解任要求当日



      *



「──来ないな」


 天乃原学園の時を司る鐘が十二時ちょうどを告げ、その音色は舗装された山道を駆け抜けていく。それはまるで遠雷のようで、嵐の前の静けさを連想させる。しかし、そんなシリアスな空気とは裏腹に待ち人は影も形も、来そうな気配すらない。


「(そういえば、あの時もこんな風に待ちぼうけを食ったんだったな)」


 初めて高原市に到着した春先の事を思い出しつつ、汗だくで歩いた山道に陣取り、ハルとカナ達を迎え撃つ──平日の昼間なので当然ながら午前の授業を全て欠席して。


 もちろん俺だけではなく、瞳子、空也、剣太郎を含めた四人で生徒会への解任要求を届け出させないよう、各自の持ち場を決めて張り込んでいる最中である。ポイントはそれぞれ、次の通り。


 俺──学園と高原市を繋ぐ道路。


 瞳子と空也──学園と山頂との間にあるアスレチックコース。


 剣太郎──山頂。


 この布陣にした理由は学園に侵入できるルートが俺のいる道路と、剣太郎が待ち構えるキャンプ場へと続く道路の二つしかないという事(舗装されているという意味では、と注釈は入るが)。機動力のない俺と剣太郎を両端に配置し、『空駆ける足』を持つ空也と目に見える範囲全てが攻撃射程の瞳子の二人が両方の救援に回せるよう間に据えておけば、守りやすいという狙いからである。


 『制空圏』という索敵能力を持つ俺を中間ないし、見晴らしのいい山頂に据えればいいのでは? という考え方もあるが、そうしなかったのは範囲が500m程度では麓まで届かないので後手に回る事には変わらず、そもそも守るべき事務局のある学園を中心とするなら山頂から裏のキャンプ場までは距離があるので背後を突かれたとしても奇襲としての効果は薄いからだ。


 それでも剣太郎を配置するのは可能性が皆無ではないのと、仮に剣太郎をかわして突破されたとしても瞳子と空也のフォローがあるからだ。剣太郎も下り坂を駆け抜けて追いつける。ならば、俺が押さえるべきは学園と高原市とを結ぶ車道側というわけだ。


 事務局の業務時間は朝九時から夕方の五時まで。その間に事務局に駆けこまれればもちろんアウト。事務局の職員に目につく場所で確保しようとした場合も正当な訴えを妨害する行為としてアウト。仮に生徒会と無関係としらばっくれても、それを鵜呑みにはしないだろうし、その場は生徒会にお咎めがなくとも、生徒会のあり方に対しての誹りそのものは免れない。


 そもそも普通に授業している学園の敷地で待ち構えるのは難しい。いくら生徒主導といっても授業をサボって外をうろつけばさすがに見咎められる。それらの制約がある以上、学校外で受けて立つしかなく、そして、授業を全てサボってでも待ちぶぜなければ、間に合わない。


 そういうわけで、多少の素行不良など関係ない(何せ、学園に在籍している事自体が明確な違法行為だ)俺達、"とうの昔に高校出てるよ組"がその役を買って出た──買って出るも何も発案から、そもそもの発端に至るまでがっつりと当事者なわけで、当真家側が引き受けるのは当然の話である。むしろこれくらいやらないと釣り合いが取れない。


 ちなみに生徒会の面々は普通に授業を受けている。飛鳥は俺達に付き合うと言ってくれたのだが、事務局が生徒会の味方ではない以上、役員である飛鳥が表立って妨害に回るのは風聞が悪いと説き伏せて遠慮してもらった。


 事務局は学園の一組織であり、大きくいえば同じ学園を守り、繁栄させる仲間であるのは間違いない。しかし、その仕事の内容は対外交渉の他に学園内の手続きのいくつかを請け負っており、主に生徒会と一般生徒とを公平に橋渡しする為の折衝機関としての役割を担っている。生徒会の解任要求が正にそれだ。


 生徒会が誇張抜きで学園を運営しているのは今更言うまでもないが、一般の会社でも内部向けの監査機能があるように、この学園にも生徒会を監査する機関が存在し、事務局がそれにあたる。一話で以前言った理事側のチェック云々の話はここにあたる。もちろん生徒会との関係はなぁなぁではなく、それぞれがそれぞれの立場に徹しており、かなりシビアなものらしい。


 生徒会長は学園の長であり、会社で言えば、社長の立場にある。つまり、運営の責任者として、決算も提出すれば、予算確保の為に銀行の融資を申請する必要もある。


 対して事務局は監査の一環として、生徒会の会計処理や融資の妥当性を追求する。わずかなミスや不正を見逃さないよう、元大手銀行の融資担当を職員に据える所からして本気度が伺える。それくらいでなければ、社会の第一線で通用する人材を育成するという看板は背負えないのだろう。


 予算が通るのは"外"と比べて、動く金銭の規模が小さいからだと、会長が謙遜(珍しく)していたが、全国屈指の学校法人である天乃原学園だ。決して他とは遜色ないはず。単純に味方などと言えないというのは、そういう意味である。


 公平を保つという意味では中立といえるが、強権を持つ生徒会が暴走しないよう厳しく監査しているので自然、一般生徒への肩入れ具合は強く、下手をすると敵対したハルとカナよりも厄介な存在だ。


『──何はともあれ、邪魔が入らず事を進められるのだから、上出来の流れよね』


 俺の考えを読んでいたのかと思うほどにタイムリーな呟きが耳を通り抜ける。まるで耳元で囁くような台詞はここではない、遠くからの声。アスレチックコースで待ち構えているはずの瞳子だ。


の動作は正常みたいだな」


 傍から見れば、独り言をいきなり呟く危ない人間だが、もちろんそんなケッタイなメンタリティを持ち合わせているはずもなく、耳に付けたインカム(当真の特別性)が離れて待機している瞳子との会話をクリアに伝えているからだ。


