解任要求当日・三



      *



 遠くで喧騒が聞こえる。昼休み中12時の半ばなので学食からだろうとあたりを付けながら、私は校舎の離れとなる講堂の玄関を開ける。


 大人数を同時に受け入れられる長大な扉を一人分ほど隙間を作って中へ入ろうとすると喧騒とは別の異音。例えるなら運動会で耳にする号砲に近いが、平日の学園ではまず聞く事はないだろう。


「(派手にやっているな)」


 生徒達の喧騒と同じく、音の正体を想像しながら振り返らずに進む。講堂の中は昼だというのに不気味など薄暗いが照明を付けるほどではないと、そのまま地下を目指す。


 講堂の用途は世間一般の学校で言えば、体育館が近い。ただし、天乃原は別に体育用の施設があるので、始業・終業式や全校朝礼といった定期行事、まれに演劇部の講演で使われるくらいで普段は解放すらされていない。事実、始業式の日の午前中に使用してからの一週間、一般生徒はおろか生徒会すら足を踏み入れた事はない。中に入れさえすれば、これ以上ない隠れ場だろう。


「──今思えば、新学年初日に生徒会長天乃宮姫子が襲撃された時から違和感があった」


 床を叩く足音が室内を反響していく中、返事を期待せず吐いた呟きも同じく階段の向こう側にある広場へと走る。


「たしかに会長はこの学園において最も重要な地位にあり、それでなくても天之宮家現当主の孫だ。その身命にかかる付加価値は考えるのも馬鹿馬鹿しい。だが、特定の人間──例えば、優之助や当真瞳子にとって、その価値とやらはそれほど重要だろうか?」


 三月にあった二人の戦いを思い浮かべてみる。くしくも、この先にある舞台で繰り広げられたのは、個人的事情で互いの命すら質草をかけた決闘。そこには建前やしがらみ、地位も名誉すら振り捨てて、二人だけの閉じた世界が形成されていた。そんな二人に社会的な物差しなど通用するはずがない。


「キャンプ場の時もそうだ。当真晶子にさらわれかけたが、本当の狙いは別にあったと聞いている。ならば、この前の襲撃も会長が目的ではないと考えるのは自然だろう」


 言い方は悪いが、こと異能者が絡む事態において、天ノ宮姫子をわざわざ襲う理由がない。そもそも、会長は成田稲穂襲撃者本人を前に自身の安全とは関係なく、別の目的があるのだろうと指摘している。


 では、何が狙いだったのか? あの一件で最も被害を被ったのは? それについても会長は言い当てている。それは"生徒会への指示をさせない事"──もう少し言うならば、生徒会が取り扱える学園の機能システムだ。


 生徒会が学園内で大きな権限を持っている為、生徒会室は校舎の中にありながら、他の部屋とは異なる設計の元、建てられている。重要書類をはじめとした貴重品管理の必要性から警備部と共有している内外の監視システムもその他の部屋にはない機能の一つだろう。


「あの襲撃で直通のエレベーターはおろか、後の調査で判明した潜入経路も含め、あらゆる機械的システムが電撃によってダウンしていた。最低限の機能はすぐに復旧したものの、数十分、天乃原学園は外敵に無防備だった」


 その間、どんな人間が、何人潜入したのか一切不明。ここまで挙げておいて、一人も潜入していません、だったなら、それはもう赤面ものの笑い話だが一歩ずつ進むごとに漂う異様な気配が勘違いを許さない。


 強烈さで言えば、当真瞳子が異能を使った時よりも上だ。向こうがその気になればいくらでも私をなぶり者にできるはず。だが、それがわかっていながら私はこの先を行く。虎穴に入らずんば虎子を得ず──虎穴に入らずんば虎子を得ず。この先にいる人物が一連の鍵を握っているのは間違いないからだ


「──延々と独り言を垂れ流しておいて、よく平気ですね。無意味すぎて私なら赤面してしまいそうですよ、


「独り言のつもりはなかったさ。そっちこそ、寂しい人扱いしないでもらえるか? これでも気の置けない友人くらいいるんだからな──


 長い廊下の末に広がる空間、その出入り口に一番近い席を陣取るのは天乃原学園生徒会副会長、平井要芽。がそこに待ち構えていた。


「予想通り──そういう口ぶりですね」


「あぁ、聞こえるのが前提で言ったように、な」


 この間、双方会話しながらも互いに顔は一切相手に向かっていない。私は周囲に警戒して、平井は手元の文庫本に目を落としたままだったからだ。出入り口には非常灯がぼんやりと周囲を照らしている。他に光源を確保できそうな場所がない為、最も見つかりやすい席についていたらしく、それはつまり、私相手なら隠れる必要などないというのを雄弁に語っていた。


