044:途切れた道

 都会(まち)の人間だと、一目でわかった。

 透けそうなほど薄い金髪の下は、日焼けなんて縁のなさそうな白い肌。女みたいに細い男だった。村では見ることもない光る生地の服を身に纏い、埃一つついてない靴を履いている。

 持っているカバンはやたらと四角く、後ろに見える車はぴかぴかで、傷一つないように見える。車体は低くて荷台はない。所々舗装のはげた村の道ではさぞかし乗り難いだろう。

 呼んで出てきた父ちゃんは一目見るだに眉をひそめた。村長なんて肩書きで村をまとめてはいるけれど、普段は村のみんなと一緒に畑へ出たり山へ入ったりで、ごく普通のオジサンだ。見劣りしないのは日々作業の傍ら鍛えている身体付きぐらいだった。

 その父ちゃんが腰に手を当てて男と向き合っている。父ちゃんが歓迎してないらしいのは、追い払われて扉の影からこっそり盗み見するしかない僕にも伝わってきた。

 そして男は、口元だけを少しだけ笑わせながら、狐みたいな目で父ちゃんを見ていた。

「これは国にとって重要なことなのです。あなた方にも利はあります」

「それはお前さん方の言い分だろう。こちらにはこちらの都合がある。ダメなものはダメだ」

「すぐに理解戴けるとは思っておりませんよ。村の宿を取りました。しばらくこちらに滞在するつもりですが、まさか追い出したりはできませんでしょう?」

 嫌な言い方をするヤツだ。いくら父ちゃんが村長でも宿屋に泊まらせるなとは言えない。営業妨害になるから。

 父ちゃんが何も言えずに居ると、男はくすりと小馬鹿にしたように笑って出って行った。重いエンジン音が近くで響き、やがて遠くに消えていった。

「父ちゃん。なんだよ、今のヤツ」

「エルス。立ち聞きとは関心せんな。引っ込んでいろと言ったはずだが?」

 しまった。……思ったけどもう遅い。僕は開き直ることにする。

「聞いちゃったもの。もう遅いよ」

 ごん、と火花が散った気がした。僕は頭を抱えてうずくまる……父ちゃんのゲンコツはまるで鉄の塊だ。

「理由になるか、ボケ。……まぁ、聞いちまったモンはしょうがない」

 ふぅと大きく溜息。見上げた僕にしょうがないなと笑いかけて、大きな手が頭に乗った。

 ぐしゃぐしゃと髪をかき回される。

「アイツには近づくな。みんなにも言っておけ」

 うん。僕は頷いた。

 僕にも十分……嫌なヤツに見えたから。


 朝はたいてい母ちゃんに起こされる。学校に行く遙か前、朝日が出てくるくらいだ。

 父ちゃんはもう起きて畑に行く準備をしている。母ちゃんはそのまま朝ご飯の準備だ。起こされた僕は、顔を洗って服を着替えて水と道具を担いで家を出る。

 向かう先は村の一番奥の僕のうちからさらに奥へ入ったところ。アスファルトの舗装もなく、不揃いな石を敷き詰めた道をたどる。その道さえも途切れた場所だ。

 石畳の隙間から覗いた草をむしって、落ち葉を掃いて脇へ避ける。最後に水を辺りにかけて石畳を磨く。

 この道がなぜ途切れているのか僕は知らない。道の先は草と木と蔦でふさがれていて、先に何があるのかも見通せない。道の先へ行ったこともない……入った者は二度と出てこられないと子供の頃から言われていたから。

 小さい頃は、行ってみようと思ったこともある。けれど、石畳を越えるとすぐになぜか大人たちに見つかって、連れ戻されてこっぴどく叱られた。何度も。だからもう、行くと反射的に身がすくむほど、行ってはいけないと身体に染みついている。……村の子供なら、誰でもだ。

 夏の気配もすっかり消えると、石畳は一日で木の葉に埋め尽くされる。木が多いからしょうがないのだけれど。 

 すっかり掃いて冷たさを感じるようになった水をまく。そして、ブラシでこする。

 ざわりと木々が揺れて、僕は木々を見上げた。遅れて強い風が吹き抜ける。雨でも連れてきそうな生ぬるい風だった。

「おはようございます。お掃除とは感心ですね」

「!?」

 振り返った先には、昨日の男がいた。石畳に響くはずの足音に、全く気づかなかった。

 僕の様子なんてお構いなしで、男はとことこと近づいてくる。撒いたばかりの水もお構いなしだ。

「君には昨日会いましたね。村長の……ご子息ですね。名前はなんというのでです?」

 細い目が少し腰をかがめて僕を覗き込んでくる。

 ……金色のきれいな目だった。

「……」

 父ちゃんは近づくなと言った。……僕が答えないでいると、男はにこりと笑った。

「私はアルバート・レグリスといいます。この道の調査に来ました」

「道の?」

 男はさらににっこりと笑った。……冷たい嫌な雰囲気がなくなって、細い目がついになくなってしまった。

「はい。君のお父さんには断られてしまいましたが」

 そうだ。父ちゃんは断った。近づくなと言った。

 僕は石畳磨きを中断して手早く道具を片付けた。

「おや、終わりですか?」

「……」

 こいつと話しているところを見つかったら、また叱られる。

 僕は家へ向かって駆けだした。

「また来ます。なんなら、お手伝いしますよ」

 ……僕は答えなかった。


 また来るといったのは、どうやら本気らしかった。

 僕の掃除は日課で。つまり、毎日で。レグリスは翌日も翌々日も朝っぱらから僕の前に現れた。

 最初の二三日は口をきかないようにして帰るようにしていたけれど、そろそろ掃除をさぼるわけにも行かなくなってきた。

 レグリスは勝手に掃除を手伝ってくれた。僕が何も言わなくとも、勝手にいろいろなことをしゃべりながら。

 レグリスは国のお役所に勤めていると言った。各地の様々な伝説を調べるという変わった仕事をしているらしい。

 この村に来る前にはは遙か北方に伝わる『オニ』という魔物の事を調べていたという。オニのミイラと伝わる物が実は大猿の骨にウシの角をくっつけたものとわかって、すごくがっかりしたという話や、立ち入ると呪いが降りかかるという洞窟の中に、猛毒を持つ虫が住み着いていたという話を僕にしてくれた。

