女子高生症候群(シンドローム)

楠 薫

第1話

「う、う~ん、頭、痛あ~」

 5月の日曜日の朝、新宿のホテルでのこと。

 少女がカーテンの隙間から洩れる朝日を浴びて、まさに目覚めようと、伸びをした。

 ゴチッ。

 伸びをした手に何やら当たった感触がして、少女はゆっくり首を回した。

「イテッ、う~ん、痛えなぁ~」

 声に驚き、ガバッと上半身を起こして、ゴクリと生唾を飲み込む。そしてゆっくりと顔を声のした方へと向ける。

「お・と・こ……」

 ハッとなって、自分の胸に手をやる。

「な、何も、着て、無い……」

 スーッと少女の顔から血の気が引いていった。震えるその手を両脚の奥へと滑らせる。

 ショーツも身につけていないことがわかった瞬間、胸の鼓動が激しくなる。しかし引き上げた指先には、何も付いていなかった。

 少し落ち着いて廻りを見回す。

「こ、ここはどこなの? それに、そこにいるのは誰? と、とにかく早くここから出ないと……」

 薄手の羽毛掛け布団で前を隠しながら、そお~っとベッドを出る。

「う~ん、寒いなぁ」

 男の声がして、にゅうっと伸びた手がその布団の端を掴む。

「あっ」

 少女は小さく声をあげ、後ろを振り向く。

「はぁ?」

 二人の間には、カーテンの隙間から差し込む朝日がひと筋。時計は午前8時を指していた。

「き、きゃ~~~っ」

 ビックリした拍子に少女は布団から手を離してしまい、バサッ、と肌むき出しの男の体に覆い被さった。

「い、いやっ、いやっ、見ないで、見ないでよ。何かの間違いよ。もし見たら、人を呼ぶわよっ」

 自分の手で前を隠しながら、少女は後ずさりする。

「あのなぁ~……」と言いながら、男は布団を払い除けた。

「いやぁ~っ」

 首でもイヤイヤをしながら、少女は近くにある物を手当り次第に投げつける。

 グエッ、アチッ、フゲッ……。

 物が命中するたびに、男は声を上げた。

 最後に拳大の重量のあるオブジェを投げつけたら、「ゴフッ」と声を上げて、男は静かになった。

そおっと顔を覆った指の間から、少女はその男の顔を覗き込む。

「ちょ、ちょっとォ……」

 少女は絶句した。そしてベッドへ駆け寄ると、男の肩を持ってガクガク揺らした。

「お兄ぃちゃん、いったいどうして……。あ、しっかりして、お兄ちゃん!」

「へっ、亜美?」

 ゆっくりと兄は目を開いた。

「大丈夫、お兄ちゃん?」

 兄の目に飛び込んで来たのは、まぎれもない妹の、一糸まとわぬ曲線美。

「うっ」

 つーんと鼻の奥に感じ、あわてて鼻を手で押さえて顔を上へ向ける。

「とにかく、早く服を……」

「あっ」

 兄の言葉に、自分が素っ裸だったことを思い出し、「きゃっ」 と小さく悲鳴をあげて、再び両手で顔を覆う。

「は・や・く・服……」

その声に、亜美はハッと我に返った。

「そうだわ、服、着なきゃ」

 と言うと、ベッドに横座りに腰かけていた亜美は、兄の目の前でスックと立ち上がった。

 次の瞬間、大きく目を見開いた兄の手の隙間から、ツーッ、とひと筋の赤いものが流れ落ちてくる。

「きゃぁっ、どうしたの」

 抱きつくようにして、再び力いっぱい兄の肩を揺する妹であった。

 同じ頃、エレベーターで上がって来る、ちょっと高めのヒールで腰つきもなまめかしい、女子大生らしき姿があった。

 左手の甲と腕で、その長い髪を書き上げながら呟く。

「5階だったわよね。浩ったら、約束しといてすっぽかすなんて……」

 それは一時間ほど前のことだった。

浩の友人、結城から理緒へ一本の電話があった。

「あ、理緒か? あいつ、相当酔っぱらっていたからそのまま歌舞伎町の旭ホテルで寝てると思うんだ。携帯に何度もかけたんだが、繋がんなくて……。今朝行って引っ張って来るつもりだったが、あいにくこっちも二日酔いで動けないんで、代わりに引き取りに行ってやってくれ。悪ぃな。部屋は5階の503号室だ」

