間の酒

黒河満

第1話 男と酒が嫌いな“女”

 私は酒が嫌いだ。

酒に侵食されると人は人ではなくなるからだ。


 幼い頃より父の晩酌の時間が嫌いだった。

ひとくち、進む度にその潤った口内から父の舌が滑りだす。

吐き出される言葉たち。普段口数の多くない彼が物語を始める。

 母の読み聞かせる物語の主人公は見知らぬ国のお姫様や森の動物だったが、酒が生みだす物語は全て父の活躍によって形作られた。

幼い頃の父、大学生だった父、職場での父、父、父。

彼にとってのファンタジーは私にとって他人のちっぽけなアルバムでしかなかった。

 「だからどうしたっていうの!」

幼い私はその言葉を口に出せやしない。酒は父を歴戦の猛者、自由の詩人に変えるだけでなく、短気な王様に変えてしまっているから。


 私は男が嫌いだ。

幸か不幸か私は女子校での少女時代を過ごした。

多感なお年頃、“男”を意識することなくすくすくと育ったのだ。

 しかしその、ほぼひとつの性別でできた夢の国は6年ぽっちで崩壊、大学生になった。そこで“女”であり、女ではなかった私は現実へと差し出されたのだった。

 春の陽気に浮くように、私はふんわりと“恋”に落ちた。とある男と出会ったのだ。

新しいメゾンの洋服を手に入れたような気分だったのを今でも思い出せる。

 そこで私は男に女であるように要求された。しかし女でなかった私はこれを断固拒否したのだった。別に肉体関係がどうであるとか、そういった生々しいことではないのだが。

 そう。たった数時間の会話と数十通のメッセージのやりとりのみで「男とは、こうも口が大きい生き物であったか」とその時に知っただけなのだ。それ「だけ」で、父の酩酊を想起するのには十分であった。

かくして私は男が嫌いになった。負けず嫌いの私には大層相性が悪い生き物なのだ。



 金曜日の夜、私は街ゆく人々の体から香るアルコールにうんざりしていた。

「この人たちの呼気で雲を作ったなら、お猪口くらいの酒が降りそうだなあ」とくだらないことを思い、アルバイトからの帰路についていたのだが、眼前の小さな人だかりで悲鳴が飛んだことに気づく。

 会社勤めの男性らしき体が欄干の上にお布団みたいにぶら下がっている。

馬鹿馬鹿しい、と思いつつも目をやるとどうやら男性は川に身を投げたいらしく、同僚と思しきガタイのいい男性に暴れる足を掴まれていた。

 不謹慎ながらも「マグロ!」と発する高倉健を思い出して流石に笑いを堪える。周りを囲むこれまた同僚らしい女性が一人電話で金切り声を上げている。警察だろうか。もう一人の女性はさきほど悲鳴を上げていた声の主らしく、目を覆う仕草で道にへたり込んでしまっていた。

 暴れる男性は猛烈に泣きじゃくっていた。近づくたびに声が鮮明になる。

 「俺なんて!!!お前とは違って・・・!気に入られずに!!!」

通りかかった頃に聞こえたその一声に苛立ったことは覚えている。しかし気づいた時に聞こえたのは。

 「うるせえ!!!とっとと死んじまえよ!!!!!!」という雄々しい私の声だった。

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間の酒 黒河満 @samidarefast

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