此の国の神語

「六ツ護巫女」(あるいはこんなキャラ紹介)

 快晴。

 休日のアーケードは、いつも以上に人通りが多い。

「遅ぇ……」

 アンティークショップの前に設置されたポストに背を持たれかけさせ、不機嫌そうに若葉は唸った。

 如月若葉。

 一見して受ける印象は、どこか好いガキ大将めいたものを思い起こさせる少女、だ。

 それには服装を含めた容姿も一役買っているだろう。十五歳という年齢の平均の範疇に入る体格ながら、春だというのに袖を捲り上げたTシャツと、本当に擦り切れたジーンズ、そして使い込まれたスニーカー。肌は既に陽に焼けて淡い褐色、黒髪は比較的短めに整えられ、活動的。

 しかし、最も大きいのは所作や表情に内側から滲み出してくるような雰囲気だ。生傷が絶えないけれど真っ直ぐな少年、そんなものを少女が発している。

 とはいえ、容貌そのものはむしろ、鋭角的でありながらも繊細な少女のもの。そこに少年めいた空気と表情が乗せられているのである。

「……ってか、杏姉ぇが時間通りに来るわけないんだよな、まったく……」

 待ち合わせ相手、上から二番目の姉のことを思い、若葉は嘆息した。

 思い返せば、待ち合わせに間に合ったことがない。五分十分の遅れは当たり前、一時間どころか都合が悪くなると無断ですっぽかすことすらある。

 いい加減、というよりはもう、単純に自分勝手なのだ。

 いっそ置いていきたい衝動にも駆られるものの、悔しいが自分一人ではうまくいかないことが分かりきっている。

「あの我侭姉が……ほんとに俺より三つ上なのか、あれ」

 腕組みをしたまま、人差し指でとんとんと腕を叩く。苛立っているときの癖だ。

 若葉は特に気が短いというわけではない。血の気は多いが、他の人間の過失などにはむしろ寛容だ。

 しかし、いい年をした大学生が幼児並みに自己中心的で、しかもそれが実の姉であるとなれば話は別である。容認できる範囲を大きく逸脱している。

「ったく、なんだってそのくせ……」

「なにぶつぶつ言ってんの、あんた」

 若葉の独り言は途中で遮られた。

 よく知った、自分の待ち合わせ相手、あんずの声だ。

 気配に気付けなかったことには驚かない。慣れている。

「あのなあ……」

「どうよ?」

 振り向いて文句を言おうとしたら、杏は自信ありげに腰に右手を当て、不敵にそう言った。

 その容貌は、端麗という表現が最もしっくり来るだろう。涼しげな目元、すっと通った鼻筋、薄めのくちびる、どこか中性的な美しさをも備えつつも、やはり女性的に柔らかい。

 肩のあたりで切られた黒髪は、やや大雑把な印象を与えつつもなぜかそれが自然に感じられて綺麗に溶け込んでいる。

 しなやかに鍛え上げられた175cmの細身の長身に纏うのは、白と赤の鮮烈なコントラスト。白いブラウスの上に、まさに純白と言って差し支えないカーディガン。黄金色の留め金の付けられた真紅のタイが、細く、しかし鋭く首周りを彩っている。足元まではないフレアスカートは臙脂色、覗く脚には黒のソックス。

