032:ゼンマイ仕掛けの小鳥
「やあね、何言ってるの」
「智香ったらぁ」
くすくすと友人達は笑う。私もつられて笑った。
やがて曲がり角が近づいて、バイバイと手を振った。
一歩踏みだせば、もう、友人達は私のことなど見もしない。内容などカケラも覚えてない会話の続きで笑い声を立てている。
けれど、薄情だなどとは思わない。一瞬で素に戻った顔で、私はまっすぐ前を向いた。
朝は6時半起床。7時45分に家を出て、学校に着くのは8時15分。
6時間目が終わるのは3時。掃除当番の時は、その後15分間掃除をする。
塾はまだ通っていない。幸い、学習塾に通わされる成績ではない。来年は受験だから、そろそろ考えなければならないけれど。
部活動や委員会には入っていないから、そのまますぐに下校する。日によって友人と寄り道をすることもある。けれど、7時には大抵家にいる。
7時には夕食。8時頃から入浴して、9時頃から宿題や勉強。映画を見ることもある。
そして、日付が変わる前にはベッドに入る。
そうして、一日が終わり、一週間が過ぎる。
けれど、その日は少しだけ違った。
「あら智香、お帰りなさい」
「ただいま……それ、何?」
帰宅した私を迎えたのは、キィキィとどこか錆びた音を立てる鳥籠だった。中に居るのは……こちらが音の発信源らしい、小鳥だ。
銅板を寄せ集めたような鈍い光を放つ小鳥だった。キィキィと音をたてながら、羽ばたき、くちばしを開き、首を傾げる。
その動作を3度繰り返して、止まった。
「良いでしょう? この間のお礼にって、会長さんに頂いたのよ」
少し考えた私は、お礼と言う言葉でようやく一つの事柄に思い至った。
裁縫が趣味の母親が誰にあげるでもなく作り溜めたドレスを、娘さんにとあげたのだ。私より4つ年下の娘さんのピアノの発表会の衣装にと。そのお礼と言うことか。
「ゼンマイ仕掛けでね。こうして巻けば、また同じ動きをするのよ」
かちかちと音をたてながら、籠の底についたゼンマイを巻き上げる。
キィキィと啼くかのように小鳥は同じ動きを繰り返した。
何度も、何度も。
「可愛いでしょう?」
「……そうね」
おざなりに頷くと、私は部屋へと向かった。智香、と呼び止めるような母親の声を聞こえなかったふりをした。
小鳥がそんなに嬉しかったのだろうか。母親は夕飯の時も上機嫌で、片づけを終えた後もゼンマイを巻いては小鳥の動きを眺め続けた。
小首を傾げる姿も、くちばしを開く姿も、確かに愛らしい。可愛いと思う。
けれど私は何度も見ていたいとは思わなかった。
翌朝も6時半に私は目を覚まし、身支度を調えて部屋を出る。
いつも通り朝食は準備されていたが、風景は少し違った。
父親も母親も、小鳥の籠の前にいた。キィキィと啼く小鳥のゼンマイを巻き、飽きることなく眺めている。
「頂きます」
「はい、どうぞ」
付き合ってなどいられない。父親など、パンをかじりながらだ。
二人を無視して食事を片づけ、二人を尻目に家を出た。
また、同じ一日が始まる。
*
身のない会話に溜息が混じる季節になった。
先生達は年中行事のように一斉に試験だ試験だと騒ぎ始め、友人達は面倒くさそうに日々をこなす。
私も友人達と同様、溜息をつきながら持ち歩く荷物に辞書が増えた。マフラーをしっかりと巻いていつも通りに家路につく。
玄関を開ける。キィキィと響く音が、その日は聞こえなかった。
「あぁ、智香。お帰りなさい。……小鳥が壊れてしまったのよ」
心底困ったという顔をして、母親は居間を覗く私を見返した。
「……そう」
あれだけ毎日巻いていたのだ。ゼンマイが切れたか、どこかの部品が摩耗したかしたのだろう。手入れなど油を差すくらいしか出来ないし、母親も父親も私もこういうモノの中味には強くないから、直しようがなかった。
「残念ね、壊れてしまって」
今にも泣き出しそうな母親を置いて、私はいつもの通り部屋に向かった。
カバンを起き、中味を出す。明日から始まる試験のための勉強をするつもりだった。
「……あれ?」
入れたと思った辞書が無かった。溜息がまた一つ増えた。
英語の勉強をしようと思ったけれど、仕方がない。他の課目を勉強することにした。
一つ歯車が狂うと、どうにも何をやってもしっくり来ないものだ。
辞書を忘れたことを皮切りに、調子は狂い始めた。
試験初日の朝は、中学入学以来、初めての大寝坊をした。実に5年ぶりだ。
目覚ましを止めてしまったことと、母親がぼうとしていたのが原因だった。
遅刻ギリギリに教室へ走り込んだ私は、調子が狂ったままに試験を受け、さんざんな結果となった。
挽回しようと思った二日目も、遅刻ギリギリとはならなかったモノの、さんざんな始まりだった。
ぼうっとしていると思った母親は真剣に風邪を引き、寝込んでしまったのだ。
朝ご飯はまともに食べられず、父親と短時間協議した結果、試験期間中ではあったが、私が食事を担当するハメになってしまった。
買い物のことや母親のことを考えるとどうにも集中出来ず、やはり結果はさんざんなものになった。
二日目の晩は何と両親の喧嘩に巻き込まれた。
何が原因だったのかは判らない。母親に粥を食べさせ、自分たちも食事をし、勉強をするために部屋に籠もった後、喧嘩は始まったのだ。
おかげで三日目もさんざんな結果となった。
四日目の朝、どうにか回復した母親は朝から台所に立つことが出来た。しかし、雰囲気は最悪だった。
二人の顔を見つつ食事をし、家を出た。試験は終わったが、結果は溜息以外の何物でもなかった。
そして、最大の溜息は帰宅後に待っていた。
「智香……母さんと一緒に、逝こう……?」
包丁が私の方を向いていた。ちらちらと炎が壁へ這い始めた。
床に崩れ落ちるように座り込んだ私の前に、早くも埃を被り始めた小鳥がいた。
ネジを巻いてももう二度と動くことはない小鳥だ。
……私の人生のゼンマイ仕掛けも、こうして壊れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます