村娘が世界を変えてもいいじゃない!

紀伊国屋虎辰

第1話 序章


 ――雪割り谷――


 中央山地の奥地、ヴァルドシア山の中腹に位置するこの谷は、

 薬草の産地であり、温泉の街としても名高い。


 街道から更に二日半も山道を歩いて来なければならない僻地である。

 それでもここは帝国最古の温泉地であって、皇帝アウトクラトールの直轄地とされている。


 ゆえに代官として本物の帝国貴族が領主に任命されてきた歴史がある。

【本物】の、というのは皇帝に紋章を賜った直参の貴族だ。

 

帝国ヘレネス』が成立して1500年。一人の皇帝が人類の帝国全てに君臨した時代も今や昔。

 皇帝と十人の王によって統治される現代においては、由緒という面で見れば完璧であるが、来ることさえ難儀な秘湯の村など、過去の遺物ともいえる。


 以前は訪れる者といえば、傷を負った騎士や裕福な市民の病気療養。

 薬草や鉱物を求めた商人といった風情だったが、ここ数十年は観光という風習も定着し、普通に旅人がやってくることも多い。


 そんな雪割り谷の外れ、森を抜けた丘の上に続く長い長い坂を上る少女。

 ややくすんだ藍色の髪と象牙のような白い肌。背は女性にしては少し高い方だろうか?


 ここは元々が内陸の寒い地方だ。彼女の出で立ちはというと、細い革のベルトで結んだ膝下まである長いワンピース。その左手には分厚く赤い羊皮紙の本。


 村を見渡せる丘の頂にある目的の場所を目指し黙々と坂を登る。


 そこには先祖代々の墓所があった。


「随分と暑いわね。こう暑いとため池の水が気になるわ」


 そう呟くと左手に抱えた本を開く。やや赤茶けた、ため池の水面を思い浮かべつつ導水に関する記述を探し出す。


 対策は導水用の水車を設置して枯れない山からの湧水を木製の水道管で、ため池へと誘導すること。


 水車を作るのに適した木材は有ったかを思い出す。乾燥小屋には、まだ十分な量があったはずだ。 


 村の西の外れの台地の栗の林は何世代にも渡って管理されていて、秋には貴重な食料になるとともに木材としても利用される。


 防水性が高く台所などにも使われているが、この場合はどうだろう?


 今度は水道管の種類と特性についてのページを開く。

 そこには農業のこと気象のこと薬草や毒草の種類農業技術に関する知識。


 祖父や父が記した後に彼女が記し、さらには彼女の子孫達が記していくだろう知の記憶。


 それが所狭しと刻み込まれている。


 幼少から慣れ親しんだこの本だけが彼女に残された最後にして最大の遺産。

 本を開く。それだけでずいぶんと重労働だが、それでも片時も手放さない。


 彼女、フィオナ・グレンは村娘である。


 彼女の持つ本の名は『世界事典マグナ・コスモス』共通語で大きな世界という意味であるが、この本は未だ未完成。


 だからフィオナも新たな知識を学びこの本に記すことになる。

 それは、いわばグレン家に受け継がれた使命のようなものなのだ。


 春から秋には四季折々の作物を畑で育て、請われれば村々を巡り人々に学問を教える。そういう生活をフィオナは続けている。


「導管は栗よりも檜がいいのかしら……」


 そんなことを呟きながら坂を登る。

 家に帰ったら村長に話しておこう。他にも準備することが多い。

 明日には村を発ちしばらくは戻れなくなるのだ。


 森を抜け長い坂道の終わりが見えて、暖かい初夏の日差しが眼前に拡がる。

 普段は彼女以外には訪れる者のないその場所に、今日は先客がいた。


 そこにいたのは一組の男女らしき姿。

 長身で筋肉質といった感じの男は、後ろでやや乱雑にまとめた赤髪で、一見すると旅人のようだ。


 ただ、旅人にしては腰に帯びている剣は随分と立派だ。


 あれは有角族タイタンが鍛えたチタニウムの剣だろう。


 チタニウムは有角族の鍛えた金属。腐食もせず傷も付かない。

 

 工芸にも優れた力を発揮する有角族の仕事は、鞘に彫り込まれた女神の意匠にも現れている。


 歳はフィオナよりも少し上くらいだろうか?


