マジカルプリンセス・リリックエイジ
大道 尚
第1話 ニートと魔法使いの弟子志望
ベルは作り付けの古めかしいチャイムを押した。
インターネットで探し当てた住所は本当にこの建物で正解なのだろうか?
旧市街の風景に馴染みすぎて目立たない『メゾン・ド・ビョーク』という石造りのアパート。築数十年経過してあちこち風化が進んでいる。
不安と好奇心、期待を複雑に絡ませながら、唇を引き締める。鼻で荒く呼吸しながらドアの向こうの主を待った。
出てこない。
留守なのか。否、ドアの隣に備え付けられている磨りガラスの向こうから人影が動くのを確認できる。主は一向にドアを開ける様子は無いようだ。
もしかしたらチャイムが壊れているのかも知れない。
「こんにちはー」
大声で主に呼びかけながらドアを数回ノックしてみる。
やがて、やる気の無さそうな音を立ててドアが細く開き、主が顔だけ出した。
フレームと弦の境目をテープで補強した眼鏡。ぼさぼさのロン毛が特徴の眼鏡の青年が死んだ瞳でこちらを睨めつける。
「あー、また宗教の勧誘?」かすれた第一声。
既に夕刻に近いというのに、青年は寝起きなのかすごく不機嫌そうだ。
「あの、魔法使いのオズ・ルーンさんのお住まいがこちらだって聞いて」
青年の片眉が動いた。
「税務署の方?」開けたドアの隙間が狭まっていく。「僕みたいな貧困に喘いでる奴に所得なんてありませんよ」やる気の無い回答が返ってきた。
「ちょっ、待って。ただの学生です」ドアが閉まりきる前に手を掛ける。
家主の警戒心がよほど強いのか、ドアは固く閉ざされようとしている。
ベルの手が挟まれた。「いぎゃ」
「ちょっと! ネットで調べたらリリア・オズ・ルーンさんがここにお住まいだってヒットして」
ドアが勢いよく開いた。ベルは反動で部屋の玄関に引き込まれた。
同時に生ゴミと獣っぽい、男の部屋の臭気までが開放される。
「あー、そうかい。新しいハウスキーパーさんね」
青年は壊れた眼鏡を押し上げ、転びかけたベルを睥睨した。彼はシミだらけのくたびれたパジャマを着ている。家主の威厳なんて無い。
「すまない。最近リリアから連絡が来てなかったので……」死んだ瞳で乱れた頭をバリバリ掻き、空いたほうの手をベルに差し出す。
「?」
ベルは状況がいまいち掴めず、手を差し出されて握り返した。
「住み込み?」
ベルの背後には大きなトランクが転がっており、青年は訝しげに眼鏡の位置を直した。
「勿論です。これからお世話になろうと思って色々用意してきました」
トランクを引きずり、とりあえず玄関の中に入れる。
「えー? 聞いてないよ。リリアの奴、勝手に採用しやがって」
青年は眉間に皴を作り、「ドア閉めて」と不機嫌に言った。
言われるままドアを閉めると、部屋の中の空気が濃密になった。玄関に無造作に転がっているゴミ袋から異臭が漂っている。
玄関からリビングまでの道程は狭く、途中ゴミや荷物で阻まれた。
「あのう、リリアさんは?」腰を落ち着ける場所も無く、自信なさ気に本題に移る。
「あ? リリア?」
「リリアさんはいつ、こちらにお帰りに?」
「……リリアなんて帰ってこないよ」青年はゴミの中に腰を埋めた。
ベルが理解するのに時間が掛かった。ここはただのゴミ屋敷みたいだ。
急に心細くなり、脇の下からどっと汗が吹き出るのを自覚した。「ここはどこ?」迷宮に迷い込んだ子供のように、ベルは辺りを見回した。
玩具の空箱だとか、読み捨てられた雑誌などが、さも当たり前のように崩れて幅を利かせている。俗に言う「萌えるゴミ」のようだ。
