再会・二
「──制服似合ってますね」
脈絡を外れ、そんな愚にもつかない言葉が出たのはどうしてだろうか?
自分でもわからないまま滑らせた台詞に先輩がしばしあっけにとられる。いかに相手の心理が読めるといっても当人がわからないまま洩らした意図もへったくれもない妄言の真意など理解しようはないのだろう。
「あ、ありがと」
「いえいえ、どういたしまして。それにしても成人してるとはマジで思えないですよ。しかもリボンの色、それ一年のやつじゃかっ──」
「しばらく見ない内に──
先ほどと同じく襟首を引き寄せられ、低音ドスの混じる声で威圧される。怯えから安堵、そして再び見せる外見にそぐわぬ獰猛さが夏にさしかかろうとする日差しを受けて目まぐるしくも眼を焼く。
数ある学園施設の中で高い壁と校門に最も近く、まさに玄関口といえるターミナルは山の高低差と東西にある壁の終端が遠い事も手伝ってか、早朝に木々や建物の間を抜けていく射光も、赤から闇へと暮れなずむ夕日も満遍なく受け取っている。
だから、読心など持たなくても意図が伝わっているのだとはっきりと見える。勝手な願望だとわかっている。被った虎が張り子で出来ているのも知っている。たがそれでも先輩にはそうあってほしい。例えそれが仮初であっても。あぁ、だからなのか。遅ればせながら気づいた妄言の真意。俺はただ、先輩に──
「──変な気の使い方しないでよ」
「それは失礼を。なら、
鷹揚に頷いて見せる仕草で
「そうなると次は“信号”についてかしら?」
「ですかね。ヒトと大差がないというわりに異能者の絶対数が少ないというのも気になりますが」
ただの率直な感想なので特に深い意味はないが、古くから方々から異能者を受け入れてきた時宮の地ですらそこに住まう全体の半分ほどでしかない。その数と質をゆるやかな下降線を辿る現状でヒトと大差がないのならどうして数に開きが出来るのか、疑問に思わないわけではない。
「ほんの少し違っているだけでもヒトとオランウータンの差があるのでしょう? 何かしらの理由はあるのでしょうね。当真瞳呼は
「なんか変な話ですね。ヒトと大差がないはずなのに異能なんて明らかな“違い”があるなんて。誰がどうしたって異能の有無は微差ではないでしょうに」
「尺度の相違でしょうね。数センチ、数ミリをちっぽけと見る人もいれば、分野や出来事に置き換えて大きな隔たりと感じる人もいる。優之助、あなた、脳の血管を数ミリ傷つけていい? と聞かれて“たった数ミリならいいですよ”──なんてOK出来る?」
「そもそも脳の血管を傷つけてもいいなんて許可しませんよ」
「なるほど、優之助はどちらかといえば後者にあたるようね」
──神経質って、やつに。そう締めくくる先輩。脳の血管を神経に置き換えたジョークのつもりだろうか(なんでこちらが解説しなければならないのか)、外しすぎて、正直どう反応していいものか困惑しかない。
「悪かったわね、つまらなくて」
「心でも読んだんですか?」
「そうよ」
今度もジョーク──ではないらしい。これまでの会話でそう思える節がいくつもあったので自分の中ですとん、と落ちるものがある。
ただ、先輩の能力はサイコメトリー。そう当てはめられたのは何の根拠もなかったわけではなく、触れていなければ効果を発揮しないという欠点(と一概にいえるかどうかは難しいが)があるからだ。
しかし、たびたび首元を締めてくる以外で俺に触れる機会のなかった先輩が現在進行形でこちらの思考を読めるという事は本来持っているはずの異能とは別の能力を使っているらしい。また一つ確信へと繋がっていく──とりたてて隠していたわけでもない上に、それぞれが腰掛けているインテリアがすでに充分な証拠となっているのわけではあるが。
「少しばかり勘違いしているようだけど、読心は自前よ。サイコメトリーは触れたもののあらゆるものを読み取る、というけれど、別に私の能力は便宜上そう名がついただけで、サイコメトリーそのものではないわ」
もはや当たり前のようにこちらの|地の文(思考)に訂正を入れつつ、手をかざす先輩。もちろん傍目から見て何かをした様子はない。しかし、その挙動はどことなく既視感を掻き立てる。
「(あぁ、そうだ。『制空圏』に似てるんだ)」
「私の読心は原理で言えばエコーやレントゲンのようなものよ──その点はあなたと同じね。扱うのが超音波やX線、異能で発生させた振動という違いはあるけど、一種のセンサーとくくれる代物。私の場合は特殊な信号、それも異能者が異能を使用する際に発生する“そのもの”を用いて対象の思考や記憶、それ以上も以下も以外も読み取ってしまう──だから私は」
「──誰よりも異能について深く知りえた、というわけですか」
こちらで先取りした答えに誤りはなく、先輩がそうよ、と首肯する。ともすれば思い上がりもはなはだしい台詞なのだが、稀代の読心使いであるという事はもとより、先輩の異能がその“信号”とやらをもっとも意識しやすかったのも一因となっているのだろう。おそらく、研究に携わる以前から薄々気づいていたのかもしれない。
「わかっているのを承知の上で言うけど、私だってこんな高慢ちきな発言、趣味じゃないわ。というか、自慢したつもりもない。だって、読心を行う手段がたまたま異能の動力そのものだったってだけの話でしょ。他の読心系子が体内の電気信号や体温を介する分、プロセスが余分に一つ増えただけ精度にいくらかの差が出ただけで、そこまで偉ぶれるわけでも持ち上げられるいわれはないわ。なのに私は“本物”だとか、誰それは“出来損ない”だの……あぁ、もう! 腹立つ!」