「何を読んでいるんだ?」


 舐められている。それがわかっていながら不思議と怒りが沸き上がらない。代わりに普段なら気にも留めない様な小さな疑問が口をつく。


「──どうぞ」


 私の反応がよほど意外だったのか、読みかけ途中の本に栞を挟み、私に手渡す。


 ──悪い事したかな、奇妙な罪悪感が胸をつきながら受け取り、使いこなれた皮のカバーを外す。中から出てきたのは、ラミネート加工された色とりどり少女が描かれたイラストの表紙。あまり詳しくはないが、ライトノベルというやつだろう。一見すると漫画本だが、中身は縦書きの文字だけが紙面を埋めていた。どこかで見た気がするが、ただ手に取っていても思い出せそうにない。カバーを戻し、平井に手渡す。


「それで、いったい何用ですか? 少なくとも平日の昼休みに入り込む場所ではないはずですが」


「その言葉、そっくりそのまま返そうか、副会長」


 戻ってきた文庫本に再び目を通す平井。リズミカルにページを捲る手は、紙を擦る心地よい音を生み出し、ともすれば、こちらとの会話を拒む風にも取れる。それに付き合うほどお人好しのつもりはない私は、本命の質問を彼女に切り出す。


「──成田稲穂を引き入れたのはお前だな、平井要芽」


「……どうしてそう思ったのですか?」


 平井の質問は私の指摘で追い詰められたからではなく、ただ会話の定型に則っただけらしい。それが証拠に動じる様子もなく戻ってきた文庫本のページを再び左から右へと流す。こちらも『氷乙女』がみっともなくうろたえるとは思っておらず、あらかじめ用意していた根拠を挙げる。


「襲撃の際、お前の手際が良すぎたからだ。私との合流、生徒会員、一般生徒を含めた混乱の対応、そして襲撃を受けた会長へのフォロー全てにおいて、な」


「あれくらい普段からやっているはずですが?」


「そう言われてしまえば、それまでだが、成田の襲撃の迅速さは異様と言っていいほどだった──それこそ事前に襲撃があると知っていなければ防ぐのが不可能なくらいに」


 生徒会室の場所は本校舎の一番高い部分にあり、外観からでも一目でわかるが、そこへ行くまでの道のりはあらかじめ把握していない限り、たどり着く事はない。いくら腕に自信があったとしても短時間で落とせるものではない。成田も平井もお互い示し合わせた上での行動でなければ説明がつかない。


「出来るから間に合ったそうなった。私にはそうとしか言えませんよ。成田の襲撃の手際にしても、情報を流したのが別の人間という可能性もあるはず。いずれにしても、手際が良すぎる、を根拠にするのはいささか薄弱です」


 確たる証拠は? ページに手を掛ける合間を縫って、平井の瞳がそう問いかける。いくら私が気づこうとも、いかに辻褄の合った根拠を挙げたとしても、所詮は状況証拠に過ぎない。


「ないな」


 素直に認める。そんな私が意外だったのか、規則的に動いていた平井の手元が一拍ほど止まる。


「少なくとも私には用意は出来ない。そんな下手を打たないのは自分が一番わかっているはずだろう? ただし、私の考えを会長に話すとなると、どうだろうな」


 そう私は警察や探偵のように犯人を前に動かぬ証拠を突きつけて屈服させる必要がない。それなりに筋さえ通っていれば、状況証拠でも会長を通じて平井の動きを封じる事が出来る。


「──変わりましたね、桐条さん。以前のあなたなら、そんな開き直った立ち回り方などしなかったでしょうに」


「それで誤魔化されたりするとでも? 聞かせてもらおうか。どうして生徒会を襲う事を良しとしたのかを。どうして海東姉妹についたのかを。どうして、の──」


「──そうそう、とっととその女に聞かせてやればいいじゃん。てめぇがただの裏切者だってさぁ!」


 悪意というスパイスをふんだんに練り込んだ声が私の追及を遮る。その大元は広場の中心から数えてかなり手前の腰掛け席、出入り口の非常灯がギリギリ届かない場所。やや見辛いが、目が暗がりに慣れた事もあってかどうにか相手の輪郭を捉える。


