第6話

 轟々と水が渦巻く。濁流が、村を形作っている者達を次々と呑み込んでいく。そんな様子を眺めながら、満足げにしている男が一人。

「相変わらず、素晴らしい破壊力だ。流石は私……ディン文英ウェンインの見込んだ龍だな、豪!」

「ありがとうございます、マスター」

 男――文英の傍らに佇む青黒い龍が、腹に響く低く重い声で応じた。その言葉に機嫌良く頷くと、文英は龍――豪に向かって命じた。

「次は……そうだな。あの食堂を狙え。ぼろいが大きいし、壊し甲斐がありそうだ」

「はい、マスター」

 頷くや否や、豪は狙いを食堂に定め、がばりと大きな口を開いた。口の奥から、轟々と水が逆巻く音が聞こえてくる。

 豪が、今まさに食堂へ向けて大量の水を放とうとしたその時だ。

「やめてっ!」

「ム?」

 豪と食堂の間に割り込んだ影がある。突然の妨害に、豪は一旦攻撃を止めた。

「何だ、お前は?」

 楽しみを邪魔されて不機嫌になった文英が、妨害者――美明を睨み付ける。その眼光と龍の威圧感に気圧され、ガクガクと震えながらも美明は懇願した。

「やめて。これ以上、村を壊すのはやめて……。お父さん達が守ってきた食堂を、壊さないで……!」

 美明の言葉に、文英はしばし考えた。そして、何かを思い出したような顔をする。

「なるほど……この食堂の経営者か。そう言えば、半年くらい前にもいたな。村の思い出が詰まったこの食堂を壊さないでくれ、とか言って、同じように食堂の前に立ちはだかった奴らが。あの時は興が削がれたから、奴らを八つ裂きにしてやるだけで帰ったが……そうか。小娘……お前、あの時の奴らの娘か」

「……そうよ!」

 両親が亡くなった時の事を思い出し、美明はキッと文英を睨み付けた。すると文英は、あろう事か笑い出した。さも楽しい事があったかのように。

「っ……ハハハハハ! これは良い。私に逆らって死んだ愚かな夫婦と、運良く生き残った娘が必死になって守ろうとする大切な食堂……。良いじゃないか。実に……壊し甲斐がある!」

「なっ……!?」

 文英の言葉に、美明は絶句した。そして同時に、絶望する。この男に、ヒトの情は通じない。

「気が変わった。豪、まずはあの小娘を、死なぬ程度に痛めつけてやれ。その後、小娘の目の前でこの食堂を破壊する」

「……はい、マスター」

「……!」

 淡々とした豪の受け答えに恐怖を覚え、美明は息を呑んだ。逃げなければ、命が危ない。だが、逃げればこの食堂を守る者がいなくなってしまう。そもそも逃げたところで、巨大な身体と水を吐き出す力を持つ龍から逃げ切る事はできるのだろうか?

 様々な考えが頭を過ぎり、美明はギュッと目を閉じた。だが、目を閉じても、豪が迫ってきている事がその威圧感でわかってしまう。

 豪が口を大きく開いた。轟々と、水が逆巻く音が聞こえる。これまでか、としか思えなかった。

「危ないっ!」

 その思考は、甲高い叫び声と、激しい爆発音によって打ち消された。恐る恐る美明が目を開けてみれば、辺りに蒸気が立ち込めており、豪と文英が目を丸くしている。次に自分の身体を調べてみるが、怪我をしている様子も無い。どうやら、夢を見ているわけでもなさそうだ。