 日曜日の朝8時に、なんで私が約束すっぽかした男を迎えに行かなければならないのよ。

 と、少しふてくされた理緒だったが、ホテルと聞いて、ちょっと心が躍った。

 実は浩とは、最近、少々ご無沙汰だったのだ。延長料金自分で払ってでも、ちょっと遊んでいきたいな、という気持ちが足取りを軽くしていた。

 口元から思わず笑みがこぼれる理緒は、開いたエレベーターから出て、絨毯の上をズンズン進んで行く。

「えっと、503号室っと」

 ドアの前に立ち、視線を足下に落とす。スリッパがドアに挟まって、半開きになっている。

「もう本当に不用心なんだから。入るわよ」

 重たいドアを体で押すようにして開け、理緒は中に入ってベッドの上に視線を移した。

 全裸で浩にまたがるように肩に手をかけている少女が、ゆっくりとこちらを振り向く。浩は、魂を抜かれたようなだらしない表情のまま、薄目を開いた。

 しばし、沈黙が流れた。

 先に口を開いたのは理緒であった。

「そんな、あなたって人は……。遅くなるって言ったのは、こういうわけだったのね」

さすがに目が覚めたらしい浩は、大きく目を見開き、懸命にかぶりを振る。

「ち、違う、コレは……」

 顔は真剣でも、状況と、浩の肉体の一部は、完全にその言葉を裏切っていた。

 理緒はそれを確かめると、再び浩の瞳を見て、キッパリと言い放った。

「言い訳なんか、聞きたくないわ」

「だ、だから、その……」

「見損なったわよ」

 チラッと理緒がベッドの脇を見やると、血の付いたティッシュが散乱していた。そして乱れ果てた室内が、生々しく状況を物語っているように思えた。

「それに、それに、こんな何も識らないコを無理矢理……」

ピーンと張りつめた空気があたりを支配している。

「……ケダモノだわ」

 長い髪を振り乱し、理緒は一気にドアの所に走り寄ると、涙であふれた瞳をゆっくりと男へ向ける。

「さよならっ」

 バターン、と大音響を残して、全裸で追いすがる男の目の前で、鉄の扉は閉まった。

「待っ……」

 言いかけてノブに手をかけたまま、浩は呆然と立ちすくむ。亜美は視線を入口のドアに向けてポッカーンと口を開いたまま、何も身に着けずにベッドの傍にたたずむ。

 午前8時5分の出来事であった。

        *

 そして、九時すぎ。

 新宿の街に、傍から見れば恋人同士に見える、暗~い兄妹の姿があった。

「いったいあたしたち、どうして同じホテルの部屋に泊まってたのかしら」

「さあ……。昨日、新宿で結城と飲み歩いて……」

「そうだ、先輩んとこに電話したらわかるかも」

 少し気を取り直して、亜美は携帯を取り出す。