 小柄な体躯に着崩した天乃原学園の女子用制服、薄い唇を嘲笑で歪め、鋭いというよりただただ目つき悪くこちらを見据える女が一人。天乃原の制服を身に纏っていながら女生徒と表わさないのは、調べた結果、在籍した事実はなく、単に制服があれば怪しまれにくいという向こうの事情から。言うなれば、平井への疑惑に対して"確たる証拠"と呼べる人物。


「──成田、稲穂」


 一週間前に起こった襲撃事件の実行犯がそこにいた。


「まさか、こうもあっさり姿をあらわすとはな」


 成田を前に芯の部分が身構えるのを自覚しながら表面では平静を装い対峙する。そんな私の内心を知ってか知らずか──むしろ、それこそが彼女の素なのか──品定めするような成田の視線は常に見下し、なぶる。それは私だけではなく顔見知りどころか、味方であるはずの平井に対しても等しく。


「人聞きが悪いねぇ。まるであたしが逃げ隠れしたみたいじゃん」


「生徒会がこの一週間、しらみつぶしにお前を探していたんだ。それで見つからないなら逃げ隠れしたも同然だと思うが?」


「──なにタメ口でお前呼ばわりしてんだよ。なら敬語使えよ、け、い、ご」


「あなたが言えた義理ですか、稲──」


 それは一瞬の出来事。呆れの混じる台詞を塗りつぶすほど高く弾ける音と共に、平井の座っていた空間が。成田の"雷を操る異能"だ。


 ここから成田まで腰掛け四列分は離れた場所から正確かつ予備動作なしノーモーションで発現した雷光。私が『飛燕脚』を用いても回避できるか疑わしい攻撃を、しかし平井はその身を一つ横の席へ退避する事で苦もなくかわす。それは成田の性格を熟知しての事か、それとも何かがあるのか──今更だが平井要芽、まったくもって油断ならない。それは成田のいまいましげな顔も物語っている。


「──平井が裏切り者というのはどういう意味だ?」


 いつ成田が再び攻撃するかわからない弛緩した空気のまま数分、話が進まないのを危惧した私は意を決して成田に質問する。しかし、天邪鬼と評するすら生ぬるい性格の悪さの成田が素直に話すわけはなく──


「は? それがわかってるからボコりに来たんじゃねぇの? そっか、さっき証拠がどうのこうの言ってたもんなぁ──バカかよ、こいつ以外にそれらしい奴がいるわけないじゃん。とっとと捕まえて吐かせりゃ一発だってのにぬる過ぎか、生徒会てめぇんとこ


 ──このような感じでまともな会話にならない。ただ、成田の言う事を鵜呑みにするなら平井が生徒会の意図するものとは別に動いている──裏切っているかはさておき──のは間違いないのだろう。


 成田の信用云々というより、彼女のが隠すまでもない事実だという態度と、私の勘に従って、ではあるが。どこまでいっても根拠は薄弱でしかないが、成田に言われるまでもなく、明確な証拠などどうでもいい。成田への質問を諦め(半ば、わかりきった事ではあったが)、平井に改めて向き直る。


「平井、なぜ生徒会を襲った──いや、襲わせた?」


 おそらく、これも愚問だろう。平井要芽にとって、生徒会はただ所属しているだけで思い入れはない。聞くべきは"どうして優之助と敵対する側についたのか?"その理由だ。


 平井が本当の意味で優之助の敵に回る可能性が皆無なのはもはや疑いようがない。成田の言を鵜呑みにすると仮定してさえ、裏切りという単語をさておいたのはその為だ。だとするなら、私や会長が知らない事情があるはず。それを知ってどうするかは聞いてからになるだろうが。


「そりゃ、あたしが電撃を操れるからじゃね?」


 ──それは手段に対しての理由であって動機ではない。言うまでもなく、成田はただ私を茶化しただけなので相手にする気はない。しかし、本来の質問対象である平井は変わらず手元を動かすだけで目ぼしい反応はなく、聞いているかすら疑わしい。


「──ま、どうでもいいんだけどさ」


 そう言ったのは私ではなく、成田だ。また何かふざける気なのか? さすがに非難するのを止められなくなり、そちらを向くと、成田の全身が薄暗がりの中で光を放っている──どのような感情が渦巻いているのか一目でわかるほど、激しく。