 絹のブラウスに革のズボン。それに靴の仕立てからすれば、どこかの騎士か貴族の子弟だろう。


 隣にいるもう一人は、やや背が低い。


 フード付きの外套から覗く利発そうなクリクリとした瞳が印象的だ。

たぶん女性なのだろうが、もしかしたら少年なのかもしれない。どこかで見たことがあるはずなのだが、目深に被ったフードのせいでよく見えない。


 落ち着いている男と比べ、周囲を見回す仕草も多い。

 一般の旅人が持つ小剣を腰に差し、首からは聖印を下げている。

 

 聖印?


 おかしい。聖職者だとして修道院を出られるのは20歳からのはず。


 大学や魔法学院などと違い、修道院には飛び級などはない。

 そうなると聖印を世襲する職業ということなる。


 世間広しといえど、そんな仕事はあまり多くはない。そしてその聖印もどこかで見たような気がする。もう少し近づいてみなければ。

 その時、ガサッと、足元から大きな音がした。色々と思案していたせいで枯れ草の塊を踏みぬいてしまったのだ。

 

 こちらの足音に気がつくと、二人は振り返り深々と頭を垂れる。


「やっと来たようだな。お邪魔させてもらっている」


 乱暴そうな印象とは裏腹に、男の方はかなり洗練された所作の持ち主だ。

 お付きのフードの方は、やはり少し動きがぎこちない。


「こんにちは。珍しいわね、こんな所に来客なんて」


「こんにちは。お嬢さん」


「おじゃましております」


「ここは村が見渡せる良い場所だ。いかにもグレン師が好みそうだ」


「ええ、祖父は隠居してからは毎日ここに来ておりましたから」


 フィオナの祖父、ダイアー・グレンは世に名を知られた大賢者。

 一代で薬売りから帝国宰相となった伝説の人物である。


 年少の頃より国中生薬を売り歩きながら、その地に暮らす人々の生活や風俗といったものを書物に記してきた。


 その書は10年経つ頃には行商人たちの教科書となり、


 20年経つ頃には今度は為政者たちの教科書となり、


 30年が過ぎ去った時には王や貴族達もその教えを請うようになった。


 そして40年。ついには皇帝の代理として帝国の全てを教え導く立場となった。


 もっとも、生前の祖父に言わせれば、人より少しばかり多くの世界を見てきた結果に過ぎなかったらしいが……。


 フィオナの持つ世界事典はその知識を継承するためのものなのだ。


「グレン師にはずいぶんと世話になった。改めてよろしく。フィオナ・グレン」


「祖父をご存知なのですね?」


「子供の頃、幾度か我が家にお招きしたこともある」


「そうでしたか。わざわざご足労いただきありがとうございます」


(でも……お爺ちゃんのお弟子さんってわけではなさそうね)


