トウソウ(2)


   15


 少年少女は、森を歩く。草原を歩く。土の上を歩く。ゴツゴツした岩道を歩く。

 昼も夜も何時まで経ってもやってこない。

 生徒達にはここ一時間が、一日、いや一週間、いや一ヵ月。いや一年にも、ウン十年にも感じていた。

「……見事に何もねえ」「流石に無人島無人島してるね」「それ、意味不明なんだけど」

 生徒達は恐怖や疲労を少しでも紛らわすため、なんでもない無駄話をしながら無我夢中に歩き続けていた。

 生徒達が島の端ぐらいであろう、岩肌混じりの草原をていたその時。


「ひぇあーーーーあーーーーぁーーーー」


 馬鹿でかい金切り声が島に響いた。

 それは鋭い刃のような雄叫びで、右耳から左耳へ。左耳から右耳へ幽霊のようにすりぬける。そんな感覚であった。

「な、なんだ……?」

「……珍しいねえ。こんなところに人間がいるなんて」

 ――怪物だった。

 その体は黒い体毛で覆われ、銀色に光る爪や牙がとても邪悪に見えた。

「お前は……?」

 白夜は反射的にそう呟いていた。

「……俺か?

 俺は化け物さ。文字通り。そして、見た目通りな」

 そう怪物は返す。どうやら知能は人並みにあるようだ。

「……俺達はっ、何もしない……!

 だから、いますぐここから消えてくれ……!」

 さかき鶴彦つるひこが妙な溜めを作りながらやたら格好つけて怪物に返した。というよりかは、いつも榊はこのような感じの喋り方なのだが。彼が読んでいた漫画の影響らしい。

「嫌だ、って言うぜ。少なくとも俺はな」

 化け物が笑いながら榊の申し出を断る。

「ならっ、どうする……! このまま闘うのかよっ……?」

 『お前の台詞はいちいちタメが長いんだよ。』……と黒神は突っ込みたかったが、結局突っ込まなかった。

「お前、いちいち黙ってて鬱陶しいんだよ。漫画の主人公にでもなったつもりかぁ? この中二病が」

 ……突っ込みがった。こいつは本当はバカか。

 ……と、俺、黒神白夜は思った。怪物がまさかそんな事を喋るなんて思わなかったし、何よりいろいろ場違いなんじゃないか。と感じてしまった。

「俺は、できれば穏便に話を進めたいっ……それならば、話し合いだ。

 お前の要求は……なんだ……? どうすれば、手を引く……?」

 結局、俺が出ないと、本当に話にならないみたいだ。俺はそう思った。このままだと埒があかないとも思ったから。

「俺の名前は……榊鶴彦だ!」

「もういい。無理するな。今から俺が話す」

「黒神……!」

「……ふん」

 怪物はそんな俺たちを見て、ただくだらない出し物を見ているかのように嘲笑していた。

「バカかオメェ? 要求とかそんなまどろっこしいことで手に入れられるモノなんていらねーんだよ。俺はただ、肉が喰えればそれでいいんだぜ!」

 だが、奴はやはり怪物だった。怪物の知能パターンな台詞がしれっと飛び出た。少し人間臭くないかと思った俺がバカだった。

「お前、名前は」

「あん? んなもん聞きてえのかぁ? 物好きな奴だなぁ」

 どうせ、カタカナだろ?

 怪物の名前だから。と、俺は冗談半分ながらそう思った。

 フィクションのモンスターの名前は大体カタカナの名前が多いし、もしアイツが本当にモンスターならば、多分そういう名前だ。と俺はあの時はそう思っていた。しかし。

「俺の名前は――――だ」

「……マジか」

「マジだ」

 まさかの展開だ。怪物の名前は普通に日本人の名前だった。名前だけじゃなく、名字まで存在している。

 こんなバカな話があってたまるか。

「俺は黒神白夜だ。

 ところで……テメエら怪物は俺達を喰うために殺すのか? それとも俺達が自分の棲に踏み入ったからか?」

「両方だ」

 怪物、緑田みどりだ一幸かずゆきは、にやりと笑いながらそう言うと、銀色に光る刀のような爪を疼かせる。そして獲物を狩るため青の草原を疾走した。

「に、逃げるんだ! でないと俺達殺され……!」

 瞬間、反射的に言葉を発した夕也の首が飛んだ。 あざやかな斬り口から鮮やかな液体が空に舞った。

 緑田はそのまま飛ばした夕也の首を掴み、噛み千切った。片腕で相沢の頭部の肉をむしゃぶりながら、もうひとつの片腕の指を鳴らした。

「あっ」

 ビュゴン。そんな鈍い変な音が静かだった空気を覆った。

 それと同時に、端っこで震えていたクラスメイトの一人、杵岡きねおか桜華おうかさんが、首を変な方向にひしゃげさせて倒れるのが見えた。

「う、ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 その一瞬の時間の中の惨たらしい一部始終を目撃した皆は、ほぼもれなく絶叫していた。