「知らなかった──なんて言わないよなぁ? 先輩が向こうについてるってさぁ。──どうしてくれんだよ? 先輩に知られたら、嫌われちゃうじゃん!」


「──やはりこうなりましたか」


 さほど驚きもなく平井。物理的にも状況的にもきな臭い中で、私の時と同じくよどみのない手つきで読みかけの文庫本に栞を挟み、邪魔にならないよう席の端に避難させている。その冷静さはヘラヘラとした嘲りから一転して、よくわからない激高を見せる成田とは対照的に映る。


「あなたはどうしますか桐条さん?」


「──どうする、とは?」


「あなたも成田彼女と同じように私を拘束するように動くか、それとも、何もせずここから離れるか──そういう意味です」


「どこの誰が拘束なんてタルい真似なんぞするかよ。二目と見れないほど焼いて、先輩の前に出れないようにしてやるよ、要芽ぇぇぇ!」


 『紫電装』。以前、対峙した時と同じく、触れられないほどの強力な電撃を身に纏い、平井へと突進する成田。私はいったいどうすべきだろうか──この状況下でぬるいとすら思える悩みを抱えながら、その体は二人の元へと駆けていた。



「──『銭型兵器』」


 どこかで聞いた事のある技名単語。口にするには少々躊躇うセンスの文字列を気負いなく囁いたのは平井だった。落ち着いた様子で懐に忍ばせた筒状のケースを二つ取り出すと、両手に構え、中身のを器用に指弾で飛ばす。


 能力に対する過信からか、不用意に近づいた成田にそれをかわせるはずもなく、雷を帯びた肩に直撃する。


 優之助元の使い手に倣ってか、地面に落ちた際の金属音は間違いなく硬貨の"それ"だ。本家とは違い、異能で威力を増幅していない為、食らった成田にさしたる打撃を与えたようには見えない。しかし、飛び道具による不意打ちは成功といってよく、成田の足が止まる。そこに間を置かず、硬貨が次々と成田へと殺到する。


 どうやらケースそのものが特注された品らしい。いくら爪弾いても硬貨一枚飛んでいくたび、筒の底から硬貨がせり出していく(おそらくバネ仕掛けで)。そのおかげか、ただの筒なら無理な連射も容易に実現させている。


「(やはり、何かしらの用意はしていたか)」


 予想通りという納得とわずかばかりの安堵を胸にと平井の拘束に動く。


「──本当に読めませんね。ここは成田を抑えにかかると思っていました」


「一番考えが読めないおまえに言われると少々複雑だな、平井」


 短く返し、そのおまけとばかりに左拳を二発。元々私が平井寄りに居た事、『銭型兵器指弾』は成田を狙っていた事、その二つのおかげで、大した苦もなく手の届く位置までたどり着けた。


 合気は相手との位置取りが特にモノをいう武術。等間隔に固定された座席ではうまく立ち回れず、また、手のひらは筒を握ったままの為に組む事も、崩しにいく事もできない平井はその先手をむざむざと許す。


「──っ」


 風を裂くような呼気。私の攻撃を回避できない、そう判断した平井の対応は早かった。最低限の足場スペースから半歩下がり握り拳のまま右半身の構え──私と同じボクシングスタイル──をとると、右の小手を内へ外へと捻る事で打撃を受け流す。


 どちらかと言えば、空手の回し受けに近い打撃対応。そして残した左手もそれに準じる形で突きによるカウンターに──によって威力が増幅された中段突きに変わる。受けによって流された体──より正確に言えば左わき腹──は無防備。左腕を戻すにしろ、空いた右をすべり込ませるにしろ、防御は間に合わない。


 まるで全身が耳になったように重々しい音と衝撃が体の芯まで駆け抜ける。それは同時に、にわか仕込みの空手とはいえ、打撃を本職としていた私にとってはかなりの屈辱を伴う事実だった。打撃に絞っても平井要芽は私と互角以上に渡り合える、そんな事実が。