『それはいいんだけど、本当に狙った組み合わせになるの?』


 インカムの同時通話によって聞こえる、瞳子とは別の声──瞳子に同行している空也のものだ──が、俺達との会話を抜けて疑問を投げかける。


「向こうには俺以上に見えている『皇帝』がいるからな。そんなに難しい話じゃない」


『その向こうが、どうしてこちらの意図通りに合わせてくれるかが、わからないんだよ』


「そっちも簡単な理屈だよ。俺達の勝利条件がハルとカナの確保にあるなら、確保される前に俺達を足止めするか、なんなら倒してしまってもいい。そして、ハルとカナを捕まえる可能性の高い空也をロイヤルガードで包囲できる『皇帝』が引き受ければ、その目論見は大方、成功だ。残りの俺らは──言い方は悪いが──適当にぶつけてしまえばいい。余程の事がない限り、持ち場を離れられない俺達を各個撃破でくるのか、同時に襲撃してくるかは向こうの戦力次第だが……」


 まぁ、実際に遭遇してそうなってしまえば、ハルとカナの確保主目的そっちのけで戦り合う事になるだろう。なんだかんだで時宮の人間は血の気が多い。そういう意味ではこんな|待ち伏せ(駆け引き)自体必要ないかもしれない。身もふたもない話ではあるが。


「──そういうわけだから、いざ戦闘になったら、インカムでこまめに連絡をとる必要がある。戦況が変わりそうなら特にな──剣太郎、お前もだぞ」


『──あぁ』


 一応、釘を刺してはみたものの、さほどあてにならなそうな返事の剣太郎。この調子だと無理だろうな、と妙な諦念を覚えながらも警戒は続く。うねうねと伸びていく道路とカーブの切れ間から覗くその先にある街並み、手近にあるのは木々の壁。


 山頂のそれとは違い、学園からやや下部に位置する道路では、周囲を見渡すほどの解放感は期待できず、延々と変わり映えしない景色を見ながら待機するのは退屈の極みだ。朝の八時からそれぞれの場所で張っていたので、かれこれ四時間はこの調子。時折、瞳子がインカムで話しかけてくる以外に娯楽はおろか退屈しのぎらしいものは一つもなく、襲撃がいつなのかまで予想できないのなら暇つぶしの一つか二つ、用意すればよかったと軽く後悔する。


「そういえば、剣太郎は何か持って出てたな」


 朝、まとまって寮を出た時、剣太郎が文庫本を持っていたのを思い出す。カバーを掛けていたので中身まではわからないが、普段の剣太郎からは珍しい取り合わせになんとなく憶えていた。俺の部屋にある漫画を片っ端から読んでいたが、最後の方はライトノベルにも手を出していたので、おそらくその辺りだろう。


「──って事は、あれ俺のじゃないのか?」


 気づいてみると、カバーも俺の物だったと連鎖的に繋がっていく。買い集めているいくつかのレーベルの装丁は水分(主に手汗)に弱いので本を読む時はカバーを掛けて読む派だ。どうせならと、そこそこいいものを使っているわけだが、どうして見た時点でわからなかったのか不思議なくらいだ。


「……いいか、後で」


 インカムで文句を言ってやろうかと、耳に手を伸ばそうとして止める。本人的には盗んだというより、単に続きが気になって持っていったのだろうと予想はつく。


 それなら言えよ! と思うのだが、同じに住んでいるのだから兄弟の持ち物を少し持ち出したくらいの感覚だったのならわからなくはないし、変な所で天然な剣太郎ならあり得る話である。そう考えると妙な納得と諦め、そして空腹感が顔を出す。警戒中に気が抜けてしまったせいだ。


「……腹減ったな」


 何とはなしに呟きながら、道路脇に置いた鞄から段重ねになったタッパーを取り出し昼食にする。中身は簡単に食事がとれる事から様々な具の入ったおにぎり。他の生徒が勉強している中、早弁みたいで気が引けなくもないが『制空圏』を張り続けている身としては腹が減るのは彼らの比ではないと言い訳しつつ、一つ頬張る。


 国彦ほど極端な燃費の悪さはないが、『制空圏』を使用する要素の内、『超触覚』はともかく、展開した運動エネルギーの波は、つまり『優しい手異能』を何時間も使い続けているという事だ。激しく消耗するほどではないものの、カロリー消費による空腹はどうしても付きまとう。


 ほどよい塩味の米と具の鮭が腹に入れた瞬間に血となり肉となるような満足感を覚える。実際はそんな事あるわけがないのだが、空腹にはとても滲みいる味に、もっと味わいたいと二口三口とさらにかぶりつく。


『──優之助』


なんだ、瞳子ふぁんだ、ひょうこ


『本当に、『制空圏』には反応がないのよね?』


「あぁ」


『──なら、目の前にいる『皇帝』は幽霊か、何かかしら?』



      *



「──なら、目の前にいる『皇帝』は幽霊か、何かかしら?」


 "ひょうこ"とは一体誰の名を呼んだつもりだろうか。インカムに応答した優之助の声はつまみ食いでもしていたらしく、物を頬張った時特有のやや間抜けなものになっていた。『制空圏』異能を使い続けているのはわかっているが、随分と間の悪い事だ。


 後ろでゴソゴソと物音を立てながら慌てた様子の優之助に、報告だけはしたから、とだけ告げ通話を打ち切る。同時通信でやり取りを聞いていた空也の生暖かい微笑みは優之助に向けてだろう。長男気質であれこれ小うるさいくせに(まぁ、あれはどちらかといえばつっこみだけど)、ここぞという時に限って、当人を引き金に面倒な事が起きる。


 持って生まれた星の巡りからなのか、変な所で不器用ゆえの性分からかはともかく、一概に優之助のせいだと責められないのでが悪い。まぁ、今、問題なのはそこではない。問題なのは──


「──探査に引っかからないのなら、わざわざ姿を見せる事はなかったんじゃない?」


「『制空圏異能』による探査はともかく、ここまで近づけば、お前達に気配をさとられるだけだ。第一、僕は元々コソコソした真似は好かない──それでは僕を影で嗤った連中と変わらないだろうよ」


「学園のすぐ裏手まで接近しておいていう台詞じゃないでしょ、それ」


「必要とあらば、それなりの手段もとろう。プライドに拘るなど愚の骨頂だとは思わないか?」


「一つ手前に吐いた言葉はなしですか? そうですか」


「だから言ったろう? 隠れる必要がないから姿を現しただけだと。僕の主義に関しては初めから二の次──いや、そんな御託はどうでもいい。そこを通してもらおうか、当真瞳子。それに篠崎空也。お前達にかかずらわっている暇は、あいにく、今も昔も僕にはない」