 それにしても……と、フィオナは首を傾げる。


 祖父の直弟子は四人しかいないとはいえ、帝国大学などで教えていたこともあるそうだから、教え子は多い。それでも弟子にしては若すぎる気がする。


「村に来て最初に挨拶をしておきたかったが、君はもう出発していたのでね」


「はい。それでわたし達はここで待たせてもらうことにしたんです」


「だとしたらどうやってここに来たのかしら? 道は一本しか無いのだけど」


「それはですね、フィオナ先生」


 フードの方、どうやら少女であるらしい……は、フィオナを先生と呼んだ。

 既知ではないと思っていたが、この声で思いだした。


 フィオナはこの少女を知っている。少なくともフィオナにとって忘れることのできない声だ。


「メディ。俺が説明する」


 そして目の前の男は彼女をメディと呼んだ。これで確定。


 用事があるなら手早く済ませた方が良い。フィオナはそういう手間を惜しむ性格なのだ。


「いいえ。説明しなくてもわかるわ。メディア。久しぶりね」


「え!? わたしのこと覚えていてくれたんですか?」


 驚きのあまり名前を呼ばれた少女は裏返った声でそう応える。


「当たり前よ。紋章官で魔法使いなんて帝国広しといえどあなたくらいだもの」


「あ、そうか。聖印で気づかれたんですね? フィオナ先生もお元気そうで何よりです」


 フィオナより頭一つ低いメディアは尊敬の眼差しを浮かべてフィオナを見つめ、両手を握りしめてブンブンと振り回す。よほどフィオナに逢えたのがうれしいのだろう。


「神官か紋章官でない限り職業を示す聖印を持つことはできないし、神官なら若すぎるわ。それにしてもあなたも元気で安心したわ」


 メディアと呼ばれた少女は、フードをめくり上げた。

 帝都人に多い黒髪を、やや短めにまとめた少女は紋章官の聖印と魔法使いの法印。二つの証を首からぶら下げていた。


 主と揃いの色のブラウスにスカート。それでも旅に向くように生足を晒すことはせず、ももの当たりまである紐で編んだ長靴下をはいている。


 紋章官は神より与えられた貴族の紋章を開放する【誓紋術せいもんじゅつ】の使い手だ。


 皇帝によって貴族の紋章を与えられた帝国貴族は、紋章を通して秩序の神の力を顕現させる。


 温泉代官とはいえ、この地を治める領主であるライアン家は、初代皇帝であるヘルメス一世の側近だったエイドス男爵家の血を引く古くからの一族。


 もちろん、神の奇跡を起こす紋章旗を所有している。


 紋章旗に込められた高位正法を開放することのできるのは紋章官だけ。

 力の開放がなされなければ、貴族といえども容易には神の力を行使できない。


 そのために紋章官は、貴族を補佐し法や戸籍の管理をする。

 また聖印を用い神の力である正法を行使する正法騎士と並ぶ法の番人。


 眼前の少女。メディア・ラプシスは紋章官にして魔法使いという珍しい存在。


 それだけにフィオナは自分より二つ年下のこの少女のことをよく覚えていた。


 二年半前にフィオナは騎士認証を受けたのだが、その時に帝都の魔法学院で薬草学や、家政学を教えていた時の教え子の一人である。熱心な授業態度でフィオナに割り当てられた研究室に入り浸っていた日々は昨日のように思い出せる。