「──"古流"は古ければ古いほど武芸百般に近くなる。私に打撃がないというのはあなたの勝手な思い込みですよ、桐条さん。ただ──」


 その時、視界から平井の体が傾く。腰から下が打撃の衝撃で崩れ落ちたからだ。


「──迂闊なのは私も同じですが。そういえば、同じコンビネーションでしたね」


 自らの意思に反して震える右足を一瞥し、自嘲する。平井の左が中段に入る瞬間、ワンツーからのフィニッシュに対角で右のローを打ったのがいくらか効いたからだ。


「蹴りで踏み込みが甘くなった分、命拾いさせてもらった」


「それだけではないでしょう? 少々しまいました」


 『飛燕脚』による視覚誤認。地理と状況、二つの要因から有利でも平井が何の抵抗もなくやられるとは思わない──そう思った私は持てる技術を出し切った上で攻防に臨む必要があった。


 それが打撃だったのが、私にとってショックではあるものの、掛けた保険は平井のカウンターから急所を外させる形となって結果的に活きた。


 しかし、してやったり、とは思えないのは、蹴りによる威力の減衰と視覚誤認による急所外しの両方が揃っていなければ間違いなく沈んでいた事、本来の威力とは程遠いとはいえ、腹部はひきつれたように痛むせいだろう。それでも口角を上げて平井への意地を見せる。


「──おいおい、そんなのに不覚を取った挙句、こっちは無視シカトか?」


 耳障りな嫌味と共に、平井の手元で火花が弾ける。辺りに焦げ臭さを残すも、間一髪のところで電撃をかわす平井だが、その手にあった指弾用の特注ケースが一つ、熱で溶け落ち使い物にならなくなってしまう。


「さぁ、これでいじましくも、あたしに対抗できる可能性が半分になっちゃったよー。どぅするぅ~」


「語尾を伸ばすほど心配する必要はありません」


 そう言い捨てて座席に身を隠す平井。成田の異能は当真瞳子と同じく相手を見る事で狙いをつけている以上、遮蔽物を利用するのは有効な手段といえる。しかし、背もたれのない座席に隠れるという事は中腰より低く、それこそ前進でもしなければ、間合いをあっさりと詰められてしまうだろう。


 にもかかわらず、一瞬出遅れた私が追いかけ、消えた場所を探しても姿は見えない。いったいどうやって移動したのか? よぎった疑問に浸る間もなく、成田のものでも、私のものでもない足音が高く、そして間隔短く響く──私が通った廊下の方から。


「──逃げた?」


 勝手なイメージとは百も承知だが、平井らしくない選択。再び呆けた私を先ほどのやり取りで平井と組んでいないと確信した成田が苛立たしげに指示を飛ばす。


「っ、あのアバズレが呑気にかくれんぼするわけないじゃん! 頭回ってねぇのかよ! ──あぁ、いい、何もしゃべんな、追うぞ」


 有無を言わせず、走り出す成田。いろいろ言いたい事はあるが、平井を放っておけないのは同じであるなら、変に反発するのは得策ではない。そうして、ほんの数分前では考えられない協力体制で平井を追いかけようとする。


「──そこまでだ」


 その声を聞いた瞬間、肌が粟立つのを感じる。足もその気配に意図せず止まるが、責めると思われた成田も同じ反応だ。そう、勘違いを許さないほどの異様な気配。この講堂に入った時から漂っていたものの正体がその姿を現そうとしている。


「仕掛けてこねぇと思ったら、そういう事かよ。たかだか異能者一人を足止めにたいそうなこったなぁ? ──あぁ!」


 この時ばかりは、成田のガラの悪さに救われた気がする。振り向きざまに飛ばしたは中央にある丸盆──優之助と当真瞳子が戦ったところ──の上。同時に放たれた挨拶がわりの電撃に照らされて映るのは、針金のようにスラリとした長身と天乃原の制服──成田と同じ理由の格好をした部外者だ。


「知り合いか?」


「この状況で他の線があるわけねぇだろ? あれか? 世の中にはどんなに小さくてもすべての可能性を考える必要があるんですぅ~、ってか? ──次つまんねぇ事聞いたら、焦がすぞ」


「質問が悪かった。あいつは誰だ?」


「──月ケ丘清臣きよおみだ。初めまして、よろしく──という気にはならないだろう。に言われても、な」


 私の質問に答えたのは成田ではなく、壇上に立つ男。言葉の上には謝意はあるが、黒幕──敵である事に何の申し訳なさを感じられない以上、ある意味成田の嫌味それよりタチが悪い。


