第12話 クズはクズのままなのか?





 訪問者はベランダからやってきた。

 ドアは鍵を掛け、カーテンも全部締め切っていたというのに、その少年はあっさり窓を開けて部屋に入ってきた。

「窓の鍵、まだ取り替えてなかったっスか?」

 図々しい感じで、黒髪を逆立てた軽装の少年が、この部屋の住人を注意する。

「誰だよ、お前?」

 蝋燭を囲んでじっとしていたロザリオが動揺して立ち上がった。

「師匠、窓も全部鍵締め切ってましたよ」叱責を恐れて、ベルが先に弁解する。

「いや、オイラが鍵開けたっス」

 少年は使用した針金を投げて寄越し、部屋を歩き回って冷蔵庫に向かった。

「うへ、何もねーや」

 冷蔵庫から勝手に飲み物を取り出して一気に呷った。

「人ん家の冷蔵庫開けて勝手に飲むな」

 呆れたロザリオが少年の背後に立つと、彼は悪びれた様子も無く、振り返った。

「一体、何のつもりだ?」

「オイラ、この前の泥棒っス」口を拭って自己紹介。「クロガネのシンタロー言いまス。みんなからはシンとか、シンちゃんとか、ホクロ模様とか呼ばれてる」

「おいおい少年、最後のあだ名苛められてない?」

 シンの色白の肌にはそばかすが沢山浮き上がっていた。そばかすが際立っているが、見た目は至って普通の、ベルより少し年上に見える今時の少年だ。

「今のアナタより苛められてるとは思わないっス。玄関とポストの張り紙、見たっスよ」

 シャツの下から何枚か、太いインクで書かれた文字の紙を、ロザリオに渡す。

「金返せ」、「鬼」、「この住人はうそつきです」、「しね」などを筆頭に、様々な罵詈雑言の紙が見つかる。ロザリオは何も言わずにそれらをくしゃくしゃに丸めた。

「師匠~、ピザ屋さんが来ました」ベルが嬉しそうに報告した。

 玄関のドアも開けず、覗き窓で来訪者を確認してはしゃいでいる。

「借金取りが怖くて立て篭もっているのに、暢気にピザなんか頼んだんスか?」

「ベル、絶対に開けるな。リリアが仕向けた罠だ」

 不満げにベルが戻って来る。「え~? お腹空いてるんだから、頼んでないけど引き取ったっていいじゃないですかぁ。十箱くらい」

 相手は新手の強敵のようだった。

「十箱も取れるか、金が無いのに」

 家計は、銀行差し押さえによる、火の車状態に陥っている。急な出費は、家長として抑えたいところなのだ。

「酷い目に遭ってるところ、気が引けるっスけど」シンが緩いジーンズの尻のポケットに挿してあった新聞紙を引き抜いた。目的のページまで捲る。

 赤い衣装を着たツインテールの女の子の写真がロザリオの目に飛び込んできた。

「アンタ達、この女の子の関係者っスよね?」

 シンは自身ありげに、新聞紙面を二人に見せ付けている。

「師匠……」ベルが不安げに目配せをする。

「うーん、そんな感じかな」

 お互い、言葉を選びながら首を傾げ合う。関係者なのかどうか、直接関わった事も無いので、微妙な反応を見せる。