「そんなつもりはないって、答えがわかっていて言う意味はあるのかしらね。それと、フルネームで呼ばないでもらえる? そちらからすれば、ややこしいでしょう」


「目の前にいる相手の名を呼んでおかしい事があるか? トウマトウコと言う名前がこの場でお前しかいない以上、何の不都合がある」


「ま、そういうわよね」


 ──顔色一つ変えずに返すわね。もう少し、乗ってくれてもいいでしょうに。自他共に認める愛想のなさに内心、呆れ混じりの嘆息を吐く。まぁ、今さら和気あいあいという仲でもないのでどうでもいいが。


「……ねぇ、どうやって『制空圏』の監視をかわせたと思う?」


 ノリの悪い『皇帝』を視界に入れたまま、小声で隣の空也に話しかける。マッチング自体は予定通りでもここまで接近されるのはいささか想定外といえる。どの道やる事に変わりはないが、余計なファクターは戦う前に潰してからにしたい。


「思い当たるのは『英雄殺しエースキラー』かな? 彼の"異能無効化能力"ならある程度納得できるかも」


 口調は普段通りに、しかし、隠しようもないほどの戦意を発しながら空也が言う。喉の奥でなるほどと出るのを飲み込み、代わりに首肯で返す。『皇帝』が連れてきた異能者助っ人が『王国』だけとは思えない。もしくは──


「──例のアレかしらね」


 "異能を他者に与える異能者"の事だ。仮に"異能無効化能力"を『皇帝』かロイヤルガードに与えたのかもしれないし、与えた当人が自らの体に移したのか。何が出来て何が出来ない以前に、実在を確認できない以上──"いる"と確信してはいるが──ただただ仮定ばかりが頭をよぎる。


「わからないなら、確かめてみなきゃだよ──瞳子ちゃん」


 中性的なアルトボイスを置き去りに、私の横で風が弾ける。風は空也の足元から。『空駆ける足』の見えない踏み切り板──生成された力場が周囲の大気を押しのけたがゆえの現象は私の陳腐な表現をあるがままに展開していく。詰まる所、空也が『皇帝』へと向かって突進したのだ。


「──って、当たって砕けろ、じゃ困るのよ!」


 止める間もなく空也の足が大地を離れていく。たった二歩でもう体は明らかに空中へと身を預けている。元序列七位『空駆ける足』の主戦場にして、唯一無二の戦法、"空間殺法"。


「それしかないとは言え、芸がないのは否めないな、『空駆ける足』」


 それを前にして、平然と言ってのけるのは元序列十位『皇帝』。その言葉が引き金となってか、周囲から微かに漂う複数の気配が活発化する。間を置かず、空也を射落とさんと何本もの矢が四方八方から殺到する。もちろん、私の方にもきっちりと狙いを定め、飛んでくる。


「──はっ」


 手にした白鞘の愛刀を抜き放ち、斬り落とす。昨日、実際に戦闘した優之助達から聞いた話より、やや手ごたえが想像していたものと比べて軽い。察するに、用いる武装の違い。昨日は長弓の類、今日は短弓だろうか。


 遠距離からの攻撃には違いなくとも、長弓に比べて射程が半分(昨日が100mとするなら50mほど)かつ威力も弱いが、腕力を必要とせずに取り回しの利く短弓の攻撃回数で制圧する戦法を選んだらしい。


 指をだけで弾が出る銃が一番労力を少なく、最大限に効果を得られるのは疑いようもない話だが、こと、達人が射る弓、特に短弓ならば、時に銃の効率に効率を重ねた機構速さをも上回る。威力、射程も下手な拳銃より脅威だ。


 それに合わさるのが、視覚からそれ以外の五感を同時に体感できる『導きの瞳』を持つ『皇帝』月ケ丘帝の戦術眼、『神算』。


 まるでチェスのように盤上を俯瞰し、支配する戦闘スタイルは単体の戦闘力こそ期待できないが、いざ指揮をとれば、優之助の『優しい手』や異能者随一の頑丈さを誇る『王国』とは違った鉄壁の守備を形成し、牽制、足止め、誘導、様々な戦術を駆使できる。


 そしてその戦術を伝えるのは単純かつ簡潔な方法、アイコンタクトだ。遠視、透視を併せ持つ『皇帝』の目ならば、離れた相手の視線を合わせるのは容易な事だ。しかし、情報の受け手であるロイヤルガードがそのアイコンタクトに気づくかどうかは別問題。だが、そんな疑問を嘲笑うように次々と細かに指令を受け、その動きは複雑かつ、一糸乱れる事なく攻撃、防御を『皇帝』の思うままに実行していく。


 狙撃に必要な要素としての視力・視野の広さを活かしてもあるが、おそらく、遠視・透視を駆使して届けられる『皇帝』の視線を"感じた"だけで意図を読み取り、行動している。


 そのような統制を実現させるのは、『皇帝』とロイヤルガードとの付き合いの深さからだろう。月ケ丘という本人達にとって呪うべき環境、境遇を共にする他の誰でもない彼と彼女達だから実現できる。ただ一度の目配せでお互いを共有しあえるほどの繋がり。歪だが純粋な主従関係。


 その連携は序列持ちの中でも間違いなく随一(協調性を期待するのが難しい序列持ちの中にあって、その一番に意味はあるかはともかく)で厄介な手合いなのは否定しない。私一人では苦戦は避けられなかった。しかし、その連携の厄介さも──


「──空也が相手なら、どうかしらね」


 まるで鳥の編隊を見るような無数の矢が空也を襲う。それに対して空也は空中を自在に走り、かわし、終いには蹴りで矢を弾いていく。すらっとした股下からのぞくしなやかな筋肉を持つその脚は鋼の鞭もかくやとばかりの威力を秘めている。その上、普段足場に使う力場干渉能力による障壁を瞬間的に蹴りの直撃部に展開させていて、例え鋼鉄の塊が対象でも痛痒を感じる事なく蹴り込める(今も空也に向っている矢もこの障壁で弾いているというのが正しい)。