思い出したように口にしたとおりの感情で顔を歪ませる先輩。この三年間が目的ありきとはいえ、望むものでなかった原因は、何も誰かに実験動物扱い不都合を強いただけではなかったらしい。
まぁ、読心系の異能者は能力のせいか人付き合いが輪を掛けて下手くそだ。そんな先輩がそりのあわないであろう連中と今まで協力体制にあったのだ(しかも現在進行形で)、苦労がしのばれる。
「でも偶然にしろ、なんにしろ、その違いがあるからこそ先輩は今までとは比べ物にならない力を得た──ですよね?」
いや、異能の本質を理解する事でもともとの勘違いを正した、という方が正確か。先輩にとって“サイコメトリー読心”は一部分に過ぎず、物事のありようが見方を変えればどこまでも違っているように異能も思う以上に可能性があるのかもしれない。
「──先輩、すみません。俺、もう少し自分が大人だと思ってました」
突然の謝罪だが、先ほどとは違って先輩に驚く様子はない。脈絡はなくても妄言の類ではなく、込められた意図は言葉にする以前からとうに気づいている。ならば、いずれこの流れになるのだろうとわかっていたから驚きようがないというだけか。
懐かしくも、ぎこちなく、そしてどこかよそよそしさすら感じさせる数秒前までのやりとり。それでもこみ上げてくるものが皆無であるはずもなく、そして俺は“それ”に抗えない。
「──この三年間、何してたんです?」
それは奇しくも最初と同じ問い。だが、今度のは──いや、はじめから──聞きたい内容はごく個人的な事。別に俺は異能の本質“信号”とやらに興味などない。そんなもの、話題に困って場繋ぎに出した天気ネタと大して変わらない。瞳子や実害を受けた逆崎、そして、研究と称して踏み付けにされた創家には申し訳ないが、もろもろの事情は俺にとって二の次、三の次でしかない。俺が知りたいのは──
「──先輩、どうして俺から姿を消したんですか? そんな力を得て何がしたいんですか?」
装えていたものを取り払ってみるとなんともみっともない話だった。単なる一後輩の恨み節。頭の奥にある冷静な自分が失笑しているのがわかる──俺は先輩のなんだというのだ? と。
だが、逆崎と創家から聞いてしまった以上、己が本音を抑えつけるのは難しい。それを醜態と恥じる理性があるなら、二月のファミレスで妹達をダシにされたからといって瞳子の話に乗りはしない。
そんな俺の渦巻く感情に反して、即席の机を挟む俺と先輩、広場は一見するだけならとても静かだった。読心を持たない俺には先輩の内側なんてわかるわけがない。家族妹達の事ですら手一杯だったのだから。
そんな俺にわかる事といえば、目線や口元、わずかに揺れる肩、なんとなく追ってしまう小柄な先輩のちょっとした仕草から見える応えてくれようとする意思ただ一つ。
「それは──」
──
手の形に技術的な意図はなく、単に掌低その方がやりやすいと判断したんだろう。通過したのはほんの数瞬まで俺の胸があった位置、ありていに言えば、奇襲を受けたのだ。先輩に。
「やっぱり失敗か」
自身を見上げる俺後輩に向かって残念そうに眉根を寄せる先輩。しかし、“やっぱり”と言うだけあって、その落胆の度合いはあまり深くない。とっさに上体を後ろにそらす事でかわした俺とかわされたとはいえそのまま覆いかぶされそうな先輩、両者の体勢を考えるなら追撃も可能だろうにそのつもりもないらしい(やる気ならとうにやっている)。
「見せ過ぎたのがいけなかったんだと思いますよ」
襲われた側らしからぬ感想指摘は二度にもわたる
「──稲穂の『
「正解よ、優之助」
まさに瞬く間、といったところ。触れ合う寸前の間合いを解除し、まるで奇襲などなかったかのように対面のある椅子へと再び腰を下ろしている。
「(──いや、そもそも奇襲ですらないのか)」
追撃の気がなかったのも当然の話。先輩はただ俺の問いに応えただけなのだ。“信号”についての説明も、姿を消した理由も。そして──
「異能は使い手の我を通すために世界に働きかける一種のコミュニケーション能力。例えにリモコンとしたけど、“信号”と名付けたのは言語や文字といった意思疎通の手段という毛色が強いわ。私の異能はその“信号”そのものを操る能力。他の異能者が使う“信号”のパターンさえわかればどんな異能でも使いこなせる事が出来る──こんな風に。シグナルチェンジ、『
椅子や机を出した時と同じく指を鳴らす先輩。そういえば、本来の使い手も稲生を使う時はなぜか指を鳴らせたがっていたのを思い出す──そんなのんきな感想は足元からせり上がり、まとわりつく土砂の手触り(足触りか)を味わうまでだった。『ジアース』の能力が一つ、『アースロック』だ。
「追撃しなかったからてっきりこういった事はなしだと思ってましたよ」
すでに膝まで差し掛かる土の冷たさに閉口しながら一応、形ばかりの抗議をしてみる。──馬鹿馬鹿しい、先輩はいっそ律儀と言っていいほど俺の問いに向き合ってくれている。自身の異能の本来の使い方を知ってどうするのか? こういった事にならないはずがない。だからこそ望ましい。これでやっとなんのしがらみもなく俺と先発との再会をはじめられる。
「優之助、『優しい手』を異能をこれ以上使うのはもうやめなさい」
「──ようやく知りたかった事を聞ける気がしますよ、先輩」
つまり、それは俺が差し向けた問いへの最後の答え──
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