第4話

「あー……死ぬかと思った……」

 少女に手渡された茶を一気にあおり、喉に詰まった食料を流し込んだ少年はホッと溜息をつきながら椅子に座り直した。その様子を、少女は安心した様子で、小さい方の少年は呆れた様子で眺めている。

「飢え死に寸前の次は、窒息死寸前。……忙しいね、兄ちゃんも……」

「うるせぇ!」

「とにかく、良かったわ。死ななくて」

 ケンカの第二ラウンドが始まりそうだと察したのか、少女は素早く口を挟んだ。その声に、大きい方の少年は「ん?」と首を傾げて怒鳴ろうとしていたのを止めた。少女の存在を思い出したようだ。そして、「あ、やべっ」と呟くと苦笑して、少女の顔を正面から見た。

「遅くなったけど、助けてくれてありがとな。……オレはリー紅福ホンフー。こっちはレン

「よろしくー!」

 年長者らしく頭を下げた大きい方の少年――紅福と、元気に笑って見せる煉に少女は思わず顔がほころんだ。

「よろしく、紅福君に……煉君?」

「紅福で良いよ。コイツの事も、煉で良い。……ところで、アンタは?」

 紅福に問われ、少女は自分も今まで名乗っていなかった事に気付く。軽く居住まいを正し、にこりと笑って見せた。

「私は美明メイミンルー美明よ」

 名乗られ、紅福と煉は二人揃って「美明……美明……」と呪文のように何度も呟いた。そして、完全に覚えたのか、「よしっ」と呟くと紅福は美明に向き直る。

「んじゃあ……美明。さっそくだけど、ここは宿屋か何かか? 普通の家にしちゃあ広いし、卓もたくさんあるけど……」

 どうやら、先ほどから気になっていたらしい。確かに、ここは普通の家にしては広い。卓も、四人がけの物がパッと視界に入るだけでも四はある。普通の家ならこんなには必要無い。

 紅福の問いに、美明は「惜しい」と呟いて笑った。気のせいだろうか? 一瞬、顔が曇ったように見える。

「食堂よ。……確かに、あなた達みたいな旅人のために宿屋も兼ねてるけど……どちらかと言えば、料理専門ね」

「宿屋!」

 美明の言葉に、煉が目を輝かせた。

「やったよ、兄ちゃん! 今夜は布団で寝れる!」

 今にも飛び跳ね出しかねない煉に、紅福は「そうだな」と頷きながら苦笑した。そして、「けど……」と難しい顔をして首をかしげ、美明に視線を戻す。

「こんな食堂を、アンタ一人で切り盛りしてるのか? 他に人は……」

 言いかけた時、ギギッと音がした。振り向けば扉が開いており、そこに男性が一人立っている。日に焼け、屈強な身体をした男性だ。年頃は、五十代といったところだろうか。

「よぉ、美明ちゃん。旅人が来てるって?」

スーさん!」

「? 誰?」

 煉が首をかしげると、美明は「あぁ」と合点して史と呼んだ男性を二人の前に立たせた。

「お隣の史さん。お店の常連さんなの」

 煉と美明のやり取りを見て、今度は史が首をかしげた。そして、しばらく考えてから驚いたように目を丸くする。

「……って、まさかこいつらが旅人か? こんなガキが?」

 史の言葉に、紅福が顔をムッとしかめた。そしてズイッと史の前に身体を乗り出すと、反抗するように睨みつける。

「年齢なんか関係無ぇよ。俺は十三、煉は八歳。アンタみたいなオッサンから見れば確かにガキだ。けど、充分旅はできてるぜ?」

 紅福のその言葉に、今度は史がムッと顔をしかめた。そして、「そりゃ悪かったな、クソガキ!」と吐き捨てるように言う。その態度に、紅福は更に顔をしかめた。

 紅福と史の間に看過できぬ空気を感じたのだろう。煉が慌てて間に身体を滑り込ませた。

「兄ちゃん、土地の人にケンカなんか売っちゃ駄目だよぉ! ……おじさん、ごめん! 兄ちゃん、今日は色々とついてなくてイライラしてるんだ。飢え死にしかけたり、窒息死しかけたりしてたから……」