「私……生きてる? どうして……一体、何が?」

「大丈夫? お姉ちゃん」

 状況が呑み込めない美明に、横から声がかかった。聞き覚えのあるその声に、美明は勢い良く振り向く。

「煉君!?」

「ったく……物だけじゃなく、人まで龍で攻撃かよ。しかも、大切に守られてる物の方が壊し甲斐があるだぁ? 相当なクズだな、オッサン!」

 煉の後から、紅福も現れた。予想外の展開と登場人物に、文英は目を白黒とさせている。

「なっ……何なんだ、お前達はっ!?」

 その問い掛けを軽く無視して、紅福は美明に視線を遣った。その目は、心底ホッとしているように見える。

「間一髪、間に合ったみてぇだな。……怪我は?」

「お陰様で、無事。……けど、一体どうやって?」

「すぐにわかるさ」

 そう言うと、紅福は視線を煉へと向けた。「煉!」という呼び掛けに、煉が視線を紅福へ寄こす。

「いけそうか?」

「ご飯やお菓子をたくさん食べさせてもらったし、エネルギーはバッチリ! いつでもいけるよ、兄ちゃん!」

「よし! 有料とは言え、一宿一飯茶菓子付きの恩は高ぇぞ! キッチリ返すからな、煉!」

「兄ちゃん、一言多い」

 呆れるほど和やかな会話に見えるが、話している内容はそうではない事ぐらい美明にも理解できた。この二人は、今から戦おうとしているのだ。村を滅茶苦茶にしたあの龍達と。

「……待って! この村と関係の無いあなた達を巻き込むわけにはいかないわ! この食堂を守りたがっているのは私だけだもの……私が守らないと……!」

「……美明、一人で無茶しようとするなよ」

「……え?」

 言われた意味がわからず、美明は問い返した。すると、紅福はどこか寂しそうな顔をする。

「一人で食堂も、思い出も……何もかも守ろうとするな。全部を守ろうとして両手を広げたら、結局身動きが取れなくなって……自分自身すら守れなくなるじゃねぇか。……自分すら守れなくて、どうやって他の物を守るんだよ……?」

「でも……」

 紅福の言いたい事は、何となく理解できる。だが、理解できる事と納得できる事はまた別物で。

 美明が言い淀んでいると、遠くから「えぇいっ!」というヒステリックな叫び声が聞こえてきた。文英だ。そう言えばいたな、こんな奴、という顔を紅福が向けると、文英は顔を真っ赤にして叫んだ。

「何なんだ、お前達は! 何をさっきからごちゃごちゃと……」

「うるせぇっ! 今それなりに大事な話をしてんだよ! クズでハゲなオッサンは黙ってろ!」

「な……!」

「そうそう。場の空気が読めない人は嫌われちゃうよ。……と言っても、その性格じゃあ、元から嫌われ者かもね」

 紅福の言葉に絶句した文英に、煉が更なる追い打ちをかけた。勿論、それに怒らないほど器の大きい文英ではない。

「こっ……このクソガキども……! ……豪。食堂も小娘も、どうでも良い! まずはこのクソガキどもを血祭りにしろっ!!」

「……はい、マスター……!」

 頷き、豪がガバリと口を大きく開ける。その様子に、紅福はチッと舌打ちをした。

「話をしてるっつってんのに……マジでハゲ頭のてっぺんから臭ぇ足のつま先まで、典型的な悪役だな。……煉!」

「うん!」

 紅福の呼び掛けに煉が力強く頷き、そして駆け出した。それにギョッとした美明は思わず身を乗り出す。

「ちょっと、煉君!? 一人で龍に向かっていくなんて……勝てるわけがないわ! 紅福君も、何で止めないのよ!?」

 非難めいた美明の声に、紅福は「まぁ、見てなって」と軽く言った。今にも口笛でも吹き出しそうな軽さだ。そんな紅福に、美明は怪訝な顔をするしかない。

 一方、煉が一人で向ってきた事を視認した文英は余裕の態度を取り戻していた。相手はどう見ても十歳にも満たない子ども。こちらは強力な水を操れる水龍を従えている。負ける要素は、一つも無い。

