前日
始業式から一週間経った平日の昼休み。俺と瞳子、空也、剣太郎の四人は示し合せの上、とある空き教室に集まっていた。
国彦や帝といった元序列持ちが当真瞳呼の協力者として学園に編入してきたものの、初日以降は表立った動きは見られない。名家の生まれで異能が戦闘向きではない帝は俺の時とは比べ物にならないほど周囲に溶け込み、あれだけ騒ぎを起こした国彦ですら今の所、大人しく学園生活を送っている。
しかし国彦の場合、初日のインパクトのせいか周りの生徒が必要以上に構えてしまっていて完全に浮いている。警戒具合で言えば、俺や瞳子以上だ。凶悪ともいえる見た目と図体も一因となっているのだろう、例えるなら熊や獅子といった猛獣が近くに居るようなもので、本人にその気がないとはいえ、こればかりは仕方がない。
だが、呑気に同情してもいられない。帝や国彦、ひいては当真瞳呼がどういう意図かわからない以上、今の膠着状態において、こちらから攻めるとまではいかないまでも何かしらした方がいいのでは? という瞳子の提案で昼休みの時間を利用して定期的に情報の交換をする事になった。
とはいえ、向こうが行動らしい行動を起こさない以上、共有するほどの重要な情報などそうそう出てくるはずがない。そもそも向こうには、見るだけで全ての五感情報を取得できる"全知"の目を持つ『皇帝』月ケ丘帝がいるのだ。下手な打ち合わせはこちらの首を締めかねない。
結局、報告会は
余談だが、俺達が空き教室で集まっているのは有名で、校舎の端に位置する教室に近づく生徒は元々いなかった(だからこそ、瞳子がここを選んだ)のだが、俺達が使うようになると、近くの階段にすら寄り付かなくなった。
上下の階には資料室や選択授業用の教室があるので階段を使わず迂回するとかなり遠回りなのだが、この一週間、俺の知る限り階段を通る生徒が一人もいないという徹底ぶり──いくらなんでも、少しビビり過ぎではなかろうか? 一般生徒をどうこうする気はさらさらない俺としてはそう思ってしまう。
自業自得と理解しつつも、密かに落ち込む俺の気持ちはさておき、昼食を食堂で済ませ、今日も今日とて下らないやり取りで昼を過ごすのかと思った俺に瞳子が教室に入るなり、開口一番に告げたのは──
「──
人員の追加と、その人員が襲撃を受け、増援が中止になったという報告だった。
記念すべき第一回以降、初めてそれらしく機能したのはいいが、聞かされたのはなんとも穏やかではない内容。思わず素っ頓狂な声が出た俺は、軽く咳払いして誤魔化す。
「とりあえず、一から頼めるか?」
何から何までノータッチで、ただ終わった事実を叩きつけられた身としては、唖然としたらいいのか、何一つ聞いていないと怒っていいのか反応一つ返すにしても困る。だが、いつまでもまごついてはいられない。ひとまず瞳子に詳しい事情を要求する。
「そうだな。俺達には一つ一つ聞く権利があるはずだ」
剣太郎が珍しく会話に参加する。食指が動いた理由は一つ、手練れの異能者が不覚をとった事に対する興味からだろう。
「言われなくても一から話すわよ──せっかちね」
やれやれとため息を吐く瞳子。そのまま、立ち話もなんだからと、教室に元からあった椅子に着席する。せっかちもなにも皆が席に着く前にいきなり暴露したのは瞳子の方だ。釈然としないが大人しく従い、空也と剣太郎もそれに倣う。普段そうするように机を囲み、そこでようやく瞳子が口を開く。
俺達と同学年だった元序列十一位、『スロウ・ハンド』の逆崎縁。瞳子は彼を空也と剣太郎を誘ったのとほぼ同時期に協力を打診したらしい。交渉の末、了承は受けたが身辺整理が理由でここ最近まで合流予定が伸びていたらしい。それがひと段落し、いざ
「事件の発覚は匿名による連絡。しかも、ご丁寧な事に当真家所属の医療機関へ連絡があったそうよ。現場は郊外にある広場──まず深夜の人通りはない所ね。その上、念の入った事に人払いがされた形跡あり──ここまでが一連の報告。ほとんど何もわかっていないというのが現状ね」
「当真瞳呼の差し金か?」
「他に誰がいるのよ?」
瞳子の返しはにべもない。
「──ただ、妙なの」
「何が?」
「逆崎くんの怪我の具合よ。発見時の見立てでは、命に別条はないけど、全治に二月はかかる重傷だった。けど、今朝の報告では一週間ほどで傷が塞がるまでに回復。それどころか、今この瞬間も急速に治癒が進んでいて、担当した医師の見解は怪我そのものは今日の晩にも完治するとの事よ。もちろん
「それは──」
「──妙だね」
「──妙だな」
言いかけた台詞を空也と剣太郎が口を揃えて代弁する。逆崎の異常ともいえる回復ぶりはもちろん異能の仕業だろう。それ自体は妙でも何でもないのだが、逆崎にそういった異能が何者かによって
「他者の傷を癒す異能──
