079:巨大ナメクジの襲来

 腰ほどもある巨大なウサギが、凶悪な前歯を光らせて驚異の跳躍を見せた。来る! 身構えた僕の前にひらりと影が割り込んでくる。巨体に似合わず素早い動きを見せるのは、剣士のゲインクルーガだ。ざん、とウサギのアタマをかち割る音だけが聞こえ、赤いしぶきがかろうじて見えた。

「まだいるぞ!」

「間に合わせるみょん!」

 背後から続いたのは、魔術師のメリアニーだ。

「……サンダーブラスト!」

 もごもご唱えた呪文を締めくくる。甲高くあまったるいアニメ声も、この時ばかりはキレが良い。

 僕もただぼーっと見ているわけには行かない。ゲインの脇を飛び出し、今にも迫ろうとしていたウサギにスタッフで殴りかかる。

 ぐし。重い手応え。けれどウサギは倒れない。

「やた!」

「まかせろ!」

 メリーの歓声の方向からは、香ばしさを通り越した焦げ臭さが。飛び退いた手負いのウサギを追ったのはゲイン。……攻撃法術を持たない神官なんて、時間稼ぎしか出来やしない。

 ゲインの大剣の一振りで辺りは静かになった。ちゃりんちゃりんと耳元で、コインがふれあう音がする。Lvが一つ上がった事が、みなぎる力でわかった。

「小物だな」

「しけてるみょん。早く先行こうだみょん」

「……ケガ……してないね」

 剣の一振りで確実に敵をしとめたゲインは当然として、魔法を唱えたはずのメリーも、息一つ乱していない。僕の胸はまだどきどきしているというのに。

「あの程度でくたばってたら、こんなダンジョン来れないみょん。さ、行くみょん」

「あ、待ってください!」

 一瞥しただけで、メリーは先に立って歩き始めた。一度振り返って僕の様子を確認し、ゲインはメリーの後を追う。さらにその後をはぐれないよう慌てて追った。


 初めてのオンラインゲームで右往左往している僕を拾ってくれたのは、ゲーム慣れしたこの二人組だった。たまたまパーティを組んでいた神官が抜けたとかで、代わりを探していたそうだ。

 もっとLvの合う神官もいただろうに僕にしたのは、酔狂だとメリーは言った。ゲインは初心者に付き合うのが好きだとある時言っていた。下心も多分にあるようだったが、気が楽になった。……なにせ、僕が死なない程度のダンジョンでは、二人とも経験値がほとんど入らないのだから。

 そんな中でこのダンジョンは二人にとっては少々物足りない、僕にとっては死地へ向かうような場所だった。攻撃一発で死なない程度まで成長したと判断されたらしい。(傷を負ったら間に合う程度に勝手に回復しろと、メリーからは言われていた。気遣ってくれるのか、ゲインはいつも僕の前に居てくれる。……幸い、一度も死なずに来ている)

 メリーは甘ったるい口調とは対照的に好戦的で、今も腕を鳴らしながらずんずんひとりで進んでいく。ゲインは巨体・怪力、なのに素早いという剣士として申し分ない能力を持ちながら、どちらかというと温厚な性格でゲームの先輩というより兄貴のような存在だった。

 僕は二人を……というより、やっぱりゲインを……信頼していた。ゲームを超えても付き合っていける友人だと。二人もそう思ってくれていると思っていた。

 ゴツゴツした岩肌が露出する角の崩れた通路を曲がると、短い悲鳴のような歓声のようなメリーの声が響いてきた。今度は巨大なミミズ。構える二人の間で、新しく使えるようになった法術を試すべく、スタッフを構えた。


 丸一昼夜、現実時間にして丸々二時間をかけてようやく洞窟は最深部にさしかかった。ウサギやミミズ、モグラは数を増し、数回に一度は上級の敵、宝石喰なんて無生物種も現れるようになった。僕の経験値はようやく二人の半分程度に近づいていた。Lvにして三ほど低いだけだ。回復法術も種類と効果を増し、攻撃法術もいくらか覚えた。荒行とは良く言ったものだと感心するほど成長できた。

 やがて、メリーは足を止めた。さすがのメリーでも避けきれなかった攻撃のために壊れかけた鎧がかちゃりと鳴り、ヒモで無理矢理縛った靴がかつんと最後に音をたてた。小柄でメリハリのきいた色白の肌には傷一つ無かったけれど。

 続いて、装備に疲労を感じさせるゲインも足を止めた。僕も二人の後で立ち止まる。

 僕らの前には扉があった。古めかしく埃の中に沈んではいるが、冒険者が来る度に重々しくさび付いた音をたてて開く扉。このダンジョンの、プレイヤーに尤も嫌われるというダンジョンの最後の扉だった。

 あまりの嫌われぶりに扉の奥に眠るアイテムはその秘めた能力の割にレアなものとなっていると聞く。パーティに入る条件が、これだった。……このアイテムを二人に譲る事。(最終的にメリーとゲインのどちらが所有することになるのか、僕は知らない)

「行くみょん」

「……うん」

 やはり先頭に立ったのはメリーで、巨大なゲインの背中がなんだか小さく見えたのは気のせいだったろうか。

 二人の事情を僕は知らない。問いかける間もなく、メリーは扉を開け放った。


『誰も行きたがらない迷宮』

『スラギビールの迷宮』という本来の名称ではなく、通り名の方が圧倒的に有名なダンジョンだった。

 理由は教えてもらえなかった。誰もが知っているほど有名なようだったが、僕が組んだのはこの二人だけで、メリーはにやにやと、ゲインは口も開きたくないと結局教えてはくれなかった。

 そして僕らの前には……視界を埋め尽くすナメクジが。

「やっぱりいやーっ!」

 ……え?