「豪! そんなガキ、軽くひねり潰してやれ!」

「はい、マスター!!」

 ゴォッという音が鳴り、豪の口から強烈な水流が吐き出される。水流はまっすぐ、煉へと向かっていった。

「煉君! 避けてぇっ!」

「煉! 遠慮はするな! ぶちかませっ!!」

 美明の叫びに一拍遅れて、紅福が叫ぶ。その叫びが合図であったかのように、煉は大きく息を吸い込み、そして口から強烈な炎を吐いた。

 炎と水流が真正面からぶつかり、蒸発して消える。その様に、美明と文英、それに豪も目を丸くした。

「え……?」

「なっ……何だと!?」

「……!?」

 だが、そんな驚く面々を他所に、紅福と煉のやり取りは呑気なものだ。

「兄ちゃん、ごめん。一発で決めるつもりだったんだけど……思ったよりも水の量が多かったみたい……」

「はぁ……こりゃ、もうちょっと相手の力量を正確に見定める訓練をしねぇとなぁ。相手の強さを見誤るってのは、下手したら命取りだぞ?」

「わかってるよー!」

「……え? これって、どういう事……?」

 やっとの事で問うた美明に、紅福は申し訳なさそうに頭を掻いた。

「悪ぃ。ソッコーで終わらせて、安心させてやりたかったんだけど……」

「そうじゃなくて! 何で火が出るの!? どうして人間の煉君が、口から火を噴いたりするのよ!?」

 その問いに、紅福は「あー……」と間の抜けた声を出した。

「まぁ、色々と深いワケがあって、話せば長くなるというか……」

 言葉を濁す紅福だったが、その行為は即座に無意味なものとなる。ハッと我に返った文英が、悔しそうに呟いた。

「そのガキ……人龍レンロンか……!」

「……まぁ、その色々な深いワケを含んだ長い話を要約すると、そんな感じ……」

「……レンロン?」

 生まれて初めて耳にする単語に、美明は首を傾げた。すると、煉が誇らしげに胸を張る。

「人間に変化した龍と、人間の間に生まれた。龍と人間のハーフの事だよ! 僕は炎属性の火龍と人間の間に生まれた、人龍なんだ!」

「……紅福君も?」

 美明は思わず紅福の方を見た。すると、紅福はフルフルと首を横に振る。

「いや、俺はただの人間」

「え? でも、兄弟でしょ?」

「……いつ、煉が俺の弟だなんて言ったっけ?」

 そう言うと、紅福は「仕方が無い」という顔をした。そして、少しだけ昔を懐かしむような顔を見せる。

「煉は、俺の姉さんの子ども。龍なのは俺の親じゃなくて、姉さんの旦那だよ」

「しっくりくるから〝兄ちゃん〟って呼んでるけど、実際は〝叔父さん〟なんだよね。兄ちゃんは」

「叔父さんって言うな! 急に老けたように思えてくるだろうがっ!」

「元々、僕のお父さんとお母さんは、龍と龍士の関係だったんだ。けど、ずーっと一緒にいるうちに、いつの間にか恋人同士になってたんだって。すごいよね!」

「聞けよ、人の話!」

 じゃれ合いのような言葉を交わす二人を、文英と豪は遠巻きに見ていた。……いや、見ているだけではない。今度は、ちゃんと話も聞いていた。

「ククク……なるほど。人龍か。道理で、ガキの見た目に不釣り合いな身体能力、おまけに炎を吐く能力まで持っているはずだ」

「……マスター、ご命令を。奴と私ならば、負ける事はあり得ません」

 豪の申し出に、文英はクックック……と笑った。

「確かにな。龍の力を持っているとは言え、あのガキは所詮人龍。龍の力は半分しか持っていない。それに加えて、まだ子ども。そして力を分け与えてくれる龍士がいるわけでもない! 更に更に! 奴の属性は炎! 本気を出せば、水属性のお前の敵ではあるまい。……決まりだ。豪、奴の小さい身体を、水圧でぺしゃんこにしてやれ!」

「はい、マスター!!」

 応じるや否や、豪は先ほどよりも強烈な水を煉に向かって吐いた。だが、気付いた瞬間に煉も炎を吐き、再び蒸発させてしまう。威力を上げれば問題無いと思っていた文英と豪の目が、再び丸く見開かれた。その様子に、紅福は呆れたように溜息をつく。

「……オッサン達さぁ……いくら俺達がガキだからって、ナメ過ぎじゃねぇの? 本当に世界征服する気、あるわけ?」

「兄ちゃん、このオジサンの目的が世界征服だなんて、誰も一言も言ってないよ?」

「このテの奴は、最終目的が世界征服って、相場が決まってんだよ」

 紅福の言葉に、豪の形相が恐ろしく歪んだ。

「勘違いするな、こわっぱが! マスターの最終目的は、この辺りを水没させてダムを建造し、水力エネルギーでひと儲けする事だ!」

「うわ、せこっ!」

 思わず叫んだ紅福に、今度は文英の顔が歪んだ。……いや、先ほどから歪みっ放しか。

「何だと、貴様! 私の野望を馬鹿にする気が!? ……豪! お前も余計な事は言わなくて良い!」

「! 申し訳ありません、マスター……」

 項垂れる豪に、文英は更に顔を真っ赤にした。相当フラストレーションが溜まっている様子である。

「大体何だ、さっきの攻撃は! ガキの人龍が出す炎などに蒸発させられるなど……手を抜いているのではないか!?」

「いえ、そんな事は……」

 困惑する豪の様子にニヤニヤしながら、紅福は口を開いた。

「オッサン達さぁ、死神龍シーシェンロンって知ってる?」

「何!?」

「死神龍だと!?」

 文英と豪はその言葉に驚いたが、美明は何の事やらわからない。「シーシェンロン?」と呟きながら、再び首をかしげた。すると、煉が何とか説明しようと「んーっとね……」と呟きだす。