 夕也も杵岡さんも、何も分からずただそこにいた存在で、何をする事も。逃げる事ですらままならなかったはずだ。それなのに、二人は怪物の私利私慾のために命を落としたのだ。

 俺は、心の中に押さえ切れぬ黒い感覚を少なからずおぼえていた。

 だけれど、俺達は逃げ出した。

 一目散に、蜘蛛の仔を散らすように。敵わない敵の存在に俺達は逃走の選択肢を選ぶしかなかった。

 怪物への復讐も。殺された友達の敵討ちも。非力な俺達には叶わぬ願いだった。

(くそ……!

 俺に何か能力ちからがあれば、あんな奴”へ“でもないのにっ……!)

 俺はただただ悔しかった。非力な事が。

 何故、みんなが救われないのか。何故、あいつらが死ななきゃならなかったのか。と、何度も心の中で叫んだ。

 俺は心の奥で何度も何度も泣き叫んだ。

「化け物があああああああああああ!

 俺が相手になってやるクソッタレええええええええええええ!!」

 そして俺は、いつの間にか怪物に向かって叫んでいた。


   16


 一人。たった一人のなにもない生徒が、緑田に向かって叫んでいた。

 名前は諏訪一騎。

 諏訪一騎は、唯一怪物に立ち向かって行った。 敵わないと知っていて。闘えないと知っていて。

 彼は闘争の未来みち選択えらんだ。

「おい聞けクソッタレ!

 俺は今からお前を足止めするっ! みんなを逃がす為にな!

 かかってこいやバケモンが! 俺は、今から時間をかけてテメーに殺されてやるよ!!

 殺るなら俺だけにしやがれ! バケモノはバケモノらしく俺をじっくりと甚振りやがれぇっ!!」

「面白い。お前の望み通りじっくりと甚振って殺してやるよ。

 お前を殴って蹴って叩いて嘗めてはたいて引っ掛いて砕いて折って潰して斬って絞めて踏んで刺して抉って吸って削いで沈めて剥がしてはらわた摘出して燃やして擂って混ぜて喰って殺してやるよ。

 だから殴られて蹴られて叩かれて嘗められてはたかれて引っ掛かれて砕かれて折られて潰されて斬られて絞められて踏まれて刺されて抉られて吸われて削がれて沈められて剥がされてはらわた摘出されて燃やされて擂られて混ぜられて喰われて死ね」

「やってみろやあああああああああああ!!」

「やってみるぜ」

 それはあっという間の会話であった。いや。それが会話と言えるかといえば、そうではないのだけれでも。

 そして覚悟を決めたらしい諏訪が、恐怖や安堵などが入り混じった、何とも云えないような顔で黒神を見る。

「白夜。お前らはちゃんと逃げてくれよ。

 後は頼んだぜ、リーダー」

 そして、黒神はいまこの場から逃げ出した。

 後ろでは、おそらく諏訪が戦っている最中だろう。

 黒神は諏訪の遺言らしき台詞を心に書き残し、逃走した。

 残された友達を守る為に。新たな闘争を始める為に。


 出席番号25番 諏訪一騎。

 彼はごく普通の一般人である。

 普通。呆れるほど普通。死ぬほど普通。説明できる事柄が少ないほど普通の少年。

 しかし彼は普通の人には出せない勇気を。最後に黒神達に、化け物に見せつけた。

 何故だろうか? 彼は、矢張り普通では無いという事だろうか?

 ――否。

 彼は普通だ。

 普通に笑って、普通に泣いて、普通に食べて、普通に飲んで、普通に起きて、普通に寝て、普通に出掛けて、普通に帰って、普通に遊んで、普通に勉強して。

 普通に。そう、”普通“に―――

 彼は最後も矢張り普通に立ち向かい、普通に人としての生を終えたのだ。怪物に立ち向かうという事自体が、普通とはとても言えないのだけれども。

 しかしそれは、諏訪がそうするに至ったのは、逃げるぐらいなら立ち止まってしまえ。友を見殺すぐらいなら殺されてしまえ。という感情によるもの。その感情自体はあくまで普通のものだ。

 彼は普通の勇気を普通に振り絞り、普通に友を逃がした。

 人によっては普通には見えないかもしれないが、彼は至って普通の人間だったのだ。

 そう、至って普通だった――

 しかし、怪物がそれを許してはくれなかった。

 怪物は、自分の中に存在する怪物の悪知恵を働かせた。

 そしてそれは、諏訪の決めた未来みちをねじ曲げる悍ましき行為だった――

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