君は私、君は僕

宗谷 圭

第1話

 クラクションが鳴り響く。タイヤと地面がこすり合う音がこだまし、ゴムの焼ける臭いが鼻を衝く。

「危ねぇっ!」

 少年の声と、衝突音と。人々の耳により強く届いたのはどちらだったか。

 ……どちらでも、構わない。構っている暇は無い。

 白昼の街中に、悲鳴と、野次馬のざわめきが満ちた。



# # #



 一人の青年が、街中を歩いていた。鼻歌などを歌いながら、足取り軽く歩いている。ご機嫌な様子だ。

 コスプレだろうか。人の好さそうな顔をしたその青年は、黒のスラックスに白のワイシャツ、黒のネクタイを締めた上に紺色のジャージを着こむという、中学校の数学教師のような服装の上に、黒のマントを羽織っている。動きやすい格好である必要があり、比較的真面目な務め人をしている死神か何か、という印象だ。

 頭のねじが何本か緩んでいる人、で片付けられれば楽なのだが、そうもいかない。

 まず、道行く人は誰も彼の事を見ていない。見ないようにしているのではない。見ていない。現代の日本の街中でマントを着て歩いている人間を、気にも留めていない。

 そして、彼の周りには、光の球――俗に言う人魂らしき物が二つほど浮かんでいる。どう見ても、尋常ではない。

 青年は、思い浮かんだフレーズを手当たり次第適当に繋げた鼻歌を歌いながら、街の一角に佇むビルへと入っていった。

 青年がポーチに足を踏み入れると、一瞬、建物全体が陽炎のように揺らいだ。それに気付いているのかいないのか、青年は全く気にする様子も無く奥へと進む。そして、「管理班」と書かれたプレートの取り付けられた扉を開き、中へと入った。

「お疲れーっス! 回収班シーシン、戻りましたーっ!」

 明るく大きなその声に、室内にいた人物がパソコン画面から目を離し、振り向いた。どうやら事務員らしい。身長も顔も服装も中性的で男か女かわかりにくいその人物は、やはり男か女か一瞬判断に迷う声で「お疲れ様です」と返すと、視線を再びパソコン画面へと戻し、何事かを確認した。

「シーシンは、エリアGでしたね。エリアGの今日の回収予定は……若い男女が一人ずつ、ですか」

 確認するように言う事務員に、青年――シーシンは頷いた。

「そうっス。早速確認をお願いしまっス! ……ほら、二人とも前に出て、この人に顔を見せるっス!」

 言うや、シーシンはそれまで彼の周りに浮かんでいた二つの人魂を掬うようにして前へと押し出した。すると、人魂は次第に人の形を帯びていき、終いには二人の少年少女が現れる。黒い短髪の、明るい色のパンツを穿いた活発そうな少年と。緩やかなウェーブのかかった栗色のセミロングヘアーに、白いワンピースを着た大人しそうな少女だ。

