恐怖には程遠く

のと

0話――みえてるこ。



 私は私が大嫌いだ。





 じっと、その人を見つめてみる。真正面から。

 じっと、じいっと、穴が開くくらいまっすぐに。

 でも、彼は絶対に気付かない。

 気づかないで、私にずっと見られている。





 「なにしてんだ?」

 聞きなれた声が上から降ってきた。

 振り向けばあくびをしながら先輩と呼んでいるその人が私を見下ろしていた。

 私が生まれた時からずっと一緒の声をした、私を見つけることのできる人。

 「みてた」

 「あん?ああ、お前まあ諦めてなかったのか」

 どうやら昨日はよく眠れていないようだ。

 先輩はあくびをこらえることなく思いきりしながら彼の肩をたたく。

 先輩は彼に触ることができるし、声もかけることができる。

 先輩に肩を叩かれたことでようやく彼は私の存在に気づいてくれる。いや、私がいるということを知る。

 「まささんのお友達にちゃんとあいさつをしたいんだけどねえ」

 苦笑しながら私がいるほうを教えてもらい「こんにちは」と言ってくれる。

 私もそれに対して「こんにちは」と返す。聞こえているのは先輩だけだが先輩はちゃんとそれを彼に伝えてくれる。

 彼は私が返事をしていることをうれしそうに聞いてくれる。

 たとえ視線が交わらなくても、幸せな時間。

 「諦めちまえよ、つーかお前なんであいつに固執してんだ?」

 先輩――――安芸津正則とかいう名前を名乗ってるその人は仕事を続ける彼を私の隣に座ってみながら話しかけてくる。

 手伝えばいいのにと前にこぼしたがそれじゃああの人の『たつせ』がないのだそうだ。

 「俺みたいな放浪癖のある落ちこぼれに手伝われたんじゃあ、あいつもなんか言われちまうだろ」

 先輩はそう言って口を閉ざす。私の感情を読み取るように「俺が好きで移動してるんだ」と付け加えるのは忘れずに。


 私が生まれたのは、「私」という意識が生まれたのは、同時に先輩の人生の終わりを遂げた時だった。

 「私」という意識体との接触によりつきものを払う正常な気を失ってしまった彼はそれでも私を責めたりしなかった。

 形も定まらない私に様々なことを教えてくれて、様々なものを見せてくれて、こうして私という意識が拡散しないようにしてくれる。

 「ほんけとうしゅ」という、先輩が継ぐはずだったものは本妻の長子である彼が継ぐことになった。先輩が言うに、これが最良の結末らしい。

 本妻は願いが叶い、妾は己の子の不運を詰り、板挟みになっていた前当主は両方に顔を立てられる。

 私にはよくわからない話だけれど、そこに彼の意志も先輩の意思も存在しないことがとても不思議で、不快だった。

 「まささん、が入ったのだけれど、どうする?」

 困ったように彼――――穐津則彦は先輩に尋ねる。

 こういうときの『仕事』というのは彼らの一族が担う仕事、魔物を払う仕事のことだ。

 先輩と私は各地をふらふらしながら依頼を受けたり依頼をもらいに行くのだけれど、この家は元々そういった依頼を受けて現地に向かい、神様の力を借りてそれを払うのが仕事なのだ。

 先輩は「それじゃ俺も出発するか」と立ち上がる。

 彼がいない家は先輩の敵だらけ。望まれていないと知るから先輩も彼がいない間の家にはいつかない。

 「ねこみたい」

 そう呟くと何のことだと呆れたような顔で、また髪をぐしゃぐしゃにされた。




 先輩にも言えない秘密。

 私の生まれた理由。

 先輩の母親が狂うほど驚いた理由。

 彼の母親がすまし顔な理由。



 当主が私を払おうとしなかった、理由。



 きっと先輩は気づいていて、それでも私を『一人前の退魔師』に育てる先輩だと名乗ってくれる。優しくて、かわいそうな人。

 でも先輩は気づいていない。私は彼にこだわる理由。本当の理由。

 「まささん、済まないけど荷物を運ぶのを手伝ってくれるかな」

 彼に呼ばれて先輩は仕方ないと頭を掻きながらそっちに向かう。私はここで待っている。

 「――――まこと、済まないことをした」

 低い声。憎い声。聞こえても振り向く気にもなれない。

 先輩と彼の父親は、私の気配のする方へ声をかける。彼もまた、私が見えない。私が見えるのは私が触った相手だけ。それが『掟』だから。

 「正則は、元気でやってるようだな」

 よかったと、父親としての言葉を吐き出す。汚い言葉。醜い言葉。

 心配すれば父親に慣れると思っているのだろうか。己のために、正妻のために、側室のために、すべてを見ない振りした男ごときが。

 でも私の言葉は届かないから口を閉ざす。

 私の言葉が聞こえるのは先輩だけ。これも『掟』で、私にとっては幸せなこと。

 「あれが則彦を呪ったとき、私は見ないふりをした。あれがそれを返した時、聞かぬふりをした。正則にお前に触れてはならぬと、言わなかった。お前や正則が私を恨むのは、則彦が私を嫌うのは仕方がない、そう思っている」

 それでも、どうしようもなかったのだと男は言う。

 そういって、自分を正当化する。

 こいつはそういう人間だ。私の存在に気づきながら、ずっとずっと一人にしていた酷い奴だ。

 払ってくれればよかった。封印してくれればよかった。殺してくれればよかった。できないなら一緒にいてくれればよかった。

 それすらせず、すべてを息子に押し付けて。

 「正則のそばに、お前がいることを私は、思ってはならぬと知っていても、よかったと思っている。これでお前も一人ではないのだから」

 そういって、立ち去る。

 すぐに先輩が来て、変な顔をしてる私をからかいながら心配するだろう。

 大丈夫だ、なんて言ってもどうにもならないこと。

 いいんだ、私はあの男は嫌い。でもその息子である先輩は大好きで、最初に向けられた相手で、あいつにそっくりな彼に執着してしまっている。

 たったそれだけ。

 私の存在。

 「おい、行くぞ」

 先輩に手を引かれてその場所を後にする。

 先輩と手をつなげば、私はここから出ることができる。

 一度繋いでしまった縁は消えないから。私は、先輩とずっと一緒。

 「先輩、それで寂しくない?」

 そう尋ねれば余計なお世話だと、苦笑された。

                                                                       ――――了

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