「覚悟しろ、くるぞ! ……サンダーファイア!」

 メリーの手元から巨大な火玉が、静電気をまとわりつかせて飛び出した。髪が燃えるような生臭さがあっという間に部屋に充ちる。

「気持ち悪いー!」

 ふっと視界が広がった。混乱しながらも僕はスタッフを構える。条件反射のように、陽光を満遍なくぶつけて敵を乾かすというえげつない法術を口にする。

「オーバーサンライトッ!」

 見る間にナメクジの一角がしおしおとひからび、端から粉となって消えていく。

「しっかりしろ!」

 魔術師メリアニーの、あろう事か回し蹴りがゲインの背中にヒットした。ダメージにはならないだろうが(なにせ、基本攻撃力が低すぎる)勢いで前に飛び出していく。……ナメクジの群のただなかへ。

「いーやーっっっ!」

 ……野太い男の甲高い悲鳴というのは、なんと表現すれば良いのだろう……。

「俺が抜けたら当分取れないんだぞ!?」

 その台詞が果たして聞こえただろうか。めくらめっぽう振り回した剣であっても、筋力十分なれば、近寄れるナメクジは居なかった。

「神官、あっちの隅をたのむ……だみょん?」

 思わず吹き出した僕を誰が責められるだろう。なんだか一気に肩の力が抜けた。

「了解。……オーバーサンライト!」

 ゲインの脇を掠めるように飛んだ『太陽の光』は部屋の最奥を照らし、奥のナメクジを塵へ返す。メリーは渾身の力で、今度はゲインの鎧を掴んで引き寄せた。

 べろん、べろんと粘着質の物体がたてるような音が聞こえてきた。閾値を超えたのだろう。イベントの開始だ。

 何が起きているのか。目をこらす僕の前で、ふとナメクジが減っていた。いや。違う。

「……イイ趣味だな、ココのデザイナーは」

 芝居をすっかり放棄したメリーは、押し殺した声で呟いた。尻餅を着いたままのゲインは声もない。

「誰も来たがらない理由がわかりました……」

 ナメクジは『喰われて』いた。中央に現れた、一匹だけ色の違うナメクジに。

 べちゃりべちゃりと仲間を喰いながら、中央のナメクジは……おそらくこの迷宮のボスは……肥え太っていく。

 五分もすると、雑魚ナメクジはもうどこにもいなかった。山のようなサイズの、リアルなヒダをてらてら光らせた巨大なナメクジが粘液を跡に残しつつ……目の前に。

「行くぞ、神官」

「……はい!」

 唐突に理解する。だから神官が必要だったのだ。

 メリーはゲインの視界を塞ぐように一歩前へ出て、絶対焼却の魔法印を結ぶ。神官である僕の役目は仲間を包む絶対防御を施す事。

 ゲインを中心に、法術を完成させる。

「ファイナルバースト!」

「パーフェクトプロテクトッ!」

 一瞬感じた熱気は無事、不可視の障壁に遮られた。本来声帯を持たないはずのナメクジが演出の上か実用の為か、呪いの悲鳴と共に燃えていく。

 座り込みたいほどの虚脱感を感じながら、ナメクジが燃え尽きるまで、どうにか僕は支えきった。


 ナメクジが守る祭壇に眠っていたレアアイテムは、オリハルコンソードだった。もとから二人に……ゲインに、という事が今ならわかる……譲る約束だったが、そもそも神官が持てるようなシロモノではなかった。

 今、芝居を止めたメリーが女性の扱いに困るような顔をして、しくしく泣き続けるゲインを慰めている。

 僕にはキャラクター通りの背中しか見えないが、メリーには一体どう見えているのだろう。

 二人のとぎれとぎれの会話をつなぎ合わせた結果、わかったのは……多分、単純で複雑な事だった。

 メリアニーは現実の事情でしばらくゲームが出来なくなる。

 ネカマ・メリアニーと、ネナベ・ゲインクルーガはお互いの正体を知っている。

 メリアニーとゲインクルーガはもしかしたら恋人かも知れない。

 メリアニーはゲインクルーガへ、最強武器の一つと言われる剣をとってあげたかった。

 ここで口を出すのは多分野暮ってもんだろう。けれど、ゲームを抜けてしまうのも薄情な気がして、僕はなんとなく二人に背中を向けた。

「……じゃぁ、な。連絡はするから」

「うん……!」

「神官くんも、さんきゅな。……さよなら」

 振り向いた僕の前に、もう、メリアニーの妖艶な姿はなかった。

 僕は泣き崩れるゲインの巨体に一歩近づく。現実なら多分躊躇しなかっただろうけれど、肩に手をのせただけで、のぞき込む事はやめておいた。

「……ゲイン、僕でよかったらこのままパーティに居させてくれない? 女同士、仲良くやろうよ」

 目を真っ赤にしたゲインクルーガが、目をぱちくりさせて、僕の顔を見返した。


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