 『皇帝』の命を受けたロイヤルガード達の攻撃は本人達の技量も相まって、『皇帝』の狙い通りに空也を誘い出し、導いている。もとより空也は読み合い差し合いが得意ではない為、それ自体は『皇帝』に一枚も二枚も上手。しかし、望む通りに展開を操作できても、決定的な一押し──つまり、空也に手傷を負わせる事が出来ずにいる。


「いくら、『皇帝あなた』が盤上を我が物に出来ても、盤上の外まで飛び出しそうな駒を抑えられるとは思えないわ。それとも、他になにか有効な差し手でもあるのかしら?」


 私のそんな挑発を無視し『皇帝』はなおも空也を狙って、絶え間なく矢を浴びせかけていく。


 戦場となっているアスレチックコースは普通の山道と比べて遮蔽物は少なく(ついでに言えば、少し歩くと優之助と桐条飛鳥が戦った公園に続いていて、学園にほど近く、起伏も比較的緩やか)、空也の動きを阻害する事はないが、逆に言えば、遮蔽物を盾にするのが難しいとも言える。いくら天性の身軽さと柔軟性、そしてバランス感覚のおかげで危なげなくかわしていく空也でも数撃たれれば、当たる可能性はゼロではない。『皇帝』の空也への対応策がただの物量によるゴリ押しだとすれば、なんとも頭の悪い話ではあるけれど、有効かもしれない。


「──らしくないな、当真瞳子。まさか僕が愚直に矢を撃たせるだけだと思ったか?」


 『皇帝』の瞳が妖しく光る。知る者が見れば当真の遠縁だとわかる特徴的な輝きは、罠にかかった獲物を仕留める時のそれだ。他でもない私だからこそ気づく最大の警戒を促すサインに思わず身を固くする。しかし、狙いは私ではなく──


「──あれ?」


 場にそぐわない気の抜けた驚きと共に空也の体がする。錐もみしながら落ちていく原因は、その身に絡まる投網のせい。網の両端に矢を結び、発射した矢と矢の間に空也を挟んで捕獲したのだ。らしくないという『皇帝』の指摘も道理だ。空也を相手にするなら、点による攻撃より線や面でのアプローチが有効なのは明らか。ある意味、物量で攻めるより、単純な発想なのに気づかない方がどうかしている。


「(──今はそれどころじゃない)」


 内に燻るしくじりの念を振り払い、私は今も空也に巻き付く網を"見据える"。ただの視線に殺意と物理的干渉の属性を乗せた架空の刃、『殺刃』。視界に入るのなら例え空中にいる対象にも刃を届かせる事ができる。空也にまとわりつく網だけを斬る事も。だが──


「──あえての出し惜しみかとも思ったが、どうやら本当に使えないらしいな」


「ごめん、空也。今の私じゃあ、


 気が乗らない、というとふざけているように聞こえるかもしれないが、冗談で言っているわけはない。


 私の異能、『殺眼』は瞳を通じて、相手に殺意を伝える能力。本質は念動力と若干のテレパス(相手の感覚誤認をもって、威力を高めている。ダイレクトに伝わる殺意は心理状況の悪化における身体の不調を引き起こす)を含んだ複合能力。その照準でありトリガーは瞳を介して行われ、相手が見える限り、狙いは外さないし、逆にいえば、見えない相手には私の殺意を伝える事が出来ない。


 そして、私の異能は自らの心理状態(もう少し踏み込むと、真にそう願っているか、これは私だけではなく、異能者全てに当てはまるのだが)に左右される。単純なやる気の有り無しでは測れない。現に私は本気で戦っている。


 しかしそれでも、理屈でどうにもならないのが気持ちだ。他人事のように言うのであれば、優之助と戦ったあの時と今ではテンションも自然と違っても無理はない。いうなれば、私の異能は誰よりも私の"願い"に直結している分、不安定で、未完成な異能といえる。『剣聖』刀山剣太郎にも勝利した事のある私が、序列十四位に甘んじていたのはこのあたりにある。もちろん、純粋な戦闘力──特に剣技──は剣太郎の方が上という事もあるが。


 私の『殺刃』による援護がないのを確信するや否や、間を置かず矢と網の波状攻撃(風でたわむ帆のように射線を沿う網は文字通り波に見える)を空也に浴びせかける。網が邪魔で普段の体捌きができない空也は障壁で落下角度を変えるのが精一杯という所。『空駆ける足』という異名から誤解されがちだが、足が動かなくなったとしても空中で姿勢を維持し続ける事は可能で、墜落しかかりはするものの、地面に叩きつけられることはない。しかし、それも一時しのぎ。いずれ網に引っ掛かるどころか矢の直撃をなすがままに受ける事になる。


「こっちに!」


 私の短い言葉に意図を察したのか矢をかわしながらの軟着陸を目指していた空也の動き(というか身じろぎと表するのがわかりやすい)が一直線に私の方へとくる。見えないので想像するしかないが、障壁を斜めに傾けた形で私の方へと展開しているらしい。


「──させるか」


 遅れて私の意図を読んだ『皇帝』が私へと向けられる矢の数を増やす。狙いの中心は『紅化粧』を持つ手元。


「舐めないで頂戴!」


 いかに数があっても、武器を構えた剣士が愛刀に繋がる手元を狙撃されるわけにはいかない。四方八方から降り注ぐ矢の雨を撃ち落し、間を潜り抜け、私は空也へと迫る。


「「──っ」」


 突貫する私の前に少女が二人降り立つ。その手にはトンファーとサイ、背中には盾を背負う、近接戦闘重視の──あるいは『皇帝』の身辺護衛に特化した──ロイヤルガードだ。


「どきなさい」


 無駄と知りつつ、相手を威圧する。当然、向こうの動きに怯むという文字はない。そしてこの段になっても私の『殺眼異能』は発動しない。ならば、押し通るまでだ。牽制の意図で突き出された相手の得物サイを切っ先で絡め取り、同時に相手の懐へと踏み込んでいく。当真流剣術、ニノ太刀『竜巻』。


 カウンターを用途とする事の多い技だが、竜巻と名付けられた"それ"は本来、射程に入った対象を円を描く動きでこちらへと引き込み、制圧する、を一連の動きとした巻き込む事を前提の整体技である。一対二である今の場面で悠長に抑え込みをしている暇はないし、する必要もないが、肝心なのは相手の重心を崩し、こちらに有利な状況を作り出す事。