「そこの制服の子、本当は女の子でしょ?」

「うん」同世代の少年に、制服姿で初めて性別を見破られたベルは、とりあえず頷いた。

「この前会った時、この女の子と違う色の同じ衣装着てたっス」

 ベルのマジカルプリンセスのコスチュームは双子のお下がりである。お揃いの衣装の片割れを大事に引き継いでいるのだ。

「それはまあ、そうだけど……」歯切れの悪い口調で、ベルはソファーの方を向いた。

魔法王女の衣装に変身できるポロンが、ぬいぐるみの振りをして気まずそうに目を合わせる。主人の秘密は気安く他人に知られたくない。

「シショーさん、彼女もアイドル候補か何かっスか?」

 ロザリオはつきたくない嘘をつく。

「まあ、そんなところだ」

 ベルはロザリオの咄嗟の嘘に気が付いたが、面白そうなので様子を見ることにした。

「シショーさん、プロデューサーLILIAさんの兄弟? すげー似てるっスね」

 リリアは、芸名を『LILIA』に改名し、芸能活動を始めている。指摘されたロザリオは、ついつい口元に手が伸びながら、軽く頷く。

「俺はアイツの弟だ。ちなみに俺の名は、シショーじゃなくてロザリオだ」

 正体がばれないか、ハラハラするが、相手は不審な動きを全く気に掛けていない。

「そっスか。こりゃ失礼」

 プロデューサーのLILIAが以前、何をしていたかとか、相方がいたとか、そんな事を知らないらしい。シンはベルと年が近いが、昔、マジカルプリンセスが出演していた番組には関心が無かったらしく、知らなかったと言えばそれまでの話だ。

「この前の疑問が解決したろ。お引取り願いたい」

「そうです。さっさとお帰り下さい、変態野郎」

 この部屋の住人二人の願いは一つだった。が、願いの背景はそれぞれ違う。ロザリオは自分の正体がばれる前に帰って欲しく、ベルはトイレを覗かれた恥辱で顔も見たくなかったのである。

「ちょっと待ってよ、まだオイラの用件を言ってないっス」

 シンはまだ図々しく居座るつもりで、床の上に胡坐をかいて座り込んだ。

 ロザリオとベルはあからさまに迷惑そうな顔をする。

「何だよ、早く言えよ。そして帰れ」

「そんなに嫌な顔しないで下さいっス。泥棒に入った事は謝りまスよ」

 シンは胡坐のまま、床に手を付いて頭を下げる。

「それは、もういいとして」箱を象った両手を右に除ける動作をして話を続ける。「オイラ、役者になりたいっス」

「はい?」

 ロザリオとベルの目が点になり、同じ方向に首を傾げる。

「忍者学校辞めて、役者になる為に上京したっスけど、結果はこの前お会いした通り。なかなか世の中うまく行きませんねぇ。

 役者やるのにスクールに通おうとせっせとバイトしてたんスけど、駅で勧誘やってる女の人に<夢を掴む絵>を買わされて、一気に金が無くなったっス。あんな詐欺商売でに引っかかったオイラもどうかしてたんスけど。

