訪問
*
「──くぁぁっ」
軽い眠気に苛まれる放課後。いつもの
などと、だらしないことこの上ないモノローグだが一応言い訳させてもらうと、昨日の(日付は変わっていたので今日の話になるか)夜中に訪問してきた会長達の相手をしていて──といっても色気のある話ではなく──結局解散したのは日の出あたりでまともに寝ていないゆえの醜態だ。会長達も条件は同じで、にもかかわらず午前中、午後と場面場面で見る顔にそれらしいものは見られなかったわけなのだが……あれが若さか。
とはいえ、一事が万事こんなふうに学生生活を疎かにしているわけではない。それが証拠に今日返却されたテスト(中間の時期には早いが進学校らしく学園独自の模試が別にある)の結果はそれなりに上々だった。集まりの大半がたわいない話題で占められる空き教室は、そんな本日のネタと共に思い思いくつろいでいた。
「へー、意外にいい点とってるね。高校の時ってそんなよかったっけ?」
もはや定番となった机を四方に囲うスタンスのうち、隣の一角を占めている空也が相変わらず緩そうなイントネーションで感心する。天乃原学園では結果を周知することで生徒の緊張感を刺激させるためか、テスト返却時に名前と点数を読み上げるのが通例となっている。なので教室が同じならとうに知れているのだが、別のクラスに在籍している空也にはその限りではなく用紙をためつすがめつしながらの感想だ。
ちなみに各生徒の進路希望に応じて意図的に振り分けられる学園のクラス分けに対応してか、生徒として潜入する俺達の所属クラスも同様に分散されている。同じクラスとなったのは二月に編入してから三年に進級しても一緒になった俺と瞳子だけで、あとは空也も、剣太郎も、帝も、国彦も、予定より遅れたもののようやく編入が完了した逆崎も別クラスになった。まぁ、当初の依頼内容であった潜入調査はすでに有名無実のようなもの(実際俺や空也はなにもしておらず、もっぱら役目を果たしているのは一学年下に潜入した赤谷、青山、緑川といった剣太郎の取り巻き達だ)だが、それでも開き直ってたむろするよりもバラけて個々に学園の空気を味わった方が天乃宮や当真の要望に応えようとする姿勢が見られる分マシというわけだ。……現在進行形で空き教室を根城にしている時点で無意味なポーズだが。
「? どうしたのさ」
知らずため息をこぼしそうになった俺を空也が怪訝そうに見つめる。俺はなんでもないと首を振り、気を取り直して会話に戻る。
「いい点といっても、ここの生徒の中では下の方だったけどな。……まぁそれでも試験勉強したかいもあったってもんだ」
「してるところあった? 僕達と遊んでる記憶しかないんだけど」
──おまえらといるとまともに勉強なんて出来ないから見てない時にやってんだよ、というのは例え事実だとしても小者の嫌みにしかならないので胸の内にしまっておく。
「一応、毎日一時間を目途にコツコツとな。将来の準備と思えば、わりと続けられるもんだ」
自分でいうのもなんだが、将来の準備とはいい得て妙だと思う。俺の場合の将来とは大学卒業後の教師という進路にあたる。その準備というとおおげさになるのだが、やっていることは授業中にとったノートを整理しているくらいだ。ただし、内容は進行や時間配分、説明に用いた文言や語彙といった授業の中身より実務を観察したものを書き綴ったというのが正しい。在籍していた大学が休学状態にある以上、単位取得は望めない(そもそも留年しないですむよう一年から取れるだけの単位は確保している)のでどの道やれることは限られている。
それならばと、俺が教師になった時の参考に(というかあわよくば丸パクリするつもりで)はじめたことだが、それでも授業の中身を写していることには変わりはないせいか、意外に授業の内容が身について試験の結果も上々という思わぬ副産物となった。
そう考えるなら、この学園の教師の質は高いということなのだろう。少なくとも勉強を教えるという点においては疑いようもない。要点をわずかなセンテンスで伝える構成力というべきか、観察の内容を整理したノートやそれに費やした時間の短さからも優秀さは伺える。