「魔法と言っても力の言葉は三つまでしか使えませんし、正法もまだまだです」


「それでも、十分にすごいわよ」


 一般的に魔法は言葉を重ねるほど強さを増す。

 普通は一つか二つだが、魔術師は三つ以上の言葉を操る。


 魔術に長けた種族であれば6つ以上使えるものもいるようだが、

 そんなものは世界中でも片手で数えるほどしかしない。


「フィオナ先生だって、学者と騎士を両立しておられます」


「そんな良いものではないわ。あの時の講義だって叔父の代理だったもの」


「それにね、メディア。平時の私はただの村娘よ」


「いえいえ。そんなご謙遜しなくても先生の凄さはわたしがわかってます」


 煩わしい話ではあるが、爵位の継承は放棄していたとしても、騎士認証を受けることは多くのメリットを持つ。


 帝国の招集に応じて軍務に従事する義務を負うのだが、通行手形の免除、旅館や商館の優先利用権、乗り合い馬車や渡し船もタダで乗ることができる。


 いくら治安は良いと言っても、やはり女性の一人旅は心細い。


 安心が得られるのなら、それは何よりも大切なものだ。


 しかも困ったことにフィオナは剣も魔法もまるでダメなのだ。

 人より少しだけ多く物を覚えられ、少しだけ早く思い出すことができる。


 後は作物を育てたり、料理を作ることくらいしか取り柄はない。


 そんなフィオナが自由に旅をするために、騎士認証は何としても必要だった。


 そして称号を受けた以上は騎士として働かなければならず、そのために魔法学院で教鞭を取るはめになったのだ。


「私のことはフィオナ。もしくはフィオナさんと呼んでほしいわね」


「わかりました。フィオナ先生!」


 言ったそばからこれである。


「しょうがないわね。おいおい直してくれればいいわ」


 そうだ。すっかりペースを乱されてしまったけど、最初に聞かないといけないことがある。


「それよりも正式な紋章官ってことは、そちらの方が貴方の領主様?」


「はい。そうです! こちらが我が主。コリントス候子、ヘリオス・ジェイソン様です」


「ちょっと待って。コリントス候子って、本物の?」


「はいっ、本物ですっ。ですよね? ヘリオス様」


フィオナが驚くのも無理はない。

ジェイソン。共通語ではイアソンとなるが、この目の前の青年は、皇位継承権を持つ選帝侯家の公子にして、人間族ヘレネスの誇る誓約の勇者。


その力は海を切り裂き山をも砕くという。


「ああ、三ヶ月前に宣誓を行って、今は俺が誓約の勇者だ」


 しかしそうであるならば合点もいく。

祖父はコリントス候家へも出入りしていたから、子供の頃にヘリオスが会っていても不思議ではない。


「でもコリントス候もまだお若いでしょう?」

 