 その狙いは計算通りにサイを武装した少女の片方の得物を弾き飛ばし、さらに回りながら彼女の腹部に『紅化粧』の柄を叩き込もうと私の愛刀が唸りを上げる。


「(これで──)」


 進路を塞いでいるのはこの二人のみ。片方を押しのけて通路を確保できれば、十歩もしない距離まで近づいている空也に届く──そう考えていた私が逆に押しのけられるのは皮肉な話だった。


「くっ!」


 私の顔半分に当たる硬くてひんやりした感触の物体。距離が近すぎて判別できないが、おおよその見当はつく。放っておいたもう一方のロイヤルガードが得物をトンファーから盾に持ち替え、そのまま私に突っ込んできたのだ。暴徒鎮圧でよく見られる比較的、安全かつ容易、そしてなにより、防がれにくい制圧方法。一瞬でも人の顔を不細工にしてくれた苛立ちは同時に、弾き飛ばされ、空也との距離が離れてしまった事への焦りもあり、奥歯が軋む。


 即座に体勢を立て直した私は、すぐさま空也の姿を探す。まるで黒い芋虫みたいな異物と化した空也は風景に溶け込めず、すぐに見つかる。だが現状は少しも好転していない。いくつもの網に絡め取られ、身じろぎですら僅かにしかできないからだ。そこへ襲いかかるのはとどめとばかりに押し寄せる矢の雨。──駄目だ、空也が自力で距離を詰めた分よりも私が跳ね飛ばされてしまった。もはや『不知火』の速度でも間に合わない。


「──空也!」


 思わず出た私の叫びは戦場をただむなしく駆け抜けていくだけだった。


「「──間に合ったようだな」」


 その時、空也の名を叫ぶ私の鼓膜を震わせたのは、そんな一言だった。


 一拍置いて、戦場を俯瞰する私の目に映ったのは、精緻な風景画を斜めに裂いたような錯覚。その正体は奇跡じみた技量で生み出された斬線──剣の軌道だ。


 時が凍り付くに似た静寂。溶け落ちるように再び刻まれた後には空也を射抜かんとしていた無数の鏃と体に纏わりついていた網が寒気のする断面を見せながら舗装されたコースのあちこちに散らばっていた。私が知る限り、こんな芸当ができるのは一人しかいない。


「──間に合ったようだな」


 自らを象徴する得物になぞらえて鋼鉄と称される男、時宮高校元序列三位、『剣聖』刀山剣太郎は、やけに年季の入った木刀を携え──相変わらず、どこから持ち出したのか知りようもないが──もう一度先ほどと同じ台詞を呟きながら戦場と化した山道に降り立った。



 『剣聖』──当真家の査定によって、最上級に格付けされた異能者に送られる二つ名。『序列持ち』になる以前から自称、他称問わず呼び謳われる事も多々あるが、二つ名は基本的に当真家が異能者管理の一環で割り振っている。


 管理する以上、混同を避ける為、なるべく憶えやすく、また、その人物を具体的に表すよう、それなりに苦心して名付けているそうだ。ただ、刀山剣太郎に関しては二つ名はともかく、能力そのものをどう言語化し、どう定義付けすればいいのか大いに悩まされたらしい。


 比較的年若い担当者が便宜上、命名したのは『剣術スキルの強化・補正』。なんともゲーム染みたセンスではあるものの、お試し感覚暫定的に名付けた割に関係者にはわかりやすいと概ね好評のようだ。


 しかし私としては、その注釈・説明が適切かどうかと問われたならば、否と返す。なぜなら、世代的にゲームを嗜んだ経験のある私の感覚で言えば、その説明はせいぜい、攻撃力や命中率を上げるといった効果しか思い浮かばない。そこへいくと、今、戦場に躍り出る剣太郎の剣はどうか。


 攻撃力や命中率とやらが上がれば、斬撃が伸びるだろうか? 曲がるというのか? 遠くを狙って飛ぶか? そんなわけがないだろう。


 だが、目の前の光景はそれらを余すところなく、誰がどう見ても疑いようもなく、繰り広げられている。


 『曲がる斬撃ソードウィップ』──全身を脱力させた立ち姿から腕だけを動かし、木刀を振るう。高校生が使うには不釣り合いな黒檀の刀身がしなりとは明らかに異なる角度で曲がり、錯覚では片づけられないほど剣身が伸びていく。


 その狙いは違わず、私を吹き飛ばしたロイヤルガードへと殺到する。キィ、と金属が歪む音を立てて構えた盾を切り裂き、なおも持ち主である少女に迫る。


 少女は咄嗟の判断から寸前で盾を手放し、空手からトンファーに持ち替えるも、新たな残骸を生み出すだけで、わずかに一秒か二秒、自らの胸元に届くのを遅らせたに過ぎない。結局、彼女の体は私の時とは比べ物にならないほど遠くへ弾き飛ばされてしまう。


 剣太郎からすれば、殺気の伴わない無造作な手つき──攻撃というより羽虫を追い払った感覚に近い──だが、追い立てられた側のロイヤルガードからすれば、生と死は紙一重だっただろう。


 弾き飛ばされた際に命中した部分を見るに切断された様子はない──剣太郎なりの"みねうち"といった所か。まぁ、木刀なのだから、当たり前と言えば当たり前だが、事、剣太郎に関していえば、からでも斬ってしまうので、油断はできない。


 とはいえ、斬られていなくても戦闘不能には変わりなく、立ち上がれない少女をサイを持った方相方が回収し、『皇帝』の元へと下がる。


「──ありがとね、剣太郎」


 それに入れ替わって、空也が私達の元へと歩み戻る。今だに貼り付いている網の切れ端を振り切りながら剣太郎援軍に対する礼を告げる。


「やけに早いわね。持ち場はどうしたのよ」


「|瞳子(お前)と優之助の通話で敵が侵入したのを知った。その時点で持ち場を守る意味がないと合流しようとした──何か問題が?」


「──ないわよ」


「ダメだよ、剣太郎。瞳子ちゃんはね、自分が僕のピンチに思わず取り乱しちゃったのに、それを剣太郎があっさりと助けたもんだから、バツが悪いんだよ」


「──あぁ、なるほど」


「何が、なるほど、なのかしら?」


 訳知り顔で耳打ちする空也と、それに対して感心と納得を示す剣太郎を睨みつける。戦場の只中で流れる呑気な遣り取りと空気。敵がいる前でするにはもっとも愚かな行為だろう。しかし、向こうも似たようなもので──


