076:犯人はコウモリ
――都会にもコウモリはいるって知ってた?
不可解な事件が続いていた。
月のない闇夜ばかりを狙って、鉄格子の中からモノが消える。
宝石、銀製品、手のひらで掴める程度の小さなモノばかり、一度に1~2点。
ヒトの仕業とは思えなかった。なにせ密室だ。ドアにも窓にも傷一つついていない。
では、一体何が。
窃盗担当の三課の面々を悩ませる最大級の謎だった。
その日も眠れぬ夜を過ごしていた。
朝剃ったはずなのに、夕方にはすでに生え始めている無精髭をさらに放置し、すっかり疲れ切っていますと顔一面で現しながら、高菜純生は気分転換と眠気覚ましを兼ねたコーヒーをわざわざ自販機コーナーにまで出て飲んでいた。三課の室内でも飲めないわけではなかったが(むしろ、好みの味で入れられる分、自販機コーナーで買うよりも美味しい)少しでも逃げる口実が欲しかったのだ。
五件目だった。今年に入ってすでに五件目。高菜が三課へ配属になってからもう一〇件近く発生していた。高菜が知っているので、その一〇件。しかし、実際には倍近く発生しているらしいと、懇意にしている情報屋は呟いていた。警察への通報がないのはソレが公表出来ない品(つまり盗品)であるからで……そんなに厳重な警備の中にあっても盗み出されているということでもあった。
しかし、実際に起きている数がどうでも、盗品が圧倒的に多いらしいとしても、未だ犯人を検挙できていないという事実には変わりがなかった。犯人は手がかりを残さない。何一つ、残さない。幽霊が突然わき上がって、獲物を掴んで消えてしまったと言われても信じるかも知れない。それほどまでに、何もなかった。
三課の部屋は自然ぎすぎすしたものになった。捜しても見つからない手がかりを求め、毎日のように通報される、窃盗、スリの相手をし、さらに非難を隠しもしない報道の相手までこなし、疲れないわけがなかった。
捜査は行き詰まっていた。誰もがソレを自覚しながら、新たな切り口を捜せないまま時間ばかりが過ぎていく。そして、新たな被害が増えていく。
先ほども、通報があった。
二人同僚が出かけたのは、つい先ほどだった。
「友達んとこから帰る所だったって、なんべん言えばわかるの」
「どうしてもっと早く帰らないの。何時だと思ってるの?」
「しょうがないでしょ、この時間になっちゃったんだから」
「ねぇ、本当にお友達?」
「”トモダチ”だよ。オジサンじゃないってばーっ!」
甲高い声だった。照明も落とされ、人気の無くなった廊下の壁や床で何重にも反射して、散弾銃の様に高菜の耳に突き刺さった。疲れた頭に、それは頭痛の種のようだった。
声に遅れて足音が聞こえてきた。やがて、でっぷりとした体格をきっちりとした制服に収めた婦警と、色の白い……暗い中でも雪のような肌の白さと、闇に解けるかのような黒い日本人形のような髪を無造作に流し、ジーンズと棉シャツという、近頃めっきり見ることが無くなったシンプルな格好の少女が姿を現した。少女の手は婦警に捕まれていて、半ば引きずられるように高菜の前を通り過ぎる。
小柄な少女は、高菜には中学生ほどに見えた。袖口から覗く手や襟から覗く首筋は、まだ女性らしい丸みを欠いていた。
高菜は溜息と共に右手に締めた時計へ視線を落とした。
――午前二時。中学生が出歩くには、少々どころではなく遅い時間だ。しかも場所が……この警察署の所轄の大半をしめる……繁華街とあっては。
「八重さん、補導?」
高菜はちらりと目が合った婦警へ、軽く声を掛けた。婦警は盛大なわざとらしくさえ聞こえる溜息と共に、高菜へ返した。少女を横目でしかりつけるように見やりながら。
「三丁目のホテル街にいたんですよ。あの辺は……警戒地域ですから」
「エンコーなんかしてないよぉっ!」
「はいはい。だから、連絡先を教えてね」
「ぜーったい、ヤダ!」
「八重さん……ま、ほどほどにな」
少女のあまりの反発ぶりに、苦笑いと共に高菜はそう、声を掛けた。
馬鹿なこと言わないで頂戴とばかりに、大仰に八重女史は肩をすくめて見せると、少女の手を引いたまま少年課のドアを開けた。
助け船というワリには消極的にな一言を耳にした少女は、目をぱちくりと瞬いて、高菜をまじまじと見返して、そのままドアから漏れる明かりの中に消えていった。