「ところで、あなたは誰?」
青年が唾を噴出し、驚いて腰を上げた。
「はぁ?」ここの家主は驚愕でそのまま凍り付いている。
「ていうかさ………………学生服着込んでるあなたこそ誰よ?」
ベルは佇まいを直し、ひとつ咳払いをした。
「私は」
「学生バイトとか雇うつもりは無いぞ。いつもは中年のおばちゃんを頼んで掃除とか家事とか遣って貰ってるんだ」ベルの言葉を待たずに青年が早口で独り言を始める。
「この前のおばちゃんはな、俺に見つめられたら「妊娠する」だぁ言いやがって。まったく冗談じゃないよ。俺そんなに女たらしの顔してる?」
ベルは激しく首をフルスイング。相手の壊れた眼鏡は手垢で脂ぎっており、奥の死んだ瞳は好青年のそれに値しない。はだけたパジャマの間からは骨ばった鎖骨と貧弱な胸板が覗いていた。
「この状況を汲んで、リリアは男のハウスキーパーを寄越したのか。でも学生かよ」
ベルはもう一つ首を振った。「女です」とはっきり答える。
相手は黙り込んだ。咄嗟に、
「私はベル・オイゲン。今日、この制服の中等部を退学してここに来ました」自己紹介。
自虐的な台詞を吐いた少女、ベルは照れくさそうに微笑んでみた。男物の制服を着ている所為か、どちらかというと本気で少年に見える。薄茶色の髪だってそんなに長くない。
「この制服って、確か将校養成のエリート学校?」
「はい、父の激しい勧めで入りました」
「あんた、さっき女って?」
「そうですよ」
「……………………男子校じゃん、そこ」
「ええ」ベルは遠い目で青年の疑問に答えた。
「我が家は代々、政府の重要機密を守る家系でして。父の跡継ぎが私しか居らず、そりゃもう無理やり。母は私を産んだ後すぐ死んでしまって」
気の毒な答えに「もういい」と青年が目を伏せる。自分以外の不幸な話は聞き慣れていないようだ。
「学校辞めたのは、何も男子校だったからじゃないんです」膝が疲れて、諦めてゴミまみれの雑誌の上に腰掛ける。座る動作は女の子らしく静かに。
「昔見たドキュメントで『魔法の王女マジカるーん』という番組がありました。当時、私と同じくらいだったリリアさんとローズさん、双子の姉妹が健気に戦う姿に憧れて、魔女になりたいと思いました。それで、夢を実現したくてこうして門を」
青年の眉が引きつる。
「よく住所を調べ上げたな。確かにここはリリア・オズ・ルーンの実家だよ」
「はい! 必死になって個人情報調べ上げれば何とかなるんですね」犯罪の匂いがする余計な一言をさらっと言う。
「個人情報とか保護甘いの?」不安げに青年の表情が曇る。
「本当は強大な魔力を持つローズさんの弟子になろうと思ったんですけど、検索してもヒットしなくて」
青年の肩が一瞬跳ね上がる。視線をベルから急に、逸らす。
「どうかしました?」
「いや、なんでもない。続け、なさい」器官に唾でも入ったのか、大袈裟に噎せる。
「ローズさんのファンなんです!」ベルは腹筋に力を込めて想いを吐き出した。
「そうか」青年は噎せながら頬を赤らめ、なぜか照れる。
「あなたも彼女の家族ですよね、ローズさんは今どうしてるんですか?」
青年は呼吸を整え、咽喉の辺りを摩りながら顔を上げた。
「気の毒だが、死んだよ」
壊れた眼鏡の奥から鋭い眼光がベルの想いを突き放す。
「そんな」
「魔女の世界もそんなに甘いかないんだ」ゴミの中に足を投げ出す青年。「そんなに魔女になりたきゃ、大人しくリリアの所に行きなさい」冷たく言い放ちながらリモコンを手にし、一振り。
旧型の画面に夕方のニュース番組が映し出される。