「──やけに遅かったな。戦闘終了まで間に合わないと思ったぞ」


「しょうがねぇだろ。舗装されていない所を通ったんだからよ。つーか、俺がいなきゃあ、負けてたぜ、『皇帝お前』」


 空也が無数の矢に襲われた瞬間、私の耳を突いたのは二種類の声。山頂の持ち場から降りてきた剣太郎とは別方角からの声は、咎める『皇帝』を前に悪びれもせず、変わらず傲岸不遜を貫き通す。それは、組織の長としての矜持と野心、そして何より、あらゆる異能と正面から立ち向かえる強靭な肉体あればこその自信の表れ。


 その持ち主である時宮高校元序列五位、『王国』王崎国彦は不敵な笑みを浮かべ、再び私達の前に立ちはだかった。



「──何を恩着せがましい。その舗装された道を登るのが面倒だと不満を垂れた上、近道と称して雇い主を置き去りに、獣道を突っ切っていったのを忘れたのか? しかも、近道とやらが山を横に移動する事だったとはな」


 『皇帝』の眉間に深い影ができる。日原山のルートは大きく分けて二つ、学園側と裏のキャンプ場側だ。それらはいくつかの分岐があるものの、山頂しか双方の道を行き来できない。横に一周しようとするなら大半が獣道になるだろう。


 そもそも、こう配を上り下りするのとは違い、進んでいる方向を見失いやすい為、山を横に回るのはあまり得策ではない。先行しておいて遅れたという事は確実に一度や二度道に迷っているはず。『皇帝』の怒りも、間に合わないという算段も、もっともな話だ。


「まったく、愚かしい事、この上なしだな『王国』。も、あくまで自業自得の内なのを肝に銘じておくといい」


 『皇帝』の射抜くような視線が『王国』の肩口から脇腹にかけて走る。『王国』がその身に纏うのは、2mを超える巨体に合わせた特注サイズの天乃原学園の制服──その制服が『皇帝』の目の動きに沿って切れ目が出来ている。もちろん、その部分も特注だったわけではなく、剣太郎の剣で斬られた跡だ。


 『皇帝』と私達との距離は優に50mは離れている。直接戦闘を得手としない事を踏まえると、それですら近いと言わざるを得ない彼我の位置は、それでも空也が囚われていた瞬間に限り、安全圏だといえた──剣太郎がいなければ。


 離れた相手を斬り伏せる剣太郎の超絶技巧は、あの時、空也を脱出させるのみならず、同時に『皇帝』の撃破を狙っていた。『皇帝』の戦法を盤上に見立てたように、群れの要である『皇帝』が討たれるという事は文字通り王手になる。その身を守らせていたサイとトンファー二人組は私への足止めに使い、守る者がいない中、剣太郎の剣は『皇帝』に届こうとしていた。いみじくも、本人の台詞や先の言に倣うなら──『王国』がいなければ"負けてた"。


「見たところ、皮一枚か。『剣聖』の攻撃を受けてその程度で済むとは、相変わらず非常識な肉体だな」


「空也の野郎を助けるついでに振った手抜きの剣で俺がどうこうなるかよ──おい剣太郎、やるなら空也を見捨てるくらいの覚悟で狙えよ!」


「無用の心配だ。今日の得物は"丸み"がない」


 『王国』の煽りに対して、淡々と返す剣太郎。むしろ先ほどの失態をネタにされた空也が隣で不満気に、次はないよ、とこぼす。


「それはそうと剣太郎。いったい、どこから拝借してきたのよ、それ」


 目線を剣太郎が持つ木刀へと移す。木刀とは言え、一目見ればわかるほどの高級品。今までの得物とは違い、そこらで簡単に持ち出せる品物ではない。そうなると、どこで入手したのか。それが少し気になる。


「昨日の晩の内に学園の道場から少し──な」


「少し──な。じゃないわよ。なに、さらっと盗難を自白してるのよ!」


「拝借しただけだ。一応、関係者には伝わるようにしてある」


「事後報告じゃない! どうやって関係者の伝えたの。──ん? 伝わるってどういう事? 伝えたじゃなくて? もしかして、伝わったかどうか確認してないの?」


 似たようなものだ、とブレない態度の剣太郎。手際に問題しかない気がするが、一応むやみやたらと騒がれにくいように配慮しているようだ。いざ通報されそうになったら天之宮姫子生徒会長がどうにか止めるだろう──そう思う事にした私を剣太郎はぬけぬけとトドメを刺す。


「緑川を置いてきた」


「授業はどうするのよ! 馬鹿じゃないの!」


「俺達に単位は必要ないだろう?」


「たしかにその通りだけど、その言い訳、今思いついたでしょ」


「そう責めるな。言ったみた後で、別の手段を用意しようとしたが緑川が"それがいい"と了承したんだ。むしろ、是非にと言われて最終的に許可した」


「瞳子ちゃん、瞳子ちゃん、あれだよ、あれ、放置プ──」


「いいからあなたはさっさと狙撃手を黙らせてきなさい!」


 は~い、と緊張感のない相槌を残し、空也が飛ぶ。まったく、どうしてくれたものか、ある意味序列持ち私達以上に濃い元後輩──それもろくでもない事情が生み出した満面の笑み──を思い浮かべ、ややげんなりする。それは命のやり取りができるまでに近づいた『王国』も同様らしい。こころなしか普段から厳めしい表情をさらに苦み走らせ、思い直すように軽くため息を吐く。


「ま、なんであれ、今度はまともな得物のようで何よりだ。木刀とはいえ、刀の形してりゃ、お前の本領は発揮できるんだろ? 剣については素人だが、手前ぇの剣と言わず、全身から揺蕩って見えるぜ──剣気ってやつがな」