「いえ、
基本的に異能は大なり小なり戦闘向きな(というより、それしか転用できない)ものが多い。それ以外に使い道があるなら、それだけでも当真家に高く評価される。中でも他者の傷を癒す異能者はかなりの希少能力で、当真家が厳重に管理している。それこそ、籠の鳥もかくや、というほどに。
理由は二つ。悪人に利用させられるのを危惧しての事、そしてリスクがとてつもなく大きい──例えば、どんな大怪我も治せる異能者がいたとして、治癒の代償が使用者の寿命だったり、発動そのものの条件が厳しい──からだ。また、怪我は治せても病は無理だとか、あるいはその逆だったりと、決して万能や便利とはいえる代物ではない。
それでも希少な事には変わりなく、俺の知り合いで該当するのは、元序列六位、『
その二桁いるかいないかの存在を当真家が厳重に管理しているのだ。
──
「──逆崎の回復待ちか」
敵の正体がわからない以上、直接
「そういう訳にもいかないわ。いつまでも手をこまねいていたら取り返しがつかなくなる──
瞳子が俺の楽観的な意見に釘を刺す。実際、帝や国彦が大人していた間に仕掛けられたのだ、咎められるのも当然と言えば当然の話。詫びを入れる代わりに、それもそうだな、と嘆息してみせる。
「──縁を倒した異能者というのも気になるよね。僕としてはむしろ
煮詰まりそうな
こちらも正体がわからない事には違いないが『
「(おーおー、テンションが上がっちゃってまぁ。一般人が見たらまずチビるわ)」
武闘派というか、脳筋というか、"競いたがり"もここまでくると生まれてくる時代を間違えたのでは? と疑いたくなる。横では空也が、うまくいったでしょ、とこちらにドヤ顔。はいはい、凄い凄い。
「──私なら後の先から──」
「──先手を許してからでは遅い。俺なら──」
「──流は異能を想定──の攻めでは──」
いつも間にか、剣で異能者とどう戦うかへと話がすり替わっている瞳子と剣太郎。共に剣に一家言ある者同士、些細な食い違いすら許せないらしく、次第に熱を帯び、比例して本題からさらに脱線していく。
どう収拾つけるんだ? これ。切っ掛けを作った空也は白々しく困った顔をこちらに向ける。いや、おまえが火種をぶち込んだんだろうがよ!
「──っていうか、そろそろだな」
何気なく(現実逃避からではない、決して)時計を見ると、昼休みの終了が近い事を示している。
「悪い、出るわ」
「──まだチャイムまで十分あるよ」
「次、選択だろ。ここからだと、距離があるんだよ」
おざなりに言う俺を六つの目──剣術談義に白熱していた瞳子と剣太郎が中断してまで──が捉える。
「……なんだよ?」
「恍けなくていいわよ。それなりに付き合いは長いんだから、あなたの
「そんな、大げさな話じゃないんだがな」
本当にそこまでではない、
「そういう強がりはいいわよ──言っても無駄でしょうけどね」
それはどちらの意味で? とは聞かない。自分の馬鹿さ加減も、わかってそれを止めるつもりがないのも、
「悪かったな。あまりいい案が出せなくて」
代わりに吐いて出たのは当真瞳呼の企みに関して役立たずだった侘び。こんな調子では強がりだと指摘されても仕方ないかもしれない。そんな俺を心得ているとばかりに瞳子達が送り出す。
「いいわよ。あなた達の頭に期待してないもの。精々、私の手足として使い倒してあげるから楽しみにしてなさい」
「だってさ。頑張ってね、優之助! 剣太郎!」
「……だそうだぞ、優之助」
「──さりげに自分を外すなよ空也。剣太郎も他人事みたいに言ってんな。おまえらも入ってんだよ!」
そんなやり取りで残り九分。いつまでもグタグタしているわけにもいかない。今度こそ、教室を出ようとする。
「──ま、頑張りなさい」
扉を開け、廊下に出た俺の背後から優しい声。その声に背を押され、不思議と歩みが軽くなる。
「──あぁ」
誰に向けてでもなく、そう呟いた。
選択授業のある教室に向かう道すがら、目的地へと通じる廊下は同じくそれぞれの教室を目指す人の流れによって、とても忙しなく、窮屈だ──俺の周りを除いて。
まるで透明な板でもあるかのような空白地帯は前ほど露骨ではないが──少なくとも見ただけで逃げ出す事はなくなった──避けられている事には変わりはなく、若干落ち込む。これ、一種のいじめだよな。
「──偶然だね、優之助」
そんな状況でこんな風に気安く声を掛けてくる存在は少ない。瞳子達、生徒会の面々──そして、
「俺に話しかけていいのか?」
偶然も何も、どう考えても俺の通り道を把握した上で声を掛けてきたのは『皇帝』月ケ丘帝。敵対関係にあるというのに
しかし、帝はそんな態度を取る俺に気分を害する事なく、
「僕もこっちなんだ」