 そこに颯爽とした身のこなしと不敵な表情が加わって、攻撃的なまでの雰囲気を醸し出している。

「どうよじゃねぇよ」

 男女を問わず見惚れさせるだけの魅力を、若葉は一言で流した。

「待ち合わせは十時だぞ? 今何時だと思ってんだよ……」

「んー?」

 杏はひょいと腕時計を見て、にぱっと笑った。

「十時半。うん、杏さん、なかなかにお早い」

「ぜんっぜん早くねえっ!!」

 こういう反応が返ってくることなど分かりきっていたはずなのだが、それでも若葉は言わずにはいられなかった。

「分かってんのか? 待ち合わせは十時! 今十時半! 三十分の遅刻!!」

「分かってるに決まってるでしょう? あたし、あんたみたいな万年赤点娘とは頭の出来が違うわよ?」

 ふふん、と杏は大きく胸を張る。責められていることなどどこ吹く風だ。

 この幸せな脳味噌がかなりの学業成績を叩き出すことの理不尽を思いながら、若葉の堪忍袋の緒は既に切れていた。

「頭に行った栄養の十分の一でも胸に行きゃよかったのにな、杏姉ぇ?」

 引き攣りそうな笑顔で、禁句を放つ。

 二人の間の空気が凍りついた。

 こちらもまた引き攣った笑顔の杏の胸元は、確かに目に見えて寂しい。

「ふ、ふふ……ふふふふふふふ……」

 そして、大事なのは杏がそのことをとても気にしているということ。

 右手が音でも立てそうなほどに力強く握り締められる。震えていないのは完全に力が内側に溜め込まれているからだ。

「死なす……家に帰ったら三度死なすッ」

「それはこっちの台詞だっ……」

 小声で火花を散らす二人。ここが街中でなければ即座に喧嘩を始めていただろう。

 それは周りの眼を気にしてということもあるのだが、あともう一つ、何よりも大きな理由がある。

「く……姉様に止められてるんじゃなきゃ……」

「まったくだぜ……」

 お互いにそう口にして、急に思い出したように視線を逸らし合った。怒気があっさりと消えてしまったどころか、怯えたような色さえ感じさせる。

 しばし無言だったが、どちらからともなく気まずそうにまた視線を合わせる。

「……さっさと行きましょうか、若葉。姉様に怒られるのヤだし」

「賛成。俺も姉様に怒られたくねえし」

 二の姫、杏。

 五の姫、若葉。

 二人は同じ恐怖を知る者として、このときだけ共感を確認し合ったのだった。












「じゃあね~」

 そんな声とともに大学生らしき二人組に軽く手を振りながらこちらへと戻ってくる姉を、紅葉くれははベンチで待っていた。

 このあたりは非常に混雑しているが、目立たないように隅を選んだおかげか、周りにはそれほど人がいない。

 紅葉は人ごみが苦手だ。というよりも、見知らぬ人が苦手だ。怖がりすぎなのだと自分でも分かっているのだが、こればかりはどうにもならない。

 だから姉を、千草を羨ましいと思う。

 今日のように調査をするときでも、暇なので世間話を始めました、と言わんばかりに声をかけ、適当に話を集めてあっさりと帰ってくる。紅葉には到底無理な所業だ。

 と、見られていることに気付いたのか、千草が小さく手を振ってきた。ポニーテイルに結ってなお背の中ほどまである髪も揺れる。

 街中へ出てくるとあって、家である社では普段着となっている巫女装束ではない。ノースリーブのワンピースの上に、一番上だけを留めた薄手のカーディガン、スカートはごく短く、素足にサンダル履きといった服装だ。

 身長は平均よりもやや高い程度ではあるのだが、衣服の上から感じさせる曲線は要所要所が充分以上に豊かに実っている。悪戯っぽく緩んだような印象を与える目許と弧を描いたくちびるもまた、どこか十七という年齢を上回る色香を感じさせるものだ。

「ど、どうでした……?」

 紅葉はおずおずと千草を見上げる。蚊の鳴くような声、行儀よくぴたりと揃えられた脚、その膝の上に重ねられた掌。

 そればかりでなく、何もかもが気弱な印象だ。

 華奢とは、まさにこのような娘のことを言うのだろう。上品な水色のワンピースの半袖から伸びた腕や首は痛いほどに白く、あえかに細い。

 腰まである黒髪は、うなじのあたりで紙縒りによって一つに括られている。

 揺れる黒瞳や顔立ちそのものは若葉と瓜二つと評して構わぬほど、つまりは年の頃ゆえにまだあどけなさはあるものの鮮烈な中にも繊細に整った美貌の片鱗を見せているにもかかわらず、こちらはその強さを打ち消して余りあるほどに内気さを感じさせる。