「おいおい……そりゃあ、〝ついてない〟ってレベルじゃねぇんじゃねぇのか?」

 煉の必死のフォローに、思わぬところから相の手が入った。煉が振り向くと、入口から新たに六十前後の男性が入ってくる。

「あ、ホイさん。こんにちは!」

 紅福と史の険悪さからの逃避だろうか、美明が明るく応える。回は「あぁ」と返すと、にこりと笑う。

「美明ちゃんのところに旅人が来て、史の奴が様子を見に行ったって話をヤン爺さんから聞いてね。短気な史が旅人にケンカを売ってないか心配で来たんだ。……あ、楊爺さんもあとから来るって言ってたぜ」

「あ、じゃあお茶の用意をしておいた方が良いですね」

 言うや否や、美明はパタパタと厨房の方へ小走り気味に向かっていく。その後姿を見送ってから、回は煉に視線を移した。

「……で? 今はどんな具合だ、旅人君?」

「えっと、えっと……兄ちゃんと史おじさんが険悪ムード…………おじさんは?」

 そこでようやく美明から回の事を紹介されていない事に気付き、煉は回の顔を見上げた。すると回は「はははっ!」と豪快に笑って見せる。

「おじさんか! 俺も史も、こう見えても六十を超えてんだぜ? 爺さんって呼ばれてもおかしくない年齢だ。……俺は回。この村で昔っから大工をやってる。ちなみに、史は漁師だ。……だからかな。二人とも、歳の割には若く見られる」

「……とは言ってもなぁ。この村で六十を超えていないのは、美明ちゃんだけじゃ。美明ちゃんが呼ばなきゃ、誰もお前さん達の事を爺さんとは呼べんじゃろ」

「爺婆ばっかりだからねぇ、この村は。……歳は取りたくないものだよ」

 新たな声が聞こえ、煉は三度入口の方を見た。そこには皺だらけの細い男性と、恰幅の良い女性が立っている。歳は恐らく、それぞれ八十代と七十代といったところだろう。

「お、楊爺さんだけじゃなくって、ウェン婆さんも来たのか!」

「婆さんは余計だよ!」

 回の言葉にぴしゃりと言い放った後、温と楊は視線を煉に向けて顔をほころばせた。

「おや、随分と可愛い旅人さんが来たんだね」

「こ……こんにちは! えーっと……楊おじいさんと……温さん……?」

 煉が少しだけ戸惑いながら挨拶をすると、温は益々顔をほころばせる。そして、皺だらけの手で煉の頭を優しく撫でた。

「おやおや。温婆さんで良いんだよ? 怒りゃしないからね」

 先ほどまでとの態度の差に、回が非難がましい目を向けてくる。……が、温は完全に無視をしている。その様子をニコニコと眺めながら、楊が煉に問うた。

「ところで、もう一人の旅人さんを止めなくても良いのかね? 坊や、回さん?」

 その問いに、煉と回は同時に「え?」と呟いた。そして、二人揃ってハッとすると首を食堂の中へと巡らせる。

 ゴゴゴゴゴ……という地響きが聞こえる気がした。周囲に闇が立ちこめているようにも見える。紅福と史の上空に虎や獅子が見えるのは気のせいだろうか?

