004:逆さま悪魔

 知っているか。一番の不幸ってのは、幸福を味わった後の絶望なんだぜ。

 ――そう、どう見てもずるがしこいガキにしか見えないそいつは言った。

 だから、アンタを幸福にしたあと、不幸の絶頂にたたき込んでやる。


 悪魔だと名乗ったけれど、背中にハロウィンが過ぎたのに取り忘れたような羽根は付いていたけれど、正直僕には中二病と呼ばれる精神疾患罹患中の子供にしか見えなかった。それすらも随分早い発症だと感じさせるほど。

「信じないのは勝手だけどな! そういうわけでアンタの行くところについて行かせてもらうぜ」

 と、自転車の荷台へよじ登った。飛んだり消えたりしないのかい、僕が聞けば、

「ま、魔力の無駄遣いだからな!」

 と威勢良く返された。

 つまり、そう言うことなのだろう、僕は考える。

 可能性の一つ目は本当に悪魔で、だけど、やっぱり子供で。背伸びした結果無理をしている状況。

 可能性の二つ目で最もありそうなのが、普通のちょっと病気な子供が家出をしたか何かで、くっついている口実を探した結果。

 ――とはいえ、見ず知らずの子供ってことに変わりはないのだけど。

「……好きにすればいい。けど、大学の中は困るな。バイト先も。部室にでもいてくれ」

 僕は言い争ったり、子供を引きはがしたりの労力を選ばなかった。講義の時間が迫っていたし、道ばたに放っておくよりは、二十四時間必ず誰かがいる部室にでも放り込んでおく方が安全だと思ったからだ。

 帰宅したら警察に届けよう。そのころには親も探しているだろう。


 着いてくると言って聞かない子供を腕力に物を言わせて部室へ運ぶ。鍵なんて掛けたことのないドアを開ければ、案の定、マグロが数体転がっていた。……いや、マグロのように寝ている先輩やら大先輩やらがだ。

 しかも寒かったのか、衣装用のマントやらかぶり物やら引っ張り出している。ただでさえ、小道具製作のために散らばった室内には、ランプやらカボチャやら剣やら大砲やら火星人やらが落ちているのに。

「……な……こ、ここは魔界か!?」

 絶句したらしい子供を中に押し込み、マグロを一体蹴り起こす。今のところマグロの仲間に入る気はないから、とっとと子供を押しつけなくてはならない。

「先輩、ノートとってきますから、このガキ見といてください」

「……ガキ? ……一匹や二匹かまわんが、お前の子か?」

「僕が何時産んだと? どうやら悪魔らしいので、よろしく」

 まだ何か言い足そうにマグロが動いたが、僕は構わずドアを閉めた。もちろん、子供ごと。

 悪魔より恐い講義の時間が迫っていた。


 先輩の再履修とかぶる講義を二コマ受けて戻ってみれば、子供はなんだか馴染んでいた。……いや、先輩や大先輩が馴染んでいたのか?

 まだ午前中、基礎訓練の時間というのもあるかもしれない。さすがに舞台稽古には近寄らせられないだろうから。それにしても、演劇部伝統のポージング「だるまさんがころんだ」では、子供を中心になんだか異様な盛り上がりを見せている。

 まぁ、お互いガキなのは良く知っていたけれど。

「お帰り!」

 僕に気付いたガキがちょろちょろと寄ってくる。……見つからないうちにバイトに行こうかと思ったのに。

「なお、今日のスケジュールは」

 なお、とは僕のことだ。

「四時までコンビニです。稽古はその後で合流します。ガキ、もうしばらく預かってて下さい」

「了解、いってこーい」

 じゃ。軽く手を挙げ背を向ける。ぐいと髪を捕まれ……あやうく転けるところだった。

「……何する」

「なおと行く」

 ……ガキだった。いや、こんなことして、なおかつ下に引くような身長差を持っているヤツは、ガキしかいなかったが。

「それと、おいらはサキュだ。……ガキじゃない」

「バイトだ。仕事なんだ。邪魔なんだ」

「邪魔じゃない。おいらはなおを幸せにして、その後不幸にするんだから!」

 理由になっていない。

 頼みますと目で訴えれば、大先輩が両手を広げてやってきた。こうなれば単なる体格差だ。ガキ……サキュを押しつけ、そのままくるりと身を翻す。

「なおー!!」

 サキュの声が聞こえたが、無視した。


 たまに来るクレーマーに当たったのは不幸にも今日は僕だった。曰く、封の開いていないスイーツに髪の毛が入っていた、アンタの髪じゃないのか。んなわけねーだろと心で思いつつ、誠心誠意、頭を下げる。

