精霊水晶

宗谷 圭

第1話

 宮本幸多は、普通の小学生だ。

 身長体重は全国平均並だし、顔だって少し犬っぽいと言われる事がまれにある事を除けば特に特徴も無い。サッカーとゲームが好きで、算数が苦手な……そんな極普通の小学生だ。

 別に旧家の子供でもなければ、魔法を使えるわけでも世界を救う運命を背負っているわけでもない。ただ毎日六時半に目を覚まし、学校に行って勉強して友達と遊んで……そして家に帰ったら夕飯を食べて、十時までに寝れば良い。

 そんな、本当にどこにでもいる極々普通の小学生だ。



 ある夏の日の夕方のことだ。

 幸多は友達と別れ、家路についていた。

 アスファルトの舗装が崩れかけた道の横にある田んぼには、草が生えたい放題に生えている。草むらの中ではここ数日の猛暑で少々参ってしまったらしい蛙が、雨乞いでもするかのようにゲゲコ、ゲゲコと弱々しい力で鳴いている。

 そんな田舎臭さの残る道を歩く幸多の眼前に、何かがぼたりと落ちてきた。

「?」

 何だろうと思い、足を止めて見る。

 落ちてきたドッジボール大のそれは、もそもそと動いている。どうやら生き物のようだ。

 鳥かな? 仔猫かな?

 落下物の正体を想像しながら、幸多は何気なく覗き込んだ。そして、目を丸くした。

 何故目を丸くしたかと言えば、それは幸多が今までに見たこともないような生き物だったからだ。

 鳥のようなんだけれども、鳥じゃない。羽根があるのに、人間のように腕がある。足も、その辺を飛んでいる鳥の頼りないそれに比べると随分たくましいように思える。

 そして何よりも奇妙なのは、その鳥らしき生き物が服を着ているという点だ。

 世の中には犬や猫に服を着せて喜んでいる変わった人が結構いるが、鳥に服を着せるというのは今のところ聞いたことが無い。

 しかも、着ているのはただの服ではない。姉の頼子が毎年三月になると飾っている雛壇。あれに飾ってある人形の一つが着ている服――祖父は「これは水干と言うのだ」と教えてくれた――にそっくりだ。

 さて、その水干を着た鳥。

 それはヨタヨタと立ち上がると甲高いしゃがれ声でブツブツと呟いた。

「まったく……重いといったらありはしない……。精霊王様の水晶を運ぶお役目を賜ったのは光栄じゃが、これはあまりにも重過ぎる……」

 その言葉を聞いて、幸多はますます目を丸くした。

 別に、鳥の言葉の内容に驚いているわけではない。

 正直な話、時代劇のような言葉がぽんぽんと出てきて意味はいまいち理解できていない。

 それでも、驚いている。何故なら、鳥が喋ったから。学校で飼っているインコも、隣のオウムも向かいの九官鳥も、ここまでぺらぺらとは喋らない。時代劇のような言葉なら尚更だ。

 捕まえてテレビ局に連れて行けば、お金をもらえるかもしれない。そのお金で、ムシキングのカードを何枚買えるだろう?

 幸多が何となくそんなことを考えていると、鳥は言う。

「そうじゃ。そこの御仁、ちと手伝ってはくださらぬか?」

「……」

 一瞬、幸多は何のことかわからなかった。だが、さすがに「手伝って」という言葉の意味はわかる。

 誰に言っているのか、と思い、後を振り向く。だが、そこには誰もいない。

 続いて辺りを見渡してみるが、ものの見事に幸多以外の人間は誰一人としていない。

 そこで改めて、鳥を見る。鳥は、キーキーとしゃがれた声で言う。

「おぬしじゃ、おぬし!」

「ぼ……おれ?」

 つい最近友達の口調を真似て「ぼく」から「おれ」に変更した一人称を危なっかしく使用しながら、幸多は自らを指差して訊ねた。

 そんな幸多に、鳥は更にキーキーと言う。

「この場に、おぬし以外に、誰がいる? 良いから、手伝うなら「はい」、手伝わぬなら「いいえ」と早く言わぬか!」

 その言葉に、幸多は慌てて訊ねた。

「え……でも手伝うって何を? おれ、鳥じゃないから飛ぶ練習にはつきあえないよ?」

「誰が鳥かっ! それがしはカラス天狗の華欠左衛門かかざえもん。歴とした妖怪であるぞ!」

 幸多に向かって唾を飛ばしながら叫ぶと、鳥……改め華欠左衛門はすーはー、すーはーと大きく深呼吸をした。

 気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりと言い聞かせるように言う。

「良いか? それがしは今、精霊王様の水晶を運搬する任に就いておる。だが、見ての通りそれがしは小柄じゃ。それじゃというのに水晶は、流石は精霊王様の物であるだけあって……ほれ、こんなにも大きくあらせられる」