「なんだ、ハウスキーパーじゃないじゃん」と言いながらザッピングする。「ちょっと部屋が汚れてきたから、早速片付くと期待したのに」客がまだいるのに、だらりと寛いでいる。
「魔女に憧れてここまで来た努力は認めてやる。リリアの事務所の場所を教えよう」
「ほんとですか?」ベルの表情が少し晴れた。
すぐさまメモ帳を取り出し、姿勢を青年に傾ける。
青年は画面から視線を離そうとはせず、グルメ特番を見入ったまま暫く喋らなかった。
「あの、住所?」
「それ」そっけなくベルのメモ帳を示す。
いつの間に記入したのか、インクの文字でリリアの住所らしき番地が記されていた。ベルは一切ペンを動かした記憶はまったく無い。
「え?」
「俺もリリアと血が繋がっているからこうして魔法が使える。今は引退して隠居しているがな」
パジャマ姿の青年はどう見ても人生の負け犬にしか見えなかった。
「ありがとうございます!」大きな声で感謝の気持ちを言う。
ベルはお辞儀をして、家主にこれ以上失礼の無いよう、早々に立ち去ろうとする。
トランクを持ち上げ、ゴミの海を横断しようとするが。
つま先で棒状の何かを踏んで転倒。トランクが真下に放り出された。
「ふみゅっ」なんか甲高い悲鳴が聞こえたような気がした。ベルでもないし、ここの家主である青年の声でもあるまい。
「何かいる?」
「気の所為だろ。さっさと帰れよ」青年に即答される。
躓いた足元には玩具みたいなステッキが転がっている。どこかで見たような感覚がベルの脳裏をよぎる。
怪しい。特にトランクの下敷きになっているパステルグリーンの変なぬいぐるみが。
「あう~ご主人様~、ポロンがお昼寝ちうの時は乱暴にしないで欲しいデスの」
トランクを引き上げると丸い奇妙な生き物が垂れた犬の耳の様な物体を動かして目を擦っていた。緑の体毛とつぶらな瞳が特徴的だ。
「え? ポロンって」興奮したベルがポロンと言った生き物を持ち上げる。
「きゃーっ。あんた誰?」完全に覚醒したポロンが慌てて動きを止める。
「これは……」思わずポロンの両耳を片手で掴んだ。「ポロンだよね?」疑惑に満ちたぬいぐるみを至近距離で凝視する。
「いやーん、離して下サイの~」両耳を引っ張ると痛そうに暴れた。
「おい!」ぬいぐるみの持ち主が慌てて腰を上げた。
ベルが、瞳に涙を浮かべるポロンと、壊れた眼鏡の冴えない青年を見比べた。
「この妖精、ローズさんの」
ポロンをひと目見ただけで妖精と識別した。
「ローズの遺品だが、何か?」さもありなんとした態度で青年が威圧する。
「いいえ。もしかしてあなたが、プリンセス・ローズ?」
「残念。俺はロザリオだ。名前は似ているが、ローズではないよ」ロザリオと名乗った青年は眼鏡を上げた。
ニアミスか。
「ところでロザリオさん、鼻の頭から不自然に汗が滲んでますよ」ベルの鋭い指摘。
ロザリオは認めたくないのか、眉を歪めながらパジャマのボタンを全部外した。
「あー、暑い。この部屋二階だから暖かくてね」肋骨が浮き上がった胸板を両手で仰いでみせる。演技が下手でわざとらしい。
「具現化した妖精は術者が死ななければ」
ポロンを見つめ、ベルが鋭い口調で続ける。
「消えない」
腕の中で暴れていたポロンの動きが止まった。貧弱な胸板を露出して疑惑を隠そうとする飼い主より、狼狽している。
「そうですよね?」
ロザリオの無駄に足掻いたところで、ベルの追求は留まる事は無かった。
「私の勘が間違いなければ、あなたは魔法王女・ローズ・オズ・ルーンのはず。ね、ロザリオさん」
