いつか見える空

moes

いつか見える空

「空?」

 カーレムは聞き間違えたかと思い、呟きを返す。

 空といえば人を死に導く最たるものであり、降りそそぐ全てのものは身体に害を与え、直視すれば精神に異常を来たす。その災いを避けるため人々は地下に暮らし、その言葉自体が忌々しさを持って語られるのが通常なので、カーレムがそう思ったのもおかしくない。

 しかしスカイは訝しげな表情のカーレムに間違っていないことを伝えるため大きく肯き、再度同じことを口にする。

「そう。ぼくの名前、空って意味なんだよ」

「スカイが空?」

 聞いたことない。どこの言葉だよ、と言いたげに眉根をよせて更に胡乱気にカーレムは呟く。

 スカイはもう一度その通りだと肯き、付け足す。

「古代共通語(コムニグア)でね」

「……なんでそんな意味つけられたんだ? それ以前にだいたい今時コムニグア知ってるなんてどんなだよ」

「コムニグアが共通語として機能していた時代、空はどこまでもつづく青色だったんだって。ぼくの目の色みたいな。だから」

 何年か前に名前の意味を聞いたとき教えてくれた、常になくその懐かしむような、やさしい声音をスカイは思い出す。

 そんなスカイの想いとは裏腹にまったく信じていない様子のカーレムは醒めた声をはく。

「誰に聞いたんだよ」

「先生……って呼んでるけど、実際はただの保護者」

 スカイの微妙な言い回しに多少引っかかりつつも気づかないふりをして、カーレムは別のことを口にする。

「何者なんだよ、おまえの親」

「ん~。一言でいえば変わり者、かなぁ。一応、古代史学者で、だからコムニグアにはある程度馴染みがあるみたいなんだけど……なんていうか、つかみどころのない厄介な人だよ」