「重ねて侘びよう。君もここから出る事はできない。そこの"出来損ない"と共にここでと時間を過ごしてもらう。なに、出る以外ならそれなりに善処しよう」


 その言葉に合わせて、複数の人影が私と成田──いや、成田だけを取り囲む。残念ながら私は眼中にないらしい。


「(異様な気配の正体があれか)」


 油断なく周りを見回して観察する。月ケ丘清臣と同じく、制服で正体をカムフラージュした複数の男女。その顔の造形は、天乃宮姫子のような白皙から漂う気品も、真田凛華の内から発する洗練さも、平井要芽が持つどこまでも一途な覚悟を秘めたまなざしもない。にもかかわらず、横にいる成田稲穂にすら感じられなかった不気味さがついて回って離れない。


 今のところ、足止めという言葉そのままに積極的な動きは見せないが、月ケ丘清臣の気遣わしい言葉とは裏腹にこちらの要求など一切聞く気がないのは明らかだ。


「──誰が"出来損ない"だ。このエセ紳士が! てめぇら""とやらが、いかに勘違いしているか教えてやんよ!」


 彼女の全身が再び雷で青く光る。心なしか平井に対した時より眩く見えるのは、私と同じく月ケ丘清臣の慇懃無礼な態度に苛立っているせいだろう。いずれにしても、彼女らの会話の端々にある聞きなれない単語を気にする余裕はなさそうだ。


「少しでも足を引っ張ったら、焦がす」


「そうならないように善処しよう」


「仕方がないな──やれ」


 言葉ほど仕方なさそうにない月ケ丘清臣が手首を軽く揺らす。それが合図となってか、瞬間、いくつかの影が折り重なるように降ってくる──揺らした手首の主の真意を誤解することなく、無情さを伴いながら。



      *



「──そろそろいいか? 


 "この前の決着"とやらがひと段落したのを確かめ、満を持して口を開く。そんな俺に対して不思議そうな顔をするのは因縁の当事者である逆崎縁と創家操兵。二人の表情から見て取れる困惑の色は昼の強い日差しを遮るほどの木々の下にあっても嫌味なほどはっきりとわかる。


「何が? って顔するなよ。お前ら二人の中で把握している事、全部話してもらうって言ってんだ」


 そこまで言って、逆崎と『ドッペルゲンガー創家』は、ああそういえば、と納得する。そのリアクションに少々イラッとするものはあるが、わかってもらえて幸いだ。


「言っておくが、つまらないボケはいらんからな。一連の騒動の肝がどこにあるのか、それを教えてくれればいい」


「意外だな。てっきり妹達の事しか頭にないと思ってたぞ」


 言葉だけではなく、俺を見る逆崎の目は珍しげに光る。本当に失礼な話だが、ここへ来た事情が事情なので、あまり強く抗弁できない。しかし──


「──たしかに、この学園に入学した理由の大半は、二年間没交渉だったハルとカナに会う為だったさ。だが、ただそれだけでこの学園にいるわけじゃない」


 逆崎が勘違いしているようなので説明すると、当初の目的は瞳子と戦った後の保健室で二人に再会した時点で達成している。


 それで万事解決とはいかないが、二人に俺の話を聞いてもらえる余地があるとわかれば充分。後は家族間で腰を落ち着けて話し合うべき事であって(その前から家族間の問題といわれれば、返す言葉もないし、瞳子のお膳立てである事は否定しない)、ひとまずの問題は解決している。なので、春休み以降に関しては瞳子と交した契約の為に残っている。


 魅力的な報酬の額は当然の事、ハルとカナと顔を合わせるのを密かに期待しているのも本心だ。しかし、この学園に残った最大の理由は、回りくどい上にもののついでではあったとはいえ、妹達と向き合うチャンスをくれた瞳子への義理があったからだ。それがなければ、もしかすると金額を積まれても残っていたかは怪しい(瞳子に振り回されるという事はそれだけ悩ましい)。過去の事例が頭をよぎり、人知れず幻痛が走る。


「この騒動の肝ねぇ──そういえば知っているか、御村。異能が願いによって形作られているって話を。俺はまるまる信じちゃいないが、それでもそういう説が全くない訳じゃない。物心つく最古の記憶で何となく、頭のなかで響いた言葉──光より速く。それが、どうして短距離テレポートアレになっちまうのか、不思議な話だがな」