ついに追い込まれ、ロザリオは自分の唇に左手を持っていった。
「その癖とか、お姉ちゃんのリリアにやり込められたときにうっかり出たりしてましたよね?」思わず笑みが零れる。「ファンの目は誤魔化せません」
正体を見破られたローズ、ロザリオはそのままの姿勢で凍り付いていた。
「そうだよ。俺だよ」潔く答えるが、その肩は小刻みに震えている。熱狂的なファンが怖いと云わんばかりに、みるみる顔色が悪くなっていく。
「正解?」
ロザリオの代わりに、妖精のポロンが「不本意ながら正解デスの」と答えた。
「お嬢ちゃん、俺の素性を調べ上げてからここに来たとか、薄ら寒い事言わないよね?」
「偶然です」明るい返答だが、「いくら国家機密を守る為とはいえ、ハッキングの授業は難しかったですね」怖い事を言って必要以上に脅す。
「ローズさん、実は男の人だったんですね。新発見できて満足です」
ベルの素朴な感想を聞いて、ロザリオは彼女の小さな肩を力いっぱい掴んだ。
「お兄さんが魔法で一つだけ願いを叶えてあげるから、その重要機密だけ忘れてくれないかな?」
「ほんと?」
「死んだ人を生き返らせるとかは無しデスの」
陽気なポロンの声にベルがこっくんと頷く。
「いいかい、お兄さんの目をよぉく見るんだよ」ロザリオが壊れた眼鏡を外した。
昔は美少女と騒がれたその容貌は今では男らしく変わっていた。貧弱な体型ではあるが、眼鏡を外せばかなりの男前である。
切れ長の赤い瞳から時計回りに古代文字の様な物が浮かび上がった。
「今までの事を忘れ」
ベルが不意にくしゃみをした。
「ろ…………」
鼻に頭突きを喰らい、ロザリオが昏倒。
「ごめんなさい。私、ダストアレルギーなの」
偶然の力により、ベルは記憶抹消の魔法を回避できた。
無様に鼻血を出したロザリオは恐ろしげに顔を上げる。偉大な魔法使いでさえ脅威に思える学生服の少女は舌をちょこっと出して笑っていた。
「秘密は守りますから、弟子にして下さい!」
ベルがいくら可愛らしく微笑もうと、奥からにじみ出る得体の知れない恐ろしさは変わらなかった。
「ついでに、大人になったあなたの職業が無職だという事も、成人過ぎて姉の小遣いで紐みたいな生活している事も黙っておきます」
「我が主ながら、しょっぱい涙が出マスの」ポロンが口惜しげに手鼻をかんだ。
「反社会運動を何年も続けているみたいですが、いつまでもお日様に当たらないでモヤシのように生きていくのは無駄な人生だと思いますよ。さあ、私を弟子に」
脅迫しているつもりは無いが、ロザリオを頷かせるのには十分な言動だ。
「喧嘩売ってる? 正直にひきこもり言えよ。」大の大人が情けない表情で未成年を見つめ続けた。「そうさ、人生諦めてるんだよ俺は」子供のようにすねる。
「もう無職って言わせません、師匠」
ベルはさりげなくハンカチを取り出し、ロザリオに差し出す。
「腑抜けのご主人様共々よろしくお願いしますデスの!」
ポロンは畏まってベルに頭を下げ、握手しようと短い手の代わりに長い犬耳を右だけ差し出した。状況により手の代わりに使う。
「やっとご主人様が仕事してくれマスの。この十年あまり、ポロンは」感極まって再び涙がつぶらな瞳から零れる。
「あなたは今から私の魔法の先生です」
言い聞かせるように、弟子になったベルが両手で師匠のロザリオの右手を握った。
「私に、みんなが幸せになれる魔法を指南してください」
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