第3話 晴れの本雨の本
ここ数日、おかしな天候が続いていた。朝は良く晴れていたのに、昼過ぎから大雨が降ってみたり、前日は暑さに汗ばむ程だったのに、翌日には震える程の寒さだったりだ。
おかげで店主の機嫌はかなり悪い。今日はせっかく綺麗に晴れ上がっているというのに、眉間の皺が雨の日と同じ数だけ刻まれている。
その様子を店の外から察したパン屋の親父は、一歩も店に入ることなく退散していた。今日来る客に心の底から同情しながら。もっともこの店にそうそう客が来るとも思っていなかったが。
そんな不機嫌の嵐が吹き荒れる店内に、扉を開けて入って来た強者がいた。呼び鈴が鳴らす音も、今の店内には明るく響くことはなかった。
「こんにちわー! 久しぶりー! おばあちゃん」
客の口から場にそぐわない明るい声が飛び出た途端、店主の眉間の皺はきっかり三本増えた。それにもひるまず、客はずんずんと店内の奥に入ってくる。
フードを目深に被ったその人物は、ぱっと見男女の区別が付けられない格好だ。外套にすっぽり覆われていて、背丈くらいしか判別する材料が見当たらない。
だが先程の声と口調から、若い女だと誰もが思うだろう。当然店主は客の素性を知っている。知っていてこういう態度に出るのだから、この相手は馬鹿なのか、もしくは余程の大物なのか。店主的には前者だと思っている。
「とっとと帰りな」
だからか、普段とは違う対応を口にした。店主に素っ気なく返されても、客の方は気にした様子はないし、出ていく素振りもなかった。それどころか店内をぐるりと見回しながら、親しげに店主に話しかける。
「ねえねえ、おばあちゃん。私、探してる本があるんだけど」
「聞こえなかったのかい? 帰れと言ったんだよ」
「最近気温が上がったり下がったり忙しくてさあ。おまけに天気もころころ変わるし」
店主の不機嫌などなんのその、客は自分の言いたい事だけを言うつもりのようだ。その態度に店主の眉間にはさらに皺が刻まれていた。
それからも客はフードすら取らずにあれこれととりとめのない事を離している。もはや店主が聞いてようが聞いてなかろうが構わないらしい。
「って、おばあちゃん、聞いてる?」
「聞いてると思うのかい?」
「ううん。だから確認したの」
あっけらかんと言う客の態度に、さすがの店主も深い溜息を吐いた。
客と店主は、付き合いが長い。何せ客が生まれた時から知っているのだ。つい昨日おぎゃあと生まれたと思ったら、もうこんなに生意気な口を利くようになる。
「ずっと赤ん坊のまんまなら、まだ可愛げがあるっていうのに」
同じやかましいでも、赤ん坊が乳を欲しがって泣く様の方がまだ我慢出来る。店主はそう思っているようだ。
「失礼な。こんなに立派に育ったじゃない」
「なりだけはね」
店主にそう返されて、客はフードの下で口をとがらせた。相変わらず子供っぽい真似を好んでする客に、こんなんで仕事の方は大丈夫なのだろうか、と柄にもなくいらない心配までしてしまいそうだ。店主は軽く頭を振って目の前に立つ客に問いただした。
「で? あんたがここに来るって事は、目星は付いているんだろう?」
店主のその一言に、フードの下の客の顔がにやりと笑んだ。この店に買いに来る客には二通りいる。探している本を店主に代わりに見付けてもらおうとする客と、目当ての本がここにあると知って来る客とだ。この客は後者という事になる。
「もちろん。だから私はここに来たのよ」
客の口調が変わった。こちらの方が本来のものだ。先程までのは表向きに使っている方なのだが、「彼女」の周囲は皆そちらしか知らないらしい。
「知ってるでしょ? ここ最近の天候の不安定さ」
「誰か馬鹿な事をしでかしたらしいね」
店主がそう応じると、フードの下から重い溜息が漏れ出た。
ここ数日のおかしな天候は、決して自然発生したものではない。それを知っているのはおそらく一握りの連中だけだろう、と店主は睨んでいる。いつでも民衆は本当の事を知らされる事はないのだ。