 ようやく客が帰った頃には、良い時間になっていた。まったく、今日は仕事をしたのかしてないのか。

「なおちゃん、今日はお疲れさま」

 はい、と店長が渡してくれるのは、賞味期限が厳しいお弁当数種。欠食児童さながらの先輩大先輩が待っている中、何より嬉しい『おみやげ』だ。

「ありがとうございます。」

「学校祭が近いね。なおちゃんは出るの?」

「僕は出ませんよ」

 演劇部は公演が仕事。学校祭は格好の機会だ。世の中一般の大学演劇サークルと同じく、うちでも学校祭公演の予定はある。あるが。

 役者に選ばれることとはつまり、講義に出られなくなること、だ。

 役者志望は幾らでもいる。僕が一人辞退したと言って、困ることはない。

「なんで。もったいないなぁ」

 もったいないと言ってもらうのは悪い気はしない。僕は肩をすくめて、店を後にした。


 戻れば、大人しくしていたらしいサキュが、さっそくまとわりついてきた。

「なぁ、なぁ、なおは何が幸せなんだ?」

 ……邪魔だ。

 役者ではないとはいえ、やることは山ほどある。僕の担当は道具一般だから、台本から必要な道具をチョイスし、舞台監督、演出と話したり、役者の動作を確認したり、実際に道具倉庫を整理したりあさったりしなければならず、時には衣装の手伝いや照明の手伝いや、音探しに付き合わされたりする。

 ガキに付き合ってる暇はないのだが。

「お前がまとわりついてこないことだ」

「その次に、だ」

「……さて、何だろうな」

 何が幸せかなんて、考えたことがない。いつもいつも、何か良いかを追い続けている間に毎日が過ぎ、歳を重ねていく。

「やりたいことはないのか?」

 ……きょとん、とした目で問いかけてくる。悪魔を名乗ろうと、子供は子供なのだろう。

「やりたいこととやらなきゃいけないことは別だし、やりたいことだけやってるわけにはいかないんだ」

「やりたいことって何だ」

「なんだったかな」

 とぼけるなよ、サキュは甲高い声で叫ぶけど、別に僕はとぼけているわけじゃない。……随分前に忘れてしまった。

 なお、呼ばれた。男ばかりのサークルの中、唯一のヒロインである先輩だ。ようやく講義が終わったのか、サークル生活の中で唯一優先度が高く設定されているバイトが終わったのか、重そうなカバンを提げている。汗で張り付く長い髪を、はらと右手で払った。

 うお、とサキュが声を上げた。その気持ちは僕にも分かる。

 ……掃きだめの鶴、そのものだからだ。

「おはようございます、先輩」

「おはよう。……ケントは稽古場?」

 荷物を受け取ろうと手を伸ばす。そのまま更衣室に直行するだろうと思ったのに。

 先輩は僕の手を無視した。

「今なら、三場の演出をつけてると……」

「ありがと」

 長い髪から良い香りを残して、先輩が過ぎていく。後ろ姿を見送ってから目を戻せば、サキュと目が合った。……深い、深い目だった。

「判った」

 ……何が?

 言うより早くサキュは身を翻した。何処ともなく走って行く。

 待てよ、手を伸ばすより早く、サキュの姿は見えなくなっていた。

 ……なんだって言うんだ?


 修羅場に立ち会ったのは……経験の浅い僕は初めてだった。

 演出のケント先輩はもうぐだぐだだ。男が泣いてすがってをリアルに表す所を初めて見た。

 対するヒロイン先輩はなんとも男らしい。いや、ヒロインがヒロインたるゆえんか。

 これだけの美人で演技も出来る。客演の引く手はあまたで、事務所も付いて近いうちにテレビデビューなんて噂もある。

 噂のその先が、この修羅場、というわけだ。

 ヒロインがいなければ舞台は成り立たない。代わりなんてそうそういない。しかも先輩にあてた役だ。

 ヒロイン先輩も判っている。判っていて、自分のチャンスを優先した。……人生と単なるサークルを天秤にかければ、傾くのも頷ける。

 ちらと、ヒロイン先輩の視線が飛んできた。スタッフ連中の作る殻の最外殻にいる僕に、だ。

 なんだろう? 思ったのは一瞬だった。

「なおがいるじゃない」

 ……僕?