 正確には若葉の一つ下になるのだが、身長がほぼ同じということもあって双子と思われることも少なくない。

「最近集中的に不幸だそうよ?」

 どこかからかうような調子でそう答えて、千草が隣に座る。

 不幸続きは珍しくもない収穫だ。

 たまには本物の何かが関わっていることもあるが、本格的にどころか一応形だけ調べるのであってさえ身が持たなくなるほどの頻度で存在する。

「そうですか……」

 紅葉はそっと目を閉じる。

 その途端に周りの空気が変わった。ここが街中などではなく、森の中でもあるかのように錯覚する。

 やっぱり紅葉が一番姉様に似ている、と千草は思う。巫女としての本質、神、ひいては世界と意識を通じる才において紅葉は六人の中で群を抜いている。

 そしておそらくは、性格も本当は近いのだろう。

 やがて紅葉は小さな吐息とともに目蓋を上げた。

「……嫌な感じは濃くなってます……多分、遅くとも今夜までには何か……」

「大変だこと、ほんとに」

 千草は苦笑、ベンチの背もたれに体重をかけて大きく伸びをする。胸が強調されて、前を行き過ぎる異性の視線がこっそりと集まる。

 体勢を元に戻した途端に何事もなかったかのような振りをしてそそくさと離れるのを、充分気付いた上で千草は悠然と脚を組んだ。

「ふふん」

「……そういうこと、あんまりしない方がいいと紅葉は思います……」

 紅葉の視線は地面に。頬は赤い。

 千草は悪戯っぽい笑みを浮かべ、その頬をくすぐった。

「紅葉も今に大きくなるわよ、きっと。多分姉様に似ていくと思うし」

「ぅ……」

「あと五年くらいしたら歳が姉様の見た目に追いつくし、その頃にはきっと……」

 抑揚の強い、心に揺さぶりをかけるような声。

 紅葉の頬の赤みが己の名のようにまで増す。

 何かを言おうとくちびるは震えているのだが、言葉にならないようだ。視線も落ち着きなく地面の上を這っている。

 可愛いのはいいんだけど、と千草は笑みをやや苦笑の色に変えた。

 紅葉は追い詰めすぎると危ない。思いもよらぬ行動に出る可能性が高い。

 だから話題を変える。

「ところで、姉さんと若葉はうまくやってるのかしらね?」

「……判らないです……でも、もしも喧嘩してたら若葉ちゃんが心配……」

 若葉と紅葉は特に仲がいい。そのあたりも双子と思われやすい一因だ。

「まあ……姉様が釘刺してたし……」

 大丈夫、とまでは千草も言えなかった。

 杏と若葉の喧嘩は日常茶飯事だ。そして若葉は杏に勝ったことがない。紅葉が心配するのも当たり前である。

 が、ここで思案していても無駄だ。

「とりあえず、二人を信じてこっちの調査を再開しましょうか」

「はい……」

 三の姫、千草。

 六の姫、紅葉。

 二人は同時にベンチから立ち上がった。












 公園の中央に設置された池の水面を春風が撫でてゆく。

 その風はそのまま、畔を歩く撫子の髪とスカートを揺らした。

「気持ちいい風~」

 撫子は鼻歌でも歌いだしそうなほど上機嫌に笑った。

 足取りも何かのステップを踏むようなもの。ふわふわとした長い栗色の髪もそれに合わせて踊る。

 髪の色は色素の薄さによるものだが、それは肌の方にまではあまり関わっていない。白くはあっても、病的なものは感じさせない。

 十代前半の、愛らしさを天真爛漫で染めて少女の形にしたかのような容姿容貌、そして立ち居振る舞い。身に纏っているのも健康的な若草色のワンピース。

 下がった目尻やふっくらとした頬が明るく優しそうで、そして本当に明るく優しい。それが如月撫子という少女である。

「そう思わない、あやめお姉ちゃん?」

「そうだな」

 くるりと振り向いて笑いかけてくる妹に、あやめは静かに頷いた。

 常に笑顔なのではないかと思えてしまう撫子とは対照的に、禁欲的に引き締められた表情の娘だ。

 黒髪はすべて後ろへと撫で付けられ、肩に触れるか否かといったところで綺麗に切り揃えられている。顕わになった秀でた額、細いながらもくっきりとした眉。まなざしは特に厳しくしてもいないというのに強い力を感じる。