「揺蕩う、とはまた随分と難しい表現を知っているな『王国』」


「は、これでも国語は得意な方でな。自慢じゃねぇが、他の教科で赤点アカを喰らっても国語だけはねぇんだよ」


「それ、本当に自慢じゃないわよ。もう少しまともなハードルになってから自慢しなさい──な!」


 ──あと、不用意に近づきすぎ。とは口に出さず、私の愛刀を持って対峙する巨体へと技を叩き込む。その名は当真流剣術、『炎竜』。一本指歩法によるバネを利用し、その力を突きに変換する速度と威力に長けた技は『王国』に回避も防御も許さず刀身を吸い込ませていく。

「──なに、この生まれついて頑丈さが一番の取柄でな。他は愛嬌程度だ──現に、お前の剣術自慢でも傷つけられねぇだろ?」


 私の『炎竜突き』を棒立ちで受けたまま、犬歯を覗かせる『王国』。愛刀を通じて伝わる感触からして、生身のそれとは明らかに異なる硬度。おそらく刃先すら通っていない。


「(本当にいったい何で出来ているのよ、この体!)」


 刃が骨にぶつかった時ですら、ここまでの手ごたえにはならないだろう。悔しい事に『王国』の金城鉄壁は私の『紅化粧愛刀』を絡めとっていて拮抗状態に持ち込まされている。


「(下手に切り替えせば、体を崩してしまう)」


 要は鍔迫り合いに近い膠着状態だが、本来の武器対武器ではなく、武器対肉体という勝手が違いから、うまく立ち回れない。しかも──


「そして実のところ、不用意に近づいちまったのは瞳子お前の方だったわけだが──仮にも女だ、多少は手加減してやるよ」


 ──しかも、武器はおろか、両手の塞がっているこちらに対し、『王国』の両手は完全にだ。巨体に比例して長い腕は、今、この瞬間、私を狙って、大きく振りかぶっている。あれを落とすのと、私が体勢を立て直すのと、どちらが速いのか?


「あら、それはどうもありがとう。お礼にこれ以上ない敗北を味わせてあげる」


「それだけ、減らず口がいえりゃあ、上出来だな──とりあえず、寝てろ」


 むしろ穏やかといえる口調とは裏腹に私へと迫る拳は唸りを上げる。──それのどこに手加減の要素があるのだろうか? 呑気な感想を浮かべながら私の瞳は『王国』の動きを他人事のようにただ眺めていた──わけではない。


「──"古流"は古ければ古いほど──」


 ──武芸百般に近くなる。呟きは『王国』に怪訝な顔をさせるだけで、もはや凶器そのものといえる拳を止めるには至らない。私は近づく拳を体捌きフェイントで誘導し、それによって深入りした『王国』の袖口を掴む。


 例年にない暑さで早まった夏服の薄い袖口は、それでも問題なく。後は掴んだ肩口を支点に一本指歩法を小出しに使い、体ごと入れ替える──当真流組内式くみうちしき、『ころばし』。


「(──さすがね)」


 本来なら、不用意に先走った上半身から縦に引き倒されるところ。それを覆したのは『王国』の獣じみた運動能力と反射神経だった。例え、私が十全のタイミングと技のキレを発揮しても、その巨体は不恰好に転ぶ事を許さない──


 しかし、比較的平地に近いとはいえ、山道は緩やかな坂。その僅かばかりの傾斜がつま先を必要以上に踏みしめさせる。地面はいくら舗装されたといえども、その圧力に耐え切れず陥没し、必然、『王国』の動きが止まる。


「──私、素手が苦手なんて、一言も言ってないけど?」


 拳を中途半端に出したまま、私に無防備な背を見せる『王国』。それはほんの数瞬前に私が味わった感覚。迫る『王国』の拳を研ぎ澄まされた集中力によって時が緩やかに見えたように、秒刻みで引き伸ばされた時間感覚は、私の挑発をただ受けるのみ。同時に比例して『王国』の屈辱を煽る。


「っ! てめぇ──」


「俺を忘れてないか? 『王国』」


 激高する『王国』に向けて無感動な声色で告げる剣太郎。動けない『王国てき』の前へと相対し、完全な一刀を打ち放たんと切っ先が揺らめく。


「──舐めんな!」


 止まれば死、下がっても死の中で活を求める──常人なら、ただ棒立ちで終わる場面、しかし、『王国』は迷わずに"それ"を選択する。


「おらっ!」


 振り下ろした拳を勢いそのままに、狙いを私から剣太郎、ではなく、足元の地面に変える。挟まった足を引き上げる為か? ──いいや、違う。


 大きな音を残し地面を抉る──剣太郎の足元も巻き込んで。鳴動する道路に合わせて黒檀の木刀が持ち主の意志に反して乱れ、斬り込めたはずの間を逃す。いかな『剣聖剣太郎』とはいえ、不意に足元を揺らされては本来の斬れ味を発揮するのは難しいという事だろう。あの一瞬のうちに、そこまで考えついた『王国』の判断は結果、正しかった。しかし、『王国』は一つ忘れている。そんな状況下でも苦にせず動ける存在がいる事を。


「──僕も忘れないでね」


 修繕にいったいいくら要り様になるだろうか。私や剣太郎が容易に近づけないほど陥没させた地面を越えて『空駆ける足』篠崎空也が走る。ロイヤルガードの攪乱に向かったはずのしなやかな足は担当分を置き去りに、一目散に『王国』の元へ走る。


 それを妨害せんとするのは、本来の割り当て相手である『皇帝』のロイヤルガード。その彼女達が空也に向けて再び網を飛ばす。剣太郎剣聖がいようと関係ない、『王国』が持ち直すまでの時間を稼げればいい。そんな判断といったところか。


 それなら矢を射かけるより、よほど援護になるのは確かだろう。ただ回避し続けていた先ほどとは違い、『王国』へ向かっていく空也の行動を読み切ったのか、狙いは正確に対象を捉えている。不意打ちでなくとも、逃げきれない。


「"それしかないとは言え、芸がないのは否めない"──だっけ?」


 アルトボイスが不敵に響く。次の瞬間、覆いかぶさるように広がる網が真っ二つになって空也を通り過ぎていく。


「──その言葉そっくりそのまま返すよ、『皇帝』」


 私が見たのは、体を包みかける網へ向けて蹴りを振り抜く空也の姿。一つ妙なのは網が空也の足に届く前に二つに裂かれたという事。いくら空也の蹴りが鋭いといっても、触れずに斬るなどという剣太郎じみた真似はできない──異能を使わなければ。しかし空也の異能は“力場干渉による障壁を作り出す事”だ。


「(──まさか)」


 不可視の障壁は、一瞬しか展開できない分、頑強にできている。仮に力場を薄く鋭く尖らせ、に展開したとしたら? それを足に装着し、そのまま蹴り抜いたとしたら? もしかすると、斬れ味を帯びた蹴りになるのではないか?