 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル……。

 空しく、音だけが繰り返される。

「いないみたい」

「じゃ、俺の方、かけてみるか」

 携帯を探すが、どこかに落としたらしい。しかしアナログ人間の常で、手帳にしっかり住所と電話番号を記録していた。

 差し出した妹の携帯のバッテリー残量を気にしたか、兄は電話ボックスに入る。  外で一人で待つのがちょっと気が引けて、妹も狭いボックスの中に入る。

 でも、気をつけた方が良い。

 電話ボックスは目立つし、周囲から丸見えなのだ。晒し者と言っても良い。

 浩は受話器を右肩と耳の間にはさみ、手帳を見ながらプッシュボタンを押す。

 トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルル、カチャッ。

 ややあって、受話器からちょっとけだるい女性の声がした。

「はい、三上で……あ、違った……」

「あ、間違えまして、どうも……」

 あわてて浩は手帳を見るが、友人結城の番号に間違いはない。首を傾げていると、受話器の向こうから、今度は少し焦り気味の女性の声がした。

「いえ、違うんです、違う……、えっと、あの……」

 電話の向こうで二言三言やりとりがあって、再び女の声がした。

「そう、結城なんです、ゆ・う・き。あ、替わりますぅ」

 ガシャガシャと何か物に当たった音がして、今度は寝起きを叩き起こされて機嫌が悪いような、男の声が受話器から聞こえてきた。

「はい、結城」

「俺だ」

「なんだ、中村かぁ」

 受話器の向こうで、ふぅ、とため息が聴こえる。

「なんだはないだろう、なんだは……。その、み・か・み、て女は何者なんだ?」

「いや、昨日、ちょっと知り合ってな」

「みかみ」という兄の言葉に妹は、「えっ?」と、小さく声を上げる。

「三上?」

 不思議そうに亜美は首をかしげる。

「ホウ、女の声。昨日の子か?」

「そのことで、おまえに訊きたいことがあるんだが……」

 そう言うと、浩の顔つきが少し険しくなった。

「ねェ、私の先輩の家に電話かけちやったの?」

 兄の服を引っ張りながら、妹は受話器に耳を寄せる。

「いや、友達の所のはず、なんだが……」

 受話器の口元を手で押さえて妹の方を振り返る。再び受話器の口元をしっかり近づけ、話を続けた。

「すまん、すまん。とにかく、だ。昨日あれからどうなったのか説明してもらおうか。え、何で俺の妹が一緒の布団で寝てたんだ」

「妹? へ~ぇ、おまえ、そいつぁ、ヤバイんじゃないのか? そーゆー趣味があったとはなあ。でもあのコ、すっげー良い体、してたよなぁ。本当に妹か? もし要らなくなったらいつでも譲ってくれ」

