紡ぐ記憶の延長と、募る想いの残存と、廻る季節の思い出と

石田 成人

紡ぐ記憶の延長と、募る想いの残存と、廻る季節の思い出と

 窓の先は、暗かった。滲み一つない、真っ暗な闇だ。

 淡い橙の電灯で照らされたこの空間には、僕ら二人しかいない。


 ここは電車の車内だろうか。長細い部屋が、小窓の付いた重そうな引き戸を挟んでどこまでも続いている。

 通路を挟んで窓を背に並べられた座席、揺れに合わせてつり革が何やら楽し気に踊っている。


 そんな中、僕らは中央の座席に肩を並べて腰掛けていたのだ。



「すぅ……」

 長旅に疲れて、寝てしまったのだろうか。彼女の頭がストンと肩へ乗る、途端に短いポニーテールがつり革にも似た揺れを見せる。その拍子でなのか耳から髪が外れたので、左手でなでるようにそっとかけ直す。


 詰まる低周波音がフッと消えると、急に明るくなった。

 どうやらトンネルを抜けたらしい。明るくなった途端、つり革に桜が咲いたようだった。電灯よりはっきりした赤い光が車内を満たしているのだ。


 光の元を手繰り寄せる。するとそこには見たこともない、だけどどこか懐かしい、そんな夕暮れの浜辺が窓枠に切り取られていた。開けてもいない窓から、潮の匂い漂うのは何故だろう。


 不思議な感覚だ。どこへ行くのだろう、という疑問以上に、ただただ体の芯が温かった。それが不思議で、心地よかった。


「そうだな」

 このまま座っていたい。

 何か、するわけでも無く。

 ただ、座っていたい。

 彼女を肩で支えながら揺れる車内で鼻歌を歌ったっていい。そうすれば、彼女も喜ぶだろうさ。

 もし起きたら、沈む夕日を二人で見守るのも悪くない。つまらないと言われたってかまいやしないさ。

 何なら夜更けを待って煌く星々をただ眺めたっていいだろう。


 そうさ、僕はこんな光景が、こんな生活が、ずぅっと続けばいいなと思ってたんだ。

 何の不安も無く、ただ……


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


「やれやれ」

 ――寒い。まだ十月だってのに、ちと早すぎやしないか?

 俺はまた、安い缶コーヒーを握りしめて寒さを紛らわす。

 校門前は、静けさで飽和しかけていた。


 低温火傷というものをご存知だろうか。知らない人にはぜひとも今この場に来てほしい。そして体温を分けてくれ。

 それに加えて、寒風がどこからか頭痛をスカウトしやがり、アイスを食べた時ぐらい痛い。知覚過敏の俺には、文字通り痛いほど分かる。

 しかも血液が凍ったかのように冷えて、おまけに肘から下は蝋人形の如く固まりやがってぶら下がり、まさに胴体と『繋がれた』だけ状態にあるのだ。


 とはいえ凍てつくのも当然なもので、今が冬だからだ。ついこないだまで紅葉をまとった木々たちがテレビやら雑誌やらの取材でひっきりなしだったと思えば、今週に入るや否や急激に禿げ上がってしまい。とうとうこの辺りでも雪が降るんじゃなかろうかと不安になりつつ、今年の秋は無かったのだと実感する。


 そろそろ地球も寿命ではなかろうか。今朝ニュースで流れていた絶滅危惧種に、母なる大地も載るのかもしれん。

 まさか、この大地に最期の冬が来ちまったんじゃないだろうな。

 47億年という果てしなく深い年輪を刻んできた大地に降り立った人類は、1億年も満たない歴史の中で生命の樹を一切合切伐採している。

 この大地に敬意ってもんはないのかね、国籍だとか人種とか以前に、ここは人類皆の故郷なのだぞ。上京した若者が、帰省ついでに街ごと焼き払うようなもんだ。正確には人類がどこか上京したことはないんだが。

