033:邪悪の指輪

 地中深くに生まれた亀裂に流れ込んだ鉱物が長い時をかけて変成され、貴く輝く石となる。その身に取り込んだ地の力はこぼれ落ちる光の滴に混ざり込み、手に取るものを魅了する。

 掘り出されたばかりの石はそれ自身にまだ意志はなく、手に取るものの意を受けやすい。地の力を強く秘める強大な石は、それ故に志あるものに求められ掘り出され、そして、奪われ、砕かれた。

 長い長い歴史の中、幾多の戦乱にも耐え来た石は魔石と呼ばれ、古代の邪悪な魔術師の意志を継ぐものも存在する。

 そのうちの一つ、魔力を増す銀と掛けあわされ決して失うことのない禍々しい蒼黒い光をたたえる指輪は、邪悪の指輪と呼ばれた。長く伝説として語り継がれるその指輪は、至高の騎士団でさえ封じることしかできなかった魔術師の意志を宿し、身につけるものを破滅させると、言われていた。

 光のものに封じられ、闇のものに探されてなお、その指輪の行方は絶えて久しい――。


 *


「礼拝堂の掃除を命じる!」

 真っ赤な顔して仁王立ちで見下ろしながらバレン先生は言い切った。

 うへ。よりによって礼拝堂かよ! 後ろでざわざわ聞こえてくる。そりゃそうだ。誰だって嫌だ。あんなだだっ広くて薄暗くて寒くて面倒くさい所なんか! トイレ掃除ならお手の物だってのに。慣れすぎて少々さぼったのが悪かったのか?

「下級魔術級Cクラス24番アリケス・ローディ、返事は!?」

 うげ。不満顔がでちまったか。失敗失敗。嫌だろうと、何だろうと、バレン先生には逆らわないが得。俺は気を引き締めて、しおらしい顔を作って見せた。

「イエス、サー。下級魔術級Cクラス24番アリケス・ローディ、礼拝堂の掃除を拝命します」

 ばっからしい。軍隊じゃねーんだから。

 バレン先生じゃなければ、復唱もこんな敬礼くさいもいらない。そもそも、礼拝堂掃除なんて言われないだろう。あーあ、ババ引いた。よりによってバレン先生が見回りの日に、透視の魔術が成功しちゃうなんて! あーあ。もうちょっとでキルッシュの麗しい下着が拝めたっていうのに。

 うんざり顔を見せないように敬礼を返した俺は、素早く下向き礼拝堂へ向かった。当たり前のことだけど、……共犯のはずのクラスメイトは誰一人としてついてなんてこなかった。


 礼拝堂は好きじゃない。机が多い、椅子が多い。この季節に石の床は寒いし、ろうそくの明かりは頼りなくて薄暗い。ステンドグラスから注ぐ光は弱々しくて、神々しさのかけらもない。なのに置いてある神像はステンドグラスに負けてやがるし。

迫力とか暗いとかそういうんじゃなく、まるで『俺の前に立つな!』と喧嘩して負けるように、良く倒れて来るんだ。……掃除中に倒れて来なきゃ、まぁ、かまいはしないけど。

 そして何より、雰囲気が暗い。重い。なんでだろう。田舎の礼拝堂でも、本校の礼拝堂でも感じたことはなかった。ここだけ。数ある校舎の中の俺が知ってる礼拝堂の中の、ここだけ、こんなに、嫌な空気をまとっている。

 つっても、掃除は掃除なわけで。バレン先生に言われたからには、きっちりやらないとまずいわけで。あいつは後できっちり見回るなんて事もやるわけで。仕事は仕事。プライベート(じゃねぇけど)はプライベート。あいつの前ではわけないとな!