 ふむ、と訳知り顔で自らのルーツを話してみせる逆崎。俺が口にした話の肝フレーズに思うところがあったようだが、いささか脱線している気がする。


「いったい何の話をしている。俺は──」


「落ち着け、『優しい手』。それがお前の言う肝というやつだ。『スロウハンド』は別にはぐらかしているわけじゃない。物には順序というものがある、最後まで聞いておけ」


「悪いな、『ドッペルゲンガー』──つまりそういうわけだ。お前が。今のお前には興味が薄いであろうこの話題を真剣に考察する集団は大なり小なり時宮には存在している。もちろん、隣の月ケ丘にも、な」


「その大なり小なりのうち、大の方──本格的な研究をしようと真っ先に動き出したのは異能者に関する知識量としては新参であった月ケ丘家。つまり自らが当主を務める『皇帝』の実家だ。その現当主が抑えきれないほどの野心と研究欲にかられた連中が当真瞳呼と秘密裏に手を結び、この学園に来ている。その人物というのが──」



「──月ケ丘清臣?」


 創家の口が紡ぎ出す聞きなれない人名を思わず呟く。おうむ返しに自ら音にしてみても、記憶に全く引っ掛かってこない。


「月ケ丘家の本家筋で異能研究の主任研究員だ」


 そんな俺を見かねてか、逆崎が助け舟とばかりに注釈が入る。


「詳しいな、逆崎」


高原ここへの生活の準備している間、ついでに調査するよう頼まれたんだ。当真晴明経由でな」


「そいつがその黒幕だっていうのか?」


「そうだ。当真瞳呼の共犯であると同時に、月ケ丘側──むしろ、事の発端を担っている。そして、当然、月ケ丘は今ここにある事態に関わっている」


 当真睛明瞳子の協力者のもとで情報収集をしていた分、俺とは比べ物にならないほど事の背景に詳しい逆崎の解説は一切の澱みがない。剣太郎の後輩赤谷達の時といい、役に立っていない自分の立場を嫌でも自覚させられて内臓が痛みと苦みで異様に沁みる。


「俺が聞いた計画によると連中は講堂で身を隠し、いざとなれば、生徒会解任要求の手助けをする為に動き出す算段らしい」


 人知れずコンプレックスを刺激される俺の心境などお構いなしに逆崎から解説を引き継いだ創家があっさりと月ケ丘清臣の居場所をバラす。まぁ、それどころではないのはわかっているので構わないし、ありがたいのだが、その遠慮のなさに苦笑を抑えきれない。


「──帝はともかく、何しに来たんだ? |月ヶ丘清臣(そいつ)」


「当真瞳呼に向けての骨折り──つまり、手を貸すという証明の為だよ。そして月ケ丘清臣本人の事情からだ」


「それは?」


「一つは月ケ丘帝──現当主になにかをするつもりだろう。もう一つは月ヶ丘家が生み出した後天的異能者、通称『新世代』のお披露目を兼ねた実戦投入のテストを観察する為だ。そして俺は──」


 創家との会話が途切れ、不自然な間が生じる。不意に区切りを入れた創家のその苦み走った表情を見るに、そこから先はよほど創家にとって嫌な部分に触れる中身らしい。


 だが、それは躊躇ではなく、その身に宿る怒りが言葉を失わせたからだ。ややあって、再び創家の口が開く。己が核心と覚悟を語る為に。


「──そして俺は、連中から奪われたものを取り返すのが目的でここにいる。『新世代』を生成する過程で暴かれた『ドッペルゲンガー』の研究データ。それを『新世代研究成果』もろとも破棄し、自分・・を取り戻す。どんな手段を使ってでも!」



      *



「清臣の子飼いか」


 『導きの瞳』という絶対的把握能力を持つ身からすれば、それはいっそといえるほどだった。十や二十では足りない歩数の向こうで木々を押しのけながら迫りくる害意の正体を看破する『皇帝』月ケ丘帝。


 当主と一研究員という立場の違いから二つ年上の親戚を呼び捨てにする不遜な物言いの中に嫌悪が見え隠れするのは、月ケ丘清臣が月ケ丘を象徴するような人物である事をこの上なく物語っている。そばに、遠くに、控える少女ロイヤルガード達は一言も発する事はない。だが、主の心情を反映する様に迎え撃たんとする姿はものものしさがにじんで見える。