「あのなあ……。それにだ、どうして理緒がホテルに来た?」

「ああ、それなら俺が頼んどいたんだぜ。有難く思えよ。おまえ、あのままじゃ帰れんだろうと思ってな」

「余計なお世話だ! おかげでひどい目に遭ったわ」

「余計なお世話だと? 俺はろくに金持ってなかったおまえのためを思ってだな、二日酔いできついのに朝早く起きて、北見んとこに電話入れといてやったんだぞ」

「昨日知り合ったばっかりの女をアパートに連れ込んで二日酔いとは、なかなか結構なご身分だな」

「ねえ、昨日知り合った女って、ひょっとして三上先輩のこと?」

 再び横から服を引っ張りながら、兄に問いただす。

「さあ……」

「ね、ね、替わって、替わって」

 無理矢理受話器を奪うようにして、亜美が声を張り上げた。

「あのう、その、三上さんって、学院大でオーケストラやってる方ですかぁ?」

 電話の向こうで二言三言やりとりがあって、また、男の声がした。

「だ、そうだ」

 ぱあーっ、と亜美の顔が明るくなった。

「あの、三上さんって方に替わっていただきたいんですけど」

 ゴトッ、と音がして間もなく、

「はい、あたし」と、ちょっとけだるい声が聞こえてきた。

「先輩!」

「えっ、亜美?」

「やっぱり先輩だったんですね。家の方に電話してみたんですけど、いなかったみたいなんで……」

 やや間があって、「そう……」と、再びけだるい声がした。

「で、あのォ、先輩、ちょっとお訊きしたいことがあるんですけど、昨日のことで」

「なあに」

「どうしてあたし、お兄ちゃんと一緒に寝てたんです?」

「お兄ちゃん? ん? あれっ? へっ? そ、そおだったの……。偶~然ねぇ。いやね、昨日の晩、亜美ったら、ワインをジュースだって言ったら一気に飲んでもう酔っ払っちゃって……。歩けそうになかったから、どっか近くのホテルにでも、って連れていったのよ。でも、部屋、ダブルでしか空いてないって言うもんだから……。ちょうどその時、彼が、そう、あなたのお兄ちゃんを連れて来たの。最善の方法だと思ったのよ。だって、みんなお金あんまり持ってなかったのよね。ワリカンなら大丈夫そうだったから……」

「………」

 亜美の顔が引きつっている。

「ごめんなさいね、ビックリしたでしょう。でも良かったじゃない。あなた、お兄ちゃん、お兄ちゃんていつも言ってたでしょう。大好きなお兄ちゃんと一緒に寝ることができて」

「あのう、先輩、まだ酔ってますね」

「で、どうだった?」

「えっ?」

「モチロン、あっちの方よォ」

「あっちって?」

「とぼけないでよ、亜美。あなた、暑い暑いって言って、着てるもの片っ端から脱いで、彼、じゃなかった、お兄ちゃんにも、そんな暑くるしいカッコしてないで脱ぎなさいよーって言って、パンツまで脱がせちゃったじゃない。そして、抱きついたままベッドに入ったくせに」

「………」

 亜美の顔からスーッと血の気が引いて行った。カールコードに巻き付けた指が、小刻みに震えている。

「あたし達、もう、当てられちゃって、早々に退散しちゃったのよ。お兄ちゃん、優しくしてくれた?」

「へっ? あ、そ、そりゃ、もちろん。でも、あんなに痛いなんて思っても見なかったわ。あたし、初めてだったの」

「ん?」

 浩は耳をそばだてる。

「でもね、その痛みがだんだん快感になってくるのよ」

「そ、そうなの? でね、あたし、ひょっとしたら、出来ちゃったかも……」

 さすがに身に覚えのないことに、浩は亜美の肩に手をかける。

「ちょ、ちょっと待て」

「しーっ」

 送話口をシッカと右手で押さえながら言う。

「これは作戦なの、作戦! ずえーったいに先輩に謝ってもらうんだから」

 再び受話器を耳に当てた亜美だったが、

「やったじゃない、おめでとう、亜美。お兄ちゃんとの愛の結晶!」と、あっさり、一蹴されてしまい、思わず亜美は電話ボックスの中でコケる。

「亜美、亜美~」

 手を離してしまった受話器から声が聞こえ、あわてて亜美は受話器を握りしめる。

「あ、あの……」

「それじゃ、お兄ちゃんとお幸せにね、バア~イ」

 プツン、と電話は切れた。

「おまえな、いくら冗談でもあんなこと……」

 疲れ果てた表情で、亜美はゆっくりと受話器を置いた。

「先輩、すごいのよね。あたしなんか、全~然相手にされなかった。みごと作戦失敗。お兄ちゃんとお幸せにね、だって」

 ピクッ、ピクッ……。

 ボックスのガラスに顔をべたあ~っとくっつけて引きつっている男と、グッタリうなだれている女の子が、まるで水槽に入れられた熱帯魚のように、周囲からの注目を浴びている。