「あ、悪化してる……」

 あまりにあまりな状況に、煉はそれ以上の言葉を失った。それは回も同じであるようで、暫くの間唖然と見ていたかと思うと、ハッとして「しょうがねぇなぁ……」と呟く。

「おい、史! 子ども相手に大人げ無ぇぞ!」

「うるせぇ!」

「誰が子どもだ!」

 回の言葉に即座に噛みついてくる紅福と史に、老人達はやれやれと溜息をついた。

「まったく……史の奴は、あぁなったら何を言っても聞きやしない。……坊やのお兄さんが退いてくれなきゃ終わりそうにないねぇ……」

 温の言に、煉は「えー……」と半ば絶望的に、半ば面倒そうに声を伸ばした。

「もう……しょうがないなぁ……。兄ちゃん、兄ちゃん!」

「何だよ?」

 煉の呼び掛けに、紅福は「何だよ?」と短く返した。まるで「邪魔するな」とでも言っているようだ。その様子に特に腹を立てる様子も無く、煉は言う。

「ケンカやめてくれなきゃ、〝アレ〟やっちゃうよ」

 瞬間、紅福の表情がビクリと固まった。ほんの少しの間。そして紅福は「わかった……」と小さな声で呟くと史の目を真っ直ぐ見据え、パンッと手のひらを打ち合わせた。

「俺が悪かったよ、史さん……」

 不承不承ながらも突然謝罪の言葉を持ち出した紅福に、老人一同は唖然とするしかない。誰もが「何があった? アレって何だ!?」という顔をしている。

 そんな一同の心境など露知らず、厨房から美明が戻ってきた。手には茶器を載せたお盆を持っている。

「お茶、入りましたよ。……あ、温さんもいらっしゃったんですね!」

「あぁ、お邪魔しているよ。美明ちゃん」

 にこやかに言う温に、美明は「どうぞどうぞ」とやはりにこやかに笑いながら席を勧めた。そして、茶器と菓子を手際よく卓の上に並べていく。

「美味しそう! そのお菓子って、お姉ちゃんの手作り?」

 煉が興奮気味に問うと、美明は嬉しそうに「そうよ」と頷いた。その様子を、老人達は微笑ましそうに眺めている。

「美明ちゃんの料理は美味いからな。しっかり味わえよ、旅人君?」

「うん!」

 煉が元気良く頷いたのを合図に、その場にいる一同はめいめい茶器や菓子に手を伸ばし始めた。

 茶を啜りながら、温は煉に問う。

「坊や達は、どこから来たんだい?」

「んーっとね……よくわかんないけど、遠ぉーい所。出発した時、僕まだ五歳だったし」

「今は……八歳だったな」

 先ほど紅福と言い合いをした時の事を思い出し、史が言うと、煉は「うん!」と頷いた。

「ここに来るまでに、三年もかかったのか……。子どもの足とは言え、随分遠い所から来たんだなぁ……」

 回が感心した様子で言えば、美明が苦笑する。

「それだけかかったのに。危うく飢え死にで旅が終わるところだったわねぇ……」

「うん……」

 この村に着いた時の事を思い出し、煉も苦笑した。すると、回が「まったくだ!」と相槌を打ち、一同はまた笑う。そんな様子を静かに見詰めてから、紅福は近くに座っていた史に声をかけた。

「……なぁ」

「何だ?」

 先ほどまでの不和など無かったかのように史が紅福の顔を見る。紅福は何やら難しい顔をして、史に問うた。

「楊さんの話だと、この村の住人は美明以外、皆六十を超えてるそうだけど……何でだ? 全体的に高齢化が進んでいるとしたって、若者が一人しかいないなんてやっぱりおかしい。まさか、ここがどこだったかの国の昔話に出てくる〝姥捨て山〟とかいうワケじゃねぇだろ? ……何があった?」

 紅福の問いに、史はしばらく「どうしたもんか」と言いたげに黙り込んだ。そして、ふー、と溜息をつくと、逆に問う。

「……龍士ロンシー、って知ってるか?」

「龍士?」

 一瞬、紅福の表情がぴくりと動いた。だが、その表情はすぐに消え、紅福は何事も無かったかのように淡々と言葉を紡ぐ。

「……〝龍を使役し、龍に力を分け与える者〟……だろ? それがどうした?」

 あっさりとした返事に、更に言い辛そうに史はごにょごにょと話を続ける。

「よくは知らねぇが……龍士って奴は、自分と契約を結んだ龍に自らの力を分け与える代わりに、その龍を自分の意のままに操るんだろ?」

「……よく知ってんじゃねぇか。……で? その龍士がどうしたんだよ?」

 紅福の問いに、今度は史の表情が動いた。紅福のように一瞬で消える事の無い怒りの表情を顔に浮かべた史は、声と感情を押し殺しながら言った。

「……半年ほど前だ。一人の龍士がやって来て、村の一部を破壊した……!」

「な……!?」

 紅福の目が見開かれ、顔が険しくなった。そんな紅福の様子を気にする事無く、史は怒りを吐き出すように言葉を紡ぐ。

「それからというもの、その龍士は気まぐれでやって来ては村の一部を破壊していきやがる! ……対抗しようにも、相手は強大な破壊力を持つ龍を従えた龍士だ。敵うはずもねぇ……。気が付いたら、若い奴はみんな荷物をたたんで、他所へ逃げちまってたよ……」