ヘリオスの父、コリントス侯爵にして帝国元帥。フィボス6世はまだ50代半ば。


「父上は魔人族アトラスの血が濃いからな。それに……爵位はまだ継承していない」


魔人族アトラス』それは万物の形質を獲得し、【魔法】など超常の力を持つ人類。


 人間族ヘレネスが使える秩序の女神の力【正法】はそれと対になるような存在で、アトラスの血が濃い人間は、その力を扱うことが苦手なのだ。

 だからこそ魔法と正法を使いこなすメディアは貴重な存在なのだが……。


「つまり、今のコリントス候は、勇者としてはそこまでの力を使えないと?」


「そうだ。父上は勇者の力は満足には使えん。」


 目の前にいるヘリオスの父フィボス6世は魔人アトラスとしての力に目覚めている。それはすなわち、超常の力を持つ人類だということだ。

誓約の勇者の力は正法によるものだから、戦士としては強力であっても、勇者としては不適格ということだろう。


「でもでも、びっくりするくらいお強いんですよ! 前に剣の一振りで演習場の古い城壁が跡形も無く飛び散っちゃいましたし!」


「本当にな。俺もまだ全然勝てないぜ。自分の未熟さを痛感させられる」


「さすがにそれは謙遜だと思うわ。でも、宣誓は済ませたんでしょ?」


「ヘリオス様は、勇者の資格と侯爵の紋章旗だけを譲られている状態なのです」


 メディアの言葉にヘリオスは黙って頷く。


 噂に聞く限りでは自分でいうほどこの青年が弱いとは思えない。

現皇帝ヘラクレス一世との皇帝の座をかけての一騎打ちは帝都でも語り草になっていた。

 彼は二十歳くらいのはずだが、剣の腕は彼の父フィボス6世か、彼の師。ヘレネス史上最強と謳われる剣神レオニダス以外には負けぬだろうといわれている。


 それ以上に恐ろしいのは、彼の持つ紋章旗だ。

 コリントスの紋章旗は、貴族の資質を問う【大審問だいしんもん】の奇跡を持つ。

 大審問を受け、その行いが貴族に相応しく無いと判断されれば、絶対の死を与える制約を受けるのだ。


 それだけに他の貴族に対する圧倒的な優位を維持しているといえる。


「私達の代で必ず大戦は起こるのですものね。継承は早いほうがいいのね?」


「そうだな。壁が消えれば強力な魔人アトラス達がやってくる」


 敵となった彼らは恐怖そのものだ。天変地異のごとき力をふるい、町や村など一人で滅ぼすほどの力を持っている。

 それ故に帝国に忠誠を誓うアトラスの王達は誰よりも頼もしい味方である。

帝国を構成する八つの王国の中で半分の四つの王国が魔人族アトラスを王に頂く国々だ。

 二つの種族の混血によって、今は神話の時代のような力を振るう魔人はほとんど居ない。


 それでも魔人族アトラスこそが帝国にとって、今までの最大の脅威でこれからも変わることはない。


 アトラス達の目的。

 それは世界を破壊することで秩序の神に世界の再創造を行わせること。遙か昔、この大陸には二柱の神がいた、それは秩序の神と変化の神という姉弟神。

 ある時、弟である変化の神はこの世界が完全でないことに怒り、自らの現し身でありその息子であるアトラスに世界の破壊を命じた。

 それまで全ての人類の王として君臨していたアトラスは人類に宣戦を布告。

戦いの果てに娘婿であった初代皇帝ヘルメス一世と、彼の子である吸血鬼族バシレウスのウーティス一世の手によって、討たれることになる。


 人類の王国はヘルメスとそれに従ったアトラスの王によって統治される帝国と、アトラスの遺訓に従い世界を破壊することを使命とする王国に分かたれた。


以来1500年。二つの国の戦いは未だに続いている。


 もっとも普段は女神の最大の奇跡の御業である虹の壁によって二つ種族は分かたれている。


 約500年に一度その壁が崩れる時、互いの存在をかけた戦いが始まるのだ。

前の大戦から500年が過ぎ、いつ虹の壁が崩れ去ってもおかしくはない。

つまり、今の皇帝の代で必ず戦争は起こる。


「わかったわ。それで候子殿下は、何故こちらに?」


「おいおい、殿下とかはやめてくれ。そういうのは苦手だ。ヘリオスで頼む。

それに言葉遣いも普通でいい」


 フィオナの問いかけに後頭部を気恥ずかしそうにかきながらヘリオスはいう。

外見通り気さくな性格なのか、彼からは貴族らしい厳格さは余り感じない。


「それではヘリオスと呼ぶことにします。いいわね?」


「ああ、それで頼む。そうだな用件というのは、一つは保養だな」


「保養……つまり温泉に入りに来たということでいいのよね?」


「は、はい。そうなんですよ。ここのお湯はすごくいいってうかがいました!」


問いかけに瞳を輝かせて、メディアが答える。


「わかったわ。もちろん浴場は使うわよね?」


 村には当然ながら皇族専用の浴場がある。むしろ皇帝の湯治場なのだから当たり前の話だ。ヘリオスも皇位継承権を持っているのだから、その利用権を持つ。


さらにいうならば、その浴場の管理こそが、本来の雪割り谷代官家の役目なのだ。もっとも温泉に入るためだけに、こんな山奥に来たわけでないだろう。


「目的は何かしら? 私にとって余り好ましい事態ではないかもしれないわね」


 保養目的というのは嘘ではないだろう。

だがしかし、それだけで来ることは無い。

 侯爵旗と紋章官。例えるなら常に抜身の剣を周囲に向けているような状態。

保養だけが目的であれば紋章官が不要だし、身の回りの世話をするお付きの者が必要だ。


 メディアも基本的なことはできるだろうが、本職は戦闘と行政の補佐である。役割が違うのだ。必要な人員が居らず、必要でない供がいる。普通は目的もなくそのようなことはしない。