「百万分の一の確率で生まれる、ものすっごーく強い龍のこと!」

「ひっ……百万!?」

 思わず、声が裏返る。その様子を楽しげに、そして少しだけ誇らしそうに眺めながら、紅福も説明を口にした。

「そ。すごい確率だろ? その百万分の一の確率で生まれてくる死神龍ってのは、生まれながらにして、既に普通の龍の何十倍もの力を持ってるんだ。……煉の父さんは、その死神龍だった。親が死神龍だと、その子どもの龍も普通よりも強い力を持って生まれてくる。煉は人龍で子どもだけど、そのお陰で普通の龍よりもずっと強い力を持ってるんだよ」

「なるほど……それで、豪の水を蒸発させる事ができたのか……っ!」

 悔しげな文英に、紅福は「そういう事」と軽やかに言った。完全に余裕の表情だ。そして、その余裕の表情を、豪に向けた。

「ところで、そこの龍の……豪だっけ? 死神龍の話が出てから、何か言いたそうな顔をしてるけど……言いたい事があるなら、はっきり言った方が良いぜ?」

 紅福の言葉に、その場にいる全員の視線が豪に注がれた。その視線に戸惑いながらも、豪は口を開く。

「……父親が火龍で、死神龍だと言ったな。……まさか、そのこわっぱは……ガン火天ホウティエンの息子か?」

「っ!?」

 その名前が出た瞬間、紅福と煉の顔色が変わった。紅福は息を呑み、煉の目は丸くなる。

「お父さんの事、知ってるの?」

 その声は、緊迫感こそ無いものの、真剣そのものだ。覚えていない父親の話を少しでも聞きたい。そう言っているようにも聞こえる。

「知っているとも。炎属性の死神龍と言えば、関火天……そのように、龍の間では名が通っていたからな。……最強の死神龍だと!」

「……あぁ。義兄さんは俺が知る限り、最も強い龍だった。その龍士だった姉さんも、最強の名に恥じない、優秀な龍士だったよ……!」

 苦い物を飲み込むように、紅福が言った。明らかに、動揺している。その動揺につけ込むように、文英は口を開いた。

「だが、その最強の龍と龍士は、三年前に死んだと聞く。それも、病死ではない。他の龍に殺されたとな。……所詮、その程度だったという事だ」

「違う! 義兄さんも姉さんも、間違い無く最強の龍で、龍士だった!」

「なら、何故死んだ? 弱かったからだろうが!」

「うるせぇっ! 黙れ、ハゲ! ……何も知らないクセに……!」

 激昂した様子の紅福に、美明も動揺を隠せない。先ほどまでは、あんなに余裕綽々だったというのに……。

「……どういう、事……?」

「……僕のお父さんも、お母さんも……お姉ちゃんみたいな人だった。……おじいちゃんも、おばあちゃんも……」

「……え?」

 煉の言う言葉の意味が、わからない。そんな美明に、紅福はぽつりと呟いた。

「……美明、昔話を聞く気はあるか?」

「昔話……?」

 少しだけ戸惑ってから、美明は頷いた。それに静かに頷き返し、紅福は煉に声をかける。

「煉、十分。それだけの間で話し終わるから、それまで一人で、オッサン達の相手をしててくれねぇか?」

「……うん」

 同じように静かに頷き、煉が駆け出す。炎を吐き、それに対抗して豪が水を吐く。……気のせいだろうか? 炎の威力が、先ほどまでよりも弱い気がする。

 しかし、それも気になるが今は紅福だ。

「……昔話って? 煉君のお父さん達が私みたいって、どういう事? 紅福君達が龍道を目指しているのと、何か関係があるって言うの? ……それに、どうして紅福君達は……私達を助けようとしてくれているの……?」

 美明の言葉に、紅福は首を横に振った。その顔は、どこか自嘲気味だ。

「助ける? ……違うな。俺達は助けようなんて、これっぽっちも思ってない。……自分のためだよ」

 やはり、言葉の意味がわからない。「それ、どういう……」と美明が問おうとすると、続く言葉を紅福は視線で遮った。そして、口を開く。

「龍道を目指しているのと関係があるかって? ……あると言えばあるし、無いと言えば無いかな。……ただ、龍道を目指す事になった切っ掛けと、今みたいに俺達が龍や龍士と戦うようになった切っ掛けは同じだから……やっぱり同じと言えるのか。……そう、三年前の話だ……」

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