 ま、それでだからと言って何か行動を起こそうとは、僅かばかりも考えていないが。


 ふと、そろそろ誰か来るんじゃないだろうかと思ったとき、脳内をハッキングされたかと思しき事態が発生した。

「せんぱーい!」

 高らかな黄色っぽい声が聞こえる。

 振り返った先には小柄な女子生徒。紺の学生ボストンバッグを左手に、10メートル先でピョンピョン跳ねながら右手を大げさに振って呼んでいた。

 走ってくる彼女に、軽く手を振っておく。

「どうしたんですか?顔、暗いですよ?」

 俺の顔を覗き込んでくる無邪気な笑顔。間違いない、立花だ。

「そりゃ元からだ。にしても、立花は何してるんだ?」

 唯一の部員であり、唯一慕ってくれる後輩である。

 転じて、俺と同じく少し変わり者である。

「それが友達を待ってて……あっ、来ました!」

 しばらくして一年生と思しき女子生徒が来た。

 同じ高校生とはいえ1年生と2年生、加えて男子と女子とである。俺自身大柄ではないが、かなりの体格差を感じた。

「じゃあ先輩、お疲れ様でーす!」

 思い切り手を振り、時折振り返りながらって友達のもとに走っていった。不本意ながらかわいいと思ってしまった自分を戒めながら振り返る。いやはや、先輩として、いと不覚なり。


 校門前の道路は重い色合いのコートを着た学生共の帰宅ラッシュで、長い一本道はさながら満員電車である。それぞれが白い吐息に気力を奪われてるのではなかろうかと感じてしまうほど血色が悪く、また俯きがちの顔はさながらリストラされたサラリーマンのようだ。

 その校門前で突っ立っているのは、どうやら俺だけみたいだ。ほかは連れや恋人と帰ったり、そうでなくとも一人で逃れるように帰る人もいた。


「にしても」

 ――来るんだろうか。いや来ないだろうな。

 葛藤、まさにそれだ。俺の頭の中に流れる二つの思考は、排他的な関係にある。


 帰ろうか。何度もそう思った。もちろん、帰っても良かった。いや、どうだろう。

 俺は右手をポケットに入れる。クシャっと乾いた感触。これが、これこそが、葛藤の元凶、しこりだ。

 だが、俺がお人好しなんだか、はたまたただのバカなのか、勉強せずに挑むテストの前日に似た妙な希望を抱いている。

 ――もし彼女だったら、いやまさか、いやだけど、どうだろうな、無いかな、でももしかしたら……

 出入り口を失った迷路で行く当てもなく彷徨う思考は、いくつかぶつかり合って、擦れて、消えて、でもまた出てきて、そうしてるうちに掴めなくなって、手からするりと抜けて取り残される。

 もしかしたら帰らないのではなく、帰れないのかもしれない。結論のない結論に探求心を覚え、答えが来るのを待っているのかもしれない。


 そう、俺が帰らない、訂正帰れないのにはもちろん理由がある。

 遡ること三十分前。思い返せば、もうそんな前なのか。

 さて、回想スタート。


・・・

・・・・・

「よう、居眠りじーさん」

 帰りのホームルームが終わり、椅子や机の騒々しい音に混じって聞こえたため息は、SLの初動に似て深く長いものだった。

 曇天の最中、俺も気怠い身体を起こして一礼の後、クラスメイト達のスイッチが切れる音がする。

 そんな放課後の、坂川の第一声がそれだった。

「誰がじーさんだボケ」

 ――お前と同じ高校二年生の17歳。これでじーさんなら、お前もじーさんだ。

 だがここで、居眠りというのは否定しないでおく。

 なぜなら、まさに居眠り呼ばわりに相応しいほど、授業中に寝ていると自覚があるからだ。

「そういや、さっきのは何だ?」

「さっきがなんだ、俺は寝てたんだぞ」

 さっき、つまりは6時間目の授業の事だろう。教科は数学だった。元から得意分野だから、寝てても何ら支障はないのだ。

「にやにやして寝てたじゃねーか。おおっと、言い訳はさせねーぜ」

 お前にニヤニヤしながら言われても説得力に欠けるんだがな。

 あー、確かに、何だか、楽しい夢を見ていたような気がする。

 電車に乗ってて……乗ってて……何をしてた?

 何だったか、分からん。

 だが、以前にも見た、いや正確には以前から見てる、それだけははっきりと記憶にある。

「それに寝言と来たもんだ。一体どんな夢を見てたんだか」

「まさか寝言に返事してるんじゃないだろうな」

 以前、どこかで寝言に返事をしちゃならんと聞いたことがある。

 なんでも、科学的にも根拠があるらしい。詳しくは知らんが。

「何言ってんだい。もちろん相槌だ」

「んで時々返答ってな」

 さりげなく脳にダメージ与えようとするなっ!