まるでこちらの行き先を知っているかの物言いで一人分は空いた俺と周囲の空白に割り込む。それを見た周囲は帝を同類と認識したようで、不自然な空白が帝の肩幅分だけ、さらにたわむ。併せて、視線がちらほらとこちらへと流し見ながらわざとらしく逸れていく。怖いもの見たさというやつだろうか? 視線の流れ方がそんな特徴を表していた。
「──今も昔も僕の周りはいつも"こう"さ」
だから、気遣いはいらない──暗にそう匂わせる帝。こうやって隣り合う以上、俺と帝が無関係だと取り繕うのは不可能だろう。諦めて世間話に移る。
「そういえばロイヤルガードを入学させたんだな」
「──あぁ、なるほど、刀山の腰巾着か。生徒に紛れさせた方がなにかと便利だからね。まとめて一年として入学させたのさ」
氏名は明らかに偽名──旧暦をもじっただけ──の上、添付された写真には、わざとか、と思うほど雑な改ざんの跡を残しつつ、少女達が無表情で写っていた。言うまでもなく、当真瞳呼が捻じ込んだのだろう。適当な人間を使って替え玉受験をさせ、入学の時点で入れ替わる。資料はその間に改ざんする──手法としてはそんな所か。
さっそく、青山達がいい仕事をしたわけだが、いくら身内に敵がいるとはいえ、こうもあっさり潜入を許すのはどうかと思う。しかし、
「良い
「──別にそんな事を考えたわけじゃない」
苦笑しながら、俺のおせっかいな妄想を否定する帝。ならどうして、戦闘力のない自分の近くに侍らせず、一年に編入させたというのだ。
「知っているだろう、優之助。僕があいつらの近くに侍らせると碌な目にあわなかったのを」
「そういう事にしておくよ」
単純に憎しからくるものではなく、好悪を超えた立場で縛られている以上、帝の中に渦巻くものは複雑だ。あまり踏み込み過ぎるのもよくない。そう判断し、軽口を装いながら引き下がる。帝も
「──なら、こちらも少々、おせっかいをさせてもらうよ」
わずかに悪戯めいた顔で帝がそんな事を切り出す。
「優之助。月ケ丘が異能に関する研究を盛んにおこなっているのは知ってるね?」
帝の質問に対し、肯定だと頷く。月ケ丘家に異能が発現したのはおよそ百年前。当然ながら、異能に関する
実際の所、当真家からすれば恐るべき速さで追いつこうとしているのだが、月ケ丘家としては、ただ後追いしただけではいつまでも後進のままだ、と現状に一切満足していない。
その為、月ケ丘はかなり危険な方法で異能の研究をしていると聞いた事がある。その内容は単なる陰謀説や都市伝説まがいの風評、ゴシップといった鼻で笑うものが大半だが、その噂の真相をほんの一部ながら俺は知っている。いや、目の前にいると言った方が正しい──『皇帝』とロイヤルガード達。少なくとも、それはたしかに存在していた。
「その研究にしても異能の開発や遺伝といった分野がほとんどで、根本的な異能の仕組みにはまったく手を付けられずにいたんだ」
「当真家でも同じようなもんだろ。わかっているのは異能が使用者本人の願いに起因したものだってくらい──それすら、あくまで仮説に一つに過ぎない。たしか、前世説ってのもあったな」
異能は生まれて間もなくから、遅くとも物心をつく前後といった乳幼児期に発現する。無意識の願望を最も純粋に願う──それこそ本能として──事ができるのはその時期しかないからだ。
たしかに大人になればなるほど一心に何かを願うというのは難しい。雑念によって
「当真ですら、異能の根幹に関わる事は仮説の域を出ない。けれど、その仮説止まりだったものを証明できる存在がいるとしたら?」
「──それが、月ケ丘が当真瞳呼に協力する理由か」
帝が首肯する。一歩間違えば与太話にすらならない内容だが、嘘や冗談の類とは思わずに受け入れる。
ともすれば、異能の常識を覆しかねない重要な情報提供。しかし、怖々と俺達の様子を伺う生徒達には今の会話を理解したものは皆無だろう。一般人には荒唐無稽な話だというのもあるが(むしろ異能者の方が聞き入れにくいかもしれない)、仮に聞かれてたとしても、断片的にしか拾えず、同道しない限り全容を掴むのは難しいからだ。内緒話は人ごみの中を歩きながらした方が向いているとは聞いた事があるが、帝があえてこの手段で伝えた事に、もう一つ別の事実を告げている。つまり、
「──あまり無茶はするなよ」
「今日はここまで──あとは頑張れ」
どこまでも意味深な言葉を残し、こちらの反応を待たず、教室へと消える帝。
「(
瞳子に引き続いての"応援"に自分の考えが筒抜けであるのを痛感する。これでは根に持たれるのを覚悟で会長相手に勿体ぶる必要などなかったのだ。こんな述懐すら無意味、後悔は先に立たないから後悔といえる。
それでも帝の証言は大いなる収穫だ。当真瞳呼との繋がりについて──ではない。以前瞳子と語った当真晶子に異能が発現した理由、それに関わる厄介な協力者──"異能を生み出し、与える異能者"──の存在がただの仮説から、足元に伸びる影くらいは掴めたのだから。
