こんばんは、よろしくお願いします。

Kaoru Hamori

第1話 高嶋 千里

その日は生憎の雨模様。

窓の鍵を開けてガラガラと窓を開く。私は雨の日がちょっぴり好きだった。

何故かは知らない。もしかしたら水泳してたからかな、なんて。

手を思いっきり外に出して、手のひらで雨粒を受ける。

何だか不思議ね。お空にはタンクでもあるのかしら、だなんて子供みたいなことを考える自分に少し笑う。


調度下の方から、男の人がやってきた。

黒色のウインドブレーカーを着て、足には蛍光グリーンのランニングシューズをはいている。何だってこんな日に走るのか、と不思議に思ったけれど私は彼がそのまま遠くへ走って行く背中をずっと追っていた。

彼の名前は椎名大輔さん。

うちのアパートの1階に住んでいる。大した印象はあまりない。普通のサラリーマン、普通にスーツを着て、普通の声色で、普通に会ったら挨拶をする。そのぐらい。

あんまりにも印象がないもんだから、顔もぼんやりしていて、これって顔が浮かばない。そんな人。

おっと、私は何乙女みたいなことを考えているんだ、とちょっとどぎまぎ。


仕切りなおすように窓を閉めて、部屋の明かりをつけた。

2回ほど点滅して、明かりがつく。いつものことなのだが、目がチカチカして嫌。買い替えたいぐらい。給料日までの命だ、と心で明かりに向けて言う。

あ、また点滅した。このやろう。

私はスマホをとって、LINEを開き高校の同級生からの集合の誘いを丁寧に断る。今の時期は春。どうやらお花見をするらしい。24にもなって高校の同級生と集まるのは何だか少し恥ずかしい。あの頃は無邪気だったけど、この年になると、少しは考えるように、大人になってしまった。

目を瞑って、あの頃を思い返す。胸が痛い。白い夏服をきて屋上でご飯を食べたこと、体育服での体育祭のこと、文化祭では、夜まで学校に残った。なんだかなーって、額をテーブルにつける。今思うと、光ってた。キラキラしてた。掃除や移動教室の時間でさえ愛しく思える。弱ったなぁ、戻りたい気持ちが湧きでてくる。

でも、それはもう叶わないこと。もうないと分かっているからこそ、さらに辛い。

私はもう絶対あそこには行けないんだと現実が教えてくれる。

もう、何を思い出させてんのよ、とトーク画面に向けて言う。

ふふ。少し元気出た。


ぐぅー、とお腹が鳴った。壁の時計を見ると、もう既に18時近くをさしていた。

「夜ご飯買いに行かなくちゃ。」そう言ってスマホと財布を肩掛けのかばんに入れる。上は地味なTシャツを、下は少し色のあせたジーンズを。それぞれ着替えて家をでた。

駐車場に止めてある小さな可愛い軽自動車の鍵を開けて乗り込み、近くのスーパーを目指す。

最初は怖かったはずの運転も、やはり慣れね、なんて調子に乗る。

初めて免許書を貰った時、私はすごく悲しかったのを覚えてる。

私はここまで来てしまったんだって、もう子供じゃないんだって。

でもまぁ仕方ないこと。それがきっと人生よ、私、なんて自分に得意げに言う。


スーパーに到着した。この辺りでは一番大きいとこ。何でもある、あ、でも野菜はすっごく高い。

もっと安くしてよ、店員さん。私の財布はカツカツなのよって、目で語っても気づいてくれない。当たり前か。

今日はカレーを作ろう。おいしいし、なにより簡単だし。じゃがいもと、人参と、たまねぎは家にあったよね。あとは豚肉かな。いや今日は肉無しでいこう。

カレールーと野菜類をいれてレジに行く。店員さんが仏頂面でテキパキレジを通す。会計し終わり、外に出る。

外に出ると雨が強くなっていた。ザーザーと地面を叩くように降っている。

するとちょうど後ろから、「あれ、高嶋さん?」と声をかけられる。

ぎょっとして後ろを向くと、そこには椎名さんがいた。

「こ、こんばんわ」と私が言うと、「雨すごいですよね。」と椎名さん。

そこで、気づく。あれこの人走ってなかった?

「僕、ランニングしてきたので、帰るに帰れなくて。」と濡れた髪に手を当てて、あははと笑う。なんだか様になってて、じっと見てしまう。

少し既視感。この流れみたことある感じ。なんだっけ。


「あ、あの私車なんで、良かったら乗りま、すか?」と口が滑る。

いつもはそんなこと言わないのに。というか椎名さんなのに。きっと雨が私の口を滑らせるんだわ、と雨のせいにしつつも、反応が気になって、顔を見れない。

彼はえっと驚き、「実は迎えを呼んでて・・・」と最後まで言わない内に、

「大輔!」と綺麗な声が後ろから。「おお、春ちゃん!」と椎名さん。

「高嶋さん、あのお気遣いありがとうございました。風邪をひかないようにして下さいね」と言って春ちゃんとやらの車に乗って、そのまま店を出て行った。

私の気分はなんだかフラれたみたい。みじめだわ。あんなこと言わなきゃ良かった、と思いながらすこし下を向いてしまう。うーむ、参ったな。


車に乗って、彼の仕草を思い出す。

雨、濡れた髪、手の位置、あの笑い方。

あぁそうだ。

私が彼と最初に会った日も今日と一緒、雨の日だ。

彼はその日アパートに引っ越してきて、私に挨拶にきたんだ。

その時、濡れた髪に手をやり、目を細めて、あははって雨スゲーっすね、って笑ったんだ。

それから彼は



「こんばんは、よろしくお願いします。椎名大輔です。下に引っ越してきました。」って言ったんだ。


アパートについて、車を降りる。

部屋まで行く間に、雨が私の唇にあたる。

口の中で雨の味がした。

ほんの少しだけ苦かった。

雨、やっぱり嫌いかなぁって、唇を噛んだ。


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こんばんは、よろしくお願いします。 Kaoru Hamori @micro821

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