「やだ、なに、あれ? パフォーマーかしら?」

 じろじろ視線が突き刺さる。

「見ちゃいけません」

 母親は、電話ボックスに駆け寄ろうとした息子の腕をグイッと引き寄せる。

 しばらくして、憔悴しきった二人はボックスを出ると、ハーッ、と深くため息をついた。

 新宿駅の方へ黙ったまま、歩いて行く二つの影。

「ねえ、お兄ちゃん」

 妹は足下に視線を落としたまま、兄に訊いた。

「ん?」

「あのホテルに来た女性(ひと)、お兄ちゃんの恋人?」

 一瞬、浩は返答に躊躇した。

「ん、まあ、そんなとこかな」

「悪いこと、しちゃったわね」

「ま、仕様がないさ。あの状況じゃ、ちょっとね」

 その時、浩の脳裏に浮かんだのは、恋人理緒の涙で潤んだ表情ではなく、理緒よりも豊かな妹のバストラインだった。

 いかんいかん、と浩は小さく頭を左右に振る。

「ほんと、ゴメン」

「何も亜美が謝ることはないさ。別に亜美、悪いことなんかしてないんだから」

そうなのだ。よくよく考えてみれば、誰も悪いことなどしてない、少なくとも、したと思っていないのだ。

「どうしよう、困ったなあ……」

 自分の足元を見つめながら、ポツリと亜美がこぼす。

「必ず終電に間に合うように帰るからって、ママに言っちゃったんだよね。それに、こんな二日酔い見られたら……」

 二人の足どりは、一層よどんで重くなる。

「先輩んとこに泊めてもらったことにする。な、何とかなるって、たぶん……」

自分に言いきかせるように言ったものの、消え入るような語尾。さすがに不安は隠せない。

「お兄ちゃん、これからどうすんの?」

「そうだな、久しぶりに亜美と一緒に新宿、回ってみるか」

「うん!」

 瞳を輝かせ、はつらつとしてきた妹。着痩せするタイプなのか、こうして見てみると、先ほどの曲線美がウソのようであった。

「お兄ちゃんが大学に行ってから、全然こうして歩いたことないもんね」

と良いながら、亜美は腕をからませ、ピタッと体を寄せる。

 ギュッと腕を引き寄せられ、浩の二の腕が亜美のふくよかな胸元に当たる。脇を見ると、亜美の胸の谷間、いや、正確に言おう、Vの字の谷間ではなく、Yの字のバストラインが見えた。

 80のCの理緒ですら、乳房を両腕で寄せて上に引き上げ、やっと可能な、左右の乳房の上のラインと間のラインでできる、Yの字のバストラインである。寄せて上げるブラがあるとはいえ、垂れ気味では絶対不可能。それなりに元が大きくてお椀を伏せたような、張りがあって綺麗なバストラインでなくてはできない芸当なのだ。

