006:憂鬱な時計屋

 チクタク、チクタク。ぼーん、ぼーん。

 窓から飛び出す木彫りの鳩。見下ろし遊ぶこぐまとこぶた。メロディと共に踊り出すのは、ガラスのドレスが美しい踊り子達。

 耳を澄ませば、そこは機械時計の規則正しく時を刻む音で溢れていた。

 ぽん。軽い音に、手元の工具もそのままに男は顔を上げた。男の目の前、ブリキの兵隊の持つブリキの銃から発した音だった。ブリキの兵隊は、今、銃を不器用に振り上げ、寝過ごすのは許せないとばかりに可愛らしく威嚇していた。

 男は溜息をついた。メガネを取り、工具を置く。小さな懐中時計の部品を落ちないように中央に寄せ、目頭を指で摘んだ。

「こんにちは」

 からんと軽い音を伴って、涼やかな声と風が男の周りに現れた。学生鞄を持ったまだ着慣れない様子の制服姿の少女が扉を押し、アンティークな時計達に気後れする事もなく進み入る。

 男は目を瞬かせると、改めて正面に置かれたブリキの兵隊の時計を見た。三時二四分。近所の高校が終業し、生徒が街にあふれ出す時間だった。

「いらっしゃい。今日はなんだい」

「時計がおかしいの。ネジを巻いても動かなくて」

「どれ、見せてごらん」

 顔見知りの少女は、古くからのお得意様の一人だった。クオーツを使わない、機械時計の数少ない愛好者だった。男にとっては、祖父母以前からの付き合いだった。……抱かれていた赤子が、気が付けば高校生だ。自分の腕時計を持ち、自分の時間を生きている。

「油が切れたかもしれないね。ちょっと見てあげよう」

「お願いします。……待ってても良い?」

「構わないよ」

 少女はにこりと笑うと、男のすぐ前に置かれた椅子に、ちょこんと座り込んだ。鞄をヒザの上に載せ、いかにも楽しそうに時計達を見回す。

 宝石のはまった懐中時計、台と一体化した、アンティークな仕掛け時計、太陽と月が交互に顔を覗かせる、大仰な置き時計。王冠の下で、王子と王女の人形の踊る掛け時計……。

 少女を気にする事もなく、男は少女の時計と向き合った。そっと裏蓋を開け、メガネをかけ直してのぞき込む。ネジを巻いて動きを見る。じっと、じっと、一つ一つの歯車をのぞき込む。

「学校はどうだい?」

 不意に男は口に出した。目は時計へと落ちたまま精密ドライバを繰り動きを見る。やはり油だろうか。新しい油を差せばそれで良いのだろうか。

「えっ?」

 慌てたように少女は聞き返した。男が作業中にこんな風に話しかけるなど、余りある事ではなかった。

「新しい学校で、友達は出来たのかい?」

「う、うん」

 男の視線は未だ時計に落ちたままだったが、少女は目を逸らした。

 逸らした先で、少し進めた時計の主がぽーんぽーんと……少女をたしなめるように四回飛び出し引っ込んでいった。

「……本当はね、あんまりうまくいってないの」

 ぽつんと呟くように少女は話し出した。進学して一月。まだぎこちない教室の中で、さらに浮いてしまっているように感じて、余り滑り出しが順調というわけではなかった。

 同じ中学の友人にも、違う高校へ進学した親友にも、もちろん親にもなかなか言えない。口に出せたのは、近くもなく遠くもない位置にいる男への信頼の証でもあった。

「授業は簡単だし、みんなバカみたいな話題で盛り上がるし、……つまんなくって」

 少女は、一月ぶりに合った親友を思い出した。希望校へ進学した親友は、毎日が楽しいとはち切れんばかりの笑顔で語っていた。

「つっかえがあれば、時計も止まる。……そう思ってるだけじゃないのかい」

「つっかえ?」

「埃が紛れ込んでいたぞ。ほれ、取れた。下らないような話題でも混じっていってみたらいい」

 男は細い先端のピンセットを持ち上げた。ピンセットの先には、小さな小さな糸くずが絡まっていた。

 チクタク、チクタク。少女の時計が息を吹き返したように、時を刻みはじめた。

「ありがとう! やだな、なんで入っちゃったんだろ?」

 ついでにと油を差されしっかりとフタを締め、ネジまで巻かれて元気になった懐中時計を、少女はしっかりと抱きしめる。

「お代は?」

 よほど嬉しかったのだろう、はち切れんばかりの笑顔の後ろで、ぽん、と再び、音が鳴った。男の顔がふと曇る。少女は怪訝そうに音の主へと振り返った。

 四時六分。

 兵隊が銃を振り上げ、可愛らしく威嚇する。

「……変な時間にアラームかけてるんですね」

「……あぁ、まぁ……な」

 言葉を濁した男にさらに怪訝そうな顔を向けた。

 男は憂鬱そうに重い息を吐くと、広げた道具を片付けた。

「今日は要らないよ」

「え?」

「お代は、学校でちゃんと友達と付き合う事、だ」

「…………」

 不安そうに少女は男を見返した。男は、大丈夫だと少女に優しく笑いかけた。

 少女の手の中で、力強く懐中時計が時を刻む。

「……わかった。がんばる」

「そうだ」

 やっと曇りのない笑顔になった少女を見送り、ブリキの兵隊に時計に目をやり、男は再び顔を曇らせた。足元に手をやると、ノイズ混じりのニュースが流れはじめる。

『速報です。先ほど……』

 チクタク。チクタク。

 店の中の時計達は、規則正しく時を刻む。ならすべきではない警報音(アラーム)を時折、響かせつつ。

 ぽん。三度響いた兵士の空砲と、ラジオの声が重なる。

『空襲は激しさを増し、一般民にも被害が……』


 チクタク、チクタク。ぼーん、ぼーん……。



初出:2006/8/4

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