 帰り支度も終わり、半数近くが既に渡り廊下を歩いてるのが見えて、俺もマフラーを手にかけ帰路につく。

「じゃ、帰るか」

 カバンを背負ってアイコンタクトする

が、なぜかこいつは濁った表情をしてる。

「あー、いやな、それが今日は早く帰らせてもらうぜ」

 はっきりしない口調で坂川はそう答える。

「唐突だな、今日何かあるのか」

 頭の後ろを掻き、何やら迷っている。言葉を選んでいるようだ。

「まあそれがなぁ、なんと今日は先客がいてね」

 語尾を変に上擦った声で伸ばし、得意げな顔で右小指を一本立てて見せてる。

 意味は知ってるが、わざわざ回りくどい。

はっきり言えってんだい。

「いやぁ悪ぃな、俺には一足先に春が来ちまったみたいだ」

 ――今は秋、正確には二歩だバーロー。

 坂川は惜しげもなく教室で高笑いをしやがる。ちなみに、教室にはまだ生徒は残っているが、どうやらこいつには見えんらしい。

「相手は誰だ」

「緑ヶ丘校の生徒さ。すぐ隣町の」

 あの名門校のか。

 私立緑ヶ丘学園と言えば、ここから北へ1キロだったか。緑ヶ丘学園前駅と、駅名にもなるぐらい有名だ。進学率が高く県内有数のトップ校、そして美人が多いことでも有名で、巷じゃ人気の、特に男子高校生に人気の高校だ。

 はてさて、そこの令嬢女生徒はこいつに釣り合うのだろうか。

「そんな人、どこで知り合うんだい」

「それが、この前あっちで学園祭があってなあ。詳しくは話せないぜ」

 またお得意のナンパでもしたのだろう。幸運なのか偶然なのか、まあ詳しく聞かないがね。

「今日はどこをどう巡ろうかなぁ」

 顎をさすりながら、輝いている目で空間に理想像を思い描く。

 しかし浮かれるのも良いが、後一週間でテストだぞ。

「ま、そういうことだからさ」

 最後まで浮かれ半分で軽く敬礼もどきをしていき、じゃ。と言ったのも聞かずに教室を抜けていく。慌ただしも軽快なステップで廊下を走っていくのが、遠のく音で分かったほどだ。

 ――やれやれ。

 廊下を走るのは厳禁だと、この時に限って頭によぎった。もちろん俺は、廊下を歩いて帰路につく。


 そんなこんなで、下校のさざ波に飲まれながら下駄箱につく。ズラリと欄列するスチール製の下駄箱はまるでビル街の縮図のようだ。少なくともアリからはそう見えるだろう、奴らはビルを知らんだろうが。

 上履きを脱ぎ、それと入れ違いにシューズを出す。かかと辺りに指をかけたとき、その上に、小さな何かが置いてあることに気づいた。いや違うな、乗っていたんだ、手のひらほどの紙片が。封筒のように丁寧に織り込まれたそれは、右足の靴の口にそっと鎮座していた。

 ――既視感。

 以前の記憶がよぎる。気乗りしないまま俺は開いて文面を見る。小さくて濃い筆圧の丸文字。見覚えがあったが、誰の字かまでは分からない。

 俺はそれを右ポケットに入れ、靴に履き替える。自然と足取りが重くなるのを感じる。

 その重さを、俺は知っていた。

・・・・・

・・・


 そうして、今に至る。

 缶コーヒーをすするが、もう一口たりとも残っちゃいない。仕方なく花壇のフチにおいた。

 あれから三十分、誰も一向に来ない。校門前はおろか校舎からもう人気が引いてきている。

 ――イタズラだった経験がありながら、何を考えているんだか。

 期待、をしているわけじゃない。あくまでもあの文字に見覚えがある。あの頃の、あの初恋の相手の字に似ていた。ただ、それだけだ。ちょっとした好奇心さ、それ以外にない。

 甲を撫でる寒風が細かな針を刺すようで、逃れるようにポケットに逃がす。反動でラブレターもどきを掴むと、クシャっと乾いた音。それにつられるように強張る身体。体冷えた、寒い。