 果たして、その推察は正しかったのか、こちらを一瞥した空也が笑みを浮かべる──心なしか、意地悪く。


「──『切り裂く足スライサー』」


 私の知らない新たな力を一閃、二閃すると空也は高く高く上昇する。切り裂いた網の切れ端がまるで羽根のように舞い、飛び去っていく鳥の“それ”をいやがおうにも連想させる。あれは──


「──剣太郎!」


「あぁ、ここでは巻き添えを食らうな」


 同じく気づいた剣太郎が首肯する。『神算』で一足早く読んだのか、『皇帝』はすでに待避している。


「(っ、逃げ足の速い)」


 舌打ちしつつも、“ターゲット”から少しでも遠くへ離れようと、足を急かす。その一方、“ターゲット”である『』は──

「ふん、いいぜ。──来な、空也」


 およそ目視では確認できないほど空へ上がった空也に睨みを入れ、その両足を踏みしめる。迎え撃つ気か? いくら『王国』でもを食らって無傷で済むとは──


「──もしかして、動けない?」


 よく見ると、踏みしめ、一回り肥大化した下半身の大元である足首から先が埋まっている。抉り出した地面が『王国』の体重に負けて崩れてしまっているのだ。


 もはや、緩やかな斜面など跡形もなくなった道路は私や剣太郎を遠ざけたものの、同時に自分自身の身動きをさらに取れなくなってしまっている。剣太郎の攻撃を潰す為の判断がここへきて、文字通り足を引っ張ってしまっていた。


 それでも、『王国』の目に影はない。強がりの一片すらなく、ただ獰猛さをその強面に刻む。


 遠くの空が鳴いている。飛行機が音の波をかき分けているのに似たそれは、空也の仕業。序列持ちでも比類なき頑丈さを誇る『王国』に対して、大げさなほどをつけた為に掛かった準備時間だったが、"その瞬間"がくるのは本当に瞬きの間だった。元序列七位『空駆ける足』の必殺技フェーバリット、『コメットストライク』。


「──つっ!」


 着弾と同時に発生した衝撃波と巻き上がる土煙で、二人がどうなったかわからない。息を吸うにも困難な状況で辛うじてわかるのは、近くにいる剣太郎の気配。視界すらまともに確保できないのにその気配がわかったのかというと──


「瞳子、そのまま動くな」


 剣太郎の気配が──というより、剣気が──爆発的に密度を増して溢れんばかりに膨れ上がる。見えないからこそ、剣太郎のやろうとしている事がわかり、言われるまでもなく(有無を言う暇もない、というのもあるが)、身を固くする。


「──ふっ!」


 大気が再度、震える。頬をなでるひりつくような太刀風が土煙を切り裂き、跡形もなく吹き飛ばす。改めて、剣太郎の剣の非常識さに驚きを通り越して呆れ果てていると、開けた視界に『コメットストライク大技』の爆心地でしゃがみ込む人影。一目見て、誰だか判別できる丸みを帯びた華奢な肢体──空也だ。


「空也!」


「や、瞳子ちゃん」


 地形を変えるほどの事をやらかしておいて、どこまでも軽い張本人に剣太郎に向けた同種の"呆れ"が頭をもたげる。


「──それで、『王国』は?」


「吹っ飛んじゃった」


 ある方角を指差しながら、あっけらかんと言い放つ。


「いや、あなた、吹っ飛んじゃったって──」


「いや、ね。足場がこんな感じじゃない? 踏ん張りが利かなかったようでさ──ついでに僕の蹴りで脆くなった地面がさらに削れちゃったもんだから、押し出す形になったんだよ」


?」


 この先に、とおうむ返しの空也から、『王国』が"落ちて"いった先を見る。


 戦場となった道路は山を切り開いた時の名残で大型の車両は建機が余裕で通れるほどの広さがあったのだが、それが今や、『王国』と空也の攻撃で半ば以上穿たれ、大穴を晒している。都市部と学園を繋ぐ道と同じく、木々の合間から見える一面の景色と、少し道から外れるだけで急激な斜度の坂が山頂へと続いている。常人が落ちれば、まず無事では済まないだろう。


 幸も不幸も同じ要因とは皮肉な話だ。自ら掘った墓穴に足を取られて追いつめられておきながら、結果そのおかげで空也の『コメットストライク大技』から致命的なダメージを逃れられた。踏ん張りが利かなかったからこそ、被害は少なく済んだのだ。そもそも、あの瞬間の判断がなければ、剣太郎の剣で終わっていた。悪運にもほどがある。


「──まぁ、『王国あの男』なら、死にはしないでしょう」


「落とした僕がいうのもなんだけど、無茶苦茶言うね」


「それより瞳子、気づいているか?」


「えぇ、『皇帝』の姿が見えない」


 剣太郎の指摘に首肯する。『コメットストライク』の巻き添えから逃れる時までは、その姿を確認していた『皇帝』がロイヤルガード共々消えている。


「通しちゃったかな?」


「どうだろうな」


「あのね、瞳子ちゃん、剣太郎。『王国』の事なんだけど──」


「『王国』の事はひとまず置いておけ。瞳子の言う通り、坂道から転げ落ちた程度では死ぬどころか自己再生で無傷で戻ってくる。だが、戻るには時間がかかるだろう。後回しだ」


「や、そうだけどね。そうじゃなくて、あの先って──」


「『皇帝』を追うわよ。剣太郎、空也」


「あぁ」


「あぁ、もう──」


 ──落ちた方角って、優之助がいるんじゃなかったっけ? かろうじて聞き取った空也の呟きを私は華麗にスルーしてみせる。あっちは優之助に任せておけばいいのだから。

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