ちなみに一番うまいと感じさせたのは偶然にも単位取得予定の社会科を担当している臼井先生──俺が当初編入した二ーCの担任だった人──だ。言っちゃあ悪いが、苗字と見た目の印象が妙に合っているにもかかわらず、教え方があまりにもスマートだったのでとても意外なギャップだった。臼井=印象が
「あぁ……なるほどね。でも気が早いんでない?」
「いや、そうでもないだろ。俺の頭の出来を考えるなら今からでもやれることやっておいて損はない──っていうか、おまえも他人事じゃないだろ」
俺の指摘にそうなんだよねー、と机に突っ伏す空也。しなやかな上半身からチラリと垣間見えるテスト用紙からは惨憺たる結果を示している。およそ進学校で見かけるような点数ではなく、これでよく編入試験を通過出来たものだといわれること間違いなしだが、事情を知っていれば単なる不正入学のおかげだというのはいうまでもない。
「ホントどうしようかなぁ。絶対、瞳子ちゃんのお小言が炸裂するよう……」
珍しく陰鬱な様子のまま、刻一刻とテンションの底という底を更新していく。天乃原学園独自に行われる模試は、対外的にいろいろ気を使う学園側が進学校としてその水準が高いことを定期的に周知させることで批判をなるべく抑えようとする一環で行われており、また授業中の“内職”を黙認している代わりに「聞いてなくてもいいけどちゃんと理解してるんだろうな?」という確認の意味もあるらしい。
明文化された罰則はないものの、学力不足ないし授業への習熟不足を理由に希望する選択授業は受けられなくなり、ひいては進路にも支障をきたす──とのことだが、入試・編入試験で通るほどの学力があるなら望んだ選択を外されるなんて事態になったことはないらしい。
今回、はじめてその“罰則らしきもの”が適用されそうな空也だが、テストも進路も本人の人生には全くの影響を及ぼさないのでどこ吹く風を決め込める。しかし、なかば暗黙の了解とはいえ編入の経緯に疑問をもたれるほどの低い学力を周囲に喧伝されては潜入要員として採用した当真家──ひいては瞳子の失策となってしまう。それで直ちにどうこうなるほど致命的ではないが、いくらかの骨折りは避けられないだろう。空也はそのとばっちり(自業自得だが)を恐れているのだ。
「……剣太郎もなんでそんな落ち着いてられるのさ。僕とどっこいの点数なのに」
まるで不幸を共有させようと正面の席を陣取る男子生徒をじとりと見上げる。俺からすれば空也の反対隣にいる剣太郎がそこでようやく気づいたかのようにん? だか、む? だが、鈍く反応する。人の本棚からちょろまかした漫画か小説を黙々と読む置物と化して会話に加わらないのはいつものことだが、水を向けられて無視するほどコミュニケーションが壊滅しているわけではないので、恨みがましそうな空也を一瞥し数秒考え、ようやく口に出したのが──
「諦めて受け入れるしかあるまい」
──なんの含蓄もない降伏宣言だった。いや、それだと自分も空也と同じ目にあうってことをわかってるのか、
「……昨日の晩に外出してから今の今まで戻ってこないのは幸いだったな。瞳子のことだ、数日しのげば矛先も他に移る。むしろ普段と違う態度で過ごす方が痛い腹を探られかねないと思うぞ」
言外に漂う空気を察したのか、剣太郎が手元に視線を戻しながらも多少は建設的といえる対処の心得を挙げる。よほど急用だったのか、慌ただしげに時宮に戻るという端的な連絡を受けたのは剣太郎の証言に違わぬ昨晩のこと。俺や空也、剣太郎の友人兼雇い主であるところの当真瞳子は今日この時間に至っても一度として顔を見ていない。
それは空也と剣太郎も似たような感傷からか、いつもは埋まっているはずの俺の対面をどこか落ち着かない様子で視線をくれる。単に絞られるのが憂鬱なだけという可能性もあるが。
「まったく時宮屈指の異能者が揃いもそろって模試の結果に悩ませるなんて夢のない話だねぇ」