「どうやら手が回っているらしい──ならば、ここで頭数を減らしておくのがよさそうだ」


 その言葉を引き金に主の意を叶えんと少女達は動く。ややあって、帝を中心とした数百m圏内のそこかしこから武器がかち合う音が響き出した。



      *



 ──同時刻、日原山中腹。


「瞳子ちゃんの知り合いかい? あの人達」


「なんで真っ先に私が候補に挙がるのよ」

 周囲を取り囲む集団を物珍しそうに眺める友人の問いに否で答える瞳子。自分達と同じく天乃原の制服を纏ってはいるが、正規の手続きでこの場にいるわけではないのは、この状況と向けられる強烈な敵意から明らかだ。


 ──まさか帝じゃなくて、こっちが先に当たるなんてね。拭いきれない面倒臭さを感じながら、瞳子の内心で舌打ちが鳴る。


 『皇帝』月ケ丘帝を追う事にした当真瞳子、篠崎空也、刀山剣太郎の三人はアスレチックコースの正規ルートから外れ、学園の敷地内ではあるが、ほぼ道という森へと踏み入っていた。


 なぜ森へ? それは瞳子達からすれば、帝に聞けと言いたいだろう。『王国』王崎国彦を離脱させた後、空也の偵察によって、学園に真っ直ぐ向かったのではないと確証を得て、帝とロイヤルガードの痕跡を辿り、その道すがら上述の集団と遭遇し今に至る。


 追跡自体はさほど苦もなく順調そのものだった、といえる。なにせ都合13人分の移動の跡だ。アスレチックコースから直接学園に向かえば、空也に見つかる以上、遮蔽物の多い森を経由した方が勝算があるのだろう。


 帝の異能なら迷う事はまず皆無だし、戦闘になったとしても『皇帝』の戦闘スタイルを考えるなら地の利も働くはず──最悪、帝自身が囮を演じている可能性も、ある。お互い、それらをわきまえた上での追撃戦は瞳子達にとって(そしておそらく帝側にとっても)無粋な第三者によって妨害されている。


「心当たりもないの?」


 重ねて問う友人──空也の目は、無邪気な様で有無を言わせない妙な迫力がある。普段、御村優之助お気に入りの相手に煙を巻く言動を楽しむ瞳子だが状況もあってか、空也相手にはそういったゆとりを許してもらえない。


 結局のところ、若干不服そうに顔をしかめつつ、再度否──つまり正体を知っている──と、答える。


「本当は月ケ丘の序列持ちが来ると思ったけれど、見知った顔がいないから──多分、の協力している月ケ丘清臣の私兵、『新世代』ってやつでしょうね」


 正体を言い当てられてか、瞳子達を取り囲む集団の間に緊張が走る。一方、その正体について、当たりと確信しながら不満げな態度を崩さない瞳子。そこには興味のない対象に向ける投げやりさがありありと見て取れる。


「月ケ丘──清臣? 『新世代』? なんだか聞きなれない名前と単語だね」


 反応が芳しくないという意味では空也の返しも瞳子の態度と同様に鈍い。その理由が、月ケ丘の事情を調査していたのは当真晴明別口なので隣で首をかしげる友人が知らないのも無理はないと瞳子は理解している。


「……後で説明するわよ」


 面倒見のいい言葉とは裏腹に気怠さそうに愛刀を抜き放つ瞳子。


「──アレは敵でいいのか?」


 その正体も背後関係からくる事情も興味のなかった剣太郎がこの時初めて口を開く。開口一番から物騒な物言いに瞳子が珍しく懊悩交じりの溜息がこぼれる。


「(こういう役割は優之助の領分でしょうに)」


 内心で初期配置を誤ったと後悔しながら、剣太郎に向けて首肯する。剣太郎はそうか、と戦闘態勢(といっても、基本的に構えないので、普段の立ち姿との違いはないが)をとり、空也もそれに倣う。


「誰が来ようとやる事は変わらない。ひとまずの目的は帝に追いついて確保するでいくわよ」


 返答は衝撃波を伴う踏み込みと剣閃だった。飛びかかる『新世代刺客』達を相手に戦端が開かれたのを実感しながら、瞳子の頭をよぎったのは戦いのゆくえでもなければ、帝の居所でもなく、別──それこそ学園の反対側位に離れるほど──の事だった。


「多分、行っちゃったわよねぇ。そうならないように割り振ったはずだけど──」


 瞳子の意味深な呟きは誰にも知られる事なく戦場の風に消えていく。仮に聞こえたとしてを止められるかどうか、この時点では当人達にもわからない。




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