相対性無間地獄絵図

1980年代は価値相対化の時代でした。あらゆる価値が茶化しの対象でした。全ての言説は、その文末に「とか言ってみたりなんかして」という自己相対化を暗黙理に含んでいました。


今思うにそれは二つの大きな敗戦の揺り戻しでした。太平洋戦争と学園闘争です。


太平洋の方は、1945年8月15日に小学生達が受けた衝撃を親の世代から口承で伝説的に聞いていただけだったので、どこかおとぎ話な受け止め方もしてましたが、学園闘争の影響は割とシリアスでした。鉄球で崩壊する浅間山荘をテレビで見てたのが小学校上がる前ぐらい。「世界を変えようってあんなにみんな頑張ったのに、ああいう展開になってちょっとがっかりした(通ってた高校の団塊司書談)」とのどかに言えるのは、曲がりなりにも前線にいた団塊だからであって、私達1966年生まれが中2になった1980年度には、かつての戦場はもはや廃墟でしかありませんでした。闘争は、大衆歌謡の情緒的ネタになり下がっていました(中島みゆき「誰のせいでもない雨が」、実際の発表年代は1983年あたりなので、1980年の話のついでに言及するのはやや時代錯誤)。


あらゆる価値は相対的であるのが大前提。命の重さも地球の重さも、状況しだいで軽くも重くもなるし、計量的に他の重さと比較もされる。正義はテロでテロリストもまたヒーロー。私達はもう、そう思うしかなかったのです。


私達がそれを楽しんだか?。楽しみました。最初の内は。差異の戯れの輪舞に興じるのは、精神体力に溢れる若者には純粋に楽しかった。現場で国やイデオロギーの為に比喩でなく血を流してきた戦中派と団塊には舌打ちされたり笑われたりしたけど、意に介しませんでした。映画「パイレーツによろしく」の石黒賢演じる主人公よろしく猫を抱いて笑ってました。最初の内は。


そのうち、つらくなりました。他の世代が言うように、私達のやってる価値相対化お遊戯は、本当にお遊戯でクソなんじゃないかと思えてきました。1980年代も半ばを過ぎ、私は大学生になってました。


「でも、だからってオウム真理教に入信すんのは違うべ?」


私達の多くはそれでも、安易な絶対主義に戻ることは出来ませんでした。二つの敗戦は、私達に、安易な絶対化に対する本能的警戒心を植え付けました(その警戒心は、例えば、人間の生命が他のあらゆる大義に対して固定的に優先されるとするようなドグマに対しても反射神経的に作動します)。自分達のやってるお遊戯とは違って、安易な絶対化にはもっと現実的な意味での危なさを感じました。しかし、終わらない日常の相対性無間地獄は過酷で、精神体力の無い者から順に、絶対主義へのダイブをするものが続出しました。


「やめろ!、その河、越えると死ぬぞ?」


残されたものは、歯を食いしばって、相対主義のブヨブヨを我慢し続けたのです。


で、どうなったかって?。21世紀の今、ネットあたりじゃブヨブヨならぬウヨウヨ、と(笑)。でもまぁ、そっちの方が揺り戻し方としては、まだしも健全なんでしょうかねぇ。私達の価値相対化お遊戯が、あまりにも悪ふざけだったんで、その反動なんでしょうか?。


あどけない地獄絵図のお話でございました。

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