なんでそこに俺も含まれるのは疑問だが、空也のいわんとすることはわからなくもない。剣太郎の意見で持ち直したとはいえ、社会すら歯牙にかけない生き方が出来る自分がその縮図である学校の試験一つに煩わされようとは思ってもみなかったところだろう。異能者らしい高慢といえばそれまでだが、だからこそ“たかが模試”くらいで頭を抱える空也が微笑ましく見える。
「しょせん、凄い異能を持っていようが現代兵器すらものともしない戦闘力があろうが、人の悩みってのはそう大差がないってことだな。……いいんじゃないの? 別にみみっちかろうと庶民くさかろうとさ」
「元とはいえ序列持ちが所帯じみてるなんて後輩が見ればガッカリしそうだ」
「普段そんなこと欠片も思ってないくせによくいうよ。つーか、むしろこの力を使って崇高な目的を達成するだとか世界制服を企む方が始末が悪いだろ。持った力を無駄にするのもそれはそれで贅沢なありようさ。要は自分がそのありように納得するかどうか、他人がどう思おうが知ったことかよ」
と、そんな持論に倣うなら潜入調査においてものの役にも立っていなくても過度に気に病む必要がないのかもしれない。そもそも瞳子が声を掛けるのはどいつもこいつも戦闘に特化した能力をもった顔ぶればかり。だいたいにおいて調べものに適した人材とはお世辞にもいえないわけでいざ無能と罵られようものならその前に不適格とわかりきっていながら送り込んだ瞳子の任命責任が先ではなかろうか。よかったな空也、そのあたりをつつけばお叱りは最小限ですむかもしれないぞ。もっとも──
「──そんな暢気なことをいっている場合かしら?」
──もっとも、大元の発注先である
「いやいや会長、瞳子の性格の苛烈さは多少なりともわかるだろ? 空也が頭を抱えるのもそう冗談でもないさ」
そんな俺のとりなしも当真家の人間もかくやとばかりの強い睨みをよこすのは天乃原学園生徒会長、天乃宮姫子。明らかに不愉快だという気配を隠さない彼女の意図は口に出さずともいやでもわかる──誰がそんな話をしているか、と。
解任騒動から少し後、なにを思ったのか会長は窓側の隅奥に上等なソファーとデスクを持ち込んで居場所とし、ちょくちょく顔を出すようになった。頻度でいえば、昼食時にはほぼ一緒する飛鳥──生徒会会計、桐条飛鳥──の次くらいで、だいたいは俺に向けての嫌味か説教、時折生徒会の仕事なのか筆の走る音が小気味よく耳に残った。
その会長を真田さん──生徒会書記、真田凛華──が生徒会の用事で連れ戻しにくる(ついでに茶と茶菓子を軽く摘んでから)のがここ最近のちょっとした一日のルーティンになっている。五月になってからはここで仕事をする比重が特に増したが(どうやら襲撃された生徒会室の修復にはまだ時間がかかるらしい)今日はどうやら嫌味&説教の日らしい。
「御村優之助、昨日いったはずよね? 当真瞳呼の息のかかった転入生が学園にいると」
「あぁ、
「なら、どうしてそんな暢気でいられるの。普通、なにか仕掛けるものでしょう? みすみす先手を譲ってどうするのはどういうつもりかしら?」
いや、潜入された時点ですでに後手だろ。
「──私がいいたいのは、この状況に手をこまねいている場合ではないといいたいの」
俺の表情から、ツッコミの内容を察してか、会長のトーンが若干落ちる。それでも学園の責任者として、不穏分子にのさらばせておくのはあまりいい気分とはいえないのはわからなくもないし、その部分に関しては引くことはないだろう。
「まぁまぁ落ち着いてくれ。いいたいことも気持ちもわかる。けど、別に俺達があくせく動くような段階じゃないってだけでその時が来たらちゃんとするさ」
「今の状況が動くに値しないと?」
聞く耳はある様子の会長に首肯しつつ、促されるままに続きを話す。
「まず第一に、潜入した当真瞳呼の配下についてだが、書類の不備で正体がわからないといっても探そうと思えば、簡単に見つかる。いかに一学年十クラス以上あって、転入が頻繁に行われる環境だからといってそれでも難易度は低い。異能を使うまでもなく──というか生徒会の連中でもそれは可能だろうよ」