天乃原学園におけるクラス分けは、進学や就職、さらにそこから細分化された進路を同じくするメンバーを一つにまとめようとする考えの元、生徒を分配している。漫然と生徒を分けるより、将来において、同僚、同業者──あるいはシンプルに称するなら
途中で進路変更を希望する生徒や同じ顔合わせによるマンネリを防ぐ為の配慮もあり、全く同じにはならないものの、三年間同じクラスだったというのは珍しくない話だ。
選択授業も俺が
すでに述べているが、天乃原学園は元々、天之宮グループの人材育成の為に設立された学校法人の総称で幼稚園から大学まで揃っている。特に高等部、大学部は天之宮傘下の企業との繋がりが強く、大学に至っては半分学生、半分社会人という見方が強い。医学部のインターンや研究職のイメージを営業(商学部)や広報(デザイン科)といったさらに広い分野で展開されていると考えていい。
その進路選択を一番近くで控えるのが高等部三年であり、二年までに選んだ進路を一年かけて自ら、職への適正や現場の空気などを馴染ませる期間なのである。
という前置きはここまでにしておいて、俺のクラスは現役だった頃と同じ三年C組。天之宮以外への進学希望組だ。一応、この一年が終われば、休学中の大学に戻るつもりなので、設定にそれほど無理のない選択。ちなみに、選択授業は学期ごとに変更可能で(この辺りは普通と変わらない)、進学希望でも就職希望の生徒と同じ授業を選ぶ事も可能だ。何を選ぼうとも自らの責任で選択する以上、学園側は寛容。ただし、どうなっても知らんよ? というスタンス。なので何を目的として、何を選ぶかは自由。つまり──
「──初めまして、選択で同じ科目を習う事になりました御村優之助です」
「海東遥です──名前と噂はかねがね耳にしています」
「──彼方です──ろしく、お願い──す」
──それが
「──そ、それじゃあ、始めましょうか」
白々しい自己紹介もそこそこにハルとカナ──いや、海東遥、彼方姉妹に声を掛ける。そこはいつか望んだ誰にも邪魔されず、椅子を持ち寄っての差し向かいの状況。
「(……たしかに、願ったり叶ったりなんだけどなぁ)」
俺の後ろに陣取る他の生徒達の気配を感じつつ、どうしてこうなった──そういう気持ちが拭えない。
しかし、同じ授業を選んだ生徒は俺達を含め、全部で十二人。そのくらいの人数ならまとめてディスカッションした方が手っ取り早いと思うのだが、担当教員(この学園ではお目付け役と定義した方が近いか)が開始を宣言した途端、他の生徒達が五人と四人に分かれ、そそくさと始めてしまった。要はハブられたのだ、俺が。
おそらく示し合せての事だろう。ここでハルとカナが漏れたのは嫌われてではなく、俺だけ残すとどちらかに入ってしまうからだろう。自分のいるグループに入れないようにするには確実な手段といえるかもしれない。
この場合、なぜハルとカナなのか。説明がいるとするなら、二人が俺に物怖じするとは思われていないからで、つまりはそれだけ買われているのだ。誇張でも、勘違いでも、まして、お世辞でもない事実として。
そもそもの話、ハルとカナはこの学園でもかなり有名な部類に入る生徒だ。この学園でも当たり前にある実力考査でトップクラスの成績をたたき出し、全国模試も上位に名を連ねた事がある学業成績は当然の事、生徒会の目に留まり、会長にスカウトされたのだが、"運営手法やり口があわない"という理由でそれを蹴ったエピソード込みでひとかどの人物として認知されていた。いわゆるクールでイケてるスーパーな女子高生というやつだ……いろいろ古い上に古臭いな。
ちなみに勧誘を断った際、衆人環視の前だったので生徒会に真っ向から対立したとして、いつ退学処分になるのでは、と周りから野次馬めいた心配をされているらしい。だが、生徒会の真実を知る身としては、袖にされたからといって
どうやら、俺がこの学園に編入せざるを得ない理由となった、"ハルとカナが退学の危機にある"という瞳子の方便はこの事からきているようだ。
とまぁ、やや脱線したが詰まる所、二人は貧乏くじを引かされたに等しい。俺としては望ましくとも、俺と距離を置きたい二人にとっては腹立たしい事こと上ないだろう。俺の取った行動のとばっちりをバッチリ受けたのだから無理もない。
俺はといえば、いきなり面と向かっての相対に幸先が良すぎて、逆にどう接していいものやら困る。短期留学なんて手段でかわされ続けたのだから、もう一波乱あってもいいはずと、変に高を括っていたので、むしろ出鼻を挫かれた感じだ。
「──なんか、周りが勝手に始めちゃったしね」
