白と、ちょっとだけ朱色な日

歌鳥

(全編)

   白と、ちょっとだけ朱色な日


 舞は絵が得意だ。小一ではじめて会った時からずっと、そうだった。

『天才』とか『大人顔負け』というほどではなく、小学生らしいレベルの絵ではある。けど、舞の描く絵には独特の雰囲気があって、見る人みんなを感心させた。私みたいな素人から見ても、舞の絵は魅力的で、楽しかった。

 なによりも素敵なのは、舞の色づかい。

 最初はクレヨンだった。一年の時の舞は、いつでもクレヨンのセットと自由帳を持ち歩いていた。教室でも学校の外でも、暇さえあればなにか描いていた。

 二年にあがる頃に、クレヨンが水彩絵の具に変わった。けど、これはさすがに無理があった。校舎のあっちこっちに水をこぼして、先生にやんわりと注意されてから、舞は色鉛筆を持ち歩くようになった。

 三年生の二月、ある放課後。その時も舞は公園のベンチに座って、色鉛筆を握っていた。

「さむいさむいさむいさむいさむいよぉ~」

 ぶるぶる震えながら、由佳里が後ろから舞に抱きついた。冷たい頬を押しつけられて、舞が悲鳴をあげる。

「ふわぁぁぁぁぁ~」

「あー、舞ちゃんのほっぺ、あったかーい」

 いまにも雪が降りそうな、どんよりとした曇り空の日だった。北風が冷たくて、肌が出ているところは、定規で叩かれたみたいに痛い。

 由佳里はダウンジャケットにマフラー、毛糸の手袋と帽子で寒さに対抗していたけど、下はスカートに生足で、完全に無防備だった。

「そんなカッコしてるからでしょ」

「いいじゃん。舞ちゃんがあったかいから、スカートでも平気なの!」

「よくないよ。舞ちゃん嫌がってるじゃない」

「やーめー」

 舞がもぞもぞ動いて逃れようとする。由佳里は舞の首にしがみついて離れない。

「舞ちゃんかわいいし、ほっぺあったかいんだから、しょーがないじゃん」

「あったかいとかわいい、関係ない」

「関係あるよー。舞ちゃん、あったかわいい」

 すりすり。由佳里にしつこく頬ずりされて、舞もとうとう抵抗を諦めた。

 私は、あんな風にべたべた触られるのはあまり好きじゃない。

 由佳里はそれがわかっていて、だから由佳里は、私に対しては積極的に触れてこない。ときどき手をつないだり、肩や背中を叩かれたりはするけど、その程度。

 ただ、舞には遠慮がなかった。やたらと触れたがり、抱きつきたがった。

 舞も、決して本気で嫌がっているわけではなかった。この時だって、もぞもぞと身じろぎするくらいで、大した抵抗はしていない。もし本気で逃れたかったら、立ち上がってしまえばそれですむ話。でも、舞はそうはしなかった。

 けれど。

「舞ちゃんの邪魔しちゃだめだよ。お絵かきしてるんだから」

 さすがに見かねて、やんわりと忠告した。由佳里はそれを無視して、舞の背中にしがみついたまま、肩越しにノートをのぞきこんだ。

「舞ちゃん、なに描いてんの?」

 無地のノートには、一本の木が描いてあった。不格好にねじくれた幹から分かれた枝が伸びて、空にできたひび割れみたいだった。

「これ、桜の木だっけ?」

「そそ」

 私の問いに、こくこくうなずく舞。視線はまっすぐ、ベンチ正面の桜の木に向けたまま。

 まだ芽も出てない冬の桜は、ごつごつとひねくれてるように見えて、ちょっと不気味。けど、舞のノートに描かれた桜は、ちょっとかわいかった。なぜなら――。

「ねーねー。これ、なんで赤いの?」

 由佳里が指さしたノートの木は、幹が鮮やかな赤色だった。色鉛筆を巧みに使って、赤と黒と白で描かれた、複雑な赤。

 舞は、由佳里の質問の意味がわかっていないようだった。ちょこんと首をかしげて、不思議そうな顔をする。

「桜、赤いよ?」

「へっ?」

 由佳里と私は顔を見合わせて、桜の木をまじまじと見つめた。

「赤い……かな?」

「えーっと……」

 私の目には、桜の木は黒く見えた。黒に焦げ茶色と灰色が混じったみたいな、濃い色。

 舞は色鉛筆をベンチに置いて、身振り手振りつきで説明をはじめた。

「地面から吸いあげられたピンクがね、幹の黒と混ざって、それで赤くなるんだよ。春になるとね、ピンクが上から外に出てきて、それが桜の花になるの」

「……ふーん、そうなんだー」

 由佳里はあいまいにうなずいた。納得してるような顔じゃなかった。

 私も釈然としないまま、桜の木を見続けた。舞にそこまで言い切られてしまうと、濃い焦げ茶色のなかに、ほんのり赤い部分があるような気がしないでもない。

「赤いよ。濃いピンク色」

 舞はこくこくとうなずく。

「あいちゃんのピンクより、ちょっと濃いピンク」

「え……?」

 また、舞の不思議な発言が出た。その日の私の服は白と紺色で、髪留めやランドセルの飾りも含めて、ピンク要素はどこにもない。

「私、ピンクじゃないよ?」

「ううん。あいちゃんはピンク」

 舞は頑なに言い張った。

「あいちゃん、女の子らしくてかわいいから、ピンク。由佳里ちゃんは元気で明るいから、オレンジ」

「オレンジ? あたし?」

 不思議そうに目を丸くする由佳里。

「今日は寒いから、白」

 混乱する私たちをよそに、舞は灰色の空をじーっと見つめながら、そう断言した。

「でも、三人いっしょだとちょっとあったかいから、ちょっとだけ朱色」

 ――ゆっくり、絵の具が染みるみたいにじわじわと、私にも納得できてきた。

 どうやら、舞のなかでは、私と由佳里はそういうイメージらしい。

「私、ピンクかな? そんなわけないと思うけど」

「あいちゃんはピンク。由佳里ちゃんはオレンジ」

 舞はきっぱりと言い切って、色鉛筆を手に取り、桜の木を赤くする作業に戻った。

「オレンジかぁー……ふへへっ。なんか、ちょっと嬉しいかも」

 照れたように笑ってから、由佳里はまた舞の首に抱きついた。

「よぉーし、由佳里ちゃんのオレンジアタックを受けてみろっ!」

「やーめー」

 由佳里の腕の中で、舞がじたばた暴れた。

 ――舞の独特の色彩感覚はいまも健在で、「今日は紫の日」「今日はブルー」など、その日の気分や体調を色で表現することがある。

 もちろん絵も描いてる。奇妙な色づかいの絵も、舞に身振り手振りで説明されると、なんとなく納得できるような気分になる。

 舞自身の色を尋ねると「わかんない。自分で自分は見れないから」という答えが返ってくる。そして、逆に「私って、なに色?」と訊かれる。

 私と由佳里はそのたびに「舞はかわいいし、やっぱりピンクかな」「いろんな色を内側に秘めてるから、虹色」などと、その時思いついた色を答える。

 舞がその答えに納得してくれたことは、一度もない。


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