 あてもなくポケット内で手を温めようとしてると

「やっほ」

 聞き覚えのある声に、反射的に振り向く。

 そこには、見覚えのある顔が、ついさっき、今日の夢で見た彼女がそこにいた。だけど、その彼女よりもっと背が高く、堂々とした声が、あの頃からの成長を物語っていた。

 清潔そうな膝まで長いストレートヘアを靡かせながら思い切り笑いかけていた。

 見慣れないデザインの制服に身を包んでいる、そうか、そういや他校の生徒だったな。

「なんだ、お前か」

 彼女は、俺の肩にあててた手を退けて腰に当て不服そうな顔をしている。どうやらお前呼ばわりは嫌だったらしい。お前と呼べるのも、幼馴染だからだろうな。

「何してるの?」

 彼女の好奇心は以前健全なようで、裏表のない言葉で聞いてくる。

「あー、もう帰るところ」

 カバンを背負い直し足先を自宅に向けた。

 俺はとっさに、人待ちであることを黙ってしまったのだ。

 じゃあ同じね。と言う彼女は手を擦り合わせてホゥと白い息を吹きかけていた。



 彼女、綾瀬は、小学生の頃からの付き合いで、いわゆる世間一般で言うところの幼馴染に当たる。高校進学時に離れてしまったが、今でも友達同士である。

 昔はよく遊んだものだと、セピア色にかすんだ記憶に懐かしみを覚える。とはいっても、中学校に入学する頃にはお互いに心も体も大人への第一歩を踏み出しており、もちろん頻繁に遊ぶことなんて無くなって、仕舞いには挨拶すらテキトウに済ませてしまうまでになった。

 そう考えてみれば、こうして面と向かって話すのは3年以上ぶりってことなのか。時は早いな。


 たわいもない会話。と言っても久々に会ったので、ほぼ近況報告のようなものだった。

「今何やってるんだ?」

「んー、いろいろ」

 褒めたり褒められたり、慰めたり慰めされたり、笑ったり笑われたるり、イジったりイジられたり、ツッコんだりツッコまれたり。俺が部長になったことや、彼女はピアノコンクールで優勝してたり、この間クラスメイトが転校してたり、はたまたその転校生は彼女の学校に来ていたりと、何のたわいもない会話だった。

「そういや、髪型ポニーテールに戻したんだな」

「そうだよー。どう?」

 ご丁寧にも、くるりと一回転して見せてくる。

「うん、やっぱり似合ってる」

 白いラインの入った赤い髪留めリボン、懐かしい。

「なあ」

「ん?」

「覚えてるか、小学校入学前日の事」

「もちろん覚えてるよ、忘れるわけ無いじゃん」

 俺が今日見た夢、あれは正確に言えば夢じゃない。脳が作り出した虚像では無いんだ。


 ところで、彼女は誰を待っているのだろうか。そもそも、他校の生徒なのにここの生徒に用があるのだろうか。もう、校舎には誰もいなさそうだが。

「俺、もう帰るな。じゃ」

 ここにいたって誰も来そうにもない、いや来やしないだろう。もしかしたら俺は帰るタイミングを探していたのかもしれん。曇天の空から日差しが出て、辺りが朱色に染まりつつある。もうすっかり夕暮れだ。

 カバンを背負い直し足先を自宅に向けると、

「えっ。ま、待って!」

 と、聞こえた。確かにそう聞こえた。何を待つのだ。突然の出来事に、足が地面にくぎ打ちされたようだ。

 ここで俺が戸惑うのも無理はない、彼女の荒げた声を聞いたのはこれが初めてだからだ。

「今日、呼んだのは理由があるの」

 ――何を言うんだ?

 妙にゆっくりな話し声、いつものように端的にものをいう彼女からは想像がつかない。が、確かに話しているのは目の前にいる幼馴染の彼女だ。



 そこからしばらく、一分ほどの沈黙の後に聞こえた言葉。短く途切れながらも、確かに文章になったそれは、確かに俺宛のメッセージだった。

 端的で自明的なメッセージに俺は、むしろ冗談なのかと聞き返そうかと思った。

 しかし思いとどまる、言わずもがな表情で読み取れたからだ。



 そこからしばらく、風が沈黙を呼んだ。頬をなでる暖かい風に、一瞬の春を感じた。

 俺は彼女を見て、彼女は俺を見ている。

 すっかり、時間が止まったようだった。いや実際止まってくれれば良かっただろう。そうすれば、少しはカッコいい返答を考える暇もあったはずだ。

 彼女に「俺も」としか言えなかった、口から吐き出された言葉はそれのみ。その先を言うのは、今よりしばらく後の話だ。

「あっ、雪」

 トーンの変わらない彼女の声が、一瞬意識をクリアにした。

 空を仰ぐと、粉雪がちらついていた。互いの顔が夕日に照らされてる、すっかり夕暮れ時だ。

 しかし、それ以上に赤みを帯びて見えたのは俺だけだろうか。もしかしたら、彼女もそうみえたんじゃないのだろうか。温かい何かが、胸のうちで突沸しかけていた。


 次第に影が伸びてゆく。雲は日暮れの闇に消え、一等星がそろそろ顔を出すだろう。

 幼馴染越しに流れ星が輝いた時、彼女は微笑んでいた。

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紡ぐ記憶の延長と、募る想いの残存と、廻る季節の思い出と 石田 成人 @Ishida-Narihito

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