二

 首都圏ならどこにでもる、なんの変哲もないワンルームマンションの一室。

 テレビ。ベッド。電話。冷蔵庫。

 それに、窓を覆っているレースのカーテン。

 以上が、この部屋にあった家財道具の全リストである。


 ベッドのむかい側の壁に、小さいながらも備えつけのクローゼットがある。

 開けてみたけど服の類は一切ない。

 ただ下に、新品の毛布が一枚、畳んで置いてあった。


 玄関の脇には、ようやく手が洗えるかなーといった小さな流しがあり、そのとなりに備えつけの電気コンロがひとつ。

 その下が戸棚というか食器入れになっていて、それも開けてみる。

 砂糖一袋。醤油、ソース、胡椒、サラダオイルそれぞれ一瓶ずつ。包丁一本に、フライパンと鍋がひとつずつ。

 どれも買ったまんまの状態で使った形跡がない。


 ガチャ。


 冷蔵庫も開ける。

 キャベツ丸ごとひとつ。中くらいの大きさの人参五本。タマネギわりとおっきいのが五個。そこそこの大きさのジャガイモ五つ。四つ切りの食パン一袋。植物油マーガリン一箱。お徳用の袋入りそうめんひとつ。やはりお徳用の袋入りパスタ一袋。めんつゆ一瓶。一リットル入り紙パックの牛乳二本。玉子十個入りのパックひとつ。

 冷凍庫には製氷機の氷以外なにも入っていない。


 ユニットバスの戸棚も調べる。

 石鹸。歯ブラシ。歯磨きのチューブ。トイレットペーパー。バスタオル。普通のタオル。

 それぞれ未使用のものが二つずつ置いてある。


 わぁーっ!

 わぁーっ!

 わぁーっ!

 と、絶叫して頭を掻きむしりたくなったね、わたしは。


 いくらなんでもここまで徹底的に手がかりらしいものがないなんて、あんまりじゃない?

 この部屋には、生活の匂いがなかった。


 というか。

 ここに誰かが住んでいた形跡を発見することは、ついにできなかった。


 ということで、いきなりなにもやることがなくなったわたしは、とりあえず顔を洗うことにした。

 歯ブラシのパッケージを破り、その上に歯磨きのチューブをにゅるんと絞る。

 ……これからどーすっかなぁー……。

 なーんてこと、漠然と考えながら。

 ガシャゴショと歯ブラシを使いながら、上目使いに鏡を覗く。

 美人っていうより、かーいーって感じの女の子が歯ブラシ加えてふて腐れていたりする。

 年の頃は二十歳前後で、髪は肩よりちょい上くらいのショート。

 ちょこっと童顔かな。

 ふむふむ。

 わたしって、こんな顔してたんだ。

 まあまあの顔だったんで、とりあえず満足。


 こんごのてんぼーを考える。

 警察に電話をして来てもらう。

 まあ、無難な手ではある。

 だが、却下。

 流石に記憶をなくしたとはいっても、ひゃくとーばんが警察の番号であることはおぼえている。

したがって、けーさつやさんに電話をすること自体は、なんら問題はない。

 ないのだが、肝心なのはその通話内容である。


 ──はい。

 ひゃくとーばんです。

『あの、ですね』

 ──はい。

『今朝起きたら目の前に知らないおじさんの死体があったんですけどぉ。

 で、ですねえ。

 わたし、自分がどこの誰だか、まるでぜんぜんさーっぱりおぼえていないんですぅ』

──……で、そこの住所は?

『それもぜんぜんわかんないんですぅ。

 わたし、目がさめたらなぜかほとんど裸に近い格好をしていたから、外には出られなかったしぃ』


 ごん。

 軽く額を洗面所の鏡につけて、妄想を打ち切る。

 駄目だこりゃ。

 どうみたってこれでは、ミエミエの悪戯電話だよ。

 それから剥き出しのままの小振りの乳房に気づき、戸棚からバスタオルを出して体にまきつける。

 そういえば、服や下着の替えなんかもそのうちなんとかしなくちゃな。

 なーんてこと、考えながら。

 だってこの部屋、とりあえず当分飢えずに済むだけの食料はある。

 だけど、着替えやなにかはまるでないんだもん。

 まあ、トイレットペーパーがない、なんてのよりはマシだけどね。

 それでも年頃の乙女としましては、これはけっこう問題だったりする。

 本当、明日っからどうしよう。


 警察に電話も駄目。

 トップレスの下着姿で外に行けるほどわたしは大胆ではない。

 とすれば、状況が変わるまでおっさんとこの部屋で同棲せねばならないという……。


 がっくし。

 はふ。


 とまあ、わたしを取り巻く状況というのは、うなだれてため息のひとつもつきたくなるようなものであった。

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