 最後の言葉は、何やら寂しそうだった。紅福がかける言葉を探していると、横から回が「そうそう」と話に入ってくる。どうやら、二人の会話をしっかり聞いていたらしい。

「みんな、薄情だよなぁ」

「回さん。その、何で……」

「何で俺達は、そいつらみたいに逃げないんだって?」

 回の言葉に、紅福は言葉無く頷いた。すると回は「そりゃあ、仕方ねぇさ」と笑う。回の真意が見えず紅福が首を傾げると、史が口を開いた。

「俺達はみんな、この村で生まれ、この村で育ち、この村で生きてきたんだ。……我が身可愛さで、アッサリとこの村を棄てられるか……!」

「この村に残ってる奴はみんな、この村を守るために残ってるんだ。例え家族にすら見放されても、俺達がいる限りこの村は村であり続ける。……俺達まで見棄てていなくなっちまったら……いくら家があろうが田畑があろうが、ここは村じゃなく、ただの空き地になっちまうからな。……村ってのは、人がいてこその村なんだよ」

 史と回の言葉を、紅福は何度も頭の中で反芻した。棄てられない、村を守る……二人の言葉が、紅福の中に沁み入っていくように感じる。

「村を……守るため……。じゃあ、美明も?」

 一人、村を逃げ出さなかった若者。先ほど、行き倒れていた自分達を救ってくれた少女。彼女が村に残った理由が気になり、紅福は問うた。すると、回が首を横に振る。

「いや、美明ちゃんは違う」

「へ? じゃあ、何で……」

 史と回が、困ったように顔を見合わせた。そして、困った顔のまま、史は小さく低い声でぽつりと呟く。

「……あの子はな、その龍士の攻撃で……両親を亡くしているんだ」

「あ……」

 まずい事を訊いてしまった。紅福が気まずそうにしていると、回は昔を懐かしむ顔をしながら部屋の中を見渡した。

「この食堂は、美明ちゃんの両親が経営していた店でな。……両親が亡くなった時、美明ちゃんも他所へ逃げるように勧めたんだが、頑として聞かなかったよ。両親が懸命に守ったこの店を、今度は自分が守るんだ……ってな」