「実は南の方で禁忌の実験をやらかした連中がいるの」
その一言に、店主の顔が曇る。禁忌の実験とは、魔導実験の事だ。それも禁忌というだけあって、本来ならばやってはいけない類のものである。
「詳しい事は省くけど、連中が行った術式が暴走して、この天候を作り上げているようなの。私の仕事は、その歪みを正すこと」
彼女の立場を考えれば、それは当然だろうと納得出来た。それにしても、一体何の実験をやったのやら。
天候にまで影響を及ぼすとなると、相当大規模な術式という事になる。それも禁忌となれば、利用先は戦争が一番多い。大方術式を完成させてから、他国にでも売り込むつもりだったのだろう。
「で、その馬鹿共は捕まえたのかい?」
その店主の一言に、客は再び口元をにやりと歪ませた。それだけで彼らの末路がどうだったかは知れたようなものだ。目先の事に目が眩んだ当然の結果だ。
魔導を扱う者であれば、必ず知っている鉄の規律がある。禁忌は犯さない。規律に背けば、待っているのは破滅だ。
「欲しいのはどっちだい」
「両方」
店主の問いに、客は即答をした。店主の方はといえば、やれやれという表情を隠そうともしない。
「値段はあんたの三年分の年収だ」
「高!」
「いっとくがびた一文まからないよ」
「わかってる」
フードの下で苦笑する様子が伝わってきた。交渉は成立だ。
店主はカウンターの椅子から立ち上がると、店の中の棚の一角から二冊の本を取り出した。黄色い表紙の本と、灰色の表紙の本だ。
「わかっているとは思うが、取り扱いには十分気をつけるんだよ」
相手の力量を知っているからこそ、それ以上の注意は言わない。
「ええ、もちろん。感謝します」
最後だけ殊勝な言い方をした客に、店主は軽い溜息を漏らした。誰に似たのか、腕はいいが性格の方は立派にねじくれている。
客は受け取った二冊の本を抱えて店を出る間際、振り返って店主を見た。
「それではまた、ごきげんようお祖母様」
今日は朝から快晴だった。そろそろ日差しが強くなる季節でもある。ついこの間までの不安定な天候が嘘のような天気だ。
「知ってるかい? ばあさん。少し前までの天候不順、あれを治めるのに宮廷魔導師達が動いたんだってよ。大したもんだよなあ」
朝も早くからパン屋の親父は元気だ。今日の分の仕事は終わったと言わんばかりに朝っぱらから古書店に入り浸っている。天候不順の間は店主の機嫌が悪すぎて近寄れなかったのだ。数日ぶりに来る古書店は相変わらずの様子で、それが親父には不思議と嬉しかった。
「別に宮廷魔導師達が動いたところでおかしな話じゃないだろうが。あいつらは国の為に働くようにいるんだからね」
天候が不順になれば農作物に影響が出る。それは国にとっては死活問題に繋がるのだ。国王とて命令の一つも出すだろう。
「そりゃそうだろうけどよ。それにしてもあれだね、魔導ってのはすげえ代物なんだなあ。天気までいじくっちまうなんてな」
親父は感心しきりという様子で頷いている。それを醒めた目で見ながら、店主はそれ以上口を開こうとはしなかった。
あの時「客」が持っていったのは、晴れの本と雨の本である。その名の通り、晴れの本は晴れを、雨の本は雨を呼ぶと言われている。
普通にそれだけならば、この店で扱うような本にはならない。問題なのは、この二冊は際限がない、という所だ。
こんな話が残っている。雨が降り続き、水害が発生した街で晴れ請いの為に晴れの本が使われた。
雨は瞬く間に止み、雲の切れ間から実に数十日ぶりの日差しが覗いた。誰もが手を取り合って喜んだ。これで救われた、と。それがとんでもない間違いだったと彼らが気付くのに、少しの時間が必要だった。
晴れの本は確かに晴れを呼ぶ。だが、呼んだ晴れはいつまでも居座るのだ。水害に悩まされた街は、今度は水不足に泣く羽目になった。晴れの本を使って以降、雨が一滴も降らなくなったのだ。