「……その厄介な先生がおまえをかついでるっていう線はないのかよ」

 的確な指摘にスカイは思わず破顔する。

「先生ならやりかねないけどね。この話は本当だと思うよ。意味不明な嘘をつくときはあんな顔しないし」

 柔らかでいて哀しげな表情で微笑んだ。普段の淡々飄々とした人とはまるで別人のようだった。

「ふぅん。でも、空が青いなんて想像つかないな。本当にそうだったらちょっと気味が悪い気がする」

「そうかなぁ。ぼくはこの話聞いたときすごくわくわくしたけど」

「でも、この空を知ってるとさ」

 保護膜を通してだけ眺めることのできる空は、いつだって石板のように重い灰色で、人を閉じ込める蓋のようだ。

「まぁね。だからさ、探さない?」

「何を?」

「先生はね、根拠なく空が青いなんて突飛なこと言い出さない。確かな証拠があるはずなんだ。ちゃんとした資料がね」

「それを見つけようってことか? でも、なんでおれ? 話すのだって今がはじめてみたいなものだよな?」

 年齢が近いにもかかわらず同じ授業をとるのは今回が初めてだ。もちろん、顔と名前はお互い見知っていたから、こうして話をしていてもさほど違和感はないのだけれど。

「だってカーレムの目も青色だから」

 あっけらかんとスカイはどこかずれた答えを返す。

 カーレムは深い溜息をつく。

「どうすればいいんだ?」

「今週末、うちに泊まりにおいでよ……あ、予定がある?」

「寮に居残るつもりだったから構わないが、先生は探しても何も言わないのか?」

 空が青かった。それが事実であるのなら最重要機密のひとつだろう。一介の学生の目に触れさせていい類の物ではないはずだ。

 カーレムの言いたいことを察してスカイは笑みを浮かべる。

「もちろん、内緒で探すんだよ。大丈夫、先生はほとんど研究所に引きこもってるから」

「その研究所に資料があるっていう可能性はないのか?」

 楽しげなスカイとは対照的に、カーレムはどこか逃げ腰に疲れた表情で尋ねる。

「それはないと思うよ。上層部にも報告はしていないと思うし。……勘だけどね」

「何故?」

「だから勘だってば」

 真剣だった表情をくずしてスカイは笑った。



 白い扉の前で、取っ手に手をかけたまま固まっているスカイの顔をカーレムは横目に見て口を開く。

「止めておけば?」

 促されるまま外泊届を出して、こうしてスカイの家に来たものの、カーレムとしてはまだ信じきれていないというのが本音だ。

 初めはスカイにからかわれているのかとも思ったのだけれど、この躊躇している様子を見ると本人はものすごく真剣なようだ。

「また次の機会に許可とって入ることにしたらどうだ?」

「入らせてくださいって頼んで、はいどうぞ。なんていう人じゃないよ、先生は」

 スカイは困ったように苦笑いする。

「うん、大丈夫。ばれなければ良いんだよね、結局」

「……おれは別におまえがそれでいいって言うなら構わないけど」

 カーレムはスカイの発言を深く考えないようにして、ようやく開かれた入口から中をのぞく。

 天井まで届く棚が部屋いちめんに、人間一人分の通路だけを確保してぎっしりとつめられている。その棚にはわずかばかりの隙間も無駄にせず様々なものが詰め込まれている。

「……これ、ある程度予測はついているんだよな? 例の証拠品のある場所は」

 あまりの広さと雑多さに呆然とするカーレムに、スカイは力ない笑みを浮かべる。

「まさか。ぼくだって入るの初めても同然なんだから無茶言わないでよ」

「どうやって捜す気だよ?」

「それは自分の勘を信じて、片っ端から」

 当てにならない捜索法にカーレムは肩を落とす。

「絶対今日中に終わらないと思うんだが」

「だったら来週末もまた来れば良いよ。苦労をすればそのあとの喜びは倍増だよ、きっと」

 嘯くスカイにカーレムはかるく首を振って、まず一つ目の棚の攻略に取り掛かった。

――――。

「無理だ」

 黙々と棚をあらためる作業を始めてからそろそろ二時間以上経過したと思われる。

 それにも関わらず手がかりひとつ掴めない。

「諦めるの早いなぁ、カーレムは。まだ五分の一も終わってないよ?」

 棚の裏から呆れ声が届く。

「そういう問題じゃなくてさ。例えばこの中に証拠品があったとして、どうやったらそれが該当品だってわかるんだ?」

 棚の大多数を占める記録盤は、部屋の持ち主が物臭さなのか、内容を示す札が貼られていない。必要なときに困らないのだろうかと、人ごとながら心配になるほどだ。

 次に多い、今では珍しい紙媒体の書籍はコムニグアで書かれていればまだいい方で、ほとんどは見たこともない記号の羅列で著されている。

 残る少数の骨董品めいたものは基本的に目的のものではないと考えられるから何に使うかわからなくても問題ないけれど。

「……まさか、全部再生機にとおしてるんじゃないよな?」

「まさか! そんなことしてたら一年あっても終わらないよ」

「じゃあ、どうやって」

 実のある会話にならないことに多少いらだちながらカーレムは尋ねる。

「だから、言ったでしょ。勘だって」

「それはおまえに超常的な力があるととっていいのか?」

 稀に、特殊な能力に秀でたものがいるらしいから、スカイがそうであってもおかしくはない。できれば早々にその力を発動して、証拠品を見つけて欲しいとカーレムは心底ねがう。

