MAZE/再生

り(PN)

1 誰かの物語

 目覚めるとわたしは『物語』の中にいる。

 自分のではない。

 誰かの物語だ。

 テーマを選ばなかったから当然だろう。

 頭が朦朧とする。

 まだ目が覚めきっていないようだ。

 霧の中で迷っているが、夜ではなくて、朝の光が弱く輝いているといった気分。

 左の後頭部が少し痛いか。

 そう思って摩り、それから振ってみる。

 ぐらん ぐあらん……

 行為自体に違和感はない。

 それで諦めて頭をしゃっきりさせる。

 わたしがいるのはベッドの中。

 真上に見えるのは天井だ。

 洋風に思えるから日本製だろう。

 ずいぶんと清潔そうだ。

 実際のわたしのアパートは清潔だろうか。

 ほとんど何もないから、殺風景とはいえたが……。

 昔は違ったが、今は猫しか同居するものがいない。

 男も女も死ぬか完全に狂って現在に至る。

 わたしのせいではない。

 すべて彼や彼女たち自身のせいだ。

 ベッドの右側には温もりがある。

 確認すると、まだ眠っているが男のようだ。

 ……と思うまもなく情報が入る。

 夫だってさ。

 浦辺吉正(うらべ・よしまさ)

 昨日の夜は燃えたようだ。

 記憶がある。

 同期が遅いな。

 わたしにはまだ浦辺美紀の記憶が薄い。

 それに比べて栗原麻衣子の意識は鮮明だ。

 その裏で浦辺美紀の人格がゆるゆると立ち上がって来る気配。

 どうしようか。

 場面を飛ばそうか。

 一気に同期を図るために……。

 閃光。

 神の祝福。

 閃光。

 あるいは怒りの雷。

 閃光。

 わたしには感じられるが変わらない。

事態は元のままだ。

 もちろん、この心と身体が浦辺美紀の意識に全面的に支配されても栗原麻衣子が消え去ることはあり得ない。

 が、そういうゲームもある/あった、嘗て……。

 ゲームの中でわたしが完璧に消え、それをやっと思い出せるのが、夢としてわたしに定着した――過去か或いは未来のわたし自身でもある――他人の記憶。

 現在では違法か、または背景設定によってはギリギリ合法だが、どちらにしても危険なゲームには違いない。

 自らそれを望むとはいえ、自分が他人に書き換えられてしまうのだから……。

 本来の自分がいなくなってしまうのだから……。

 もちろん極端に話ではあるが……。

 現時点で、清潔なベッドに横たわるわたしには過去に浦辺美紀だった記憶はない。

 が、もしかしたらMAZEによって消去されたか、あるいは単に上書きされたか。

 MAZEはMiraculously Amazing ZZZ Entertainment(奇跡のように驚くべきグーグーお眠り娯楽提供社)の略だが、頭字語に含まれるZには別の意味も隠されているらしい。

 曰く、zodiacal(黄道帯の)、Zwitterion(双性イオン)、Zoloft(ゾロフト=抗欝薬)、zoned(頭がぼうっとしている)、zooey(動物園のような、汚ない、混乱した)、zidovudine(ジドブジン=エイズ治療薬)、ZIFT(体外受精)、zealous(政治・宗教などに熱心な、熱狂的な)、ZEG(経済のゼロ成長)、zek(ソ連の刑務所や強制収容所の収容者)、Zen(禅)、Zantac(ザンタック=制酸薬)、zap(…を(銃で)殺す、終わりにする)などだ。

 形容詞と名詞が混じっているが、それはわたしにはどうでもよい。

 が、何かが関連するのか記憶が疼く。

 子供の頃には好んで女兵士を演じたものだ。

 今思いだせば凛々しくて可愛い。

 好奇心から男兵士役を演じたこともある。

 そのときにペニスをいじったのは、誰もが知っている公然の秘密。

 一人しか参加者外がいない――つまり他のすべてはマスターマシンが生んだ虚構の人物が登場する――ゲームに没入したこともあるし、複数参加型の似たような戦場にいたこともある。

 わたしの趣味ではなかったが異界や異国のお姫様になったこともあるし、まったく人間ではないモノに変わったこともある。

 ……とはいっても、どうしても心は人間だ。

 没入の際にレム・エフェクトを選択すると、それなりの非人間にはなれるが、法律上の問題もあり、類推は精薄児を極端にしたようなもの――つまりまったく理解できない巨大な海――か、またはイルカのような知性体に限られる。

 だから今ではあまり人気がない。

 初めの頃はそうでもなかったが……。

 巨大な脚――のようなもの――になって街を破壊するのは快感だ。

 あるいは湖のような大きさの宇宙の眼になり、そこを訪れる旅行者を溺れさせるとか、弄ぶとか。

 それともミクロの病原菌になって、貪食細胞に消化されるか。

 ああ、死はいかなるときも快楽だ。

 が、そもそも思考の縛りの一つに二項対立があるような人間が他の知性を演じることは不可能だろう。

 哲学者の言葉ではないが、語りえぬものについては、沈黙しなければならない。

 それで巡り巡って、わたしはドラマに飽いてしまう。

 だからジャンルを選ばない。

 すべてマスターマシンにお任せだ。

 ――いいのか。

 ――いいわよ。

 ――きみは昔、伝説の兵士だったが……。

 ――昔はね。

 ――それでずいぶん金も稼いだ。

 ――あの後、投資で成功したから、死ななければ百歳超えても安泰だよ。生活は慎ましいけど。

 ――また痩せたな。

 ――ご飯はちゃんと食べているわよ。心配なの。

 ――いや、わたしは人工知性だから心はない。選択されたパタンに沿って話しているだけだ。

 ――色気がないのね。

 ――そもそも機械に色気なんかないだろう。

 ――そんなことないわよ。昔は戦闘機でイッたりしたわ。でも戦車や潜水艦ではダメだったな。どうしてだろう。

 ――わからんな。……では、そろそろ。

 ――オーケイ。幸せをくれ、未来をくれ、過去をくれ、忍耐をくれ、心をくれ、そして不実をくれ。

 それは、わたしがゲームに没入するときの祝詞(みことのり)且つ呪(まじな)いだ。

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