 床を掃き、椅子を拭き、テーブルを清め、ピアノを磨き、像の埃を払い取り……。午後の終業のチャイムを聞いてやってらんねーよと思った時だったと、思う。

 ピシっと、聞いた気がした。

 倒れやすい神像を磨いていた手が、軽くなった。押したつもりはなかった。って、そもそも像は壁に背にしている訳で……。

 ががが、と、続いた。ごごご、の方があっているかも知れない。

 ないはずの光があった。光は徐々に強くなった。そして神像は、俺の前をゆっくりゆっくり、倒れていった。……壁ごと、外側に向けて……。

「わぁぁぁっ!」

 思わず腰を抜かした俺の額にがれきの一つがぶち当たって、俺はめでたく気を失った。


 目を覚ましたのは保健室のベッドの上だった。蛍光灯の白いランプが時折寿命を主張して、カーテンの隙間から見える窓の外はすでに漆黒の中にあった。

 ちょっと頭が痛かったけど、たんこぶができている位で他は別段なんともないようで、俺はその場で身を起こした。ゆっくりとベッドを出、うんとのびをする。……なんともない。誰かが運んでくれたんだろう。制服代わりの青いローブは、ベッド横のバスケットの中に丁寧に畳んであった。一番上に、何か石をのっけて。

「?」

 指輪に見えた。飾りの石ばかりがでかくて指輪にはとうてい見えなかったけど、青い石を乗せた、指輪だった。

 誰かの忘れ物だろうか。

「起きた?」

 優しい高い声に、あわてて俺はローブを着込んだ。指輪はとりあえずポケットにつっこんだ。だって俺はトランクスにTシャツ一枚になっていて、さすがに綺麗で優しいと評判の保険医にそんな格好は見せたくなかったから。

「は、はい」

 かろうじて間に合ったようだった。袖に手を通すと同時にカーテンが開いて、薄化粧しかしてないくせに、目鼻がくっきり、長い髪がさらりとこぼれる俺達のアイドルが顔をのぞかせた。

「大丈夫? 頭を打ったみたいだったけど、吐き気はない? どこか痛いところは?」

 保健士のリアルティス先生は美人顔に似合わずさっぱりしている。男子生徒も、男性教諭も、甘やかしたりこびたりしない。今だって、元気そうな俺を見て、ほら、もう行こうとしている。こんな時くらいちょっとくらい優しくしてくれたっていいのに。

「……もう少し、寝ていた方がいいんじゃない? なんなら、添い寝してあげましょうか」

「……い!?」

 行ったふりして、戻ってきた。俺を座らせ、隣に座る。カーテンは引かれたまま。部屋は静かで、誰もない。

「痛いのは、ここ?」

 そっとしなやかな手が触れる。ちょっと冷たい指先が、気持ち、いい。

 うっひゃ、役得! おれは大けがしたことないし、こんな人だったなんて思わなかった! これなら風邪引いたらここぞとばかりに引きこもったり、怪我したら役得戸ばかりに街の医者に繰り出したりしないで、まっすぐ保健室に来ればよかったんだ!

「先生……」

「気を付けないと、駄目、よ」

 潤んだ瞳のまま、俺を見る。そっと俺をベッドに押し倒して、先生、も……!?

「アリケス・ローディ! 生きてるか!?」

 はっと、先生の目が瞬いた。見上げる俺に怪訝な目を返して、さっと、立ち上がる。服装を簡単になおして(直してっていっても、大して崩れてなかったけど)カーテンを引く。

 あれ? 俺は思った。思ったけど、考えるまもなく、夢見心地とは正反対の洗礼を受けた。

「アリケス、無事だったか!」

 バレン先生の太い腕と、たくましい胸板の中に、俺の顔は埋没していた。


 礼拝堂崩壊の原因は老朽化とされた。この校舎は魔術学校発祥の地に経っていて、かつては本校だったこともあったそうだ。幾度か立て替えられた校舎とは別に、礼拝堂が立て替えられたことはなく、古き良き時代、そのままの建物だったのだという。