「だけど、僕達にしろ、
言葉を引き継いだ空也があっけらかんと言い放つ。だが、その言い分は決して的外れではない。不備を誘発し、不正を起こしたのは当真瞳呼側だろうが、それで通してしまった以上、もはや一生徒として扱わざるを得ない。仮に問いただそうにも不正の証明──この場合は異能の関与か──が難しい以上、学園の管理責任が問われるだけ。まして
「とはいえ、それが探さない理由とイコールになってないのは承知してるよ。でも、学園や天乃宮には被害は出ないだろうから、下手に手を出さないほうがいいのさ」
「──なせそう言い切れるの?」
「いかに当真瞳呼でも天乃宮家とは正面切って相手取るほど無謀じゃないからさ。逆にそんな向こう見ずだったなら、瞳子や当真家は異能者至上主義の権化に今まで手を焼くこともなかったろうよ」
「この学園に手を出したのは?」
「そこは少し違う。手を出したいのは、この学園ではなく瞳子の息のかかった俺達だ。当真家当主候補として、瞳子を叩いておきたいだろうからな」
次期当主が二人にほぼ絞られたとされる現状において、一方の陣営での物事の成否はすなわち当主選定の勝ち負けに直結する。要は瞳子が解決出来なかった案件を当真瞳呼が片付けたら当真瞳呼の完全勝利ってわけだ。また、それはなにも案件達成でなくてもいい。それよりも達成にかける労力が少なく、かつ効果が絶大な要素が他でもない、俺をはじめとした当真瞳子に組する異能者達だ。もし排除出来た場合、天乃原学園の問題解決と当真家の当主選定、二重の意味で競争相手の手駒がいなくなる。政治的なかけひき、経営の妙、社会問題への配慮、それらを駆使して立ち回るよりはずっとシンプルで済む。
「その意味でなら変に正体を暴こうとするより、多少なりとも学園の問題解決に動いてもらった方が、そちらとしてはおいしいんだよ。……一応いっておくが、瞳子も同じ考えだぞ。当真家のいざこざを第一に片付けたいというのが本音でも、天乃宮の利益になりそうな部分に関しては多少なりとも遠慮するくらいの判断はするさ」
「……そう」
まったくの考えなしではないのを理解してくれたのか、ようやく会長から納得の意を引き出すことに成功する。取引相手のクレーム対応と気難しい上司のお嬢さんのご機嫌取りとを足して二で割ったというべきか──あいにく両方経験したことなどないが──なにが地雷になるのか冷や冷やしながら言葉を選ぶというのはなかなかどうして神経をすり減らすものだなぁ、と内心嘆息する。
そもそもこちとら弁が立つ方でもなければ、人を顎で使う立場でもない。それはどちらも瞳子の役目だ。どこをほっつき歩いているのか、この場にいればこんなことには──いや、火に油を注ぐ光景しか浮かばんな。
「そうそう俺達だっていくら瞳子ちゃんの友人だからって身贔屓で頭に担ごうなんてしないよ。そのくらいは信用してくれてもいいんじゃない? どうせこちらから動かなくても──」
そこで言葉を切る空也。代わって挟みこまれたのは部屋の出入り口から響く乾いた音──ノックだ。瞳子ではない、と断言出来る。飛鳥もここの住人だといっても過言ではないし、放課後は空手部で鍛錬するのを日課としていてこれまたあり得ない。国彦の辞書に遠慮の文字はなく、実家から家族を取り戻すのを目的に動いてきた帝は差し迫った理由ありとはいえ、ことを構えた会長が居座るここに足を向けることはないだろう。たまに顔を見せにくることのある逆崎は寮の片づけに今日はとっくに帰った。ハルとカナとは腰を据えて話し合うのはまだまだ先になりそうで、生徒会役員で唯一たまり場にきたことのない要芽ちゃんは瞳子以上に最近姿を見ていない。ならば、ここに用事のあるのは他に誰がいようというのだろうか?
「──いやでも向こうから来るさ」
俺の至った結論を代弁するように空也が区切った言葉の先を告げる。
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