後出しで言い訳をこねくり回しながら、二人の反応を伺う。というか、ちゃったしね、ってなんだ? と自らの気持ち悪い言い回しに内心つっこみを入れながら、それでも腰を低くする──してしまう俺。
「──その卑屈さは、何かの嫌味か皮肉ですか? 御村
こちらがすり寄るのをハルが容赦なく撃ち落とす。君付けの方が嫌味か皮肉じゃないのか? という気がしないでもないが、初手を間違えたのはたしかに俺の方だ。
「いや、そういうつもりはなかったんだが……。
取り付く島もないハルにそう弁解しながら、一方で気まずい空気から逃げたいが為に監視員役の男性教師を見る。当の本人は
この学園ならではの影の薄さだが、俺の視線を受けないよう、やや過剰にペンを走らせる姿は俺に"見逃してくれ"と訴えている風にも見える。線の細く神経質そうな二十代後半の男性教員だ。立場もなく、押し付けられた──主に俺を──と見え、その表情はなんとも悲哀を誘っている。存外、何かしら吹き込まれているのでは? と思う。"今まで以上に関わるな"、"向こうのするがままに任せろ"そんな所だろうか? 理事長あたりなら、やりそうな気はする。
「──いいえ、私も少し態度が悪かったようです」
俺の逡巡を見飽きたのか、ハルが一言。どうあがいても無駄とわかっているからだろう。下手にゴネるより流した方が面倒がない。そんな消極的肯定にも見える。
カナの方も特に異論はないのか、俺からできるだけ距離をとっているものの、ギリギリ会話が成立しそうな距離をハルを挟んで確保していた。
二人とも軟化したわけではなく、あくまで妥協の範囲なのだが、一応話は進みそうだ。そうか、と特に引っ張る事はせず、開始を受け入れる。ディスカッションの内容は自分が選択した授業──ひいては進路にまつわる事。既に始めている二組のグループの方へ耳傾けると、生徒会長のスピーチの分析、具体的なテクニック、といったディベート関連が多い。
「こちらは何を話し合ったらいいと思う?」
「何を目指しているのか? ──それでどうでしょうか、御村君?」
「すまない、もう少し具体的に頼む」
「言葉通りの意味ですよ。分かり辛いというのなら、無難に進路の事で構いません──そちらはすでに決めているのでしょう?」
三年前から。そんな幻聴すら聞き取れそうなハルの台詞に、答えを窮する俺。いっそ開き直って、決めるどころかもう進学しているけどな! くらい返せばスッキリするだろうが、当然ながら出来るはずがない。幾分か迷った末、"設定"に無理の出ない範囲で三年前と同じ選択を口にする。
「──教師になろうと思っている」
在りし日の妹達に向けて告げたものと一言一句過たず発音する。一度喋りだすと重たげだった口元は嘘みたいに軽くなるのはよくある話。堰を切ったように、地元の大学に進学する事、体育の教員免許を狙おうとしたが、そこの教育学部にはなかったので社会科を目指している事、元いた高校の担任にその事を話したら鼻で笑われた事など、しまいにはどうでもいい内容を滑らせていく。
「どうして──どうしてそれを選んだんですか?」
言葉の上では定型の質問だが、俺達の間ではそれは空々しいやり取り。何を今更、とも思う、しかし何故を問うハル、そして、こちらを密やかに伺うカナは
「──最初は教師どころか大学に行くつもりすらなかったよ。なるべく早く働けるようになりたかったからな」
だから、俺は変わらず
「でもそんな時、世話になっているや──人から、せっかくだから、大学を楽しめと言われてさ。進学する事に決めた。だけど、ただ大学行って、ただ卒業しましたでは悪いと思ってな。大学ならではの資格をとってそれを仕事にしようと思った」
社会を選んだ理由はさっきも言ったが消去法。体育以外の科目は取得可能だったが、英語は苦手で、理数系も同様に苦手意識がある。残ったのは国語と社会。社会なら、まだ取っつきやすいかと思い、そういう道を選んだ。
「なっちまえば固い職業だもんな、教師って。大学に入って無駄にならない為に選んだけど、思えば、これでよかったと納得してるよ」
たった二人の妹達家族の気持ちを察せられなかった俺が人を導く教師に向いているなんて、おこがましい勘違いをしているわけではないが、なりたいものを遠慮する理由にはなりえない。
わずかにくすぶる負い目を隅に追いやり、大学三年間、順調に単位を取り、教育実習の予定まで組んだが、結局いけなくなった、とまでは言えず、一人語りは続く。
「地元じゃあ、ガラの悪い
「だから俺は選んだ、
選択授業(正確には選択教科というらしいが)は必修教科(国数などの)とは違い、国の学習指導要領に依らないその学園独特の学習活動を構築できる。俺とハル、カナが選んだ科目名『教育学専攻』は教育学部志望の生徒──つまり、教師になりたい生徒が集まった教室なのだ。