「まずはゆっくり温泉にでも浸かりたかったんだが……君に隠し事はできぬか」


 ヘリオスは大きくため息をつく。


「ヘリオス様。よいのですか?」


「どの道話さねばならぬことだ。フィオナ殿、貴君に頼みたいことがある」


「騎士として。でしょうか? それとも私個人に?」


「できれば個人的に協力して欲しい。召還状は使いたくないからな」


 元帥の位を襲名していなくとも、ヘリオスは成人した大貴族。独自に騎士団を創設する権利を有している。召喚状をしたためることで、騎士を招請することができる。つまり有無を言わせずフィオナを従わせることもできるのだ。


「私ができることなら、協力するわ」


「そう言ってくれると助かる。察しはついていると思うが……」


「はい」


フィオナにはひとつだけ心当たりがあり、むしろそれ以外に無いとも言える。


「現在行方不明である貴君の婚約者にして帝国男爵位継承権者、リアム・ライアン捜索の協力を願いたい」


 やはり…………そうだ。


 リアム・ライアン。彼女の婚約者にして村長の息子。

この地の次の代官となるべき少年は、二年前から行方不明となっていた。


 フィオナが今日祖父達の墓参に訪れたのも、彼を探す旅への出立を報告するためであった。

 しかし不意に現れた勇者主従は、その旅に協力したいという。ただの善意だけとは考えられない。


「……そこまで深刻な事態なのですか?」


「それはわからない。それでも色々と考えて、俺が出向く必要を感じたからここにいる」


「グレンとライアン両家の旗をお借りすべく、わたし達は参上しました」


「まさか私がリアムを探すのを知っていて?」


 紋章旗を使うのであれば、継承者であるフィオナが必要だ。

彼女の左手に宿る紋章は、彼女を紋章旗の――すなわち爵位の継承者と認めているのだから。


「グレン師は我が父の師。亡き君の父上も我が父の友。手を貸すのに理由はいらないだろう?」


「それでも祖父や父との縁だけではないはず。候子が我が家の問題に介入するほどの大事ですか?」


「ただの任官拒否の出奔であれば問題ない。でもリアムはそんな人物ではなかったのだろう?」


「少なくとも私の知る彼は、そんな無責任な人では無かったはずです」


 そうだ。彼女のよく知るリアムは責任感の強い少年だった。


 何かを放り出して逃げ出すような人間ではなかった。

なぜ何も言わずに居なくなったのか? それがわからない。


「だからその理由を知りたい。余り例のないことであるし、発見次第騎士認証を済ませようと思う」


 ヘリオス達の目的はわからない。


 それでも何の手がかりもないのに、帝国最強の一角である騎士が動くというのだ。多少の不安はあっても今は縋るしかないのも事実。


 秀才だ、賢人の娘だともてはやされようと、本当は自分のことすらわからない。だからこそ頼れる人間がいるというのは心強い。決心するようにフィオナは大きくため息をつく。


「どんな事情にしろ、私は彼を探し出したい。それだけです」


「大丈夫ですよ、先生。ヘリオス様が何とかしてくれます。ね?」


 メディアの期待に満ちた眼差しを受けてヘリオスはいう。


「そうだ。俺が何とかする。まあ積もる話は麓に降りてからでもいいだろう」


「ええ、私も墓参は済ませておきたいわ」


 目をそっと閉じて、祈りを捧げる。

この場所から見る景色もしばらくは見納めになるのだ。

リアムを連れ戻すその日まで、決して忘れるものかとフィオナは誓う。


「ありがとう。待たせたわね」


「さて……フィオナ。麓まで歩いて帰るのも疲れるだろう?」


「えっ? どういうこと!?」


「ちょっと動かないでいてくれよ」


「まさか! まさかヘリオス様! またっ……」


 いうやいなや、背後から両手でフィオナとメディアの腰をガッシリと抱きかかえ、そのままヘリオスは飛び降りた。


            眼前の崖を!!!!


            垂直に!!!