やれやれと、高菜は溜息一つついて、すっかり冷えたコーヒーを飲み込んだ。そしてぼんやりと気付いた。
同僚が向かった先、追加された現場は三丁目だったような。
その日の現場には、十一件目にして初めて、犯人の痕跡があった。痕跡は有ったが、すぐにそうと決められるものではなく、高菜達一同は、結局今日も警察署で朝日を拝むことになりそうだった。たたき起こされた科捜のメンツは、それでも精一杯仕事をしているはずで、同じく専門家をたたき起こすことになるらしいと小耳に挟んだ。
こんな時間にもかかわらず鳴り続ける電話から逃げ出すように、高菜は今日も自販機コーナーへ出ていた。
ひとりで考えたいこともあった。……盗まれたと思しき宝石の写真を、全く別のどこかで見た気がして、時間が欲しかった。
「あ、この間の刑事さん」
「あ?」
かけられた声に覚えがあった。振り返るまでもなく、小柄な影が自販機から漏れる明かりの前へ滑り込んできた。
「ね、このミルクティー、買ってよ」
「自分で買え」
「だって、お金持ってないモン」
少女は今日もアクセサリー一つ身につけず、洒落気のない服装をしていた。自販機の色とりどりの明かりに照らされた肌は、やはり病的に思えるほども白い。こんな時間に署内にいるということは、また補導されたのだろうか。……援助交際などという言葉とは無縁そうな細い指が、一つのボタンを示している。
「……しょうがないな」
ズボンから小銭入れを出すと、百円玉を投入口に差し込んだ。すかさずボタンを押す少女を眺めながら、よっとかがんでつりを取る。
「ありがとー。あつーい」
これ以上ないほど幸せとでも言いたいのかと疑うほど、満面の笑みをたたえてカップを取ると、少女は高菜の横に並んで壁に寄りかかった。
少女がふーふー息をかけながら一口ミルクティーを含むまで、高菜は何も言わず、廊下は冷え切ったように、静かだった。
「刑事さん、何のお仕事してるの? いつも遅いんだねぇ」
「……いつもってことは、君は常連か」
「あ。……だって、見つかっちゃうんだモン」
「いつもこんな時間まで遊んでるのか。子供は家でゆっくり寝るもんだ」
「だって、”トモダチ”が帰ってこないんだモン」
「友達は選べ」
「選んでるよ」
「あのなぁ……」
今時の子供は、こんな時間まで一体何をしているのか。勉強のワケはないだろう、高菜も嫌いだったクチだ。ならば?
少年課がいそがしいのが判る気がして、部署違いの高菜でさえ思わず説教をしそうに口を開き、少女の無邪気な声に遮られた。
「刑事さん、泥棒を捜してるんでしょ?」
「……ぅあ?」
変な声になってしまったのは、中途半端にしていたからだった。高菜は少女を見返した。少女も何の含みもなさそうな綺麗な目を高菜に向けていた。
少年課の名物婦警、八重女史にでも聞いたのだろうか。高菜が三課の人間で、三課は窃盗などの担当部署で、だから、別にヒミツでも何でもないが……。
「盗まれたモノってどこに行くんだろうね」
「どこに、って……」
「ごちそうさま。もどんないと婦警さんに叱られちゃう」
あっけにとられている高菜の前を少女は身軽にすり抜けた。ふらっと香った臭いに、ふと高菜は首をかしげ、同時に幾つもの事柄が頭に浮かんだ。
「おいっ!」
高菜が振り返った先で、最後の光がスジとなって消えた。
追おうと一歩踏み込んで、高菜は思い直して向きを変えた。
盗まれたモノだと見せられた写真は数年前に新聞の片隅で見かけた。
少女の髪から香ったのは、香水でも、子供らしい青臭さでもなく、どこか湿っぽくよどんだ空気。
見つかった痕跡は、何かのフン……結果は科捜待ちではあるが、誰かが呟いていた。
――都会にもコウモリはいるって知ってた?
盗んだモノは裏ルートで売りさばかれるのはスジだった。そのまま闇で寝かされるモノもあれば、国外へ持ち出されるモノもあるだろう。
空港だと、直感した。検査を強化してもらうのが先だ。
高菜は大きくドアを開けた。
三課の、戦場へ踏み込んだ。
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