「髪は長いし、可愛いわ。ちょっと小さいけど、この役なら問題ないわね」

 伸ばされた白い腕。すぽっと空いた人の隙間から、舞台を示したテープを超える。

「なお、役者志望って言ってたわね。それからすぐスタッフ専任になっちゃったけど。もったいないわよ」

 稽古場にそんなものはないのだけれど。……スポットライトが僕に向いた、そんな気がした。


「気付かなかっただろ。なお、ほんの少しだけだけどさ、目が動いたんだぜ」

 ガキ……サキュはふらりと現れて、そんなことを言った。

 その意味を咀嚼する暇もなかった。忙しすぎて。

 それで不幸にたたき込むんだろ、と僕は言った気がする。にやりと笑ったサキュの顔だけ、頭の片隅に焼き付いた。

 だから、僕はきっと、結果を知っていたのだと思う。

 結論から言えば、ヒロイン先輩が戻ってきた。

 先輩の側に何があったのかは知らない。

 僕は、お役御免となった。


 本番直前の舞台の脇で、僕は僕の仕事をこなす。

 入れ替わりの激しい舞台で万が一にも道具をなくしたりしないように管理し、舞監の合図で幕を上げ下げしたり。休憩用の水の用意も僕の仕事だ。

 いつも通りの時間をいつも通りにこなす。いつも、通りに。

「夢に届いたと思った?」

 いつの間にかサキュがいた。

 ……そういえば、先輩が戻ってきて空いた時間で、僕は悪魔について調べたんだ。図書館の宗教学の棚で案外あっさりそれは見つかった。

 サキュバス。多分、それが正式な名前なんだろう……本物だったとして、だ。

「どうかな」

 夢なんて追うほどの余裕はなかった。講義に出て、バイトをして、無茶と無理が押し通るサークルで動き回って。いつしか何をしたいのかも判らなくなっていた。

 多分、ヒロイン先輩の行動は夢だったんだ。悪夢という名の。サキュバスなら似合いだろう。

「なおはあんまり表情出ないのな。つまんない。でも、がっくり来たよね。目の前真っ暗になったよね」

 にひひ。僕を見て笑う。

 ……否定はしない。否定できないことがその時の僕には驚きで。だから。

「感謝している、と言ったら?」

「……い?」

 手を止めて振り返る。薄暗い舞台袖、浮かび上がるかのようなサキュの白い目を見つめる。

 ヒロイン先輩が戻ってきて、目の前が真っ暗になった。貧血を起こすかと思った。

 同情してくれる声もあった。今更と先輩をなじる声さえあった。

 けど、僕は身を引いた。

「忙しすぎたし、ヒロインとしか言えない先輩がいた。与えられたスタッフの業務も面白かった。面白いと思っていた。だから、忘れていた」

 サキュの頭に手を伸ばす。さらさらを触れる髪を楽しみながら……苦手な笑顔が少し浮いたかも知れない。

「僕が女優を目指していた、そのことを」

 ……代わりでない自分の役を掴みたいと思った。

 サークル室の扉を初めて叩いたあのときと同じ気持ちで。

 もう僕は、無理もごまかしも、しない。

「お前も、無理をしてるんじゃないのか」

 白い頬。染みもできものもない、きめの細かい綺麗な肌。

 良く動く丸い目。元気いっぱいの。

「む、無理なんかしてねぇし」

「女の子にはちょっと乱暴な言葉だな」

「……う、うっせー!」

 ぱっとサキュが離れた。暗闇へと溶けるように消えていく。

 ぱっと赤くなった頬を僕の目に残して。

「覚えてろよ、アンタをいつか絶対不幸にしてやる!」

「……待ってる」

 サキュバスは悪夢の女悪魔。

 本物だろうが偽物だろうが構わない。……小さな妹分が、またちょろちょろすることを。


「うぉ、なおが笑ってる!」

「失礼な。僕だって笑うことくらいあります」

「……お前、笑えば結構美人じゃん?」

 失礼なことを言ってきた舞監にいがぐりの小道具をお見舞いした。



初出:2012/11/06

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る