「うっ。キャァァァァァァァッ」


 普段は叫び声など上げないフィオナだが、今回ばかりは話が別だ。

何しろこの丘は400ペーキュス(約200メートル)近くある崖。

まともに落ちれば、魔人族アトラスならともかく人間族ヘレネスなど跡形もなく砕け散る。


 人間族の誰もが持つ加護障壁といえど無傷で済むのは60ペーキュス程度。

その七倍近い高さから落ちて生きていられるわけがない。


 普通の女子なら気を失いそうなものだが、フィオナの頭脳はある結論に至る。


 フィオナより後から出て先にこの場所に着いていたこと。

魔人族アトラスの血は弱いと言いつつも、勇者として一人前の力を持つという話。


 それに見た目以上に気遣いができることも確認した。


それでも崖から飛び降りるような真似をするならば考えられる結論は一つ。

(この男は間違いなくこの状況を何とかする手段を保持している)


 つまりこの勇者サマは、状況を楽しんでいるのだ。悪趣味にも程がある!。


「ちょっと、ヘリオスっ」


 抗議すべくヘリオスを見上げると、彼は何食わぬ顔で笑みまで浮かべている始末。反対側に抱えられたメディアは慣れたとでもいうように、感情のない瞳で虚空を見つめていた。


「喋るなよ。舌を噛むぞ」


  彼はそう叫んで崖に思い切り踵を突き立てると、崖を猛然と駆け下り始めた。

そして中程まで来たところで飛び立ち、空中で一回転、二回転。


 天地の区別もつかなくなり景色が暗転する。


猛烈な勢いで地面が近づく中、ヘリオスは叫んだ。


「鎧よ。来たれ!」


 言葉と同時に白銀色に輝く鎧が姿を表し、ヘリオスの全身を覆う。

そしてパチリと指を鳴らすと、キラキラと光る羽毛のようなものが舞い上がる。


 宙を舞う木の葉のように、落下する三人の身体は徐々に速度を落とし、

ヘリオスは何事もなかったかのように、二人を抱えて地面に降り立っていた。


「到着だ。やっぱりこのやり方が早かっただろ?」


「早かっただろう? じゃないわ!」


 フィオナは怒気をはらんだ声で抗議する。


彼は魔法の鎧と卓越した体術の技量で無傷で降りられる自信があった。 


 しかも天地無用の体術は噂に聞く人馬族ケンタウロスの技だろう。


だから一見自殺行為でしかない真似をやってみせた。


「こういうことだろうとは思ったけど、メディアなんかショックで死んじゃうわよ!」


「大丈夫だ。最初の何回かは気絶していたが、今は慣れたらしい」


「うぅ……慣れたと言ってもやっぱり恐いものは恐いですよぅ」


両目に涙を浮かべながら、メディアは悲しそうにそういった。


「だがな、戦士としての力量を示すには十分だっただろ? 論より証拠だ」


何故に――と訪ねようとしたフィオナは、その言葉を飲み込んだ。


 おそらく鎧を出したのは、物の状態を操る技に長けた傀儡族ピグマリオン華学術かがくじゅつで、宝石の中に閉じ込めたのだろう。

 ただし華学術は非常に便利で有益だがお金がかかる。それこそ大人一人分くらいの荷物を指輪一個の中にしまうのに金貨30枚は下らない値段になってしまう。


 金貨30枚は帝都なら二月分の生活費に相当する。


 さらに防御魔法もヘリオスは発動して見せた。


 それに加えて断崖絶壁を駆け下りるケンタウロスの体術。


 極めつけは腰に帯びている剣で、タイタンの仕上げた極上の品である。

まさに帝国の全ての強さを兼ね備えていることをフィオナに見せる。


 それ自体が勇者。ヘリオス・ジェイソンの目的だとしたら?