暑い季節に、飲み水にも事欠く日々を過ごす事になった。これをどうやって治めたかと言えば、単純な話である。晴れ請いに晴れの本を使ったのなら、雨乞いに雨の本を使ったのだ。
あっという間に空は雲で覆われ、ぽつりぽつりと雨が降り出した。街の人々は歓喜した。だがそれと同時に誰もが不安を覚えた。また水害が起こるのではないのか。晴れの本を使って雨を止ませれば日照りが、雨の本を使って雨を降らせれば水害が起こる。どうすればいいというのか。
悩み苦しむ人々に、ある一人の人物が提案した。二冊の本を同時に使ってみてはどうだろう? どちらか一冊では極端な結果が出るのだから、一度に二冊使えばお互いの力を相殺するのではないだろうか。
その提案を受け入れ、二冊同時に使った所天候が落ち着いた。だがその直後に二冊の本が同時に消滅してしまったのだ。
前回店主が客に渡した二冊の本は、確かに晴れの本と雨の本である。あの二冊は同時に使用すると崩れた天候を元に戻す作用があるが、同時に使用直後に行方をくらますという性質を持っている。
天候が戻ったという事は、二冊同時に使用したという事だろう。さすがに天候に作用するような大がかりな術式は禁忌に触れるため、宮廷魔導師といえども手を出す訳にはいかない。
だが魔導書となれば話は別だ。不思議な話だが、術式として使用すると禁忌に触れるものでも、魔導書の形態を取っているものは禁忌に触れない。だからこそ客は本を買い求めに来たのだ。
あの代価も、本人が払ったのではなく大方国庫から出ているのだろう。そうなれば民衆の税金だ。その点だけは腑に落ちないものを感じるが、おかしな天気を元に戻せるのであれば、少々の事には目をつぶる。店主にとって、税金の使い道より雨が降らない事の方が重要だった。
「いやあ、宮廷魔導師様様だね」
「あんたはどんな天気だろうが構わないだろうが」
店主のように雨になると機嫌が悪くなるという訳でもないし、仕事に影響が出るという事もない。雨が降ったからといって主食のパンを買いに来ない客もいないだろう。
「そんなこたあないさ。その日の湿気具合で仕込みが違うんだよ」
「ああ、そうかい」
いかに日々の天気が自分の仕事に響くかを力説しようとした親父は、店主に軽く扱われて出鼻を挫かれた。
でかい図体でいじける親父に、店主は珍しい事を聞いてきた。
「他に有益な噂はないのかい?」
店主はおよそ噂話というものは好かない。それを知っていながら毎回あれこれと噂話を持ち込む親父もどうかとは思うが、その親父が店主の顔を目を丸くして見ている。一瞬自分が聞き間違えたかと思ったのだ。
「いや……ああ、宮廷魔導師長が今回の功績で年俸が上がったって話だ」
果たしてこれが店主にとって有益かどうかは謎だが、居間親父が持っている噂話でましなのはこれくらいだったのだ。
てっきり冷たくあしらわれると思った親父は身構えていたが、覚悟したような嫌味が飛んでこない。どうしたのかと思って店主を見ると、何やら考え込んでいるようだ。
「ばあさん? どうしたんだよ?」
「いや、確かに有益だったよ。珍しくもね」
最後に一言付け足すのは、さすが店主である。だが魔導師長の年俸が上がった事が、有益に繋がる意味がわからない。
聞いてみたい気もしたが、これ以上食いついても追い払われるだけだと判断した親父はおとなしく退散する事にした。
親父が店からいなくなると、途端に店が広く感じるから不思議だ。店主は少し早いが店じまいをして帰ろうとしていた。
本の代金は当然上がった年俸で計算して請求書を送りつけてやろうと目論見ながら、店の扉を閉めた。
宮廷魔導師の長、魔導師長はこの古書店の常連客の一人である。そして店主の直系の血筋にいる娘でもあった。
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