「ないよ。そんなの」

「……もう、帰ってもいいか?」

 望みを打ち砕く返答に、カーレムは大きな溜息と一緒に吐き出す。

「だめ。だいたい、外泊届けでてるから寮には戻れないでしょう」

「……とりあえず、休憩しないか? 小腹もすいてきたことだし」

 何の解決にもならないけれど、とりあえずこの虚しい作業から脱するための提案に、スカイの諒解の声が届いた。



「お子さま方、そこで何をしている?」

 入口を塞ぐ影が落ち着いた声音で言う。

「……せ、先生?」

 焦ったようなスカイの横顔と影をカーレムは交互に見る。

 影だと思ったのは全身黒色の服を着ている三十代半ば程に見える男性だった。

「もう一度聞こうか、スカイ。何をしていた?」

 感情的ではなく、かといって冷ややかでもなくただ静かに尋ねている。

 この場合、自分も何か言ったほうがいいのか悩みながらも、カーレムは口を噤んだまま成り行きを見守る。

「探し物をしてました」

「ここには入るな、と何度も言っておいたはずだが、それについては?」

 スカイは小さく笑う。

「こどもは基本的に言いつけを守らないものだ、って言ったのも先生でしたよね」

「こども扱いすれば怒るくせに、勝手なものだな。そちらは?」

 苦笑いした先生と目が合い、カーレムはあわてて頭を下げる。

「カーレムと言います。お邪魔してます。勝手に入ってすみませんでした」

「どうせスカイが無理やり引っ張り込んだんだろう? 気にしなくて構わない……で、何を探していたって?」

 どこか面白がっているようにもとれる、和らいだ口調で先生は尋ねる。

「先生さ、むかし空は青かったって教えてくれたじゃない?」

 スカイは棚にもたれ、何もない細い天井を見上げる。

「それが?」

「だからさ、その証拠を探そうと思って。先生のことだからなんか根拠があって話してくれたんだろうし、あるとしたら資料庫の中かな、って」

「カーレムはその話聞いて信じたのか?」

 矛先が自分のほうに向き、カーレムは逡巡したあと口を開く。

「半信半疑でした。……本当のことを言えば、今でも」

「それが普通だろうな。それより、スカイ。この資料庫の中からどうやって空の記録を見つけ出すつもりだったんだ? 記録盤には見出しも何も貼ってなかっただろう」

「それは持ち前のぼくの強運が目的に導いてくれると信じてたし」

 スカイの返事を聞いた先生はもちろん、カーレムも一緒に肩を落とす。

「おまえ、さっきと言ってることがちがう。勘で見つけるんじゃなかったのかよ」

「どっちも当てにならないものという点では変わりないと思うんだが。全く、そんないい加減なことで友達を巻き込むんじゃないよ」

「だって、カーレムの目も青かったから」

 理由になっていないことをふくれ面で言うスカイに先生は諦めたような溜息をつく。

「おいで。見せてあげるから」

 その言葉にカーレムとスカイは顔を見合わせ、先生の背中に続く。

 迷いない足どりで目的の棚にたどりつき、先生はそこからひとつの立方体を取り出す。その掌に収まるほどの小さな透明の箱を握ったまま資料庫の奥にあった小さな扉をくぐる。

「隠し部屋?」

 資料庫の三分の一くらいの広さにみえる、何もない、がらんとした白い部屋。

「戸を閉めたら適当な場所に座りなさい」

 二人が座ったのを確認すると、先生は立方体を中央に設置する。

「それも記録盤?」

「記録再生装置だ。再生機を通さなくてもこれひとつで記録を投影できる……過去の遺物だな」

 ぴ。

 短い電子音と同時に部屋が真っ暗になる。

「先生、これ?」

 隣にいるはずのカーレムの姿も見えないほどの闇に、騙されたかとスカイは先生を呼ぶ。

「夜が、明けるよ?」

 暗闇の中からやわらかな吐息のような声が届く。

 闇は徐々に薄まり、明るさを増していく。

 黒、というより紺色に見える空は時が経つにつれ淡くなり、床近くから薄紅色が広がりだす。

 だんだんと濃度があがっていく桃色の中心からは橙色の円が燃えるように顔を出す。桃色はだんだんと色味を重ね、ごく淡い紫まじりなる。その複雑な色合いもいつのまにか、水色になり、ただ単色ではない微妙な濃淡のあるきれいな淡色は少しずつ色を深くしていく。

 中天にあった強い光球はいつしか傾き、それに合わせて空は茜に染まる。それはゆるゆると紺色と混じりだし、円が消えると下のほうからただの紺色に染まり、そして空全部を覆う。

 そして最初とよく似た暗闇が再度映し出される。しかしその空にはちかちかと細かな無数の光がまたたく。

 しばらくするとその光はゆるく闇に溶けて、……元のただの白い壁に戻る。

 放心状態の二人に、先生はどこか嬉しそうに、やさしい表情を見せる。

「あれ、が……空」

 こぼれかけたものを目元から拭い、カーレムはかすれた声でつぶやく。隣に座るスカイを見るとぱたぱたと落ちる涙をそのままに、呆然としている。

「お、い」

「……カーレム。なんで、泣いてるんだろ……先生、なんで」

 涙を零したまま、スカイは困ったように首を傾げる。抑えてはいるけれど、じんじんと痛む目の奥から今にも涙がこぼれそうなカーレムも答えを求め、先生の顔を見やる。

「……それがなければならないものだと、わかっているから。本能的に焦がれて、懐かしんでるから。あの空が作り物ではなく、本来あるべき姿だという証拠だよ」

 静かに染み入る言葉が先生の口からもれる。

「どうして、今は直視することもかなわない……無彩色の空になってしまったんです?」

「人は過ちを犯して神を怒らせたせいだ、などというのはあまりにも宗教的お伽噺すぎるが」

 先生は床に置きっぱなしだった記憶装置を拾い上げ、包むように握る。

「人が唯一無二だと過信して誤った方向に進んだことは確かだ。そして空が恵みをもたらすものから禍つものに変わったのは相応の罰だよ」

 薄い笑みをうかべて先生は目を伏せる。

「ずっと、このまま?」

 涙のあとを残したままスカイは尋ねる。

「だとしたら、人は絶滅するよ。……だから、取り戻す。時間はかかるだろうが。だから、あなたたちはもっといろいろなことを勉強して早く大人になってください」

 いたずらっぽく笑う先生の言葉に二人は顔を見合わせる。

「だから、って何? どうして、そういう方向に話がとぶの? 全然関係ないじゃない」

 スカイは口を尖らせる。

「生きてるうちに映像ではない、本物を見たいと思わないのか?」

 先生はわざとらしく片眉を上げてみせる。

「それは、見たいけど。ねぇ、カーレム」

「それと勉強するってことが繋がらないんですけど」

「それは二人が数少ない真実を知る者だから。取り戻すための戦力になってもらうために決まってるでしょう? こんな重要機密を知ってただで済むと思ってるなら、甘いよ」

 面白がっているようにしか見えない口調と表情で、先生は二人を見つめる。

「詐欺だ」

「後出しはずるいよ」

 二人はむくれて言う。

「大人はずるいものだって教えただろう? ……これは二人にあげるから、がんばりなさい」

 スカイとカーレムのあいだに空の記憶装置を置いて、先生は二人の頭をなでる。

「わかっているとは思うけれど、ここ以外で再生するんじゃないよ。絶対に」

 固まっている二人をそのままに扉が開いて、再び閉まる音が小さく響いた。



「いつかさ」

 再び映し出された、静かに移り変わる空の色を眺めながらスカイは呟く。

 カーレムは視線でその先を促す。

「本当に、本当になるのかな?」

 スカイの奇妙な言い回しにカーレムは声を立てずに笑う。

「そのために頑張ってみるのも、いいかなと思ってるよ、おれは」

 やわらかな水色の空と同じ色のスカイの目をみてカーレムは微笑んだ。

 

                             【終】

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