そう考えれば村で待たずにここまで来た理由も納得がいく。


「ほら、怒った顔がグレン師にそっくりだ」


「聞き捨てならないわね。大体……」


「うん。悲しんでいるよりはよっぽど、今の顔がいい」


 彼の意図を悟り、フィオナの動きが止まる。

この破天荒な振る舞いも、全てはフィオナのためとは。


ここで怒り続けるのは、どうにも相手の策に乗ったようで気に入らない。


「いいわ。詳しい話は家に帰ってから聞かせてもらいます」


 掴みかからんばかりに振り上げた腕を下ろし、深呼吸。

本当にどうしようもない男だが、彼なりに気を使ったのだろう。


 でも、いくら緊張を解すためとはいえ、あんな高さの崖から飛び降りるか?


 この男、ヘリオスはどうにも油断ならない。

 怒りを収めるべく話題を変えることにする。


「ところで今のはニケーの防御壁? 衝撃を緩和するって聞いたけど?」


「そんなこともわかるのか?」


「ええ……魔法でも祈念でも見たものは記しておけるわ。これは貴方の今のやったことと同じで実際に見せたほうが早いわね」


 日頃農作業や薬品を作る割には白くて細いフィオナの指が辞典に触れる。


『この書に記されし名付けられしものと、この書に未だ記されざる名付けられるべきものよ。フィオナ・グレンの名に置いて命ずる。その意義を示せ!』


 その言葉に世界辞典『マグナ・コスモス』のページが独りでにパラパラとめくれ始める。

 そして今しがたヘリオスが使ってみせたニケーの障壁術が記されたページを示していた。


【ニケーの障壁術は空気の流れを操り空を駆ける翼人ニケー達が生み出した空気そのものを鎧とする魔法である。元々は空に舞い上がるための上昇気流を生み出すことや、不測の落下に対する備えとして用いられた魔術。翼人ニケー達は防御の他に拳の先でこの魔法を発生させて武器として用いることもある】


 これこそがこの事典の真の力、帝国にそして世界に存在するあらゆる事象と知識を書き留めるために、祖父の友人であった先々代の皇帝オデッセウス二世。

 つまり現在のアッティカ大公ウーティス4世でもある吸血鬼族バシレウスが生み出したものだ。


 この事典一つに帝国図書館全てを詰め込むことも理論上は可能だろう。 

それはこの世に二冊しか存在しない持ち運べる大図書館だ。


「それが世界辞典マグナ・コスモスか。噂に違わぬ品だな」


「魔法や知識だけじゃないわ。私は料理のレシピなんかも記してるわ」


「うわぁ……そんな使い方もできるんですね」


「文字通り何でも記しておけるのよ。なんでもね」


 いたずらっぽく微笑むフィオナの言葉に半ば呆れたようにメディアが応える。たしかに何でも書けるとはいえ、そういうメモ書きのような使い方をするのは予想外だったようだ。


「そういえばフィオナ。さっきの話なんだが、大体なんだったんだ?」


 さっきまでの怒りをサラッと流そうとしたのに、ヘリオスはまだ話題を覚えていたようだ。まあこのまま押し流してしまおう。


「怒る気も失せたわ。それよりあなた達も長旅で疲れたでしょ?」


「はいっ。少しお休みしたいです」


「荷物があるなら貸して。私が持つわ」


「大丈夫です。荷物は先に置かせていただきました」


「だから、大体なんなんだよっ!」


 それでもヘリオスは納得がいかなかったようだ。


「も~~~。ヘリオス様は大雑把に見えてそういう細かいことを気にするのは良くないですよ」


「そうはいうがな、メディ。私は候子として自らへの意見には耳を……」


「ヘリオス様。また私と仰ってます」


「ふーん、意外と細かいことを気にするね。ヘリオス」


「ははは、俺はそんなことは気にしないぞ。豪快だからな。なっ、メディ?」


「はい。はい。それよりも今は早く帰って休みましょう。2日も山道を歩いたからクタクタです」


「う、うむ。わかったメディがそういうならそうしようか。お願いしようか」


 メディアに押し切られるように不承不承とでもいうようにヘリオスは返事をする。そんな二人を先導するようにフィオナは歩き始めた。

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