「──ここを選択したからといって、教員志望とは限らない。そう思いませんか? 御村君」
俺の断言に対して、そう言ってはぐらかすハル。その装いからは
また、ハルの言った事も残念ながら事実だ。『教育学専攻』の授業は提携する大学の紹介や授業風景の観察、現役学生との対談など進路先を想定したカリキュラムの他、適切な授業作りを下支えする弁論技能の習得が盛り込まれている。
しかし肝心の教員免許の取得が大学である以上、提携企業での就業体験がある他の授業とでは、比較的に得られるものが少なく、どうしても見劣りしてしまう(目の前に教師というなによりの"教科書"が居るが、具体的な業務を教わろうとする生徒はいないだろう、少なくともこの学園においては)。極論だが、仮に教員志望でもここを選ぶ必要はない。大学で教員免許取得の単位を履修すればいいのだから。
それでも、あえてここを選ぶ可能性があるとしたら、自身の進路志望が高等部の選択では抑えきれない分野か、あるいは自前でいくらでも補える自信があるかのどちらか。要は"授業を流す"か"レクリエーション感覚でディベートの練習"に来た生徒──ハルの言う教員志望とは限らないというのは、そういう意味だ。
俺の後ろでディスカッションに勤しむ連中は十中八九、そんな面々で固められている。まぁ、連中はそんな舐めた"選択"をしたから俺という"ババ"を引いだのでざまあみろ、という所だ。いや、結局は空しいだけだが。
だが、目の前の二人は違う。そんな片手間での選択はしないと家族である俺がそう確信している。そして、ハルとカナのクラスは三年A組──学業成績上位者で構成された
「──二人は教師を目指しているのか?」
「あなたに言う必要は──」
「──そうだよ」
ほぼ同時に発せられた否定と肯定。切り捨てるように言い放とうとしたハルが隣のカナを呆然と見つめる。カナはどことなくおっかなびっくりな挙動(ハルに対する気まずさからだろう)で、ハルの視線を受け止める。その挙動とついさっきの通る声が俺の中でうまく重ならない。だが、間違いなく
「ハルちゃ──姉の遥は数学、私が国語の教師になる予定です──時宮地元の大学を受験して」
先ほどまでの声の細さはどこへやら、カナが自分達の選択を淀みなく告げる。同時にカナの体が少しずつ、ハルの後ろから横、横からやや前のめりに隠れがちだった姿をこちらへと向ける。それらはむしろ俺に問いかけているように見える。
──自分達をどうしたいのか、を。
見つめる瞳が否が応でも俺へと伝えてくるのは家族ゆえだろうか。
カナ──声には出さなくとも、ハルの口とその表情がそう歪んだのがわかる。渦巻く感情は一瞬。眉間が強張るのを防ごうと人差し指の第一関節で抑える──責任感の強いハルが時折見せる癖──事で平静をどうにか保つ。思う所があるのか、カナ自身に後悔している様子はない。
「──カリキュラムの中に架空の生徒と学籍を題材に実際の業務に近い形での体験授業があると聞いて選びました」
それがわかったのか、諦念染みた息を軽く吐いて(グループ分けの時を含めると二度目)、わりと細かな部分まで掘り下げて説明するハル。普段弱気な癖に意外な所で大胆かつ粘り強く動くカナと、普段はしっかりしてブレなく動きカナを引っ張るかと思えば、変なところで意気地なしが発動して妹に追い立てられるハル、たまに見せる二人の逆転現象。
「俺も同じだよ。それを知って──知ったからこそ、ここを選んだ」
学園に居ながらも俺から避け続ける二人に接近する──その為に他クラス合同で行う選択授業で機会を狙っていたのは、割と始めの内から。ただ、瞳子から告げられた二人に真意が嘘偽りがないと知っている身としては、下手に近づいていいものか、そんな悩みはあった(二人の選択授業先を知るには当真から不正に聞き出すしかない以上、不信感を煽るだけというのもあり得る為)。
しかし、選んだのが
「(よれては立ち直り、立ち直った先にまたよれる──そんな情けない覚悟だが、な)」
そんな起き上がりこぼしみたいな覚悟を奮い立たせ、二人を見据える。そんな俺を見て呆けていたのは指折り数えて片手分の出来事、文字通り我に返ったとばかりに目の焦点をこちらに引き絞ったのはハルだった。
「──でしたら、同じ進路を行く者同士、仲良くなれそうですね」
「(そう思うなら、もう少しフレンドリーぽい感じが欲しいなぁ)」
社交辞令でも、もう少し愛想があってもよさそうな所、ハルの表情からはどこをどう探しても同士とやらに向ける"それ"ではない。まるで仇敵を前にした時のようであるが、ある意味間違ってはいないだろう。心情的なものはともかく、俺は今、立場上でハルとカナの敵なのだから。
「仲良くなれそう、ですか。何事も起こらなければ、なれますよ。いえ、こちらからお願いしたいくらいです──なにも起こさないでほしい、とね」