「あいつも……守るために。みんな……大切なものを守るために、この村に……」

 言葉を咀嚼するように呟く紅福に、史は「ま、そういう事だ」と頷いた。そして。

「それで、お前は?」

「え?」

 何を問われたのかわからず、紅福は目を瞬いた。

「お前達二人は、どこへ行こうとしてるのか、って訊いたんだ。まだあんな小さな子どもを連れて、三年もかけて……タダ事とは思えねぇな」

「こっちは正直に話したんだからさ、そっちも答えてくれねぇとな」

 史と回、二人の追求に、紅福はしばし黙りこくった。そして、何かを決意したような顔をすると、絞り出すような声で言う。

「……龍道ロンタオに行こうと思ってるんだよ」

 その答に、史と回は数度瞬き、顔を見合わせた。

「龍道? 龍道って言うと……どこぞやの山奥にあるっていう、龍の里か?」

 紅福は、頷いた。努めて隠してはいるが、それでもわかるほどに、その顔は暗い。

「あぁ。幾万もの龍が生まれ育ち暮らしている、龍の国だ。俺と煉は、そこに行こうと思ってる」

「ガキ二人が龍道を三年もかけて目指して……どうするつもりだ?」

「……」

 史の問いに、紅福は再び黙り込んだ。顔は、先ほどよりも更に思いつめたものになっている。

「……どうした?」

 回に顔を覗き込まれ、紅福はハッとした。そして、何かを誤魔化すかのように頭を掻くと、「あー……」と言い難そうに唸る。

「村を龍士に滅茶苦茶にされちまった人達に言うのも何だけど……俺、龍士になりたいんだ」

 今度は、史と回の顔が険しく歪んだ。史の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。

「龍士になりたいだ? お前、何でそんなのになりたいんだ!? 龍士なんかになって、何をするつもりだ!?」

「全ての龍士が悪い奴ってわけじゃない!」

 声を荒げた紅福に、史と回は目を丸くした。見れば、今まで談笑していた美明達も何事かと紅福の方を見ている。

 紅福は再び「あー……」と間が悪そうな声を発すると、すとんと椅子に座り直した。そして、今更ながら声をひそめて史と回に言う。

「……龍士と一口に言ったって、色んな奴がいる。龍の力を使って村を破壊したりとか……そんな人間として最低な事するような奴は、数いる龍士の中でもほんの一部だよ。ほとんどの龍士は龍の力を使って、新たな土地を開拓したり、遺跡を探索したり……中には、災害から人々を守ったり災害復興支援をしたりする龍士だっている」

「じゃあ、お前がなりたいのは、その人の役に立つ良い龍士か」

 史の言葉に、紅福は「そう」と頷いた。だが、回はまだすっきりしないという顔で紅福の顔を見詰めている。

「けど、何でそこで龍道に行くんだ? 龍士って奴は、龍と契約を結べば誰だってなれるんだろ? なら、別にわざわざ大変な道を通ってまで龍道に行かなくても良いじゃねぇか」

「……確かに、龍士はそれなりに才能があれば誰でもどこでもなれるよ。特に免許が必要ってわけでもないし……って言うか、免許なんて無いし」

「じゃあ、何で?」

 回の問いに、紅福は何度目になるかもわからない沈黙を生み出した。そして、ぎこちない喋り方で言う。

「……龍なんて、そこら辺を気軽に飛んでるようなものでもないし。龍道に行けば、他のどこよりも相棒の龍を見付けやすいと思ってさ。何万匹も龍がいるなら、きっと俺と気の合う奴もいるだろうから……」

 どうにも、嘘を話している様子の紅福に回は眉をひそめた。だが、嘘だろうと言ったところで素直に話してくれそうにはない。回は溜息をつき、もう一つだけ、訊こうと思っていた事を口にした。

「いくら才能があっても、相棒がいなけりゃどうしようもない……ってか。なるほどな。けど、だったらあんな小さい子どもを連れて行く必要は無ぇじゃねぇか。……というか、三年前じゃ、出発した時のお前だって十歳の子どもだろう。親はどうした?」

 問い掛けに、紅福は深く溜息をついた。そして、低い声で呟く。

「…………死んだよ」

「!」

 気まずい空気が流れ、史は「……悪い」と呟いた。それに紅福が「いや……」と返すが、重い空気は消えようとしない。

 そんな中に、煉が「兄ちゃん!」と努めて明るい声で割り込んできた。先ほど紅福が声を荒げた事で、何か話題を変えなければいけないと思ったのかもしれない。

「ん? どうしたんだ、煉?」

 助かった、とでも言いたげなホッとした表情で紅福が問う。すると煉は、「あのね」と苦笑しながら言葉を続けた。

「美明お姉ちゃんが、僕達の食事代、二人合わせて六十元だって……」

 瞬間、紅福は口に含み掛けていた茶を霧のように噴き出した。

「金取るのかよ!?」

 目を丸くする紅福に、美明は「何を言っているのか」という顔をする。

「当たり前でしょ? こっちも商売なんだから。……あ、因みに宿代は一人四十元ね」

「……まぁ、良いけどさ……」

 渋々というわけではないがすっきりとしない表情で財布を取り出す紅福に、史達村人も苦笑している。

「……ま、金を払うのが嫌なら、自分で狩猟採集するんだな」

 確かに、自分で材料を集めれば金はかからない。代わりに労力がかかるだろうが。肩を落とし、溜息をつきながら紅福は呟いた。

「……恐るべし……商人魂……」

 そして即座に、煉からツッコミが入った。

「兄ちゃん、大袈裟」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る