 あわてて視線を逸らす浩の脳裏に、肩を揺すられた時の、妹のはち切れんばかりの乳房の揺れる様が、過ぎった。

「あ、ああ。もう少し家が高尾駅に近かったなら、通えるんだけどなあ。そ、それにしても早いもんだ。もう四年になるんだからなあ」

 完ッ璧に声が上ずっていた。

「就職、どうすんの?」

 亜美が上向きに視線をよこしてきた。その視線をしっかり受け止め、浩は答えた。

「文学部だし、大学院に行こうと思ってあんまり考えていなかったけど、一応、住田と三友、受けてみようかな」

「ふ~ん、住田ねぇ」

 ふと歩みを止め、痛あ~っ、と亜美はこめかみのあたりを押さえる。

「ね、どっかでコーヒー飲んでいかない?」

「ったく未成年のくせに酒なんか飲むからだ」

「だって、先輩がジュースって言ったんだもん。ワインだなんて、知らなかったんだから。あ、そこの喫茶店いいな、入ろう、入ろう」

 グイグイ兄の腕を引っぱって、中へ入ろうとした時、

「亜~美」

 声に、ポン、と肩をたたかれ、ビクッとして振り向くとそこには綺麗に大中小と背丈が分かれた三人娘が立っていた。

 ちょっと大人びて背も高いロングヘアーと、鋭い視線でショートヘアー、そして幼児体型で潤んだ瞳のマシュマロのような柔肌の女の子だった。

「どうしたの、みんな」

「おっ買い~物~よ。それよかこのォ、先輩んとこに行って来まーす、なんて言ってて隠れて……」

 一番背が高い子が肘で亜美を突つきながら言う。

「やあだぁ、違うわよ。お兄ちゃんよ、お兄ちゃん」

「えっ、亜美のお兄ちゃん?」と、再び背の高い子が訊き返す。

「あの明央に行ってるとか言う?」

 鋭い視線の真ん中の子が口を開いた。まじまじと浩を見て亜美に視線を移し、

「ふ~ん、それにしちゃ、あの動揺のしかた、普通じゃないな」と、疑うような眼差しをよこした。

「えっ、あ、その、いろいろと、あったんでね」

「どうしたの、亜美。足が震えてるわよ」

「う、ううん、何でもないの、何でも。あ、ねえ、みんな、喫茶店、入んない?」

 ぞろぞろと五人入って行き、一番奥に席をとる。三人が壁側、その向かいに亜美と浩が並んで座った。各々注文を済ますと、もう、女子高生の世界。

「めっずらしいわねぇ、良子が外出なんて」と、亜美が良子に視線を送る。

「ええ、久しぶりですの、本当に」

 伏目がちに良子は、か細く高めのトーンで恥ずかしそうに話す。

 店内には、有線のクラシック音楽が流れているが、女の子達の声にかき消されてしまっている。

 ふと、視線を感じて浩は顔を上げた。

 うつむきながら、良子が静かにティーカップを取り上げる。

 気のせいか……。

 良子のティーカップが小刻みに揺れているのには、気付く由もなかった。

「あのう、今、何年ですか?」

 一番背の高い由紀江が尋ねた。

「四年です」

「来年、就職ですね」

 なぜだか由紀江が積極的に話しかけてくる。

「じゃ、ぜーったい住田が良いよね、良子!」

 視線の鋭さはそのままに、ちょっとハスキー・ボイスの麻衣が、良子の方に顔を向ける。

「え、ええ……」

 と言いつつ顔を上げたところ、目の前の視線とぶつかって、あわてて視線を落とす。そしてその顔が、みるみる赤くなってゆく。

 その様子を見ていた三人の女子高生。

 ふ~ん……。

 互いに目で打ち合わせると、残りを一気に平らげ、

「それじゃあ、そろそろ行きますかぁ」と、腰を上げた。店を出ると亜美は、いかにも申し訳なさそうに、でも、表情は嬉々として兄に声をかける。

「やっぱ、今日、みんなと買物したいから、ごめんね、お兄ちゃん」

「あ、ああ」

 店の看板の前で、右手でバ~イと手を振ると、亜美は他の三人をせき立てるように、そそくさと立ち去って行った。

 一人、ポツンと取り残された浩の頭上には、青空にポッカリ浮かぶ離れ雲。何だかその離れ雲に親近感を覚える浩であった。

 弾む声の前を行く三人とは対照的に、良子はもの憂げに後から黙ってついて行く。

「亜美のお兄ちゃんって、ほんと、ステキだよね」と、穏やかな視線になった麻衣が口を開く。

「ホントホント。なんたって明央よ明央」と、由紀江が目を輝かせる。

「今度、亜美ん家(ち)に遊びに行くからね」

「残念でした。今、お兄ちゃん、大学の近くに住んでんだから」

 週末には八王子の実家に帰って来ている、とはさすがに言わなかった。それにしても、父親は自宅から1時間半かけて通勤しているというのに、子供は甘やかされている気がしないでもない。

