マイナンバー

2015年、マイナンバーの運用が始まりますね。運転免許を持たない私には、遂に究極の身分証明書が手には入るかという期待が大きいです。実際に究極の身分証明書になるのかどうかは、カードかなんかになって現住所が印字され、顔写真が貼付されるかによりますね。携帯契約とかでは現住所が重要。顔写真は、必須じゃないけど、あるとステータスがグンと上がります。「これでキャリアとの新規契約のたんびに作業場早退けして住民票もらいに行く暮らしとおさらば!」。ちょっと期待しちゃいます 。


私達現アラフィフの少年時代は、左翼とリベラルのごった煮みたいのが時代の基調だった頃。他の世代むけに分かり易くいうとこんな感じです。


・卒業式の日の丸掲揚

→否定派がやや多数派

・皇族への敬意の表明

→違和感を表明する人がそれなりに存在

・日本人として日本を愛するのは当たり前、発言への反応

→違和感を表明する人がそれなりに存在

・というか、何かを「当たり前」と主張する論への反応

→当たり前と言われるとまず否定から入る人がやや多数派。相対性無間あんど無限地獄が時代の基調

・多数派の利益と全体の秩序のために個人を組織が管理するような論への反応

→生理的に嫌悪感を抱く人がやや多数派


要は、ファシズムというあつものに懲りすぎてなますふきまくりな遺風がまだ色濃く残ってたのです。いや、過去形じゃ無いです。私達の世代にとってはそれがネイティブな生理なんです。1980年代の、何でもかんでも相対化しとけば間違いない的な多元主義に当時の青年層は既に相当困憊してましたけども、「それでも戦中の安易な一元化に戻るぐらいなら、この無間地獄を我慢する方がよっぽどましだ」と、相対性世界観のブヨブヨに歯を食いしばって耐えてたのです。(この辺の時代感は、「パイレーツによろしく」という映画に非常に見事に切り取られています。主人公が、最終的に蹴り上げた愛玩の猫は、彼らが堪え忍んでいたブヨブヨの具象化であり、中島みゆきが「狼になりたい」で歌った「狼」の対極にあるものです)。


そういう世代の一人である私にとって、マイナンバーの発想は、ほぼスプラッターにあたるもので、生理的嫌悪感をとても刺激します。


が、生理は生理。論理とは別物です。リストラされながらも企業社会で二十年以上暮らしてきた私には、生理を捨象し、利害を数値化し、人の痛みを秤にかけて比較することの大切さもよくわかります。マイナンバーが社会インフラに与える利便性、それによって高まる効率性は重要です。


が、世の中には、あまり効率化の手法が馴染まない分野がありますので、馴染まない分野に誤って効率化の発想を当てはめてないかどうかは常に気にしとく必要があると思います。


例えば、年少者に対する教育に関して、効率化の定石はあまり馴染まないです。効率化を図る場合、似たような作業を固めて集中的にやることがよくあります。理屈はよくわからないのですが、いろんな条件を均質化しておくと、作業効率が上がりやすい気が、経験的にします。


教育にこれを当てはめると、例えば、学力別のクラス編成なんかが該当し、それは所与の既存知識を習得するという意味合いでは確かに効率化に寄与するのですが、教育はどっちかというと、未知の課題に遭遇した場合に対処できる地頭の鍛錬を主目的にすることが多くて、その観点には、均質化はあんまり寄与しない感じなんですよね、みた感じ。頭のいい子ばっかいる教室より、頭のいい子も悪い子もいる教室の方が地頭の鍛錬には良い感じがなんとなくします。


マイナンバーも、使いどころ間違えると便利どころか悪弊ありそうですよね。


まぁ、でも一昔前だったら大論争になりかねないマイナンバーが、粛々と運用開始されたのは、時代も変わったなって感じですね。

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