 時々水を自分の足にかけたりして、案外鈍くさいこともわかってきた。

 ……七日が過ぎる頃には、挨拶くらいするようになっていた。

「ということは、エルスくんもこの道がなんなのか知らないわけですね」

「知ってるヤツなんかいないよ。聞いたら『大人になったら』としか言わないし、この先に行こうモンなら晩飯抜きは確定だから」

 くすすと、レグリスは笑う。……そうするといつもの取っつきにくい雰囲気はどこかに行ってしまう。

 あっと声を上げて、レグリスの笑顔は情けなさそうな顔に変わった。また水を自分の足にかけたのだ。

「鈍くさいなぁ……!」

「よく言われます」

 レグリスを脇へ追いやって、石畳を磨く。最後に水をかけて、今日の作業は終わりだ。

 あんまり長居していると、父ちゃんに叱られる。……レグリスと毎朝会っているのがばれてしまうかも知れない。

「じゃ、帰るね」

 はい、また明日。

 そう帰って来ると思っていた僕の背中に、違う言葉が飛んできた。

「エルスくんはこの先に何があるか、まだ知りたいですか」

 思わず僕は足を止めた。レグリスを振り返る。

「……なんで?」

 にこっとレグリスはまた、笑った。

「いいえ。……また、明日」

 見返す僕を追い抜いて、レグリスは先に歩き去った。

 知りたくないわけじゃない。行きたいと思わないわけじゃ、ない。

 ただ僕は、村の子供の誰も。……出来ないと知っているだけだ。


「おはようございます」

 僕より早くにレグリスが来ているのは初めてだった。

「おはよう。早いね」

 僕はちょっとレグリスを見上げて、お構いなしに箒をとった。

 ……その手をレグリスが止めた。

「何?」

 見上げた僕ににっこりとレグリスは笑い返した。

 え、と僕はレグリスを改めて見る。

 ……いつもの笑顔。目がなくなってしまう笑顔。でも今日は、どこか……冷たい?

「提案があります」

「……提案?」

「この先に行ってみませんか?」

「……」

 レグリスは視線を向ける。道の『先』に。

 無理だ。僕は緩く首を振る。

 幼い頃から、何度も足を踏み出してみた。

 そのたびに、二歩も進まないうちに大人たちに見つかった。

 大人が誰も居ない時間を見計らっても、こんな早朝でさえ。

 思えば、村の大人じゃないこともあった。……野犬や、牛や、馬だったこともあった。

 何かに見つかり、首根っこを捕まえられて村へ戻されるのだ。……そして、きつい説教と罰が待っている。

 大きくなるにつれ、行ってはいけないものだと何となく理解し、面倒になり、そんなものだと思うようになっていく。僕より年長のジーンもガイルも、仕事に忙しくてもう、こんな村はずれに来ることもない。

 僕だって、諦めかけていた。

 村長の家の一員として、掃除は日課ではあったけれど。文字通り行かれないものだと思うようになっていた。

 金色の目が、僕を見つめる。

 ……とうになくしたと思っていた疑問と好奇心がよみがえってくる。

「無理、だ」

 見たい。けれど、怖い。

 ……怖い?

「無理ではない、と言ったら?」

 説教と食事抜きの罰が?

 ……違う。嫌だけど、そのくらい、怖いわけじゃない。

 でも、怖いんだ。

 この道の先が。

 いくつもの顔が……見覚えのある顔が、いくつも過ぎって消えていった。

 にこり、とレグリスが笑む。

 ……僕は喰われるのかと思うような笑顔で。

「やっぱり、鍵は君だったんですね。記憶を封じられているようですが、問題はありません」

 箒を掴まれて取り上げられた。

「村の外の現状を知っていますか? 異常気象で農業は不作。海流が変わって漁獲量もめっきり減りました。外国の圧力で輸出入もままなりません。国は今、不可視の力を必要としているのです」

 僕は、動けなかった。

「君がいれば、道の先へ行けるんです。わかりますか?」

 僕の背をレグリスの細くて冷たい手が押し出す。『先』へと。

 キミガカギ。イカイヘツヅクモンノ。

 耳が勝手に言葉を拾う。意味が頭に入ってこない。

 そして、聞いたこともない言葉のような歌のような音が聞こえてきた。

 背が押される。目の前に蔦が。

 蔦が……蔦の向こうが光って、いる……?

「扉が……!」

 レグリスの声を最後に聞いた気がした。


 気づくと母ちゃんの顔があった。その向こうに、諦めたような父ちゃんが立っていた。

「レグリスは……?」

 声に出すと父ちゃんは目をそらした。

 母ちゃんはぼくの頭を撫でながら言った。

「もう帰ってこないでしょうね」

 ……うん。ぼくは頷いた。

 なんとなく、そんな気がしていたから。

「……あとで全部話そう」

 父ちゃんはそう言って出て行った。

 母ちゃんはそっと抱きしめてくれた。


 怖いのは道の先じゃない。

 仲良くなった人がいなくなる、そのことだったんだ。


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