新しい体の獲得
2014年末から2015年始にかけて「アナと雪の女王」を十回ぐらい観ました。登場人物の所作が、日本のドラマを見ているように自然に映って驚きました。近年の日本の役者がハリウッドのコメディー系のボディランゲージを大幅に取り入れてるからそう感じるのだろうな、と思いました。
少し前までは、外国映画を観るときには、所作、ボディランゲージ、感情表現方法、映像文法といった点についてある程度あたまの中で翻訳しながら鑑賞したものでした。トルコ映画等はかなり寡黙な表現をとるものが多かったですし、韓国映画は、感情表現がストレートですし、アメリカ映画なら、肩のすくめ方、親指・中指を立てる仕草などについて、知識に基づく翻訳作業が要りました。地理的に離れた場所にいる人達が別な身体言語・映像言語を持つのはある意味当たり前で、それに触れるのも外国映画を観る楽しみの一つであった訳です。
「アナと雪の女王」でのキャラクターの表情や仕草に、まるで日本のアニメでも見ているようなギャップの無さを感じたのは、それからすると逆に驚きで、「あぁ、日本人は随分とハリウッドの映像文法に染められてしまったんだな」と思いました。
それが良いことか悪いことか。それは微妙です。
単純にハリウッド的感覚に全てが一面的に染まるだけだとすれば、それは退屈で、あまり良いこととは思えません。
でも、染める方も染まる方も双方が少しずつ変わっていって、今までに無かった語法が生まれるのであれば、それはそれでちょっと面白いと思います。ハリウッドだって黒澤映画からいろんな映像話法を取り入れて変わってきたのでしょうし、それによって初めて達成された表現上の成果というものもあるのかもしれません。
そう言った意味で私が注目したいのはEDMにおける、テクノロジーを媒介にした、従来型の民族性を超える新しい身体性の興隆です。その萌芽はアフリカバンバータとジョンライドンがコラボした辺りにあった気がします。また、ロックにおけるムーブメントが基本英米から発生していた1980年代にあって、例外的にハードコアパンクだけは全世界同時多発的に起こったように見えたことも、ある意味、そうした現象なのかもしれません。渋谷陽一はかつて黒人音楽の勝利という見取り図を示しましたが、1990年代以後のダンスミュージックの様相を見ると、単純にアフリカ系の身体性が勝利したというより、エレキギター、アンプ、エフェクター、リズムボックス、サンプラーといった、新しいテクノロジーが生み出した新しい響きとリズムでもって、従来型の黒人・白人・黄色人種の身体が少しずつ変容していった結果が現在のEDMなんじゃないかと感じます。1990年代末にブンブンサテライツが極東から現れた様は、その端的な事例ではないかと思います。
冒頭で話題にした「アナと雪の女王」は、3D版もあるフルCGアニメ。音楽の世界で起きた、テクノロジー由来の新身体性創造は、映像の世界でも進んでいるのかもしれません。
不気味の谷を超えて、見たこともないボディーとそのランゲージがある場所へ。とんでもない場所かもしれませんが、ちょっと期待しちゃいます。
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