「どういう意味でしょうか?」
「そういう恍け方は少し間を空けてから方がいいですよ。始めからそう返されるの承知で言ったのがバレるので」
「全てわかった上でここにいる相手に恍けたつもりはありません。どういう意味と聞いたのは、事を起こした時、私達をあなたはどうするつもりなのか、それを伺いたかったのです──妹もそう望んでいるので」
水を向けたハルを肯定するようにカナが頷く。いつものカナなら強引に促されれば容易く傾きそうな首も、ことこの場においては心からのメッセージとばかりに、雄弁に動く──話題を振られた際、背筋と肩が不自然に強張ったのは見なかった事にしておこう。
「──どうするも何も、俺は止めるとしか言えないぞ? そちらの
再び、
急に大人しくなった二人に違和感を覚える。こちらを見ているようでいて、そうでない事に思い至り、視線の先を探る。俺の後ろの方へと──
「(──うぉ!)」
振り返ると、俺達を除け者にした二つのグループがこぞってこちらを見ていた。俺が向くなり顔を逸らしたので正しく過去形になるのだが、そんな事はどうでもよく、ハルとカナが押し黙った理由にようやく気づく。
「(そりゃあ、初対面であんな物々しい雰囲気にならないよな、普通は)」
いくら俺を放逐したとして、同じ教室の中には違いない。向こうからすれば見ざる聞かざるを決め込んでも伝わる空気を無視するのは難しい。俺達の他人同士とは思えないやり取りに好奇心が疼いたのだろう。
「──わかってもらえたようですね、御村君」
他人であると強調する為か、これ見よがしに苗字を区切るハル。ここへ来る前、周りの生徒などお構いなしに接触していた帝とは対極の振る舞いだな、とどうでもいい感想がよぎる。
「別に聞かれて困る所まで踏み込んだつもりはないんだがな。そう過敏にならなくてもいいだろ」
「どうしてそう余裕なんですか?」
俺の態度に不審なものを感じたハルが他の生徒を意識してか小声で問いかけてくる。カナに至っては思いもよらず晒された視線に固まって、すっかりハルの後ろ定位置に戻ってしまっていた。今この教室で平常を保っているのは俺と監視役の教師(最初の態度と変わらないという意味では合っている)の二人くらいだろう。
それはさておき、どうして俺が周りを気にせずいられるのか? 察しのいい人は気づいているかもだが(誰に向けて言っているのか自分でもわからないが)、春休み前、衆人環視の元で瞳子を相手に遠慮なく異能を振るって暴れた時点で俺が一般人として学園に潜入するという当初の目論見は跡形もなく崩れている。
また、それ以前に俺を学園に連れ込んだのは瞳子の独断であり、当真家にとって見れば、俺は計算に入れられない不純物でしかないのだ(これは後から当真家に協力している
まとめると、俺個人はハルとカナが血縁関係にある事、年齢に関する事以外、バレて困る情報はない。前者は騒ぎの中心異能者が身内にいるせいで二人の学園生活に支障をきたして学園に居られなくなるから、後者は俺がこの学園に居られなくなるからだ(当真家の手先である事も、異能者である事も容認する天之宮家でもさすがに年齢と経歴詐称にはいい顔をしない)。今のハルとのやり取りにしても、兄妹を示唆する内容はない。精々、関係を不審がられる程度。むしろ──
「──なぜそこまで意識するんだ?」
自分が目立つ存在だと自覚している事を差し引いても、やや過剰な反応。多少きわどい会話を混ぜても、ただの一生徒に背後関係を探るのは難しい以上、そこまでビクつく必要はない。
「なにかを意識したつもりはありません」
もう少しマシな返し方はなかったのかよ、ハル? これでは、"なにかある"と言っているようなものだ。
「──わかっているくせに」
ますますフラグを立てるハルの斜め後ろ、完全にハルの影に引き篭もってしまったカナが呟く。他の生徒が顔を逸らした分だけ前に出た形。兄としてはその引っ込み思案ぶりが心配だぞ、カナ。
カナへの心配はともかく、彼女の小さな反抗はたしかに的を射ている。帝と国彦、そしてハルとカナが当真瞳呼と繋がっているのはとうに割れている。意地の悪い質問であるのは間違いなく、チクリと言いたくなるのは無理もない。それならと、率直にこちらの考えを二人にぶつける。
「当真瞳呼に協力するのはやめるんだ、ハル、カナ。お前達が手を貸す女は単なる異能者上位主義というだけじゃない。それ以上に非異能者を蔑視──いいや、人としてすら扱わない最悪の人間性なんだ。利用する価値がなくなればすぐに排除されるのがオチだ」
「直接会った時にそういう人物であるのはわかっています。隠しもしなかったので。彼女からすれば交渉と言うより、計画に組み込んでも支障がないか──まるで芸を仕込んだペットの調教具合をわざわざ確認しに来た。そんな瞳で私達を見ていいました」