 建造から数百年下手をすれば数千年だなんて、いくらなんでも信じないけど、骨董品の固まりには違い有るまい。

 壁の崩壊をきっかけに、礼拝堂の建て替えが決まったと聞いたとき、俺はどこかでほっとした。あんな危ないものいつまでも残しておくことはないだろうと思ったし、忌々しいものがようやく消え去るのだと歓喜さえ、感じていた。

 そう、歓喜だ。これで俺は自由なんだから。

「アリケス、怪我はどうだ!?」

「……もう何ともありません」

 ち。バレン先生に見つかってしまった。

 せっかく、午後の気持ちのいいひとときを屋上のそよ風の中ですごそうと思ったのに。憎き日の下で解放され、白めく月を呼び寄せようと……。

 ……あれ? 今、俺、何を考えた?

「そうか、それはよかった! ところでそのほかに変わったことは起きていないか?」

「なんですか、それは」

 厳つい顔が、ほっとしたのかどうか知らないけど、最近はゆるみっぱなしだ。熊が愛想笑いをしているみたいだ。……なんだか落ち着かない。

 なれなれしく肩にかかった手が、妙に熱い。気持ちが悪い。……比喩じゃなく、なんだ、本当に、むかむかする。

「どうした? 真っ青じゃないか!」

 あんたのせいだとは、さすがにいえない。……もう、一言でも口をきいたら、多分吐く。

 気をきかせたつもりか、教師ぶった正義感か、バレン先生は俺を抱え上げた。多分、保健室に連れていく気だ。喜んでいいんだろうか。保健室に行けば、リアルティス先生が今度こそ、『献身的』な介護を……だ、だめだ、そんな甘美な想像も、気分の悪さの前にかき消えた。だめだ。やめてくれ。お前がいるから、私、は……。


 ――あいつを殺せ。

 ――殺す? 何故。

 ――あいつは邪魔だ。

 ――うん。邪魔だ。いつもいいところで邪魔をする。

 ――邪魔者は排除せよ。

 ――そうか、どかしてしまえばいいんだ。

 ――あいつを殺せ。

 ――でも、できない。俺はそんな力はない。

 ――我が力を貸そう。

 ――力を?

 ――あんな小僧、ひとひねりにできるわ。

 ――借りれば?

 ――我を使え。主は選ばれた。

 ――俺が?

 ――あいつを、殺せ。


 目を開けると、白い天井が目に入った。相変わらず瞬く蛍光灯で、場所が知れる。窓の外には白い月が出ていた。冷たく世界を監視する月が。

 あいつは何処だろう。口の中で唱えると、視界からカーテンが消える。向こうにはリアルティスも誰もいない。

 もう一度呪文を唱える。教科書で見ただけの、高等魔術。いともあっさりと結果は得られた。あいつはこちらへ向かっている。リアルティスと一緒に!

 立ち上がりローブを手に取ると、ポケットに違和感を感じた。出てきたのは、青い石。石と台座があわない、不釣り合いな指輪。冷たい台座は、けれどしっくりとなじむ。――私の指輪。

 かららと軽い音を立てて保健室の扉が開いた。肩を並べて、美女と野獣が入ってくる。談笑などしながら、カーテンに手をかける。

 ――今だ。

 自然と手が上がった。口の中を転がるのは読んだこともない、攻撃魔術。初めても術でも、威力は分かる。あいつを中心に消しくずに……!

 ――ちょい待ちっ。

 俺は何を考えた!? バレンの野郎ならまだしも、リアルティス先生まで消し炭になっちまう!

 かまわないと、声が聞こえる。思っているのは、俺なのか?

「アリケス? どうした」

 ――邪魔者は殺せ!

 ――嫌だ!

 ピン。と、聞こえた。

 ふいに軽くなった右手から、青い滴がこぼれ落ちた。


 *


 力は光の滴となってこぼれ落ちる。自身の力の一滴を。

 悠久の時をかけて滴をこぼしきったなら、残るは……。


 *


 それが仕組まれたことなのか、時の行く末の偶然なのか、俺には結局分からなかった。

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