでしょ。今日会ったばかりで、いきなり親しげに話しかけて、もしかしたらストーカー。その服かっこいいと思ってるのかもしれないけど全然だから。」

不思議そうに自分の服を見るその人が憎めなくて

「青と白の組み合わせはなかなかだけど。

でも、これ以上わたしにかまわないで。

ついてこないで。」

と大股で歩きだした。

「ほら、思い出して。」

あまりに切実な声の響きに、花音は、また立ち止まってしまった。


『前バイトしてたところの知り合い。

いやあんな人はいなかったし、駅前の本屋さんのレジの人かな。

いつも髪で顔かくしてるし、興味ないから気にしたことなかったけど。

レジの人は、お金を払って本を受け取るとき、上目使いに人の顔を見るから違うわ。

こなに堂々と話しかけてはこないはず。

どこかで合ったかな。

なんか親しげで、悪ぶれてないし、もういいや。降参。』

いろんな人を、思い浮かべたけど、どの人も大して話したこともなく、花音の中でなくてもいいような時間を交差しただけの人たちだった。

「わかりません。あなたは誰ですか。」と花音は少し優しい声で尋ねた。





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