「それがわかっていながらなんで──」
「──り、利害が一致しているから」
カナがどもりながら答える。意図して遮ったのではなく、会話が苦手なタイプによくあるタイミングのズレで起こった被せは、結果的にこちらの追及を半ばで挫く。
「当真瞳呼が当真家当主の座を狙っている事は知っています。それが実現すれば、異能者と非異能者双方にとって望ましくない舵取りをするであろう事も察しはつきます。──ですが、次期当主の選定が天乃原学園ここでの出来事に直接関わると思いますか?」
双子だからこそわかる間の空気だろう、間隙を縫ってハルが反論を予測した牽制を流暢に紡ぐ。
「いや、待て。学園が当主の選定に関係しないって、どういう事だ? 次期当主は学園の理事長も兼任するんだ。関係ないはずがないだろう」
学園は将来的に当真家の(正確には当真家に属する異能者達の)社会進出への鍵と目されている。瞳子自ら学園の問題に関わろうとしたのもその事が大きい。俺を学園に引き入れたのは独断としても、言動の根幹にあるものはやはり家の利害だといえる。ハルの発言はそんな瞳子の思惑を前提から崩しにきていると言っていい。
「学園の価値は想像する通りだと思います。想像する通りだからこそ、一当主の裁量で扱うべき事案ではない。当真──いえ、時宮に住む全ての者が携わっていくべき事案でしょう」
たしかに当主は王様ではない。あくまで時宮という船の船頭──舵取りと表するならこれが合うだろう──だ。相応に権力はあるがついて回る責任の方が大きく、導きはすれど支配はしない、それが当真家当主というものなのだ。
「現に他の当主候補はこの学園に一切手を出していません。この学園は当真の未来を象徴する場所ですから、横たわる問題を解決すれば、当主の器をこれ以上なく示す事は出来るでしょう。逆に失敗すれば器不足の烙印は免れませんし、そもそも仮に成功したとしてもそれだけで当主になれるとは限らない。他に手堅く進める方法はいくらでもある──そういう事でもあります」
「当主になる為の必須条件でないわりにリスクがでかすぎるってことか。まぁたしかに、他の要件で当主の資格を満たせるなら関係ないというのも過言ではないな。なら、どうして当真瞳呼はこの件に首を突っ込んだ? 今まで裏からこそこそとしか手を出さなかった奴だ、失敗イコール当主失格なんてリスクのある手段はまず頭から排除する。だが実際はその反対だ。仮に言う通りだったとしたら、なぜ、その分の労力を他に回さない? 回せたなら、それだけ当主に近くなるだろ」
「──も、目的が瞳子さ──当真瞳子さんの排除にあるとしたら、ど、どうですか?」
カナが物騒な推論を提示する。たどたどしい割に一音一音ハッキリしているからニュアンスがダイレクトに伝わってくる。
「現状、有力なのは二人のトウコ。お互いをいかに当主レースから押しのけるか──そう考えるのは自然だと思いますが?」
「いや、それ全然自然じゃねぇから、基準にしちゃいけない方面だから」
「ともかく、当真瞳子の身さえ無事で居続けるならレースから脱落する事なく、他の候補者より優位に立てます」
リスクも他の手堅いアピール手段もあるが、この学園の問題に立ち向かっている瞳子が最も目立っているには違いない。当真瞳呼の妨害──どこまで望んでいるか、単に学園に居られなくするのか、それとも再起不能になるまで痛めつけるのかは不明だが──をかわして、瞳子に何事も起きなければ勝算はある。
「──だから、当真瞳呼に手を貸しても問題ないと? そうまでして、俺達の敵に回る必要があるのか?」
「──そ、それは」
「──言う必要はありません。
言葉に詰まるカナを遮り、ハルが言い放つ。その目に宿るのは敵対も辞さないという拒絶。いつかの保健室で見た差し出す事すら躊躇わせる固い決意。今までの俺ならただ立ち尽くすしか出来なかったと思う。だが──
「(──前ほど、ショックでもなければ、絶望もしちゃいないさ)」
掴んだ気がするのだ。ハルとカナがどうして"そう"なるように事を起こしたのか、ただの反抗期ではない不可解な行動の理由がそこにあるのだと、ハルの態度がそう伝えている──確証はないがそう確信できる。
ハルの覚悟に触発されたカナも俺を振り切るように目を伏せる。喉元過ぎれば、とばかりに俺達を隠れ見る他の生徒達に対して、今度は取り繕いもしない。少しずつ遠慮がなくなる視線と比例して頻度が多くなる密やかな会話が前よりも規模が大きくなった頃、授業終了を告げる鐘が鳴る──同時に俺達の穏やかでない対峙もひとまず終わる。
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