「んじゃ、そっちの方に押しかけちゃおうかな」

 麻衣が口元に笑みを浮かべて言う。

「亜美、あたし達、お友達だったわよねぇ。お兄ちゃんの住所と携帯の番号、あたし達には教えてくれるでしょう?」

 由紀江から首に腕を回され、亜美は思わず頭に手をやる。

「明央明央って言うけど、文学部なんだからあんまり関係ないわよ」

「でも、就職する時って、大学の名前がモノを言うんだよね」

 麻衣が冷静な視線で続ける。

「明央って商社系に強いじゃん。あ、住田は厳しいか。あそこ、国立出の超エリートで固めてるって言うもんね」

 そう言うと、後ろを歩く良子を振り返る。

「えっ? あ、そんなことはない……と思うわ」

「ちょっとぉ、どーしたの? 冴えない顔しちゃって」

 言ってる麻衣の目がすでに笑っている。

「あらあら、何だか落ちこんでしまってるみたい」

「ビョーキよ、ビョーキ」

 嬉しそうに由紀江が言う。

「私は元気ですわ。病気なんか……」

 人差指を立てて、チッチッチッとして、

「心の病ってのもあるのよね」

 思わせぶりに、由紀江が言う。

「そんなこと……」

「ほら、赤くなった!」

 由紀江の言葉に、「別に私は……」と頭を左右に振るものの、言ったそばから、良子はみるみる頬を染めていく。

 麻衣は、ちょいと悪戯っぽい視線を良子に投げかける。

「そう言や、さっき亜美のお兄ちゃんがいた時……」

 ピタッ、と良子の歩みが止まる。

「私、私……」

 ポロッ、ツーッと涙が頬を伝って流れ落ちた次の瞬間、

「ふぇ~~~ん」

 と、良子が声を上げて泣き出してしまった。

 新宿は、アルタビル前。ドッと人の視線が集まる。

「おっ、どうしたどうした」

「いじめか?」

「女子高生だぜ」

「かっ、かあいーっ!」

 あわてふためいた三人は、良子の腕をつかむやいなや、まわりを囲うようにして脱兎の如く紀伊国屋の中をくぐって近くの喫茶店に駆け込んだ。

 ハア、ハア、ハア……。

 まさかこういう展開になるとは夢にも思わなかった三人。メニューも開かず、ただ、ボー然としている。

 良子は、エッ、エッ、と鳴咽を繰り返しながら次第に平静を取り戻してきた。

三人は、ホーッと肩を落とし、口は半開きになったまま目だけで、

「あー、びっくりした」

「ほ~んと」

「心臓に悪いわ」

 というような会話を交わす。

「良子、あなたまさか亜美のお兄ちゃんのこと……」

 由紀江が静かに口を開く。

 鼻をすすりながらコックリうなずく良子。

 三人はゆっくりと顔を見合わせた。

「参ったなぁ。どこが良いのか……」

「だって、優しい目をしてましたわ」

 良子の答えに、今度は三人、あんぐりと口を開ける。

「ひとめ惚れってとこか」

「深窓のお嬢様だもんね、良子は」

「そんなこと、ありませんわ」

「男に対する免疫ってもんがないんだな」

 ちょっと色っぽい仕草で考えていた由紀江が、ゆっくりと口を開いた。

「きっと良子、ブラザー・コンプレックスなのよ」

「ブラザー・コンプレックス?」

「そう。小さい時から女にばっかりかしづかれ、学校に行っても女、女、女。いくら筒井財閥の一人娘といっても、これじゃあねえ」

「そこに亜美のお兄ちゃん登場! だもんね」

と、麻衣がうなずきながら続けた。

「ち、違うわ、私は……」

 フ~ッ、と呆れ顔の由紀江が、両手を組んでその上に顎を載せて言った。

「こりゃ、本物かもね」

「どうだか。ガッカリしたって知らないから」

 亜美は小さくため息をつく。

 と、つつつ……と寄って来たウエイトレス。

「あのう、ご注文は?」の声に、

 へっ?

 初めて自分達が喫茶店に入ったのだ、ということに気付いた四人。

 頭に手をやる亜美と麻衣。知~らないって顔の由紀江。目をパチクリさせてる良子。

 おもむろに麻衣の、

「ほんじゃ、ま、良子に敬意を表して、先ほどの良子の初恋メニューといきますかあ」

 の、ひとことで、すんなり異議なく決まった。

 梅雨を間近に控えた六月の初旬。今日も暑くなりそうであった。

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