 そう言いながら華欠左衛門が空中に両手をかざすと、きらきら光る小さな結晶がいくつもそこに現れ、やがてそれらが全てまとまり一つの大きな水晶となった。

 大きさは、華欠左衛門と同じか、それより少し小さいぐらい。暖かい薄ピンク色で、ほわっとした光を放っている。

 その水晶を、まるで赤ん坊を抱く母親のように大事そうに抱えながら華欠左衛門は言う。

「それがし一人でこれを運ぶのは中々に難儀でな……おぬしに手伝って貰いたいのじゃ」

 そう言いながらも、水晶を抱える華欠左衛門は既によろよろとよろめいている。どこに隠し持っていたのか知らないが、この小さな体でこれだけ大きな水晶を運ぶのは確かに骨が折れるだろう。

 幸多は、少し興味を持って華欠左衛門に訊ねてみた。

「どこに運ぶの? すぐに帰れる場所だったら、おれ、手伝っても良いよ」

 その言葉を聞くと、華欠左衛門はパッ! と顔を輝かせて言った。

「おぉ、それはまことか? ならば、心配には及ばぬ。運ぶ先は我ら妖怪が住まう世界。近いとは言えぬが時間はかからぬ。行きは駄目だが、帰りは我ら天狗族の力で瞬く間におぬしを家まで送ってしんぜよう」

 華欠左衛門に言わせると、妖怪の中でも天狗族は時間や空間を歪める……つまりは瞬間移動ができるのだとか。

 それを聞いて、幸多は首をかしげた。

「じゃあ、何で瞬間移動で水晶を運ばないの? そうすれば重い物でも一瞬で持っていけるじゃない?」

 幸多がこう問うと、華欠左衛門はキッと怖い顔をして幸多を睨んだ。

「おぬしには関わりの無い事じゃ。知らぬ方が良い」

 そう言うと、改めて華欠左衛門は幸多に訊ねた。

「さぁ、如何する? それがしを手伝って水晶を運ぶか? それとも、それがしを見捨てて家に帰るか?」

 「見捨てて」という言葉に「せっかく見つけた手伝い手を逃してたまるか」という想いが感じられる。

 幸多は、うーん……と唸りながら考えた。

 夏だからまだ日は高いとはいえ、既に時間は五時を過ぎている。あまり遅くなると母親に怒られるだろう。

 けど、華欠左衛門は「時間はかからない」と言っている。だけど、妖怪の言う事をそんなに簡単に信じても良いものだろうか?

 ひょっとしたら、水晶を運ぶとか水晶が重いとか……そういうのは全て嘘で、妖怪の世界に連れ込んだ幸多を妖怪仲間全員で食べてしまうつもりかもしれない。

 だが、見たところ本当に困っているらしいこの妖怪を見捨てるのも何となく気分が悪い。

 それに、妖怪の世界というのも見てみたいし……。

 そうだ、色々なものを見たり聞いたりするのは良いことだって先生も親も言っていたじゃないか。少しくらい帰るのが遅くなったって、きっと大丈夫だ。

 そこまで考えて、幸多は華欠左衛門に首を立てに振りながら言った。

「うん、良いよ、手伝うよ」

 その言葉を聞いて、華欠左衛門の顔は先ほどよりも更にパッ! と明るくなった。その目は眩しいほどに光り輝いている。

「おぉ、恩に着るぞ! ……そう言えば、おぬしの名は何といったか?」

 礼を言おうとして、まだ名前を聞いていない事に気付いたらしい。華欠左衛門は、丸い目をくりくりと動かしながら訊ねた。

「幸多だよ。宮本幸多」

 すると、華欠左衛門は「幸多……幸多……」と何度も呟き、やっと覚えたのか首をくりんと幸多に向けた。

「よし! それでは幸多、いざ参ろうぞ、我らが住む妖怪の世界……妖界へ!」

 威勢よく叫ぶと、華欠左衛門は幸多に水晶を持たせた。

 落としたり傷つけたりしないように、としつこく何度も言われたため恐る恐る……それはもうやり過ぎではないかと思われるほど慎重に、幸多は大きな水晶を抱えた。

 ほわっとした光は暖かく、何やら懐かしい感じまでした。

 思わず頬を緩めた幸多の服を引っ張ると、華欠左衛門は「早く行こう」というジェスチャーをした。

 幸多はこくり、と頷くと、華欠左衛門に伴われてくてくと歩き出した。

 特に道を逸れたとか、林の中に入っていった、という事は無い。

 ただ、目の前の道をてくてくと歩いている。

 それなのに、暑さの為か、一瞬空気が陽炎の様に揺らいだかと思うと、もうそこには幸多の影も華欠左衛門の姿も見当たらなかった。

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