 二人は、初めのうちこそぼうっとしていたが、やがてハッと我を取り戻し、不安そうに辺りを見渡した。

「あの……えっと、その……」

 少女が、助けを求めるようにシーシン達を見遣る。

「おい、ここどこだよ!? 何で俺、こんなところに……」

 少年が、血相を変えて噛みつくように叫んだ。その姿に、事務員は何やら変な物を口にしたような顔をする。

「……んー……?」

「どうしたんスか?」

 不思議そうな顔をするシーシンに、事務員は「いや……」と自信の無さそうな顔で首を傾げた。

「何か、思っていたよりも若いような……」

 まじまじと二人の少年少女を見詰めて。そして、問う。

「……あの、失礼ですが。あなた方は田中大輔さん二十七歳と、水谷礼子さん二十六歳……で、間違いはないですか?」

 すると、二人は同時に「は?」と顔をしかめた。

「何言ってんだ? 俺の名前は松下裕也。田中じゃねぇよ。歳も、十七だし」

「あの、私は……内藤瑞希、です。その……私も、十七歳なんですが……」

「え?」

 裕也と瑞希の言葉に、今までニコニコとしていたシーシンの顔が凍り付く。視線を動かせば、事務員が冷たい目でシーシンの事を見ていた。

「……」

「……」

「…………」

「…………」

 沈黙は、それほど長くは続かなかった。

「ちょっと、何やってんですか、シーシン!? 完全に人違いじゃないですか!!」

「うわぁぁぁぁぁっ!! やっちまったっス! ど、どどどど……どうするっスか、ノゥト!?」

 叫ぶ事務員……もとい、ノゥト。頭を抱えて絶叫するシーシン。室内は、軽いパニック状態に陥った。

「どうするも何も、この子達を元の体に戻して、本来連れてくるはずだった二人を再度迎えに行くしかないですよ!」

 半ばヒステリックに、ノゥトは叫んだ。

「シーシン! すぐにこの子達を帰してきてください! ……くれぐれも、他の人には知られないように! 違う人間の魂を回収してきたなんてバレたら、赤っ恥どころの騒ぎじゃ済みませんよ!」

「りょ……了解っス!」

 テンパりながら叫び合う大人二人に、裕也と瑞希はついていけていない。ただ、呆然と。パニクっている二人を見詰めている事しかできずにいる。

「あ、あの……?」

 瑞希が、恐る恐る声をかける。だが、それ以上言葉を続ける事は叶わず、ノゥトに遮られた。

「良いですか、お二方。これは夢です。夢なんです。目が覚めたら忘れてください、良いですね!?」

 両肩を掴んで凄むノゥトに、瑞希は思わずコクコクと激しく頷いた。その態度にノゥトは「よし」と早口で呟くと、裕也と瑞希の二人に回れ右をさせ、背を押しながら出入り口へと向かう。その目はシーシンを睨み、「お前も早く行け!」と無言のうちに言っている。

「ほら、急いで! ……それでは、お二人ともお元気で! 再び死んだら、またお目にかかりましょう! それではーっ!!」

 二人に質問の間も与えず、ノゥトは早口でまくし立てる。

「え!? おっ……おい!?」

 裕也が非難がましく声をあげたが、もはや聞く者は無く。

 次の瞬間、室内が陽炎のように揺らぎ。そして、少年少女の意識は暗転した。



# # #



「ん……ここは……?」

 薄らと目を開け、裕也はぼんやりと呟いた。覚醒したての頭はぼんやりするが、自分が横たわっている場所が自室ではない、という事はわかる。

「……き!」

「気が付いたわ! 良かった……」

 全体的に白くて味気無い光景に、突如、二つの顔が飛び込んできた。男と、女。両親と同じぐらいの年頃だろうか?

「え? ちょっと……」

 己の顔を無遠慮に覗き込んでくる二人に困惑しながら、裕也は上半身を起こす。そこで裕也はやっと、自分が病院の一室にいるらしいという事を理解した。

 知らない二人は、気遣わしげに、心配そうに、裕也の様子を見詰めている。

「大丈夫か? もう、どこも痛くないか?」

「気分はどう? 異常は無いみたいだから、もし大丈夫なようなら帰っても良いってお医者様が仰っていたんだけど……」

「なぁ……」

 心配そうにしながらも、ベタベタと頭や肩に触れてくる二人に顔をしかめ、裕也は二人に憮然としながら声をかけた。

「アンタ達、誰だ?」

「……え?」

 二人の顔が、凍り付いた。

「な……何を言っているんだ? 父さんと母さんじゃないか。変な冗談は……」

「だって、本当に知らねぇ顔だし……」

 父と名乗った男に、裕也は困惑して言った。すると、母と言われた女は悲鳴をあげるように何事かを叫んだ。人の名前、だったようにも思える。

「どうなっているんだ? それに、何でこんな、男の子のような言葉を……?」

「男の子のようなって……当たり前だろ。俺は男なんだから」

 裕也の言葉に、両親と名乗る二人は更に困惑した顔をし、そしてその顔を見合わせた。

「何を言っているの!? あなたは正真正銘、女の子でしょ!? 顔だって……ほら、鏡を見て!」

 女が、バッグからコンパクトミラーを取り出し、突き出してくる。

「はぁ? 何言って…………」

 渋々鏡を覗き込み。そこで裕也は「……え?」と呟き、凍り付く。

 鏡には、裕也と同じ年頃の、少女の顔が映っていた。

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