 それで、まあ、泥棒に転職して生活費稼いでたって訳っス。

 オイラが役者諦めてた時に丁度、あなた方と鉢合わせして、最近巷で話題になっている魔法アイドルの関係者だって判って。ちょっとした運命を感じたっス」

 シンの息もつかせずの長い話を聞いたロザリオは、さっき付いた嘘をどう後始末を付けようか迷い始める。

「うぅ」眼鏡の奥の瞳が泳いでいる。

「ロザリオさんの所って、芸能事務所でしょ」

 明らかに、普通のボロアパートの一室に過ぎないのだが……。

 ベルが首を横に振るが、シンは同世代の女子の動きを見るわけが無かった。

「そうなのか?」わけが判らなくなって、ロザリオがベルに訊ねた。

 慌ててベルは首を横に振った。

「違うような気がしますが、ねぇ……」

「え? だって、姉のLILIAさんが芸能関係者でしょ」

 違っても食い下がらないシンに、ロザリオは回答を詰まらせる。

 再び、口元に手が行く。

「オイラを事務所で雇って欲しいっス」

「え?」口元に行っていた手がぶれる。驚いて鼻の穴に、人差し指と中指を差し込んでしまう。「いやいやいやいや、ちょっと待ってよ…………」

 指を引き抜いたら鼻水が引っ付いてきた。汚いので、反対の手で鼻を覆う。

「師匠、ティッシュです」

 世話女房のように、ベルがボックスティッシュをロザリオの手元に持ってきた。

「オイラ、本気で役者になりたいっス」

 返答に困ったロザリオは、とりあえず手鼻をかんだ。

「本気なんス!」

 鼻をかんで聞かなかった振りをする。

「聞いてるんスか?」

 シンがロザリオの顔を覗き込んでも、ロザリオは出ない鼻をかみ続けた。

「ぶがっ」鼻をかみすぎて耳の奥が痛くなった。

「オイラ、役者になる為には、泥棒から足を洗って何でもする覚悟でいまス」

 ロザリオは耳を押さえ、大げさに痛がる。聞こえない振りをやって乗り越えようとしている。

 が、

 話の腰を折るように、いきなりベルの大きな腹の虫が鳴き始めた。虫はかなりご機嫌斜めの様子でいる。ロザリオの下手な演技は強制終了させられた。

「腹が減ってるっスか?」

「むう~」

 シンの呼びかけに、ベルは顔を耳まで真っ赤にして睨み返した。

「ロザリオさんも、腹減ってませんか?」にやりとほくそ笑みながら伺いを立てる。

「別に」

 ロザリオの腹は、長年の偏食で慣れて鳴らなかったが、しばらくろくな食事をしていなかったので、減ってはいる。

「二人とも、人災で外に出られないんでしょ。オイラが代わりに買い物に行きましょうか?」

 シンの要求には屈服したく無かった。

 ふと、ソファーを見ると、ぬいぐるみの振りをしていたポロンが死にそうな表情で、空腹を訴えていた。「め……めし」しわがれた声で、誰も声には気が付かなかった。

 嘘をついて、肝の小さいロザリオの良心は少し痛み始めていた。

 ベルは、親指の爪を噛み締め、空腹を堪えていた。その形相は、可愛い顔の原型が留めないほど、不細工に歪んでいた。

「……た、頼む」

 ロザリオは後々の始末に脅えながら、財布を取り出した。

 銅貨三枚と穴の開いた銀貨だけ出てきた。

「俺の全財産……」直面した世知辛い事実に、うなだれるしかない。

「あ、金なら貸すっス。どうせ、これからも付き合いが長くなりまスし」

 成人が元泥棒の未成年に屈服した最悪な瞬間だった。

「お願い、します」

 差し出された暖かい手を除ける事は、今の状況では出来なかったみたいだ。

「何がいいっス?」その優しい言葉はすごい形相のベルに向けられた。

 表情を元に戻したベルは、恥ずかしそうに「プリン食べたい」と言った。

「あー、とりあえずさ、何日か篭城できる分の食材買ってきて」

 聞かれる前に決まり悪そうに答えたロザリオを前に、シンは嬉しそうに微笑む。

「了解っスよ!」軽く胸を叩き、弾かれたように立ち上がった。

 シンは嬉々として、元忍者の脚力を生かし、先ほど入ってきたベランダの窓から消えた。

 厚かましい男がいなくなった室内では、安堵のため息が漏れた。

「師匠、今日はまともなご飯が食べられそうですね」

「良かったー、正体ばれてない」

 お互いが佇まいを直すと、新しい問題に直面していた事を思い出した。

「…………あの人に、芸能関係者じゃないってばれたら、私達どうなるんでしょうね」

「その時は、その時だ」ロザリオの考え方はあっけらかんとしている。「俺が記憶抹消の魔法使ってやる」困ったら魔法の力に頼ればいいと、答えが出ているからだ。

 ドアが乱暴に叩かれる。というより、外で激しく蹴られ始める。

 金属製の扉なので、簡単に蹴破られる心配は無いが、損傷度合いが気に掛かる。

 騒音の主は、悪徳金融に飼われているチンピラだ。

「いつまでこんな生活を続けるつもりですか?」

 ベルの厳しい一言は、引きこもり生活の終焉を意味するものだった。

「俺に、戦えというのか?」視線がドアに向かう。

「このまま行くと、私達は破滅に直面します」

 少女は今にも泣き出しそうな顔で、両足を踏ん張っていた。駄目な大人を立ち上がらせる為に、自分だけは折れまいとしていた。


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