 やや大柄な体躯を白いワイシャツとスラックスという男装にも似た服装に包み、歩む足取りは確かなものだ。

 清廉にして清冽。鞘に納められた銘刀の如き静かな威圧感を与える娘ではある。十六と言われて信じることのできる者はまずいまい。

 しかし、撫子にとってみればそのようなことは何の関係もない。大好きなお姉ちゃんの一人であるというだけのことだ。

「こんないい天気なんだから、どっちかっていうとみんなで遊びに行きたかったなあ……」

 軽やかに一回転、花開くようにスカートが広がる。その仕種、甘えるような声は、見る者に微笑ましい気持ちを与える。

 それでも、あやめは静かに窘めた。

「今は優先すべきことがある」

「はぁい」

 撫子は素直に頷く。元より、遊びに行きたいと本気で言っているわけではない。

「でも、見つかるのかな……?」

「見つけねばなるまい。人の命に関わるやもしれん」

 余人の耳には入らぬように、撫子にだけ聞こえる程度の押さえた声。表情も揺るがない。

「小なりとはいえ、欲に堕した神はそうそう対応できる相手ではない。力ある者とて敗北しよう」

「……でも、可哀想だと思う……何もなかったら堕ちることになんかならなかったはずなのに……」

 撫子の眉が曇るが、あやめはかぶりを振った。

「ただ貶められた神ではない。厄災と化してでも己が地位に固執した、その結果なのだ」

 天津神の侵攻によって地位と力を失った神は多い。鬼と呼ばれる存在のうちで由緒正しいものなど、その典型だ。他にも土蜘蛛、安曇、夜刀神、枚挙に暇がない。

 しかし、神としての在り様を捨て去って失われた力を取り戻すために純然たる厄災と化したものも在る。

 そのような存在の力は、伝承に語られる大妖でなければ匹敵しえないのだ。

「……それでも、可哀想だよ」

 可哀想だよ、と撫子は繰り返す。

 その無垢、純粋をあやめは嬉しくも危うくも思う。あやめとて、堕ちた神を有無を言わさずただ葬り去ればいいだけの存在だとは思っていない。

 衣食足りて礼節を知る、という言葉があるが、ある意味においてはそれに近いものはあるのだろう。撫子の言うとおり、何もなければ堕ちることにもならなかったはずだ。

 あやめも撫子も、感じている思いに違いはない。撫子は素直に表し、あやめは意思をもって判断しただけだ。

「人にも神にも仇為すものなのだ、撫子。我らとて人であり、大蛇様の護巫女。少なくとも、この刃の届くところで厄災の好きにさせるわけにはいかない」

 この刃、と口にしたところで左手を握る。そこには何もない。しかし一瞬だけ淡い輝きが浮かび上がった。

 刀のように見えたそれは、見ていた者がいても錯覚として片付けてしまったことだろう。

「そのために、姉様に頼んでこの件を任せてもらったのだからな」

 八岐大蛇は何もしない。人の世を見守ってすらいない。見ているだけだ。それがこの世における神の在り様というものなのだ。

 動くとすれば、己が敵が在るか、己の唯一真の巫女たる氷雨の願いに応えるときのみ。

 そして氷雨は、あやめたちの長姉は余程のことでなければ大蛇の意向に従う。

 結果、大抵のものは捨て置かれるのである。

 もっとも、堕ちた神ならば氷雨が屠りに出ることが多い。大蛇は何をせよとも示さないが、氷雨なりの考えあってのことだ。

 今回もそのはずだったものを、六人が代わりに成し遂げたいと申し出た。

 大層な理由があるわけではない。かつて生き、今また生きているこの国と人々をこの手で守りたいと思った。そして、六人揃えば堕ちた神に刃を向けられるだけの力はある。

 ある、はずだ。

「行くぞ」

 あやめは心に浮かんだ惑いを表さない。確かな足取りで撫子を追い抜く。

 撫子は足を止めてその背を見送り、思い出したように追いかける。

 四の姫、あやめ。

 七の姫、撫子。

 並んだ二人の前に広がるのは、少なくとも見えるのは平穏な休日の公園だけだった。












 大蛇の六ツ護巫女もりみこ

 力こそ受けていないが、彼女たちはそのつもりであり、そしてそうであった。

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